超越した存在
鬼は迫り来る左京に向けて、鋭い爪を指先に生やした手を振り下ろした。
おそらくその一撃は、羆による前足の一撃をはるかに上回る威力があるだろう。
直撃を受ければ、普通の人間の身体は原形を保つことができないはずである。
だがその一撃は、身体能力の高さに頼り切ったもので、テクニックは伴わなかった。
それならば左京にとって、見切って躱すことは不可能ではない。
そして鬼の攻撃を躱した彼は、鬼の足にローキックを入れる。
「グッ!?」
しかし常人ならば、骨をへし折られるような蹴りを受けても、鬼は倒れない。
むしろ左京の方が、鬼の足の頑強さに驚愕する。
(なんだこの、大木を蹴りつけたような感触は……!?)
まるで生物を蹴った時の感触ではなかった。
これでは鍛え抜かれた左京でなければ、蹴った方の足が折れるだろう。
左京もダメージこそ受けなかったが、打撃による攻撃は効果が無いと悟った。
とはいえ関節技や投げ技の為に組み合うのは、危険過ぎる。
おそらくこの鬼の手に掴まれれば、その部位は一瞬で握りつぶされることだろう。
無駄だと分かっていても、打撃主体で戦うしかない。
それでもやりようはある。
左京は巧みに鬼の攻撃を躱しつつ、打撃を加えていく。
一見効果が無いように見えるが、それは鬼の油断を誘う為の前振りだ。
左京の攻撃では自身に対して効果が薄い──と鬼は思ったのか、防御が疎かになり始めた。
そこで左京はある一点を狙う。
左京が打ち据えたのは、鬼の顎だ。
そこを打たれることで頭蓋骨の中で脳が揺らされ、脳震盪が生じることがある。
結果、瞬時に意識を奪われるという事象は、プロ格闘技の試合でも希にみられるものだった。
左京はそれを意識的に狙ったのだ。
勿論、鬼と人体の構造は違うので、確実に効くとは言えないが、生物である以上は効果がある可能性は高い。
しかも鬼の頑強な身体を相手に効果を発揮する為には、左京は拳を壊す覚悟で全力の一撃を入れる必要があった。
『ガッ……!?』
だが、左京の狙いは外していなかったようで、鬼は大きく体勢を崩した。
ただし気絶するほどではない。
その上に左京の右の拳には、強い痛みが走った。
これでは暫くの間、本気で殴ることはできないだろう。
(ちっ、やはり人間と同じようにはいかんな……!)
それでも鬼に隙を作ることができた。
すかさず左京は、鬼の両目に指を突き入れる。
『ゴアアァ!?』
いかに頑強な鬼の身体でも、眼球は鍛えることができないだろう。
左京はその弱点を突いて、鬼の視力を奪った。
さすがに致命傷には届かないだろうが、これで鬼の動きを大幅に制限することができる。
しかし──、
「!?」
鬼は視力を失ってもなお怯まず、すぐに左京に向かって突進を始めた。
その迷いの無い動きは、左京の位置を完全に把握しているとしか思えない。
(臭い……鼻か!?)
おそらく鬼は、視覚以外の五感も、野生動物以上に鋭いのだろう。
だから視覚に頼らなくても、左京の位置を容易に特定できるのだ。
「ちいぃぃっ!!」
左京は大きく舌打ちしつつ、鬼の突進を受け流そうとした。
合気柔術の要領で、突進の力を利用して投げ飛ばそうとしたのだ。
「くっ……!!」
しかし鬼の力が強すぎて、完全に受け流せない。
鬼を投げ飛ばすことには辛うじて成功したが、左京の腕に鈍い痛みが走る。
(いかんな、これは……。
ヒビくらい入ったぞ……!!)
左京は手詰まりを感じていた。
鬼に対する有効な攻撃方法が、思いつかないのだ。
少なくとも今の彼の実力で、鬼の息の根を止めることは不可能なことに思えた。
しかも──、
「むっ……!?」
左京が小さく呻く。
起き上がった鬼は、目を赤く光らせていた。
さきほど潰したはずの眼球が、もう再生していたのだ。
この事実からも、いよいよ左京が鬼を倒す手段は無くなったと言える。
「化け物め……!!」
左京は毒づくしかなかった。




