鬼に対抗する者
奈緒深は鬼と突然現れた大男との戦いを、なす術なく見つめていた。
素人の彼女の目から見ても、男──左京は信じられないほどの達人に見える。
しかし鬼は、その左京よりもはるかに強い。
このままでは遅いか早いかの違いはあれど、左京は確実に負ける。
いや、殺される。
そしてそれは奈緒深も同じだった。
だけど彼女は、逃げることができずにいる。
身体が恐怖で竦んで、動けなくなっていたのだ。
こうなると奈緒深は、ただの足手纏いでしかない。
でもこの場から逃げ出すことができれば、助けを呼ぶことができる。
それに左京も庇う者がいなければ、逃げることができる。
少なくとも彼女がこの場に留まるよりは、ここで死ぬ者が減る可能性は高まる。
無論、奈緒深らが逃げ後に、鬼が何処かへ行き、そこでどれだけの犠牲者が出るのかは分からないが、それは彼女らが背負うべき責任ではないだろう。
(くっ……!!
動いてください、私の足……!!)
奈緒深は足を引きずるように、一歩一歩ゆっくりと後退してゆく。
不思議と鬼から距離が離れるごとに、その速度は上がっていった。
そして身体はいつの間にか正面を向き、小走りになっている。
本能的に捕食者から逃げだそうとしているかのように、最早奈緒深の意思とは関係なく身体が動いているかのようだ。
そもそも夜の闇の中では、何も見えない。
奈緒深には道が見えている訳では無く、ただ無我夢中で走っているだけだった。
だからこの小山の上にある家の敷地から外に出る為の石段に差し掛かると、彼女は足を踏み外し、転落しそうになる。
「きゃっ……!」
奈緒深の身体が、斜めに傾いていく。
長い石段を転げ落ちることは、高いビルの上から転落するのと大差ないダメージを人体に与えるだろう。
このままでは鬼とは関係なく、彼女の命は無くなる。
そのことを悔いる間もなく、彼女の身体は倒れていく。
時間がゆっくりと流れるのを感じるが、奈緒深にはどうすることもできなかった。
体勢を立て直すには、勢いが付きすぎていたのだ。
その時、奈緒深は父に詫びる。
(ゴメンね、お父さん……)
何に対して謝っているのか、それは奈緒深自身にもよく分からなかったが、今まで父に守られていたことは確かだ。
たぶんそれを無駄にしてしまうことへの謝罪だ。
そして奈緒深の足が完全に地面から離れ、落下し始めたその瞬間──、
「おっと、危ない!」
「!?」
奈緒深の身体は、何者かによって受け止められた。
しかも石段という不安定な場所にも関わらず、「お姫様抱っこ」で軽々と彼女の身体を抱え上げていたのだ。
いかに女子の体重が男性と比べて軽い傾向にあるとは言え、それを腕で支えることは、腕力が強いというだけでは難しいだろう。
それが女性の手による物だとすればなおさらだ。
しかし彼女は、それを軽々とやってみせた。
「ねえ、大丈夫?」
「く、久遠さん……っ!!」
奈緒深を受け止めたのは沙羅だった。
そして彼女は奈緒深を抱えたまま、トントンと石段を登り切った。
「ふ~、ギリギリセーフだったようだね」
「くっ、久遠さんっ、化け物がっ!!
お、男の人が、知らない男の人が戦っていて……っ!!」
必死に訴えかける奈緒深を沙羅は地面に下ろし、そして慰めるように彼女の頭を撫でた。
「うん……なんとなく分かってる。
ゴメンね……たぶん私の判断ミスだ」
「久遠……さん?」
「たぶんここに封印されていた何かは、とっくに復活していて、それを奈緒深さんのお父さんは、自分の命を使って縛り付けていたんだ。
だけどそれは一時的なもので……だからあのご先祖の霊は、あなたを逃がそうとしていた……。
私はそれに気付けなかった。
本当に申し訳ない。
今回は依頼料は受け取れないな……」
「いえ、久遠さんはしっかりと働いてくれました!
今も私の命を救ってくれましたし、今も戦っている人がいます。
その人を助けてください!
依頼料を受け取れないというのなら、この新しい依頼をお願いします!」
沙羅はこの奈緒深の対応に、頭が回るな──と、感心した。
元より無報酬でもやるつもりだった仕事を、しっかりと報酬が発生する流れへと戻している。
実際に今ここで料金について押し問答をしても無駄なので、沙羅は彼女の提案を受け入れることにした。
「それじゃあ、奈緒深さんは下で待っていて。
何処か避難できる店とかがあるのなら、そこの方がいいかな。
スマホは持っている?」
「あ、はい」
「じゃあ、1時間経っても私から連絡が無いようなら、ここに連絡して増援を呼んでね。
母さんに通じるから」
と、沙羅は奈緒深に、母の名刺を渡す。
そして沙羅は奈緒深に背を向けて、今も左京が戦っているであろう場所へと向かう。
そんな彼女に向けて奈緒深は呼びかける。
「あのっ、無事に帰ってきてくださいっ!!」
新たな依頼をしたものの、本当に沙羅があの化け物に勝てるのか、それが奈緒深には不安だった。
簡単に霊を祓い、暴力団を相手にしてすら臆さない彼女ならば……との信頼感はあるが、それでも不安は尽きなかった。
しかし沙羅は──、
「安心して。
どうやらこの依頼は、私の本業のようだ」
と、自信に満ちた口調で答えた。




