奈緒深の真実
心不全──所謂急性心不全だが、かつて死因としては良く聞く物であった。
だが現在では、死亡診断書には書いてはならないものだ
これは何らかの理由によって、心臓が機能不全を起こして停止する症状の総称であるが、故にこれは正式な病名ではない。
だから心不全と言っても、実のところ何故心臓が機能不全を起こしたのか、その原因が不明である場合も多いという。
実際、ちゃんと原因が分かっているのならば、違う病名が死因とされるはずだが、心不全の場合は、原因がハッキリしないから、心不全という結果だけが死因とされるのだ。
おそらく奈緒深は、医者からそのような説明を受けたのだろう。
いずれにしても原因がハッキリしていなければ、除霊師である沙羅ならば何か霊的な物が関与している可能性にも、気づけたはずなのだ。
奈緒深の父親が、あの封印絡みで命を落としたことは間違いない──と、沙羅は考えている。
以前、沙羅が奈緒深の家に訪れた時には、封印が正常に作動しているように見えたが、実際には封印は既に解けていたのだろう。
それを奈緒深の父は自らの命と引き換えにして、一時的にせよ封印の効力を持続させたのではないか。
たぶん彼にはそれができたはずだ。
娘には秘密にしていたのかもしれないが、おそらく奈緒深の父親は沙羅と同業者だと思われる。
間違いなく霊的な存在に対処する技術を、持っていたことは確かだろう。
それは彼が奈緒深に作ってあげたという、眼鏡の存在からも分かる。
奈緒深は全く霊感がないように見えたが、事実はたぶん違う。
逆に彼女は、霊感が有りすぎたのだ。
おそらく日常生活に支障をきたすほどに──。
だから奈緒深の父親は、あの眼鏡に特殊な術を組み込むことによって、彼女深の霊感を封じる一方で、周囲に霊を寄せ付けないようにしていたのだろう。
それはあの眼鏡が壊れるのと同時に、彼女が霊的な存在に反応するようになったことからも間違いない。
そして、何故奈緒深の眼鏡が壊れたのか──。
それは奈緒深の父親が維持していた封印がついに解けてしまい、そこに封じられていた存在が表に出て来たからだ。
その存在が発する霊気があまりにも巨大すぎる為に、奈緒深を霊気から守っていた眼鏡の機能が、限界を超えたのだろう。
発散する霊気だけでそれだ。
奈緒深の父親が命と引き換えに封印し直したことも考慮すると、相手は並の霊ではない。
いや、おそらくは霊なんかよりも、はるかに質の悪い化け物だろう。
(く~、今になってみると、あの奈緒深さんの先祖の霊も、「封印を解くな」と警告していたのではなくて、奈緒深さんに「早く逃げろ」って訴えかけていたのかもしれないわね……。
それどころか、あの霊も封印の維持に力を貸していたのかも……。
あの霊が消えた途端に封印が解けたということは、あまりにもタイミングが良すぎるわ。
ちっ、対処法を見誤ったか……)
色々悔いるべき所はあるが、今悔いた所で何も始まらない。
とりあえず今は、最善を尽くすしかないのだ。
「頼むから私が行くまで、無事でいてよっ、奈緒深さん!!」
沙羅は秋葉原の路上を疾走した。
後に現場周辺では、「自動車並みのスピードで走る女」の話が都市伝説として語り継がれたというが、それはまた別の話だ。
奈緒深は父の部屋の隅で脅えていた。
先ほどから部屋のすぐ外を、何者かがウロウロと歩き回っているのが分かる。
窓から外を覗いた訳でもないのに、ましてや今の彼女は眼鏡を失って視覚が不自由なのに、それでも何故か外の様子が手に取るように分かった。
そして外でウロウロしている何者かは、この部屋の中に入り込もうとしているようだ。
勿論狙っているのは、奈緒深のことだろう。
外にいるのが獣のような存在であることは、先程聞こえてきた唸り声からも分かる。
しかもたぶんそれは肉食で、人間さえも獲物として狙うような凶暴な猛獣であるようだ。
まさに彼女は今、喰い殺されるか否かの絶体絶命の瀬戸際にいた。
ただ、奈緒深にとって救いなのは、外にいる何者かが部屋への侵入に何故か手間取っていたことだ。
彼女が感じる限り、外にいるのは人間なんかよりもはるかに大きな体躯を持った生物であるようだった。
その巨体を持ってすれば、窓をぶち破って屋内に侵入することも容易なことのように思えたが、どうやらそれができないらしい。
奈緒深は沙羅の言葉に従って、魔除けになるような物を探す為に父の部屋に訪れたが、それらしきものはよく分からなかった。
しかし、外にいる者が、この部屋の入ることに手間取っている事実を鑑みると、確かに魔除けとなるような物が、この部屋にあることが分かる。
ただ、それが何なのか、それが奈緒深には分からなかった。
この部屋全体から不思議な感覚を抱くので、この部屋にあるものの多くが──あるいは部屋自体が魔除けの働きをしているのかもしれないと、彼女は思った。
何故かそう感じた。
だが、部屋から感じ取れる不思議な力が、徐々に弱まっているのが問題だった。
それはまるで、外にいる何者かが発散した気配によって削り取られていくかのように、奈緒深には思えた。
事実、先ほど壊れた彼女の眼鏡と同様に、部屋にある道具が次々と脈絡無く壊れていく。
今し方も、目の前にあった壺が弾け飛ぶように割れた。
そして、今度は棚に飾ってあった日本人形が……。
その度に部屋を覆っている不思議な力が、薄らいでいくのが感じられた。
おそらくそれらが全部消えた時には、外にいる何者かが部屋の中に入ってくるだろう。
それは奈緒深の命が無くなることを意味している。
「ひ……ひ……!」
しかし奈緒深には為す術無く、部屋の隅ですすり泣きながら震えることしかできなかった。
いや、それでも、その恐怖によく耐えていると、称賛すべきなのかもしれない。
部屋の魔除けの力が消えていくほどに、外にいる存在のことが明確に感じ取れるようになってきた。
そして彼女は理解する。
それが猛獣なんかよりも、はるかに恐るべき存在であることを──。




