依頼人
沙羅の抗議を受けて、母・綾香は悪びれなく笑う。
「ふふふ……これからどんな人物に仕事を任せるのか、その実態を依頼人に見せておくの悪くないかと思ってね」
「悪いよっ!!
あっ、ゴメンなさい。
奈緒深さんでしたっけ?
あなたは下の事務所で、待っていてくれないかな?」
「あ……ハイ」
奈緒深はどことなく不安げな様子で返事をした。
そんな彼女の態度から、暗に「この人で大丈夫なんだろうか?」と、言われているような気がして、沙羅はちょっと落ち込んだ。
それから15分ほどで、沙羅は身支度を終えて2階から下りてきた。
もっとも身支度とはいっても、顔を洗って歯を磨き、髪に櫛を入れて、パジャマから普段着に着替えた程度の変化でしかない。
たぶん化粧も殆どしておらず、精々必要最低限のレベルでとどめているはずだ。
しかしそれで十分だった。
先ほどの寝起き姿から比べれば、格段にさっぱりして見える。
元々の顔立ちが整っているので、化粧はさほど必要ないようだ。
むしろその化粧っけの無さが、健康的な魅力を醸し出してさえいる。
(美人はいいなぁ……)
と、奈緒深は思った。
だけど依頼人を目の前にして、ジーンズとトレーナーという私服そのままの沙羅の出で立ちは、どうかとも思った。
普通はスーツ姿で、接客するものなのではなかろうか。
まあ、これはこれで堅苦しくなくていいか、と思わせるあたりは、沙羅の人となりの良さをうかがわせる。
実際、沙羅は奈緒深へと気さくに声を掛けながら、微笑みを浮かべる。
まるで友人のように。
「待たせちゃってゴメンね」
「あ、いえ……」
それはとても営業スマイルとは思えない、自然な笑みだった。
逆に上手く微笑み返せなかった奈緒深の方が、恐縮するほどだ。
だが、そんな沙羅の笑みも、すぐに訝しげに歪められた。
「アレ? 母さんは?」
「あ……用事があるとかで、出て行かれましたが」
「うわ、私に丸投げなの!?
せめて私が下りてくるまで、接客くらいすればいいのに!」
実際、奈緒深が座っている来客用ソファーの前にあるテーブルには、まともにお茶すらも出されておらず、彼女は放置状態だった。
まともではない物であれば、某コンビニで90円程度のウーロン茶缶が1つだけぽつんと置かれてはいたが。
こんな接客は、真っ当な商売では有り得ない。
「いえ、構いません……。
と言うか不躾な質問で済みませんが、本当にあのお方の娘さんなのですか?
実の?」
当然と言えば当然の疑問の声を受け、沙羅は難しい表情を浮かべる。
「……世の中には、たとえどんなに信じられなくても、それが事実だからと納得せざるを得ないことがあるんだよ。
私はいつ親の外見年齢を追い抜くのかと、気が気じゃないよ、最近」
「はあ……」
奈緒深はか曖昧な笑みを浮かべて頷いた。
確かに自分にもあんな若い母親がいたとしたら、ちょっと嫌かもしれない。
そう思いはするが、何だかまだ騙されているのではないか……という疑念の方が大きい。
「まあ、ともかく……私の方の自己紹介がまだだったよね。
私が久遠除霊事務所の久遠沙羅です。
一応母さんが所長で、私が副所長って感じかな。
今後ともよろしく」
「はあ……」
沙羅に握手を求められて、奈緒深はまた曖昧に笑いながら応えた。
正直、沙羅個人は会ったばかりなのでなんとも言えないが、彼女の職業に関しては、あまり今後ともよろしくしたいとは思えなかった。
なんてったって「除霊師」である。
霊が見えて、それを退治するアレだ。
おそらく世間一般の人々の除霊師に対する認識は、「胡散臭い」の一言で大半が占められるのではなかろうか。
中には「詐欺師」だと、断じている者さえいるだろう。
そんな相手に頼らなければならない自身の現状を、奈緒深は内心でかなり情けなく感じつつも、それをなるべく表情に出さないようにしながら、彼女も自己紹介をした。
「あ……麻生奈緒深です。
清藍女学院の、2年生です」
「ああ、あの」
沙羅は聞き覚えのある学校の名を聞いて、何かを察したようであった。
(なるほど、お嬢様か)
清藍女学院といえば、知る人ぞ知るお嬢様学校だった。
何せそこに集まってくる生徒の多くは、政治家やら医者ら大企業の社長やらと、地位も名誉もある人物のご令嬢である。
そしてそんなお嬢様達を教育する学院は、「社交界でも通じる一流の淑女の育成を旨とする」という教育方針を、大真面目に謳っているのだ。
そう、「社交界」である。
現在の日本にそんなものが本当にあるのか──と、一般庶民ならばその存在さえ疑うような代物を口にするだけあって、その教育方針も並ではない。
とにかく校則が厳しい。
一流の淑女として相応しくないことは、全て禁止である。
故に礼儀作法にもうるさい。
奈緒深はあまりお嬢様のようには見えなかったが、彼女くらいの年齢で髪を染めてもいなければ、化粧っ気もなく、装身具の類いさえも一切身に付けていないのは珍しい。
しかしそれも、あの校則の厳しい学校の生徒だというのならば、全て合点がいく。
当然、それらもすべて禁止なのだから。
ただ、今時の娘に奈緒深が見えないのは、彼女の生まれ持った性格の所為もあるのかもしれない。
彼女は明らかに流行に合わせることが、得意ではなさそうに見えた。
今風に言うと「陰キャ」か。
沙羅は内心で微笑んだ。
相手がお嬢様なら、上客ではないか。
この業界、相場はあって無きが如し。
こっそりと報酬料を高く見積もっても、なんら問題はなかろう。
別に沙羅は、金銭には意地汚くないつもりだったが、今の仕事がいつまでも安泰だとは限らないのだから、取れる時には取っておいた方がいい。
だが──、
「あ、でももうすぐ辞めることになると思います。
家がその……貧乏になってしまったもので……」
「そう……ですか……」
奈緒深の告白に、沙羅はテンションが急激に下がるのを感じた。
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