その道のプロ
沙羅が新人を獲得してから30分ほど経過した頃、壮前建設の社屋を、1人の男が見上げていた。
年の頃は30前後のその男は、一見すると整った顔立ちをしている。
しかしどことなく人生に疲れたような、虚無感が漂う表情を見ると、魅力的というには少々微妙なところがあった。
それに180 cm近くある痩身を、薄い茶色かがったコートで覆っているという風貌が少々異様だ。
暦上ではまだ春だとはいえ、そろそろコートは暑苦しい。
しかも、そのコートはなんとなく重量感がある。
おそらくそれは、先ほどから風が吹いても一切なびかない所為だろう。
コートの内側に何かが仕込まれていると連想させるには、十分な重量感があった。
やがて男は、ゆっくりと壮前建設の入り口へ向けて歩き出す。
彼の名は長谷川誓示。
久遠除霊事務所に所属する男である。
誓示は入り口の脇にあるインターホンのボタンを押して、抑揚の無い声音で呼びかけた。
「毎度ー。
久遠除霊事務所でーす。
先ほどの件で、改めて伺いましたー」
「…………」
しかし、インターホンからは、何の反応も返ってこなかった。
仕方が無いので誓示は、とりあえずドアノブを回してみるが、鍵がかかっていて開かない。
もう一度インターホンに呼びかけてみるが、やはり反応は無かった。
一方、壮前建設3階にある事務室では、劇的な反応が起こっていた。
「しししし、社長、き、来ました!
さっきの女じゃねーけど、久遠除霊事務所とか名乗っています!」
入り口に備え付けられた監視カメラのモニターを覗き込みながら、中年の構成員が叫んだ。
その声を受けて、背後に控えていた壮前建設社長・壮前恒男以下、部下達の間に緊張が奔る。
壮前は部下を押しのけてモニターを覗き、強張った表情を浮かべた。
「こいつは……!!
どう見てもコートの中に、武器を隠し持っているじゃねーか。
本気でうちを潰しに来たのか……」
壮前は背筋に、冷たいものが流れ落ちるのを感じた。
おそらく相手は本気だ。
さきほど女を追って出て行った若い構成員達が逃げ帰ってきたが、彼らの話からは、相手が人の腕を切り落とすことさえ平気でやってのけるような、ある意味自分達と同種の人種であることは既に把握している。
そんな連中が、ただ脅しに来ただけということは考えられない。
「どうします?
このままシカトしていたら、大人しく帰ってくれますかねぇ?」
「どうだろうな……。
だが、無理矢理乗り込むにしても、あの扉は頑丈だから簡単には壊せやしない。
奴が入り口で手間取っている間に、迎撃の準備を整えておけ!」
壮前がそう部下に命じている間に、モニターの中では誓示が懐から一本の針金を取り出して、ドアの鍵穴に差し込んでいた。
「ん……?」
そして、壮前が誓示の行動に気がついた時には、もうドアが開いていた。
「なぁーっ!?」
「社長ーっ!! だからあんな旧式の鍵じゃなくて、電子ロックにしようって言ったじゃないですかーっ!!」
部下の男が悲鳴を上げる。
だがあんな針金で、しかもわずか1~2秒で、鍵をあっさりと開けてしまうなんてことは、空き巣のプロでも容易なことではないだろう。
下手をすると、合い鍵で普通に鍵を開けるよりもまだはやい。
これは完全に想定外のことだ。
いずれにせよ、何処かの組と抗争中の時分ならば話は別だが、わざわざ反社会勢力団体の事務所に忍び込む命知らずの者などいるはずもないから──と、防犯設備にかける金を渋ったのが仇となった。
節約するのもいいが、かけるべきところに金をかけなければ、最終的にはより大きな損失になるというのは、よくある話である。
「な……なんだこいつは?」
一同に動揺が走る。
とりあえず相手が、プロだということだけは分かった。
一体何のプロなのかまではよく分からないが、少なくとも鍵を一瞬で無効化して、不法に家宅侵入しようとしている者が、人畜無害ということはまず有り得ない。
これから侵入してくる男は、間違い無く危険な猛獣だった。




