EP5 . 虹の光
半分が燃えるように赤く染まったその館は、川の奥の小高い丘の上に建っていた。館まではまだ少し距離があって、門の前に到着した頃には日が沈み、夜空に星が見えた。
立派な館と、その周囲を囲う堅牢な壁。魔王だって手出し出来ないと俺は思った。
ウナイのおっちゃんが大声で何かを叫ぶと館の門が開く。馬車の列はゆっくりと大きな壁の内側へと入っていった。領主様の館には大きな庭があって、俺達はそこに泊まる事になった。
俺が乗っていた馬車が止まったのは城壁のすぐ真横。外側から見ると高かった壁も、内側から見ると馬車の荷台より少し高い程度の高さ。館自体が高い場所にあるのだ。館の召使達が暖かいご飯を配給してくれていたなか、父さんはウナイのおっちゃんと共に、領主様の元へと行ってしまった。
俺は握り飯を片手に馬車の荷台を伝って城壁によじ登り、俺達が来た方の夜空を眺めた。
その日の夜空には光り輝く大きな満月が浮かんでいた。燦然と輝く美しい星々すら霞ませてしまうその月を眺めていると、俺の心の張り物は落ちて行った。
「なあ、ビアンカ、お前もこっちに来て一緒に月を見ないか」
荷台の狭い隙間で一人塞ぎ込むビアンカに向かって俺は言った。
無言の返事。
俺はため息をついて再び夜空に向き直した。すると後ろから声が聞こえてきた。
「ねえ、」
荷台の方に顔を向けると、ビアンカがこちらを見ている。
「手を貸しなさい」
高飛車な女め。そう思いながらも俺は彼女に手を貸した。
「こうやって寝転がると、星空が綺麗に見えるぞ」
「なにそれ、馬鹿じゃないの」
「いいからやってみろって」
強引に勧めるとビアンカは渋々、俺の横に仰向けで寝転がった。
満天の星空が視界の端から端まで全てを埋める。まるで宇宙にでもいる様な感覚だった。
「どうだ、凄く綺麗だろ。こうやってここから見ると、月にだって手が届きそうだ」
「別に、下から見るのとあまり変わらないわ」
彼女は相変わらずだ。いちいち癇に障ってくる。
「あのなあ、もうちょっと愛想ってものを、」
ビアンカの方を見ると、彼女はこちらに目を合わさずに言った。
「なんでそんなに、私に構おうとするの。私はよそ者よ」
「よそ者かどうかなんて関係ない。困っている人がいたら助ける。それが騎士だ」
「騎士?なにそれ。騎士は災いの元も助けてくれるの?」
俺にはそれが悲しみに満ちた声に聞こえた。
「ビアンカ、お前は自分が災いの元だと言いたいみたいだけどな、そんな事ない。悪いのはフェンリルだろ」
「いいえ、悪いのは私よ」彼女の口調が強くなる。
「私はね、昔から魔物を引き付けてしまうの。それで周りの人たちに迷惑をかけてきた」
「魔物を引き付ける?」
「そう、私が生まれてから、村に魔物が寄って来る様になったの。私のいた村は北壁山脈から距離があった。だから、魔物と出くわす事なんて絶対になかったの。けれど、私が生まれてからというもの、近くの森に魔物が出る様になった。最初のうちは目撃情報だけだったけれど、ある日事件が起こった。その日私はお母さんと一緒に森へ入り、木の実を採っていた。夢中になって木の実を採っていると、草むらから音がして、恐ろしい魔物が姿を現した。魔物はお母さんを襲い、そして殺した。私も殺されそうになったけれど、偶然近くを通りすがった冒険者が助けてくれた。その話が村に広まると、みんなが私を災いの元と呼んだ。六年続く不作も、急に現れる様になった魔物も、お母さんが死んだのも、全部私のせいなんだって」
ビアンカの横顔を見ると、彼女の瞳には涙が浮かんでいた。
「今回だって、きっとフェンリルを引き付けたのは私よ。そんな私でも騎士は助けてくれるの?」
「当たり前だ」俺はきっぱりと言い張った。
「不作も魔物もお前の母さんの死も、全部ビアンカのせいなんかじゃない。みんな怖くて不安だったんだ。お前はそのはけ口にされただけで、何も悪くない。騎士に二言は無いよビアンカ。一度助けると言ったら必ず助ける。ビアンカに災いが振りかかった時は、俺が全部払いのけてやる」
「ふっ、あっそ」ビアンカは涙を拭い、そしてンーと伸びをして言った。
「やっぱりさ、ここから見る月は綺麗だね」
「だろっ、だから言ったじゃないか」
「フフッ」ビアンカは小さく笑った。
”カーンカーンカーン”敵襲を告げる鐘が鳴り響く。
飛び上がり辺りを見回すと、館から兵が出てくるのが見えた。
人々の声が大きくなる。櫓の兵が壁の外の何かを指さしている。見ると、疾風の如く走る黒い巨狼がこちらに向かって来ていた。壁を守る兵が矢を放つが、奴の速さに追いつかない。放たれた矢は無惨に奴が踏み荒らした後の土に突き刺さる。奴は口から炎を吐き出し更に加速した。
壁を離れ、誰かの馬車の後ろに隠れる俺とビアンカ。彼女の体が震える。
壁を踏み越える音が聞こえ、奴が姿を現した。城壁を乗り越えた巨大な狼は全身から烈焔を放ち、大きく空気を吸い込んだ。獣の咆哮が鳴り響く。揺れる地面。舞い散る火の粉。馬車の後ろまで熱が届く。あまりの熱気で物が燃え上がり、館の広い庭は炎に包まれた。
地獄の様な光景だった。村人達が悲鳴を上げ後ろに逃げ出す中、館の兵士達は果敢に奴に挑む。だがその刃が巨狼に届くことは無かった。一方的になぶり殺される兵士達。
兵士の足が止まりかけたその時、誰かが俺の肩に触れた。
「良かった、無事だったか」それは父さんだった。
「嬢ちゃんも無事で良かった。俺が奴を食い止める。二人はここでじっとしていろ」
そう言うと父さんは背中に背負った大剣を抜き、馬車の陰から出ようとした。
「待って父さん!」気が付くと俺は、父さんの服を掴んでいた。
「あんな怪物を倒せるの?」
父さんは息を吐き言う。
「ああ、やってやるさ。腕試しと行こうじゃねえか」
俺に微笑みかけた父さんは奴に向き直り、真っすぐ駆けて行った。
巨狼も速いが父さんも速い。父さんは凄い速さで巨狼に近づき、大剣を振るった。父さんの大剣が白く光り輝く。すると大剣は空間を切り裂き、その衝撃で辺りの炎が消し飛んだ。
だがそこに巨狼はいなかった。巨狼は直前に上へ飛び、間一髪で父さんの斬撃を回避していたのだ。炎を纏った巨狼の爪が、空から父さんに襲い掛かる。父さんはそれを剣でギーンと跳ね除けた。体制を崩した巨狼に追撃を食らわす父さん。
しかし、巨狼も黙ってはいない。尻尾で父さんを叩き飛ばした。馬車にぶつかった父さんはすぐに立ち上がり、目に見えない程の速さで巨狼に襲い掛かる。巨狼も素早くこれに反応。
一進一退の攻防は苛烈さを増し、もはや誰にも手出しは出来なかった。
「おじさん凄い」
「ああ、目で追うのがやっとだ」
俺とビアンカがあっけに取られていると、戦いの終わりは突然やって来た。
父さんの大剣と巨狼の爪が交差して、砕け散る巨狼の爪。白く光る斬撃は巨狼を覆う炎を切り裂き、ついに奴を打ち破った。
どっと歓声が上がる。父さんは大剣をしまい、ゆっくりとこちらへ歩み寄った。俺とビアンカも馬車の陰から出て、父さんに駆け寄る。
だが、戦いはまだ終わっていなかった。死んだはずの巨狼が、大量の血を流しながら立ち上がったのだ。
「父さんっ、危ないっ」
俺がそう叫んだ直後、巨狼の振った前足が父さんを襲う。不意打ちを食らった父さんは叩き飛ばされ、地面に倒れ込んだ。
巨狼の増悪に満ちた赤い瞳がこちらを睨む。そして奴は、躊躇なく俺とビアンカ向けて突進してきた。奴が地面を踏みつけるたびに、その振動が全身に伝わる。
炎を纏った巨体が、燃え上がる火の中を駆け抜けて目前に迫った。
「ビアンカ、後ろにいろ!」
俺はそう叫び、両腕を広げて彼女を庇った。奴の折れた爪が俺を襲う。顔と胸に激痛を感じ、身体が燃え上がるように熱くなる。視界が自分の血で真っ赤に染まった。足がふらつき倒れそうになる。だが俺は決して倒れなかった。
ビアンカを守る、そう誓ったから。
巨狼の前足が再び振りあがる。俺はビアンカの前に立ち、両腕を広げて叫んだ。
胸が熱くなった。とたん俺の体は眩い光を放ち、その光は太陽の光線の様に周囲に広がった。
あらゆる色が混ざった虹色の光は巨狼を飲み込み、奴の黒いオーラを吹き飛ばした。ほんの一瞬の光だったが、その光が消えた時、巨狼は地に倒れていた。
全身の力が抜け倒れそうになる俺を支えて、ビアンカが言う。
「大丈夫、エド?!」
「ああ、俺は平気だよ。ちょっと力が抜けただけだ」不思議と傷の痛みを感じなかった。
「エド、傷が塞がってる」
見ると、大きく切り裂かれた胸の傷が完全に塞がっていた。顔を触っても痛みがない。
「きっとさっきの光よ、あの光が傷を治してくれたんだわ」
不思議な光だった。とても暖かくて、全身から力が沸く感じがした。
「そうだっ、父さんはっ」
見ると父さんは腹を手で押さえながらも、剣を杖にして立ち上がっていた。
だが、安心したのも束の間、巨狼が地を震わす様に唸りを上げた。
皆の視線が一斉に巨狼に向き、緊張が走る。
人々は驚愕した。
視線の先には、月明かりに照らされて白銀に輝く美しい大狼が横たわっていたのだ。その気高く神々しい姿は正に伝説に出てくるフェンリルそのもの。人々は自然と、その獣に膝をついた。
苦しそうに息をするフェンリルの眼光が俺に向く。
「懐かしい匂いよ。よもやこのような形で出会うとわ、運命とはかくも豪然か」
その気高き声にあっけにとられる人々。続けてフェンリルが言う。
「其方の光に救われた、礼を言うぞ。消えゆく我に其方の名を聞かせてくれ」
俺は一歩前に出て言う。
「エドワード、エドワード・リュトビィッツだ」
「良い名だ、覚えておこう」
そして、フェンリルはビアンカを見て言った。
「不思議な娘だ、其方からも知っている匂いがする。なんと呪われた因果か」
フェンリルはゆっくりと目を閉じた。
地面がグラグラと揺れだす。するとフェンリルの横たわる地面から太い根が生え、フェンリルの体に蛇の様に巻き付いた。その白銀の身体はたちまちにして草花に変わり、溶けるように消えていった。あたりがシーンと静まり返る。そしてドッと歓声が起こった。
だが、なぜか俺の胸は締め付けられるように痛んだ。
「、、、ワード、、エドワード、エドワードってば」ビアンカに呼ばれて我に返る。
「どうしたんだ、ビアンカ」
「もお、全然返事しないんだから。って、あんた泣いてるじゃない」
ビアンカに言われて気付いた。涙を流していたことに。ビアンカが俺を抱擁する。
「エドワード、守ってくれてありがとう」
「騎士に二言は無いって言ったろ」
俺がそう言うとビアンカは一歩下がり、こちらを見つめた。
「ふふ、私ね、決めたの」
「決めたって何を」
「私も強くなる」自分の胸に拳を当てながら話すビアンカ。
「私を守るためフェンリルに立ち向かったエドワードを見て思ったの。もう誰かに守ってもらうだけの何もできない自分は嫌。他の人を助けられて、自分の道は自分で切り開ける。そんな人間に私はなりたい。だから私も強くなる」
すると父さんが近づいて来て言う。
「それなら、俺が剣を教えようか」
「良いの?おじさん」驚き、目を丸くするビアンカ。その表情からは喜びが感じ取れた。
「もちろんだ、ここで会ったのも何かの縁だろう。遠慮なく俺を頼ってくれ」
「ありがとう、おじさん!」
「それともう一つ、嬢ちゃん、俺達と一緒に暮らさないか」再び驚く彼女に父さんが言う。
「もちろん無理にとは言わねえ。だが、もし身寄りが必要なら大歓迎だ。それにな、エドワードには友達がいない。ビアンカちゃんが友達になってやってくれねえか」
「なっ、余計なお世話だよ父さん!」俺は頬を紅潮させた。
「本当に良いの、おじさん?」
「もちろんだとも!」父さんは大きく頷いて言った。
嬉しそうはしゃぐビアンカは俺を見て小馬鹿にするように言う。
「ふふ、可哀想だから友達になってあげるわ」
「だから余計なお世話だって」
「おじさん、これからよろしくお願いします。私の事はビアンカと呼んで」
「ああ、よろしくなビアンカ」
こうして俺は、白髪の少女と一つ屋根の下で暮らすことになった。
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