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第五章 擾瀾の影

 手紙は、冨康が姿を消したことを知らせるものだった。


 開世隊が総攻撃を仕掛けようとしていたあの日、その数日前から、剛夕は城を出ていた。開世隊と行動を共にするためだ。だが、雪原との会談でその総攻撃が回避され、それを機に城に戻り、東の端の二の丸で、ひっそりと暮らしていた。雪原が言うには、柚月の一件で武力行使の恐ろしさを目の当たりにし、対話による解決を模索しているようだったという。


「まあ、彼も、お坊ちゃんですしね。」


 と、雪原は加えた。あるいは、目的のために若い同志を殺そうとする姿に、開世隊の、いや、虐げられてきた人間の恐ろしさを、垣間見たのかもしれない。恵まれた環境で育った剛夕にしてみれば、初めてのことだったのだろう。


 だが、剛夕が城にいるということは、冨康にとってはただの脅威でしかない。家臣も二分されたままだ。むしろ、実際に自分に刃を向けようとしたことが、さらに剛夕への警戒心と嫌悪感をあおった。


 手紙では、冨康が自ら城を出たのか、連れ去られたのか分からないということだったが、柚月は、楠木だな。と直感した。雪原が都を離れた隙を狙ったのだ。


 雪原も頷く。楠木がなんらかの手を使って冨康に接触し、今度は冨康を開世隊側に引き込んだのだろう。その目的はおそらく、萩からの進軍。萩は遠く西にある国。都に入ろうとすれば、他国を通らなければならない。国にはそれぞれ関所があり、大量の武器を持って通ることなどできない。都に近い国ほど政府の影響力も強く、都へ向かう者への監視の目は一層厳しい。そこを通してもらえるよう、口利きをしてもらう必要がある。以前、開世隊が剛夕に近づいた理由のひとつは、それだ。今はもう、剛夕はあてにはならないと踏んで、冨康に近づいたのだろう。冨康は、どうにかして剛夕を消したいはずだ。そこに付け込めば、どうとでも言いくるめられる。口にはしなかったが、雪原の言葉には、冨康も世間知らずのお坊ちゃんだ、との含みがあった。楠木からすれば、いい鴨だろう。


 柚月の脳裏に、楠木の顔が浮かんだ。やはり、斬るしかない。あの人がいる限り、この争いは終わらない。胸の痛みをかき消すように、柚月は拳を強く握りしめた。


 都に入ると、雪原は城に向かい、柚月と椿は一行から離れ、雪原の別宅に向かった。

 邸に着くと、玄関で出迎えた鏡子が、


「おかえりなさい。」


 と、やはり、当然のように言う。椿も自然、「ただいま帰りました。」と応えると、式台に腰かけ、草履を脱ぎ始める。柚月は言葉に詰まった。鏡子は柚月の顔を覗き込みながら、


「柚月さんも、おかえりなさい。」


 と、もう一度言う。柚月は、あいまいに、

「ああ、はい。」

 と言うと、さっさと離れに行ってしまった。鏡子はじっと動かない。椿が見上げると、どこか悲しげな目で、柚月の背中を見守っていた。


 数日後、雪原が険しい顔で邸に来た。冨康は家臣もつれず、一人姿を消したらしい。城では、さらわれたのだと、家臣たちが騒いでいるという。だが柚月には、やはり冨康は、自ら出て行ったのではないかと思えた。たった一人出て行ったということは、もう家臣の誰のことも信用していないのだろう。内心では、雪原のことさえも。

 雪原も同意見だ。


 雪原は「城に戻る。」と言って、また出て行った。「城」とは言っていたが、おそらく、本宅に帰るのだろう。


 柚月は町に出た。何ができるわけでもないが、じっとしていられる気分ではなかった。鏡子に何か使いを頼まれたらしく、椿もついて来た。

 途中、椿が薬屋に寄ると言うので店の前で待っていると、


「柚月さん?」


 と、見覚えのある顔に声を掛けられた。義孝とよく行っていた団子屋の娘だ。

「お久しぶりです。しばらくいらっしゃらないと思っていたら、ご出世されてたんですね。」

 娘は商売人らしい、愛想のよい笑顔を見せる。

「陸軍総裁の雪原様にお仕えなのでしょう?」

「え?」

 なぜ知っているのか。驚きと警戒が同時に湧き、柚月の眉が跳ね上がった。

「雪原様が横浦に行かれる列に、柚月さんを見たって、お客さんが。それでこの前、また雪原様が、今度は旧都に出向かれるって聞いて、ご一行を見に行ったんですよ。そしたら、本当に柚月さんがいたから。もう、びっくりして。うちのお客さん、立派な人だったのねって、お父っちゃんと話してたんですよ。」

 娘は嬉しそうに言う。柚月は、なるほど、と、安堵した。


「義孝さんは、ご一緒じゃないんですか?」

 無垢な問いに、柚月はうつむき、「ああ、いや。」と、あいまいな返事になった。

「ふーん。仲、よろしかったのに。」

 娘は何気なく漏らすと、使いで出てきたことを思い出し、「またお店、来てくださいね。」と、手を振って明るく去っていった。


 仲、よろしかったのに。


 娘の言葉が胸に居座り、柚月は頭をガシガシと掻いた。

 そこへ椿が戻ってきた。ちょうどその時だ。にわかに騒がしくなった。少し先の通りのようだ。


「喧嘩らしいぞ。」


 そう言いながら、男が二人、見物に駆けていった。

 活気ありすぎる為か、都ではそういうことが時々ある。そしてそれは、人々のちょっとした娯楽だ。

 だが、男たちが向かった方向が、さっき団子屋の娘が去っていった方だということが、柚月には引っかかった。


「行きましょう。」


 椿が声をかけても、柚月はじっと、騒ぎの方を見ている。椿は嫌な予感がした。そして、その予感通り、


「ごめん、ちょっと。」


 と言うと、柚月は騒ぎの方に駆け出した。

 一本先の通りに、人だかりができている。その中央で、傘をかぶった男一人を、数人の男が取り囲んでいた。皆、帯刀している。


「武士の喧嘩か?」


 野次馬の好奇心があおられる。男たちが抜刀したことで、観衆はさらに沸き立った。初めに刀を抜いたのは、取り囲んでいた方の一人。それに応じて、傘の男も抜刀し、ほかの男たちも皆抜き、斬りあいになった。野次馬も巻き込まれそうなほど激しい。歓声がどよめきに、さらには悲鳴が交じりだす。


 止めに入るべきか、いや、すぐに警備隊が来るか。柚月は迷っているうちに、袖を引かれた。椿だった。柚月を見上げ、首を振る。心配そうな顔をしている。柚月が微笑んで、椿の手に自身手をそっと重ねると、椿は少し安堵したように柚月の袖を放した。


 その時だ。わっと声が上がり、振り返ると、はじかれた男が人だかりに突っ込んだ。野次馬たちが逃げまどう。その中に、団子屋の娘の姿があった。人にもまれ、転んだ。柚月は飛び出していた。止めようと伸ばした椿の手が、空を掴む。

 娘に駆け寄った柚月は、助け起こしてやると、下がるよう促した。


 新たな人物の突然の登場に、もめていた男たちの動きが止まる。

 傘の男の目が大きく見開き、


「一華。」


 と、漏らした。が、その声は傘の内にとどまり、誰にも聞こえなかった。


「何者だ!?」

 男の一人が、大きな声を上げる。柚月は答えない。代わりに、

「自分から名乗るのが筋でしょう。喧嘩は良くない。まして、そんなものを持ち出して。市民が巻き込まれたら、ことですよ。」

 と、声を張った。

 突然現れた凛々しい若者に、野次馬の熱が再び上がる。

「兄ちゃん、やっちゃえ!」

 はやす声が上がる。


 苛立った男が振りかぶり、柚月に襲いかかった。大振りだ。柚月はひらりとかわすと、男の背中を押し、体勢を崩した男はそのまま地面に転がった。野次馬から歓声が上がる。

 続いて、別の男が襲い掛かかった、その時。


「警備隊だ!」


 誰かが叫んだ。野次馬たちがどよめき、男たちの意識が一瞬とんだ。その隙を、傘の男は見逃さなかった。さっと立ち去り、人ごみに消えた。それを見て、対峙していた男たちも苦々しそうに去っていく。柚月も急いで人ごみにまぎれ、椿の元に戻り、

「行こう。」

 と、手を引いた。


 散り散りになっていく野次馬たちに隠れながら突っ切る。しばらく走ると、静かになった。どうやら、追ってくる者もいない。だが、少々邸とは違う方向に来てしまったようだ。

「大通りを突っ切ろうか。」

 柚月はそう言うと、するっと椿の手を放し、歩き出した。頭は帰路を考えている。そのため、椿の様子に気が付かなかった。椿はぎゅっと手を握りしめ、じっと立ち止まっている。


「どうして、あんなことを。柚月さんが、斬られていたかもしれないのですよ。」


 責めるような声で言う。柚月は、

「ああ、ごめん。でも、ほら。」

 と、言い訳するように振り向き、ぎょっとした。椿は顔を真っ赤にして、目に涙を溜めている。


「え。」


 驚きでそう漏らしたが、それ以上言葉が出ない。椿は涙でいっぱいの目で、柚月を睨むように見ると、何も言わずに駆け出した。柚月は咄嗟にその腕を掴んだが、椿はそれを振りはらい、振り返りもせず、駆けて行く。


 柚月はポツリ、一人取り残された。何が起こったのだろう。あっけにとられ、立ち尽くす。椿の後姿は、どんどん小さくなっていった。


 柚月が邸に着くと、玄関で鏡子が出迎えた。


「おかえりなさい。」


 と言われ、

「ああ、はい。」

 と、また、あいまいな返事をする。いつものことだが、いつもと様子が違う、ということに、鏡子は気づいている。先に返ってきた椿の様子もおかしかった。いつものように、「ただいま帰りました。」とは言ったが、顔を伏せ、さっさと部屋にこもってしまった。多分、泣いていた。


 風呂の用意ができていると言われ、柚月は風呂に入り、離れに戻って、廊下に座り、ぼんやりと空を見上げた。やはり、分からない。椿は、何を怒っていたのか、しかも泣いていた。分からないが、自分のせいなのだろういうことは、なんとなく分かる。分かるだけに、罪悪感だけが胸にある。

 柚月は、頭をポリポリと掻いた。


 夕飯は鏡子と二人きりだった。椿は知らせが来て、雪原の元に行ったという。

 柚月は、どこかほっとした。

 だが、一晩寝ても、答えは出ない。忘れられもしない。得体のしれない罪悪感が、気持ち悪い。義孝なら、うまく乗り切るんだろうな。ふとそう浮かんで、かき消した。


 井戸端で洗濯をしていた鏡子が、鶴瓶が急に軽くなったのに驚いて振り向くと、柚月が助けていた。そのまま桶の水を盥に入れ、「何か手伝いましょうか。」と言う。鏡子がやんわり断っても、縁側に座り、動かない。洗濯をしながら、やはり何かあったのだなと、鏡子は思った。


「椿なら、戻っていますよ。」

 と、言ってみる。柚月はビクリとし、

「うん。」

 と言ったきり、黙った。指を擦りながら、それをじっと見ている。

 鏡子はさっさと洗濯を終わらせてしまいたい。

「ケンカでもなさったのですか。」

「うーん、ケンカというか・・・うん。」

 はっきりしない。

「なんていうか。なんで怒ったんですかね?」

「知りませんよ。」

 鏡子は苦笑した。よほどそのことで頭がいっぱいなのか、唐突すぎる質問だ。鏡子は、実際何があったのかさえ知らない。椿も何も言わなかった。


 柚月の、どこかしょんぼりした姿が微笑ましく思える。だが、これだから男は、とも思う。


「花がいいですよ。」

 鏡子は洗濯の手を止めずに言う。

「え?」

 柚月が顔を上げると、鏡子は仕方がないなという顔で柚月を見ていた。


「花をあげると、女はたいてい喜びます。」


 柚月はコクコク頷くと、「ありがとうございます。」と言いながら、嬉しそうに飛び出していった。


 同じ頃、雪原は自室で書簡に目を通しながら、椿の背中を気にしていた。

 朝、別宅に戻って以来、なんだか椿の様子がおかしい。もしかしたら、その前からおかしかったのかもしれない。が、気づかなかった。最初は気のせいかとも思ったが、やはり、そうではないらしい。


 椿は続きの間で、机に向かっている。襖を開け放しているので、背中が見える。いつものことだ。が、その背中が、いつもと違う。と、思う。怒っているのか?と思うが、椿が怒っている姿などあまり見たことが無い。確証が持てない。だが、こんな様子の女に声をかけると、ろくなことが無い。ということを、雪原は経験から知っている。

 書簡と椿の背中とを、交互にちらちら見ていたが、らちが明かない。


 やはり、雪原も、鏡子を頼ることにした。


 さりげなく立ち上がり、井戸端に向かう。途中、嬉しそうに走ってくる柚月とすれ違った。縁側に来た雪原は、

「柚月、どうかしたのですか?」

 と、鏡子に聞いた。鏡子は洗濯する手を止めずに、

「どうしたのでしょうね。」

 と言うが、その顔は笑っている。


 雪原は、縁側に腰を下ろした。鏡子は洗濯板で、ごしごし何かをこすっている。しばらく座っていたが、鏡子は振り向きもしない。なぜ、雪原が来たのか。だいたい想像できている。

「椿ですがね。」

 やはり、思った通りのことを言い出す。鏡子は手を止め、あきれたような顔で振り向いた。

「椿にお聞きになればよろしいでしょう。」

 再びごしごし手を動かし始める。これだから男は、と思う。


 男が頼りなげに女の顔色を気にするのは、たいてい、不用意に女の機嫌を損ねた時だ。その原因は、男が女心を分かっていないことにある。そして、女の怒りの理由が分からないだけに、どこに埋まっているとも知れない地雷を恐れるようにひやひやし、そのくせ、お門違いなところで右往左往する。男と女は別物だから、仕方のないことだ。女も男心など分からない。だが、そう思ってはいても、鏡子はあきれてしまう。


 雪原は頼りをなくし、「うーん。」と困り顔で頬を掻いた。


 そろそろ昼食だという頃になっても、柚月は帰ってこず、探してきてほしいと鏡子に頼まれ、椿は困った。

「柚月、どこに行ったのですか?」

 事情を知らない雪原が、けろりと聞いた。

「どこかしら。花を探しに行っているのですよ。」

「花?それなら、裏の河原ですかね。」

 と、雪原が言う。

「市場ではないの?」

 と、鏡子は聞いたが、

「お金を持っていないでしょう。」

 と言われ、「そういえば、そうですね。」と笑った。

「早く。」と鏡子に促され、仕方なく、椿は裏の河原に行ってみることにした。


 本当にいるのだろうか。いてほしくない気がする。


 なぜあんな態度をとってしまったのか。椿自身、説明ができない。自身の危険を顧みないあの行動は、柚月らしい、とは思う。それに、柚月の腕は確かだ。喧嘩の仲裁に入ったところで、本来なら、心配するようなことでもない。なのに、どうしようもない不安に襲われた。止めるようと伸ばした手が、届かず、柚月の袖がすり抜け、空を掴んだ。あふれ出る不安が、なぜか苛立ちに、そして、怒りに変わった。だが、柚月は、悪くない。申し訳ないと思うが、何をどう謝ったらいいのか分からず、後にも引けず、気まずい。


「お兄ちゃん、ここからどうするの?」

 と、河原の方から、女の子の声がした。幼い女の子が二人、そして、その前に柚月が座っていた。


 柚月は女の子が持っていた紐のような物を、器用に輪にして、女の子の頭に乗せてやった。野花の冠だ。

 女の子が嬉しそうにしていると、土手の上に女が現れ、女の子たちを呼んだ。おそらく、母親だろう。帰ってくるように言っている。

「お兄ちゃん、またね。」

 女の子たちは、母親の元に駆けて行った。


 柚月が立ち上がり、尻に着いた草を払っていると、後ろに椿が立っていた。

 気まずそうに、うつむいている。


「どうしたの?」

 柚月の声は優しい。椿は、ますます態度に困り、

「鏡子さんが、お昼だから、帰ってくるようにって。」

 なんとかそう答えた。

「もう昼か。」

 空を見上げる。日が高い。


「はい。」


 柚月は椿の頭に、ポンと何かをのせた。椿は手で触れてみる。花冠だ。椿の口元が自然と笑んだ。柚月をちらりと見る。うつむき加減なせいで、上目遣いになった。

 目があうと、柚月はにっこり笑った。椿は一瞬で、胸の中が温かくなり、またうつむいた。ほっとした。


 二人そろって邸に帰ると、椿の頭の花冠を見た鏡子は、思わず笑った。想像した花とは違ったが、柚月らしい。


 その日の昼食は、久しぶりに、四人そろってのものとなった。


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