EP4 . 白い髪の少女
森から出てきた少女の姿は見るも無惨なものだった。
服は引き裂かれ、全身煤だらけ。身体のいたるところから血を流していた。足取りがおぼつかない様子の彼女は、ついに倒れそうになる。
俺は抱えていた薪を放り、彼女に駆け寄った。
間一髪のところで彼女の肩を支えた俺は、少女を抱き上げて家へ走り、精一杯の声で父さんに呼びかけた。
「父さん!森から傷だらけの女の子が出てきた!」
父さんは少女を見ると、大急ぎで俺の代わりに彼女を抱き上げて椅子に座らせた。俺は父さんの指示でバケツいっぱいの水と綺麗な布をありったけ運んだ。
その時の俺は、彼女がどこの誰で、なぜ怪我をしているのかなど気に掛けなかった。ただ必死で彼女を助けようとしていた。
ひどく怯えた様子をする少女。父さんは少女の顔に付いた血を拭い、少量の水を飲ませながら声をかける。
「もう大丈夫だぞ。ここは安全だ。怖がらなくていい」
俺は血だらけになったタオルを新しいタオルと交換する。
「嬢ちゃん、名前はなんていうんだ」
父さんが質問するが、少女は何かに怯えた様子で一言も喋らない。
「ここに来たからにはもう大丈夫、怯える必要は無い」
そう父さんが優しい声で言う。すると、微かに彼女の口が動いた気がした。彼女の声はあまりにか細く、聞き取ることが出来なった。
「なんだ、もう一度言ってくれ」
父さんが聞き返すと、今度は少し大きい震えた声で少女が言う。
「フェンリル、、フェンリルにみんな殺された、、、、」
「まさか嬢ちゃん、村が襲われて一人で逃げてきたのか。そうか.........。それは大変だったなあ。よく頑張った、よくここまで来た」そう言うと父さんは、少女の手を優しく握った。
虚ろだった少女の瞳から、涙があふれだす。父さんは彼女が泣き止むまで、手を握り続けた。
少女が泣き止むと、父さんが聞く。
「嬢ちゃんに何があったのか、おじさんに聞かせてほしい」
ヒクヒクと言いながらも、少女はそれに必死で答えた。
「私昼間は、ヒクッ、畑の手伝いをしていたの。それで夕方になって家へ帰ったら、ヒクッ、外から沢山の悲鳴が聞こえたの。気になって外に出たら恐ろしい獣の鳴き声と炎が上がっていた。怖くなった私は家の机の下に隠れたの。ヒクッ、少しすると血だらけになったお父さんが助けに来て、一緒に外へ出た。家の外は火の海だった。家も動物も人もすべてが燃え上がり、道路には大火傷を負った人が、、、、、う”えぇ」
身を震わせながら吐き出す少女。
「わかった、もういいぞ。むりをs.......」
父さんが止めようとするが少女は語り続ける。
「お父さんはフェンリルが来たと言っていた。二人で炎をかき分けて必死で逃げたの。そしたら後ろから恐ろしい鳴き声がして熱が伝わった。後ろを振り返ると、そこには火を纏った大きな黒い狼がいた。お父さんは私に”逃げろっ”と言ったけれど、私は離れたくなかった。泣きながらお父さんにしがみついていると狼が前足で私達を払い飛ばした。私達は離れ離れになて、間には炎が。父は最後に”逃げろっ”と叫び.........頭から狼に...........それから私は必至で逃げて、ここまで来た」
俺は何も言うことができず、ただ茫然と立っていた。
「なんてこった、こんな小さな子供には酷すぎる」父さんもかなり滅入った様子。
「大切なことだからもう一つ聞かせてくれ。嬢ちゃんはどこの村から来たんだ」
「私は、」
空気がキーンと張り詰めるのを感じた。
「私は、クリプト村から来た」
「大変だっ.........そいつはここから一日の距離じゃねえか」
父さんの顔が急に強張った。バッと立ち上がる父さん。
「俺はすぐにウナイに知らせてくる。夜明け前には村を出るぞ。二人は少し寝ておけ。エド、この子を守ってあげるんだぞ」
そう言うと父さんは家を飛び出していった。
血を落とした彼女の髪は透き通る様な白色をしていた。それは自然と心を惹かれる美しさだった。
「とても大変な目にあったんだね........。君、名前は何ていうの?」
「テアの娘、ビアンカ」不愛想な言い方だった。
「へー、ビアンカっていうのか。俺はエドワード。さっきの大男は俺の父さんのヘルマンだよ」
「............」
無言。目すら合わせてくれない。
「なっ、まあ、よろしくな。ビアンカの事は俺が絶対に守ってあげるから」
俺が自分の胸をドンッと叩いて見せると、ビアンカは不機嫌そうにそっぽを向いて言う。
「君の助けなんていらない。ヘルマンさんの方が100倍頼りになりそう」
なんてストレートな言い方なんだろう。これには俺も一瞬たじろいでしまった。
「まあいいや。ベッドはあっちの部屋にあるよ」
「私ここで良い」
椅子に座ったまま肩をすくめ、うつむき、ふてくされた表情で言うビアンカ。正直俺は、彼女の不愛想な態度に腹が立っていた。
ビアンカを置いて自分だけはベッドで寝よう。そう思い、寝室に足を運ぼうとした。だが、結局俺にそんな事は出来なかった。
振り向き様に一瞬目に入ったビアンカの瞳から流れ落ちる一滴の涙が、俺をその場に留まらせた。
「あーもうっ、お前がその気なら、俺もここで寝るよ」
「なんで」ビアンカは小さく言う。
「ここは俺の家だ。俺が何しようと俺の勝手だろ?」
俺はもう一つの椅子を寄せて、ビアンカの隣に座った。そっぽを向いて、椅子の上に上げた足に顔を埋めるビアンカ。俺は机に突っ伏して眠りについた。
「ぎゃーーーーーーー」
突然の悲鳴に起こされる。横を見ると、ビアンカが大量の汗をかき泣いていた。俺がビアンカの肩に触れると、彼女は俺に抱き着いた。怯えて震える彼女の体。
「フェンリルが来たっ、皆殺されるっ、ここから逃げなきゃ」
まるで悪霊にでも取りつかれたように俺に訴えてくるビアンカ。外を見ても、異変はない。
「落ち着くんだビアンカ。フェンリルなんて来てない。誰も死なない」
「皆焼かれて食べられちゃうっ」
興奮状態で周りが見えていない様子だった。
「俺の目を見ろビアンカ。落ち着いて深呼吸するんだ。大丈夫、ここは安全だ」
俺は彼女の頬を両手で押さえ、彼女の目を見つめた。
「はぁ、はぁ、ヒクッ」
ビアンカの呼吸が少しずつ落ち着いていく。
「そうだ、もう大丈夫だからな。俺がずっと傍に付いてる。だから安心しろ」
そう言いながら俺は、彼女の手を握りしめた。いつしか彼女は俺にもたれ眠りにつき、俺もそっと目を閉じた。
「おいっ起きろ!二人とも早く起きるんだ!」
父さんの声が聞こえた。もう出発の時間だというのに、外はまだ薄暗かった。横を見るとビアンカがいて、彼女の息遣いを肌で感じる。
ふと下を見ると、まだ手を繋いだままだった。ビアンカがもぞもぞと動き出し目を覚ます。彼女は俺と繋いだ手を見ると言う。
「いつまで私の手を握っているつもり」
相変わらず不愛想な奴だ。
「今離すよ」そう言った次の瞬間、頬に衝撃が走った。
「痛った、何するんだよ」
「ふんっだ」
彼女は唐突に俺の頬を叩くと、そっぽを向いて家の外に出て行ってしまった。まったく訳が分からない。恩をあだで返されて気分だった。父さんが近寄ってきて小声で言う。
「エド、あの子に何かしたのか」
「何もしてないよ。ただ安心させようと思って手を握っていたんだ」
「やるじゃねえか、エド」
父さんは俺の頭をワシャワシャ撫でた。もう二度と彼女に構ってやるものか。
外に出ると、積み荷をいっぱいに乗せた馬車がずらりと並んでいた。大人達の顔は沈み、村中に伸し掛かる重い雰囲気。武器を手に取る男達。馬車の馭者と口論する者。自分の積み荷を乗せようとして止められているのだ。
俺は子供ながらに、これから始まる旅がとても辛いものになるという事を理解した。父さんに連れられた馬車は、俺の家の物と、そうではない積み荷でいっぱいになっていた。
俺は荷台の前方に、ビアンカは荷台の後方に、それぞれ狭い隙間に入り込んで座った。馬車を御すのは父さんだ。ウナイのおっちゃんの号令で馬車の列が少しずつ動き出す。
「父さん、俺達どこへ向かってるの」
「領主様の館だ。助けてもらうには、そこへ行くしかねえ」
「それはここから遠いの?」
「馬車で半日、北東へ進んだ先にある」
「俺達、どうなっちゃうの?」
「さあな、俺にもわからん」
「なんだよそれっ、何とかしてよ!」
俺は立ち上がり、声を張り上げた。俺の心は不安でいっぱいだった。初めて村を出て遠くへ行く上に、恐ろしい魔物に追われている。そんな状況で頼みの綱だった父さんにも先が見えていない。それは俺にとって、この上なく絶望的な事だった。
馬車の揺れで俺が転ぶと、父さんが言った。
「フェンリルって知ってるか」
「昨日聞いたんだから知ってるよ。炎を纏った黒い大狼でしょ」
ぶっきらぼうに言い放つと、父さんは首を横に振った。
「いいや違う。フェンリルってのはな、伝説に出てくる瞳に真実を映す白い巨狼なんだよ。大昔にあった戦争で、三騎士と共に世界を救った四頭の聖獣。そのうちの一頭がフェンリルだ」
「それじゃあ、ビアンカが見たのはフェンリルじゃなかったってこと?」
「私を疑うっていうの」ずっと黙り込んでいたビアンカが口を開いた。
「私の村を襲った獣はフェンリルだと、お父さんが言っていたっ」
いきり立つビアンカを父さんが制止して言う。
「なにも、嬢ちゃんを疑っている訳じゃねえ。炎を操る巨狼と言ったらフェンリルしかいない。仮にクリプト村を襲った獣が本当にフェンリルだったとしたら、俺達の手には負えねえと言いたいんだ。伝説の聖獣様を止められる者など..........この世にいるのだろうか」
馬車の列は北東に向けて突き進んだ。どこまで進んでも、俺達の左手には北壁山脈が連なる。代り映えのしない景色。太陽が南中を過ぎても、領主様の館は見えてこなかった。
ふと後ろを見ると、遠くの森からいくつかの煙が上がっていた。奴が近づいて来ている跡かと思うと、心の中の不安が増長していく。俺は荷台の狭い隙間で、静かに到着を待った。
西の空が真っ赤に染まり影が長く伸びた頃、父さんが前方を指さして言う。
「見えてきたぞ、あれが領主ローゲ様の館だ」
見ると父さんの指す先に、大きな館が聳え立っていた。
ビアンカ側の視点
父が目の前で死んだ。私の唯一の家族である父が。私のことを誰よりも愛してくれた父が無惨に食い殺された。私はその時、何もできなかった。ただ遠くから傍観して、今もこうして一人で逃げている。
村の皆はどうなったんだろう。全てが燃え上がる光景が頭に焼き付いて離れない。焼け焦げた死体が頭に焼き付いて離れない。父の最期の表情が、頭に焼き付いて離れない。
父がフェンリルと言っていた獣。真っ黒で醜悪な顔と、憎悪に満ちた赤い瞳。思い出すだけで背筋が凍り付く。あまり思い出すと、恐怖と罪悪感に押し殺されそうになる。
(死にたくない)
ただその一心で走り続けた。気が付くと視線の先に一点の光が。
(人がいる)
そう思うと、空っぽの体から力がわいてきた。森を抜けると、誰かの家の前に出た。もう体の感覚がない。何も感じないし、何も聞こえない。
私はただ、そこに立つ事しか出来ない。人が近づいて来る気がする。何か言っているけど聞こえない。私はされるがままに椅子に座らされた。おじさんが私の体に付いた汚れを拭う。
「ここに来たからにはもう大丈夫、怯える必要は無い」
その言葉を聞いて私の緊張の糸は緩んだ。
「フェンリルに殺された」
うまくしゃべれない。彼らにも伝わっていないようだ。今度はもっと力を込めて言う。
「フェンリル、、フェンリルにみんな殺された、、、、」
今度は伝わった。
「それは大変だったなあ。よく頑張った、よくここまで来た」
おじさんが私の手を握る。暖かい手。父を思い出す。それまで押し殺していた感情が爆発して、涙があふれだした。それから私は全てを打ち明けた。それは私にとって懺悔の様なものだった。私がどこから来たのかを聞いたおじさんは血相を変えて家から飛び出す。
残ったのは私と同じくらいの子供。正直、全く信用出来ないと思った。
なんだか偉そうなことを言う子供。私は距離を取って寝ることにした。でもその子供は私から離れようとしなかった。夢でフェンリルの悪夢を見た時、私はパニックを起こしてしまった。
そんな時、彼がそばに寄り添ってくれた。たしか名前はエドワード。彼が私の手を握っていてくれたおかげで、私は寝る事が出来た。
おじさんに起こされる。下を見ると、まだエドワードと手を繋いだまま。急に恥ずかしくなる。顔を上げると彼と目が合ってしまった。顔が火照るのを感じる。
(まずい)
そう思った私は焦るあまり、彼にビンタをして、顔をそらし外に飛び出た。
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