始まってしまった。もう遅い。Ⅲ
「選べだって。それが一番残酷な気がする。」
独り言を呟く。誰からも反応はない。独り言だからね。仕方ない。
明日になった。明後日にもなった。昨日も何度やってきた。明日はどうなるか。明後日は最後か。選択の時は中々やってこなかった。いつか現れる私の敵達は一体何をしているのか。
電灯だけが道を照らす。暗い。深夜なのだからそれもそのはず。静寂とまでは言えないが、遠くでトラックが走っている音が聞こえるのみ。それにさえ目を瞑れば、世界が私一人のものになったように思える。
私は私を語りたがらない。誇れるようなステータスなどないからだ。だからといって自分を卑下することもない。でも、今日は。私が何者なのかを語りたくなった。
やはり私は死んでいたのだ。憶測は確かなものだった。今日くらいは自分を見つめ直したい。疲れて頭が働かないかも知れないけれど。深夜バイトなんて入れるんじゃなかった。繰り返す後悔。
またか。またなのか。
ああ寒い。息は白いし歩く道は同じ。違うのは手の温かさくらいだ。今回はちゃんと手袋をしている。白くてモコモコの手袋が私の手を守ってくれている。
大学のテストも近い。レポートの期限も。バイトの休みを取るために金銭的に余裕ある状態にしなければならない。私の日常は忙しく当たり前に過ぎている。
私が死ぬはずだったのはいつ頃だっただろうか。初めて剣を握った感触は覚えているのだけれどそれ以外が曖昧で夢を見ていたようだ。
『ちょっと遠出してきます。』
昨日、どこかに行くと言って、ツバサは帰ってこなかった。外出を告げる時、魂でも抜かれたような顔をしていた。理由なんて聞けなかった。
今日はいるだろうか。ツバサは私の帰りを待っているのだろうか。彼女は先に寝ただろうか。そういえば眠っている姿を見たことがない。私がいないときは何をして・・・って犬かあいつは。放っておいたって大丈夫なのに。
バイトに行く途中にドーナツを4つ買った。リュックに入っている。ツバサが言ったんだ。ドーナツというものが食べてみたいと。出せばいいじゃんと言うと悲しそうな顔をしたから、なんだか悪い気がして、早めに家を出て買いに行った。
プレーン、クリーム、チョコ、イチゴ。どれが好きなんだろう。先に選ばせてあげよう。そんなことを考えながら、いつものようにコンクリートの壁を目にして左に曲がる。
そうすると、人がいた。
妙だ。こんな時間に誰だろう。遠目から観察してみると、手元がきらきら輝いているのが分かった。
ーーーーーーーーーーーー!!!
それの正体には心当たりがあったし、何なら当たっていた。手には当然のように握られている。
サーーーーと私の血の気が引く感覚があった。
細身の剣。不吉な月明かりと電灯の光を反射して輝くそれはとても鋭そうだった。その剣は私に向けられているように思えた。殺気を感じるというやつかも知れない。
ヤバい。
ヤバい。ヤバい。あれは絶対に出会ってはいけない。ドクドクと耳を当てていないのに、心臓の音が聞こえるくらいに接近を接触を身体と精神が拒んでいる。
天使のいう選択の日は今日だったんだ。
凝縮された狂気に私の全身から汗がじんわりと出てくる。焦燥に脳が支配されていく。
私は来た道を戻ることにした。とても嫌な予感がする。私の存在に気付いているとするなら、私を知っているとするならば。出来るだけ遠くに逃げるしかない。
絶対に絶対に絶対に絶対に。絶対に殺される。
ちょっと前までの私なら怯えずに戦えていただろうか。死の鮮明な記憶が舞い戻る。それが現実との戦闘から私を遠ざけてしまい、目を背けるために逃亡した。恐怖を知ってしまった私の心は脆いものだった。あの『綻び』とはわけが違う。
いつもの通りを全速力で駆ける。自分の荒い息づかいしか聞こえない。誰もいない。誰も助けてはくれない。
精神が暗闇に飲まれそうになる。死の恐怖に押し潰されそうになる。
「はぁ、はぁ。はぁ、はぁ。」
一キロくらい走っただろうか。呼吸がなかなか整わない。まだ足りない。もっと。もっと遠くに逃げなければと生存本能が私に訴えかけてくる。恐る恐る後ろを振り返って確認する。
「良かった。いない。」
私は僅かながら安堵して、元の方向を向くと、不意に肩を後ろからポンと叩かれた。
「うわぁあああああああああ!!!」
私は驚いて、半狂乱の状態になりながら叫んだ。
「落ち着いて。これはただの運命。君は決まっていることに驚くの?そうだとすれば可哀想。救済が必要。」
意外にも優しい声がした。それは中性的な声であり、性別の判断が難しい声だった。その独特の言い回しに私は戸惑いを隠せなかった。
「う、運命?」
私は何とか聞き返すと即座にこう言った。
「君は生きてなんかいない。本当はね。生きてちゃいけない。正しい未来に。戻さなきゃ。」
「え?」
我ながら間抜けな声が出た。
そして、その後。
一瞬のことで動けなかった。風を切る音すら追い越して高速で振られた細身の剣が私の首下から入ろうとしてきたにも関わらず、私は身を翻すことすら叶わなかった。
勿論、侵入を許せば刃は私の首から首を通過する。頭と一緒に私の血を引き連れて、魂までも引き連れて。結果、私は死んでしまう。
私は突然の攻撃に反応など出来なかったのだから、それを受け入れるしかなかった。悔しいなんて感情を抱くことも感傷に浸ることもなく私は受け入れるしかなかった。
不思議だ。私は気付く。私の思考が未だに続いているということに。0.5秒遅れで私の身体が反応する。一歩後ろに下がる。
手が足が動く。どうやら私の生命は維持されているようだ。首に刃は届いていない。冷たい。水だ。水の噴射が私を押し出してくれた。
また、『水』か。雨の臭いに敏感。水の塊を作れる。水を操れる。・・・ジュースを出せる。そんな芸当が出来るのは私の知る限りツバサしかいない。それが彼女の能力なのだろう。
「『スクリプチャー』です。姫。命を狙われた今!戦う他ありません!!!私はあなたに選ばせようとしました。剣を取らないという選択肢もあるからです。かつて、私はある人を2回も殺してしまいました。それは、私の私的な後悔です。」
2回。つまり本来の死とその後の死。私はツバサの言葉の意味を理解した。その人は私と同じだったのだろう。重ね合わせているのだ。私と。
「どこ行ってたの、全く。暇で仕方なかったよ。」
「年に一度の墓参りですかね。私としたことが大切なパートナーを見殺しにするところでした。実は躊躇っていたのですよ。あなたを本当に戦いに巻き込むのかって。私から会いにきたのにも関わらず。過去に囚われ過ぎました。ですが、もう悩みません。」
「選択肢って何度も言ってたね。今の私には悩む選択肢すらないのだけど。悩むだけ無駄だったようだね、ツバサ。過去に何があったか知らないけれど。私は私を終わらせたくない。それだけ。ツバサは私を終わらせたくないから助けた。それだけ。あ、それだけは言い過ぎか。・・・ありがとう。私もツバサを終わらせたくない。」
私には誇れるような能力はない。技量もない。それでも覚悟を決めた。いや、覚悟を決めざるを得なかった。逃げた先には壁があったのだから。やはりというべきか、乗り越えるしか方法はないようだ。
「一応、聞いておくけど。これは指南?」
ツバサはふふ、と少し笑った。
「私の知らないところで起こるのは指南じゃあありません。ということで、これは試練じゃないですか?」
「じゃあ仕方ないか。」
私は剣を出して黒いオーラを纏わせた。その量は自分が想定していたよりも膨大で、溢れ出るとかほとばしるとか、それくらいの表現が適切かも知れないなと私は思った。
湧き上がるオーラが私を奮い立たせる。スクリプチャーと戦ったことなんてない。けれど、いける気がする。
「心配しないで。私は死なない。」