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終章

「キヨさんは過去にいるんだと思うの」

 はっとして目を覚ますと、時計は九時半を回っている。

 まるで、あの場所にいたようなリアルな夢だった。

(もしかして……)

 根拠なんてなかったけれど、芽衣は行かなくてはいけない気がしていた。

 机の引き出しから自転車の鍵を出すと、芽衣は慌てて階段を駆け下りた。そのまま真っ直ぐに玄関に向かって、急いでスニーカーを履く。

「どうかしたの? どこに行くのよ」

 栄子の問いかけに、答えるのももどかしい。

「おばあちゃん、迎えに行ってくる」

 玄関を飛び出して自転車をこぎ出した背中に、栄子が何か言っていたが、芽衣にはもう聞こえなかった。

 一生懸命、自転車をこぎながらキヨがいることを芽衣は心の中で願っていた。

 公園に着くと、街路灯の灯りに照らされた東屋のベンチの隅にキヨがちょこんと座っているのが見えた。自転車をとめて、芽衣は東屋に走った。

 息を切らしながら目の前に立った芽衣を、キヨは不思議そうな顔で見上げている。その顔を見た途端、身体じゅうの力が抜けてしまって、芽衣はしゃがみこんだ。

 言いたいことがたくさんあったのに、言葉にならない。かわりに涙が溢れてとまらなかった。そんな芽衣の背中にキヨがそっと手を乗せた。

 背中をなでるキヨの手。昔からいつもキヨはそうやって芽衣を慰めてくれたことを、芽衣は思い出していた。

「泣かないで。ここにいらっしゃい」

 そう言って、キヨはベンチをポンポンと叩いた。芽衣が言われるままに座ると、キヨはそっとハンカチを差し出した。

「ここのアジサイは格別なのよ。ほら、見て。きれいでしょう」

 今夜は満月だった。

 月明かりに照らされた幾つものアジサイの花々が、控えめに色を折り重ねるように咲いている。

 その風景は、幼い頃、キヨと見たときと何一つ変わっていない。

「ほんと、きれい」

「あなた、アジサイの花言葉、知っている?」

 キヨはまた芽衣のことをわかっていないらしい。それでも今の芽衣にはそんなことはどうでもよかった。キヨはアジサイのことはちゃんとわかっている。

 花言葉のことも教えてくれたのはキヨだった。でもアジサイの花言葉は何となくしか覚えていない。

「移り気、だったと思うけど……」

 キヨはアジサイを見つめている。

「そうね、正解よ。でも、それだけじゃないのよ」

「私、それしか知らない」

 キヨが芽衣に視線を移して、微笑んだ。

「アジサイって小さな花が仲良く寄り添っているでしょう。だから、団結とか家族の結びつきって意味もあるのよ。私はね、この花が大好きなの」

 芽衣はキヨの顔を見返した。その顔は芽衣がよく知っている大好きなおばあちゃんの顔だった。

 芽衣はキヨに微笑みを返した。

 ふと視線を落とした芽衣の目の先にはキヨの小さな手があった。キヨの手は膝の上で、いつも持ち歩いている袋をしっかりと握ったままだった。芽衣はその袋を指差した。

「ねえ、中に何がはいっているの?」

 キヨは、ふっと笑みを漏らした。

 近くでよく見てみると、それは芽衣が小学校の家庭科で作ってプレゼントした絞り袋だった。芽衣ははっとした。どうして今まで気がつかなかったのだろう。

「私の一番大切な宝物がはいっているのよ。見せてあげましょうか」

「うん」

 袋の中にそっと手を入れたキヨが取り出したのは、芽衣の入学式の写真だった。

 小学校の門の前で小さい芽衣が笑っている。隣には満面の笑みを浮かべたキヨが寄り添うように立っている。

「かわいいでしょ。孫の芽衣。わたしの自慢の孫娘なのよ」

 そう言いながら、今度は袋の中からノートの切れ端を取り出した。紙いっぱいにつたない文字が書いてある。

「これは、芽衣が私にくれた手紙なの。字を覚えてからは、たくさん手紙を書いてくれるのよ」

 キヨはそう言いながら、口を開けたままの袋を芽衣の方に差し出した。のぞいてみると、中には小さな紙切れがいっぱい詰まっていた。

(こんな紙切れまで、大切にとっておいてくれたんだ……)

 芽衣は胸の奥をギュッと掴まれたような気分だった。

 キヨは遠くを見るように丘に視線を移した。

 芽衣の頭の中に、夢の中の風景が浮かんでくる。でも、芽衣はずっとひとりじゃなかった。

 アジサイの咲く小路。

 手をつないで歩く小さな芽衣の隣にはいつもキヨがいた。

(おばあちゃんには、いつもこんな風景が見えているのかもしれないな)

 芽衣はアジサイを見つめながら、そっとキヨの手に自分の手を重ねた。

 キヨの手はひんやりと冷たい。

「もう帰ったほうがいいよ」

 芽衣の言葉にキヨは困った顔をした。

「でも、私が待っていてあげないと、芽衣が迷子になっちゃうかもしれない」

 芽衣は、キヨの手を温めるように両手でしっかりと包んで、ふわりと笑った。

「家で待っているよ、芽衣ちゃん。それを伝えに来たんだよ」

 それを聞くなりキヨは慌てて立ち上がった。

「まあ、大変。早く帰らなくっちゃ」

 小さく呟いて、芽衣に丁寧に頭を下げた。

「ご丁寧にありがとう。私はこれで失礼しますね。さようなら。また会いましょうね」

 少し首を傾げてにっこり微笑んだかと思ったら、キヨはさっさと芽衣に背中を向けてすぐに歩き出した。

 芽衣は思わず、笑ってしまった。

 きっとまた、キヨは小さい芽衣に会いに行くのだろう。

 トコトコと懸命に歩くキヨの後ろ姿を追いながら芽衣は自転車を押していた。

 ただまっすぐに前だけを見て歩くキヨの背中を見ていると、由美がおじいちゃんを可愛いと言っていた気持ちがちょっとだけわかった気がした。

 あれほど嫌悪していた気持ちは、もうすっかり消えてしまっている。

(おばあちゃんは、何にも変わっていないんだ。ずっと私の大好きなおばあちゃんのままだったんだ)

 芽衣はもう一度、公園のアジサイを振り返った。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 全話拝読させていただきました。 認知症の症状がリアルで凄いですね! 芽衣ちゃんが振り回されて、周りの影響を受けながら受け入れていく感じがうまいなと思いました。
[良い点] 芽衣ちゃんの気持ちになりながら、ずっと読ませていただきました。 この物語、小学校の高学年から中学生に是非読んで欲しい物語だなあと思いました。主人公世代に近いからこそ、共感しながら、認知症の…
[一言] 認知症は本人も家族もいろいろあるんだなぁって思いますね。これからもいろいろあるのでしょうけど、芽衣ちゃんとおばあちゃん、一緒に時を過ごせたらいいなぁと思います。
2024/05/15 08:25 退会済み
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