決裂前提の交渉
それから沙羅と奈緒深は、1時間ほどゲームで遊んだ後、麻生家の土地を買収しようとしていた業者と話をつける為に、その業者の社屋へと向かった。
その業者──壮前建設というらしい──は、一応東京都だが、限りなく千葉県に近い位置に存在する、閑静な住宅地の一角にたたずんでいた。
しかし住宅地とはいっても、その壮前建設の社屋の両隣に住宅はなく、不自然に空き地となっている。
一応「売地」と看板が立てられているが、その看板の汚れ具合から見て、もう何年も売れた気配が無い。
まあ、それも無理からぬことだろうと、沙羅は思う。
(うわ~。
ある程度予想はしていたけど、これは明らかにカタギの企業じゃないな……)
壮前建設の社屋は、ちょっと注意深く観察してみれば、普通の企業のそれとはかなり異質な空気を醸し出していた。
まず、三階建ての社屋の一階部分は駐車場になっているのだが、そこにある車のことごとくがベンツ等の高級外車で、しかも全てが黒塗りである。
どう見ても普通の企業が、営業用に使用するような車種ではない。
そしてそんな高級車が並ぶ駐車場の奧に、上の階に通じる通路への入り口があるのだが、これが狭い。
おそらく1度に2人以上の人間が、横に並んで通り抜けることは不可能だろう。
まるで外敵の侵入を、あるいは獲物の逃走を防ぐ為に、あえてそのように造ってあるかのようだ。
実際、防犯カメラ……というよりは監視カメラも設置してあって、出入りしている人間を常にチェックしているらしい。
少なくとも気軽に客が訪れることができるような雰囲気ではなく、むしろあらゆる客を拒んでいるかのようである。
これでは客商売としては、百害あって一利無しだろう。
もっとも、それはあくまで普通の企業にとっては──の話だが。
そもそもこの壮前建設には、普通の企業にはあって然るべき、企業名を記した看板が見あたらない。
いや、よく見てみると、入り口の脇にちょっと歪な樹木を斜めに輪切りにして作られた看板がある。
縦50cm程度とさほど目立つサイズではなく、まるで一般企業として最低限の体裁を整え為だけに設置されている感じだった。
しかもその表面に、勘亭流のような書体で「壮前建設」と、黒漆に金色の縁取りで書かれている様は、異様な迫力を感じさせる。
おそらく関係者の嗜好が反映された結果であろうが、この壮前建設の実態も如実に表れていると言っても良いのではなかろうか。
つまるところこの壮前建設は、明らかに反社会勢力のフロント企業であることが察せられた。
最近は暴対法の強化によって警察からの取り締まりも厳しいのに、これだけ分かりやすいというのもいい度胸である。
が、それだけ過激な連中であるとも言えるし、更に警察に見逃してもらえるような強いコネがあると考えた方がいいのかもしれない。
「あ~……奈緒深さん、ここまで来てもらってなんだけど、ここは危ないから、後は私に任せて帰ってくれないかな?」
「え……?
危ないって……?」
沙羅の言葉に奈緒深は困惑の表情を浮かべた。
これから壮前建設と、麻生家の土地の売買に関する交渉をする予定だが、それの何処が危ないのか……と。
世間知らずの彼女には、まだ自身がどのような状況に置かれていたのか、理解できていなかったらしい。
「うん、相手は間違いなく暴力団関係者だからね。
奈緒深さんが1人で交渉なんかしていたら、土地を安く買い叩かれるくらいじゃ済まなかったかもしれないよ。
最悪の場合は、拉致監禁もあり得たね」
「ええっ!?
そ、そうなんですかっ!?」
奈緒深は今更のように驚愕するが、暴力団にせよ悪徳業者にせよ、この手の連中は隙を見せれば執拗にそこへつけ込んでくる。
そしてそんな彼らにとって、隙だらけの奈緒深は恰好の獲物だと言っていい。
実際、沙羅だって奈緒深のことをカモろうと思えば、いくらだってカモることができるのだ。
「まあ、だから後は私に任せてよ。
土地のことは勿論、今後一切奈緒深さんに危険が及ばないように話をつけてくるからさ」
「で、でも……そんな危険な相手との交渉を、久遠さん1人だけでさせるのは……。
それに、土地所有者である私がいないのでは交渉にならなくて、相手を怒らせるのではないですか?」
奈緒深は沙羅にそう問うてみたが、彼女は、
「でも、奈緒深さんが一緒にいても、危険が無くなる訳でもないでしょ?
もしも奈緒深さんが人質に取られるような事態を考えたら、いない方がいいって。
それに相手が暴力団じゃ、どうせ最初っからまともな話し合いになんかならないしね。
そもそも、危険だからこそ依頼料に1000万もの大金を取るんだから」
「あ……」
奈緒深はハッとした。
沙羅が提示した交渉費用の1000万円は、1億円というかなり多めに見積もられた土地購入代金から差し引かれたものでなければ、あまりにも法外すぎると奈緒深は感じただろう。
だが、この1000万円は妥当であった。
沙羅は最初から反社会勢力と事を構えるつもりで、その金額を提示したのだ。
つまり危険も最初から承知の上なのである。
しかしだからと言って、奈緒深も簡単には安心できない。
むしろ、更に不安感が増大してきた。
どうやら沙羅は、最初から相手と穏便に交渉するつもりはなかったようだ。
その事実を鑑みると、無性に気になる物があった。
それは沙羅が左手に持っている、細長い紫色の布の包みである。