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第六章 雨のち

 突然清名がやって来たのは、日が暮れてからだ。柚月が席をはずそうとすると、同席してほしいという。椿も加わり、雪原の部屋に、四人で詰めた。


「冨康殿の居場所がつかめたか。」

 清名が別宅の方に来るなど、めったなことではない。まして、こんな時間に。雪原は逸った。

「いえ、そちらの方は、依然。」

 清名は申し訳なさそうにそう言うと、

「開世隊に関することでございます。」

 と、改まった。


 最近、白昼堂々、市中で武士が斬りあい、殺されるという事件が多発しているという。

「武士同士の喧嘩なら、今日俺も見ました。確かに、街中で。一対多数でした。」

 柚月の言葉に、椿も頷く。


「開世隊の杉派だった者たちが、新たに『擾瀾隊(じょうらんたい)』と称し、開世隊はその擾瀾隊狩りを行っているようです。」

 と、清名が言う。

「内部抗争から、完全に分裂したということか。」

 雪原は思案するように顎を撫で、その手をピタリと止めると清名に視線を戻した。

「その擾瀾隊の目的は何だ。」

「分かりません。根城もつかめず、正確な構成人数も不明。警備隊も、まだ実態を掴めていないようです。それで。」

 と、一旦詰まり、

「柚月なら、何か分からないかと思ったのですが。」

 と、言いにくそうに続けた。

 雪原は柚月に目で問うたが、柚月は首を振る。


 柚月は、松屋と、もうひとつの宿、旭屋しか知らない。ほかにも開世隊の集会所や隠れ場所はあったようだが、詳細は知らされず、松屋と旭屋以外の場所に行く際は、義孝が案内役だった。隊員に関してもそうだ。明倫館からともにいる者以外は、ほとんど知らない。都に来てから入隊した者も多くいたようだが、横田のように、松屋の集会に熱心に参加していた者が、少し分かる程度だ。擾瀾隊どころか、開世隊のことさえ満足に知らない。


「すみません、俺、都に来てからの開世隊のことは、よく知らなくて。」

 申し訳なさそうに言う。その様子から、嘘ではないことが分かる。

「そうですか。」


 雪原は柚月を哀れに思う気持ちが湧いた。おそらく楠木は、いつでも暗殺を命じられるよう、そして、その暗殺(しごと)に専念させるため、柚月を囲い置き、余計なことは知らせなかったのだろう。本当に、ただ人を斬らせるためだけに。柚月を飼っていたのだ。


 雲の流れが速い。月を、何度も隠していく。


「明日は、雨ですかね。」


 雪原が、空を見上げながら言う。

 何かが動いている。だが、つかめない。もどかしさばかりが募った。


 翌日、朝から厚い雲が空を覆い、昼前には雨になった。朝食の席に雪原はいなかった。昨夜のうちに、本宅に戻ったという。

 昼には本降りになった。


「よく降るわね。」

 縁側から空を見上げながら、鏡子が言った。

 その雨は、町を駆け回る男たちの、足音を消していた。

 三人、昼食をとっている時だ。


「御免。」


 玄関で声がした。鏡子が「はーい。」と応え、「珍しいわね。」と漏らして立つ。


 確かに、この家に人が来るなど珍しい。柚月は箸を置き、静かに刀を握った。椿もすっと表情が消える。二人は静かに玄関にすり寄り、戸の陰から様子をうかがった。


 男と鏡子の声が聞こえる。男の声は一人だが、ほかにも気配がある。来訪者は一人ではない。


「突然、申し訳ない。」


 と、男が言う。役人風の装いだが、違うなと、鏡子は思った。芸者の頃からの勘である。

「いえいえ。こんな雨の中、どうかなさったのですか?」

 鏡子は人当たりの良さで警戒を隠し、愛想よく応えた。

「このあたりに、開世隊の者が潜んでいると知らせがありましてね。調べているのですよ。」

 男はあくまで役人のような口調で言う。

 鏡子は口元に手を当て、眉をひそめた。

「まあ、開世隊の?」

 市中での開世隊の評判は今も悪い。それに則り、心にもなく不安そうな顔をしてみせる。


「年の頃十七、八の青年です。しばらく前に町で見かけた折、左の脇腹に怪我をしているのが気になりましてね。声をかけたところ、逃げ出したので、ますます怪しく思い、捜していたのです。最近になって、このあたりで、それらしい人物を見かけたという情報を得たのですが。」


 柚月のことだ。鏡子は思った。当然、柚月と椿も同じだ。


「ご存じ、ありませんか。」


 男の声は穏やかなようで、脅すようなすごみがあった。が、鏡子は怯まない。一瞬、睨みつけるような強い視線を男に向けると、にこりと微笑んだ。

「さあ。存じ上げませんね。そのような方は、お見掛けしておりませんわ。」

「隠されるのは、身の為ではありませんよ。」

 男の目が鋭く光り、後ろの男たちが、刀に手をかけた。柚月も静かに刀を握る。


「存じ上げませんね。」


 鏡子の声には、凛とした強さがあった。全く動じていない。それどころか、去れ!というすごみがあり、男たちはたじろいだ。

「そうですか。それは失礼。」

 煮え切らない様子だったが、男たちは思いのほかあっさりと去っていった。


 鏡子は大きく一つ息を吐くと、玄関の戸を閉じた。振り返ると、柚月と椿がすぐそばに立っていることに一瞬驚いた顔をしたが、

「食事の途中に、嫌ね。」

 と、微笑んだ。


 柚月の表情は硬い。自分を探していた。政府の人間じゃない。聞き覚えのない声ではあったが、脇腹の傷、それも、左の脇腹だということまで知っていた。開世隊の人間なのは確かだ。


 ここにいるべきではない。


「いけませんよ。」

 鏡子の強い口調に、柚月ははじかれたように鏡子を見た。鏡子の強い目が、柚月に向いている。

「勝手に出て行くことは、許しません。」

 有無を言わせない。「いや、でも。」と柚月が言いかけると、

「勝手にいなくなられては、私が旦那様に叱られます。」

 と、今度は微笑んだ。「お味噌汁、冷めてしまったわね。」と、部屋に戻っていく。椿も柚月に微笑みかけた。「戻りましょう」と、その笑みが言っている。柚月は仕方なく、昼食に戻った。


 食事が終わると、鏡子はこれでもかというほどの大量の塩を玄関に蒔き、後に、雪原が何事かと驚いた。


 夕方、行燈の灯りを頼りに縫いものをしている鏡子の元に、柚月が現れた。廊下に突っ立ったまま、何か言いたげに、だが、言葉が見つからず、うつむいている。


「そこ、濡れますよ。」

 鏡子は部屋に入るよう促した。風も出てきて、壁のない廊下には雨が吹き込んでくる。

 柚月は部屋に入り、障子戸のすぐ脇に腰を下ろした。「俺、」と言いかけたのを、鏡子は遮る。


「何者でも、構わないのですよ。」

 鏡子は手元から目を放した。

「旦那様がお連れになった。それがすべてです。」

 柚月を見つめ、強いまなざしで言う。


 清名と同じことを言う、と柚月は思った。と同時に、やはり、雪原麟太郎という男を思い知らされる。そして、この鏡子という女も。


「いなくならないでくださいね。」

 と、重ねる鏡子は、どこか悲しげな目をしていた。


 夜、事情を聴いた雪原が離れにやって来た。来るなり、

「腹の座った人でしょう。」

 と、笑った。鏡子のことだ。雪原はやはり、鏡子には、柚月のことは名前しか教えていなかった。詳しいことを教えない。それが、鏡子を守ることにもなる。だが、鏡子なら、何も知らなくても、柚月を守ってくれるだろうと踏んでもいた。


「鏡子さんはああ言ってくれてますけど、俺、ここにいない方が。」

「どこに行くのです?市中で襲われれば、それこそ、都の人が巻き込まれますよ。」

 そう言われると、柚月には案が無い。


「それに、鏡子の為にも、居てあげてください。」

 雪原は頼むように言う。

「鏡子は、弟を亡くしていましてね。ちょうど柚月くらいの年だったようですから。重なるのかもしれません。」

 鏡子の心の傷を想ってか、雪原の顔は優しい。だが一変して、

「さて。」

 と、声が鋭くなった。


「どちらだったのでしょうね。」


 開世隊か、擾瀾隊か。どちらにしても、その目的は、定かではない。




 鏡子が神妙な面持ちで柚月に手紙を手渡したのは、二日後の朝だった。玄関の戸に挟んであったという。柚月の名が書いてあるだけで、送り主の名はない。内容は短く、都の西にある小さな神社の名が書いてあるのみだった。不安そうな顔で見つめる鏡子に、柚月はにこりと微笑んだ。ぐしゃっと手紙を懐にしまい込むと、「腹、減りました。」と言って、朝食の席につき、以後、どちらも、その手紙のことは、口にしなかった。


 夜も深まった頃、柚月は静かに裏木戸から外に出た。大通りを渡り、西を目指す。


 手紙が今朝届けられたのは、おそらく、雪原がいない隙を狙ってのことだ。雪原が別宅を出たのは、昨日の夜。それまで、ずっと滞在していた。


 見張られている。


 だが、あの筆跡。柚月には送り主の検討がついている。

 都に入ってすぐ、柚月に課せられた仕事は暗殺のほかにもう一つ、都の地理を覚えることだった。どこでも暗殺(しごと)をし、かつ、逃げ切るためだ。まずは地図、それから、実際に歩き回って覚えた。あの西の小さな神社に付き合ってくれたのは、あの人だった。


 柚月が境内に入ると、真っ暗な中、社殿の陰に、傘をかぶった人影がすっと現れた。柚月が近づこうとすると、奥へと進んでいく。後を追うと、人影は、三つ角を曲がって、あばら家に入った。柚月は戸の前で一度立ち止ると、意を決して、開けた。


 柚月の予想は当たった。その人は、殺風景な部屋の中、ろうそくの頼りない灯りに照らされ、座っていた。


「佐久間さん。」


 柚月は思わず笑みが漏れる。が、再会を素直に喜べず、複雑な顔になった。


 佐久間は明倫館の古株で、武術は得意ではないが、学問に優れた男だ。年少の者の面倒見もよく、柚月にも様々な知識を授けてくれた。その際、それを書き記してくれていたのが、あの手紙の筆跡だった。


 戸口の柚月を見つめ、佐久間も微笑んでいる。

「一華、よく、生きていた。」

 そう漏らすと、

「守ってやれず、すまなかった。」

 と、床に額をつけた。

「大丈夫ですよ、俺、運いいから。」

 そう言って笑ったが、やはり、複雑な顔になる。


 柚月が開世隊に裏切られたあの日、佐久間はあの山小屋にいなかった。楠木が別の用を頼み、あの小屋に近づけさせなかったのだ。あとから事の次第を聞き、佐久間は楠木を責めたが、楠木は取り合わなかった。柚月が暗殺家業をしていたことも、その時知ったという。


「お前に、そんなことまでやらせていたなんて。優しいお前に。」

 佐久間の顔が悲痛にゆがむ。柚月の心を思うと、胸が痛んでならない。この男は、特に柚月に情をかけていた。だからこそ、知らされなかったのだろう。あの小屋に呼ばれなかったのも、同じ理由だ。


「楠木は、もはや鬼だ。お前ばかりか、杉まで。」

 佐久間は憎々しげに奥歯をかみしめる。


「佐久間さん、今、どうしてるんですか。」

 柚月は佐久間を案じる気持ちが湧き、腰をおろした。

 佐久間はギラリとした目を上げると、

「擾瀾隊を知っているか。」

 と聞いた。

「噂程度には。」

「俺もそれに参加している。」

 やはりそうか。柚月は気持ちが沈んだ。


「剛夕殿と雪原の対談以降、杉は対話での和解を進めようとしていた。杉はもともと、お前を、その、切り捨てることも、よく思っていなかったらしい。」

 言葉を選ぶあたりに、佐久間の変わらない優しさがある。が、ほかに表現のしようがなく使われた「切り捨てる」という言葉は、やはり柚月の胸をえぐった。


「だが。」

 佐久間の語調が強くなる。

「楠木は、そんな杉を。今回のことは、杉の一存だと、密かに松平実盛様に上告したのだ。」


 即日杉は捕らえられ、十分な詮議もなく、切腹させられたという。実盛としても、一刻も早く事態を納めたかったのだろう。それをきっかけに、開世隊は明確に分裂した。


「杉を慕っていた一部の者が楠木を襲い、逆に返り討ちにあった。あいつの腕は確かだ。それを機に、楠木は、杉を支持する者だけでなく、杉に同情する者さえ許さず、そればかりか、隊を抜けようとする者まで斬って捨てた。」


 便乗した血気盛んな都の郎党も加わり、杉派狩りは、日を増すごとに激しくなっている。開世隊は、もはや隊とは名ばかり。荒くれ者の集まりだ。


「先日、私も市中で囲まれ、これまでかと思ったところ、お前に助けられたのだ。」

 佐久間は脇に置いている傘に手を置いた。

 柚月は、武士同士の喧嘩に割って入ったことを思い出した。

「じゃあ、あの時の、傘の男って。」

「俺だ。」

 佐久間はバツ悪そうににやりと笑う。


「楠木を殺すしかない。でなければ、こっちが殺される。そのために、擾瀾隊を結成したのだ。」

 情報を共有し、助け合うために。身を寄せ合っている。


「萩に、帰った方が。」

 残してきた家族もいるでしょう。柚月が言いかけると、佐久間は首を振った。

「萩は、開世隊のものだ。」

 今となっては、実盛もまた、楠木を恐れている。かつては、利用し、切り捨てようと考えていたというのに。

「萩に戻れば、即刻、処刑されるだろう。」

 帰る場所もない。擾瀾隊とは、そう言う者の集まりだ。


「一華。」

 佐久間は手をついた。

「擾瀾隊に参加してくれ。」

「え?」

「お前の力が必要なのだ。」

 佐久間は柚月の腕を知っている。むごい願いだと思いながらも、今の擾瀾隊は脆弱すぎる。そう遠くないうちに、根絶されるだろう。生き残るには、柚月に頼るしかない。


 目の前で、佐久間が深く頭を下げている。柚月はその姿を、じっと見つめた。佐久間のこんな姿を、見たことが無い。できれば、見たくはなかった。


「やっぱり、都を出たほうがいいですよ。」

 佐久間はぱっと顔を上げた。柚月が、優しい目を向けている。

「しかし、萩には。」

「萩でなくても、どこか。別の地に一度身を隠したらどうです。楠木の一番の目的は、政府のはずです。地方まで、追ってはこないですよ。」

 残党を。とは言わなかった。明倫館の人間を、そう呼びたくない。


 佐久間は願いがかなわず、苛立ちをあらわにした。

「俺たちを見捨てるのか。今の地位が惜しいか!そもそもお前、なんで雪原なんかのところにいる!!」

 命がかかっている者の、鬼気迫った語調だ。

 柚月は傷つき、唇をかみしめた。


「なんでって。」

 成り行きだ。

 だが、それだけではない。


「佐久間さんは、いったい、何のために戦ってるんですか?」


 思わぬ問いに、佐久間は答えがない。「え?」と漏らしたきり、柚月の顔を見た。柚月は悲しそうな笑みを浮かべている。


 雪原は、護衛といって連れながら、柚月に様々なものを見せた。海外のこと、その力、上流階級の古びたしきたり、国の現状。それは総じて、世界は広い、ということ。それまで、楠木の背中しか見てこなかった柚月の視界を、大きく広げてくれた。


 反対に、佐久間の話には、未来が見えない。


「ごめん、佐久間さん。」

 そう漏らすと、柚月はあばら家を出た。


 ポツリ残された佐久間は、柚月の最後の顔が、悲しそうな笑みが、いつまでもまとわりついて離れなかった。


 柚月はそっと、裏木戸から入った。心の重さが足に感染(うつ)っている。離れの角を曲がると、待っていたかのように、廊下に鏡子が座っていた。


「おかえりなさい。」


 と、言う。柚月は胸の奥からこみあげてくるものを、ぐっとこらえた。

「すみません。勝手に出かけて。」

 鏡子は微笑んだ。

「新しい寝巻、部屋に置いておきましたから。」


 優しい声に、柚月は、せき止められなくなった。


「鏡子さん。」

 去ろうとしていた鏡子の背中が振り向いた。庭の柚月は、肩を落とし、突っ立っている。うつむいているせいもあるが、暗くて顔は見えない。が、


「俺。」


 声が震えている。


「俺、志なんて、そんな立派なもん、何もないんです。」


 弱い人が安心して暮らせる国にしたいと言った。今も確かにそう思っている。心がそう決めている。だがそれは、国を思ってのことではない。この国を憂えて、どうにかしたいと思ったわけではない。そんな、立派なものではない。佐久間に会って気づいた。そんな立派なものではなくて、きっと、


「俺、ただ、みんなとの暮らしを、守りたかっただけなんだ。」


 そう、明倫館の皆との。皆、下層階級の者ばかり。地位も金も無い。でも、

「ただ、楽しかったから。」


 あの頃、幸せだった。


 自分がいなくなっても、皆はあの頃と変わらないでいてほしい。どこかでそう願っていた。だが、現実は違う。殺しあっている。あの頃の皆はいない。あの頃の明倫館は、もうない。それが、佐久間の話で、柚月の中ではっきりと現実になった。


 鏡子は裸足のまま庭に降り、柚月に駆け寄ると、首に手をまわして自分の肩に抱き寄せた。

「そうですか。」

 優しい声。記憶にはないが、母のような温かさがある。それが沁みた。


 柚月は鏡子の肩に額を押し当てたまま、肩を震わせた。


「そうですか。」

 鏡子はもう一度そう言い、柚月の頭を優しくなでた。


 渡り廊下の先から、その様子を見ている人物がいた。雪原だ。


 鏡子は昼間、雪原の元に使いを送り、手紙の件を知らせていた。使いの者が戻って来て、雪原からの手紙を受け取った。それには、柚月が出かけるようでも、止めないように、と記されていた。

 雪原が別宅に戻ったのは、柚月が出かけたすぐ後だった。鏡子は雪原に言われた通り、黙って見送っていた。柚月はもう、戻ってこないかもしれない。互いにそう思っていたが、口にはしなかった。雪原の方には、戻ってきたら、何か情報を得てくるだろうという算段もあった。が、実際戻ってきた柚月の姿を見て、ほっとしたのも事実だ。


 雪原は、二人の様子をしばらく見つめた後、静かに自室に戻っていった。


 翌朝、柚月が目覚めると、障子がほんのり白く明るくなり出していた。もうすぐ日の出だろう。腫れた目が重い。布団に入ったまま、ごろんと仰向けになると、まだ薄暗い中に、天井が見えた。いつもの天井だ。


 柚月は迷った末、雪原に佐久間とのことを報告した。そして、


「手前勝手なお願いですが、擾瀾隊の者を、助けてやってください。」


 と、床に額をつけて頼んだ。雪原は答えなかった。だが、その日のうちにあばら家に調べに入ったのは、警備隊ではなく、清名と雪原の護衛隊だった。そして、清名は別宅にやってくると、何も得られなかったという報告をして帰っていった。おそらくあのあばら家は、柚月と会う為だけに使った場所だったのだろう。


 雪原が「茶が欲しい。」と言うので、鏡子が部屋に持って行くと、雪原は本を読んでいた。茶を置いても、目を放さない。が、立ち去ろうとすると、「ちょっと。」と呼び止めた。鏡子が上げかけた腰を再び下ろすと、雪原は鏡子の膝枕で、ごろりと横になった。


 珍しいな。と鏡子はすこし驚いたが、すぐに、ピンときた。


「昨夜、ご覧になっていたのですか?」

 柚月を抱きしめたことだ。抱きしめたと言っても、頭を抱き寄せただけで、柚月も腕をだらりとたらし、鏡子に触れたりしなかった。だが雪原は、

「ん?」

 と、聞き返したきり答えず、目を閉じてしまっている。


 妬いたのだな。鏡子はくすりと笑った。雪原の髪をなでる。ややふてくされた横顔が、愛おしかった。


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