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第四章 手繰り寄せた因果

「今回の急なお呼び出し、一体何事か。」

「なんでも、陸軍総裁を置き換えるらしい。」

「ほお。誰か、あの開世隊とかいう下民の集まりを、退治してくれる者がおるのか。」


 一年ほど前になる。

 横浦で外交官をしていた雪原の元に、突然、冨康から呼び出しがあった。

 国政会議が行われる天上之間、その続きの間に通された雪原の前で、急な招集に不満げな参与達は、口々に言いあっていた。


「それが。」

 と、参与の一人が声を潜める。

「雪原麟太郎とかいう者らしい。」

「麟太郎?雪原家に、そんな人間はいましたかな。」

 さらに低い声になる。

「五男坊ですよ。」

「ああ。あの。確か、外交職に志願した。子供のころから、貿易船に乗り込んで、海外に行ったりしておったとかいう。あの変わり者ですか。」

「あの雪原家も、五男ともなれば、どうしようもないですな。」


 参与達は、すぐそばに本人がいることにも気づかず、好き勝手なことを言う。だが雪原は慣れたものだ。頭を下げたまま、微動だにしない。


「そんな者に、この非常時を任せるとは。やはり冨康様も、器ではないな。」

 そう言うなり、急に静かになったのは、参与の一人、雪原の長兄、正勝(まさかつ)が入室してきたからだ。正勝は参与の中でも議長を務め、宰相を置かない今、実質将軍に次ぐ地位にある。

「これはこれは、正勝殿。この度は弟君のご昇進、誠におめでとうございます。」

 こびへつらった声を出したのは、つい先ほど、雪原は「変わり者」と嘲笑した者だ。それに続いてほかの者も、一変して、正勝に祝いの言葉をかけた。


 その日は、冨康が、雪原麟太郎を陸軍総裁に任命することを告げて、散会となった。

 控えの間にいる男が、麟太郎本人と知れた時には皆一様に驚いたが、廊下に出たとたん、すり寄ってきた。

「ご活躍、期待しておりますぞ。」

 などと、言っていたが、その顔には全く期待などない。こんな男に何ができるのだ、という蔑みと、その見下す相手の異例の出世への嫉妬と蔑みだけだ。最後に肩をたたいてきたのは、正勝だった。

「期待している。」

 間違っても雪原の名を汚すなよ。正勝の顔は、そう言っていた。

「分かっていますよ、兄上。」

 雪原は、久しぶりにこの男を「兄上」と呼んだ。


 あれから一年、天上之間に集められた参与達は、ばかばかしいほどに脅え、救いを求める目を雪原に向けてきた。それは冨康も同じだ。雪原に、帝への謁見を命じた。参与、しかも、議長を務める兄、正勝ではなく、陸軍総裁の麟太郎の方にその下知が下ったのは、雪原にしても意外なことだった。だが、喜ばしいことではない。寧ろ雪原は、さらに政府に幻滅した。


「麟太郎殿しか、頼りはない。」

「どうか、この国を、救ってくだされ。」


 などと、参与達は雪原に懇願する。彼らが救ってほしいと言っているのは、「この国を」ではない。「我々を」だ。


 その腰の刀は、何のために下げているのか。彼らの刀は、どれも名の知れた名刀ばかり。平和に腐ったこの時代、己の権力を誇示するためだけのお飾りだ。雪原は怒りが湧いた。が、それをみじんにも見せない微笑を返す。正勝までもが、苦々しい顔で、だが、

「お前しか、頼りが無い。」

 と言う。自分を差し置いて、この五番目の弟が、大命を任される。この兄にとって、こんな屈辱はない。だが今、その思いを嚙み潰し、頭を下げている。ずっと、見下してきた弟に。ずっと、追ってきた兄が。


「ご期待に沿えるよう、努めてまいります。」


 幼い頃からの、雪原のひそかな目的は達せられた。だが、晴れるはずの心は、暗く曇っている。それは、任務の重さからではない。


「旧都へ、ですか?」


 柚月は不思議そうに聞いた。わざわざ旧都へ行く理由が分からない。


「ええ。まあ、お決まりの行事ですよ。この国は一応、今も帝の物ですから、武士たちが勝手に、戦で荒らすようなことがあってはならないのです。」


 大きな争いの前に、政府は帝に戦をする許可を得に行き、帝からは、国を荒らす賊を討ち果たすよう、形だけの勅命が下る。この手続きを踏まずに戦をすれば、政府も賊軍とみなされる。


「政府としては、開世隊、もしくは、萩と全面戦争になった際の、大義名分を用意しておく必要があるのです。」


 柚月には、分かったような分からないような事情だ。小首をかしげるように頷いた。雪原自身、説明しながら、馬鹿馬鹿しい習わしだと思っている。


 旧都とは、その名の通り、現在の都ができる前、都だったところだ。かつて国の政は、帝を中心として、貴族たちが行っていた。しかし、戦国の世を経て、勢力図が変わり、武士が国を取り仕切る時代となって、都も遷った。以来、旧都には帝と貴族たちがひっそりと暮らしている。


 旧都に向かう一行は、雪原の護衛隊に加え、陸軍一番隊五十二名、五番隊七十四名で構成された。数としては多くなかったが、従来の刀や鎧の装備のみならず、舶来の銃や移動式の小型の大砲などで武装し、十分に政府の軍事力を誇示するものとなった。


 都を出て八日後、日が落ちる頃、一行は旧都に入った。


 翌朝、柚月が呼ばれて雪原の部屋を訪れると、早速宮廷に上がるという雪原は、立派な長直垂を着ていた。宮廷への供は不要だという。「格式ばかり気にするところなのですよ。」と、面倒くさそうな顔をした。剣の実力があり、護衛としての信頼はあっても、身分がはっきりしない柚月を連れてはいけないのだ。


 もちろん、柚月自身は気にしていない。雪原があまりに苦々しい顔をするので、偉い人は色々大変なんだな、と苦笑した。


「椿と二人で、デートでもしてきたらどうですか。」

 と、雪原は言う。

「デート?」

 雪原は時々、聞いたことのない言葉を使う。おそらく、異国の言葉なのだろう。

「まあ、お散歩です。」

「散歩、ですか。」

 柚月は渋ったが、「まあまあ。」と、小遣いまで渡されては仕方がない。柚月は椿と連れ立って街に出た。


 到着した時には日が暮れていたので気づかなかったが、街は旧都とは名ばかり。一言で言うと、さびれていた。市場らしきものもあるが、都や横浦のような活気がない。行きかう人々も、どこか沈んで見えた。歩いているだけで、何だか気が滅入る。


 当てもなく歩いていると、いつの間にか、街はずれの農村のあたりまで来ていた。いつ街から離れたのか、気づかなかったほどだ。田畑が広がり、さすがに様子がおかしいと、引き返そうとした時だった。子供たちの声が聞こえた。林の方から、数人の子供の集団が、にぎやかに歩いてくる。その中心に、老人が一人混ざっていて、山菜取りにでも行っていたのか、籠を背負っている。


「ケンジイ大丈夫?」


 男の子が言った。老人は、「大丈夫だ」と言って、傍にあった大きな石に腰かけた。子供に籠を渡し、「早よ帰れ。」と言う。子供たちは心配そうな顔をしていたが、老人に促され、「じゃあね。」「またね。」などと、口々に言いながら、籠を持って、柚月たちの横を駆けて行った。


 さて、老人が一人残された。いっこうに立ち上がろうとしない。顔をゆがめ、足を気にしている。

「じいさん、大丈夫か?」

 柚月が声をかけると、振り向いた老人は、ぎゅっと眉間にしわを寄せた。

「大丈夫じゃ。」

 老人の声には、警戒が混ざり、「来るな」という響きがあった。が、少し距離があったせいもあり、柚月に老人の意までは伝わらなかった。構わず、「本当に?」と歩み寄る。


「放っておけ。」

 老人が追い払うように振り返り向いた時には、柚月はすぐそばまで来ていた。その出立から、中級の武士と分かる。旧都の人間ではない。腰の刀が、老人の警戒心をさらに強める。が、その刀に、老人は目を見開いた。息をのみ、ゆっくりと柚月の顔を見る。その様子に、柚月は気づかない。老人の足をじっと見ながら、膝をついた。


「ちょっと腫れてない?」

 老人の足首は赤くなり、やや腫れている。ひねったのだろう。

「乗りなよ。家まで送るから。」

 そう言って、柚月は老人を負ぶろうと、背を向けてしゃがんだ。老人ははたと我に返り、大丈夫だと言って立ち上がろうとするが、うまく立ち上がれない。やはり、足を痛めている。


「遠慮するなよ。ほら。」

 柚月が負ぶるしぐさをする。

「大丈夫じゃ。」

「大丈夫じゃないだろ。立ててないじゃん。ほら。」

「いいから。若いもんの世話にはならんわ。」

 老人があまりにかたくなに拒むので、頑固だな、と、柚月の方もムキになる気持ちが湧いて来た。


 椿は、だんだん心配になりだした。すぐに戻ってくるだろうと、柚月について行かず待っていたのだが、柚月は一向に引き返してこない。しかも、何やら様子がおかしい。少し距離があるので詳しい二人のやり取りは分からないが、多分、揉めている。


「意地はってる場合かよ。」

「意地などはっておらんわ。」

「はってるだろ。」

 柚月も老人も、互いにだんだんムキになってきて押し問答になり、しまいに、柚月が無理やり老人を背負った。老人は「下ろせ!」と騒いだが、下ろさない。


「家、どこなんだよ!?」

 もはやケンカ腰である。

「あっちじゃ!」

 老人も怒鳴るように指さした。


 老人の家は、集落の端の小高いところにあった。


 椿がケガの手当てをすると、老人は柚月に対するのとは別人のように、丁寧に礼を言った。

 柚月はというと、庭の端で、すっかり背中を向けてしまっている。顔は見えないが、むくれているのが分かる。


 道中、二人はますますムキになり、子供のケンカのような言い合いになった。椿は、柚月があんなに声を荒げている姿を、初めて見た。が、後ろから二人の様子を見ながら、おぶった状態で、よくそんなに揉められるものだと、おかしくなった。ふてくされた柚月は、老人を縁側に下ろすなり、頬を膨らませ、「クソ爺。」と吐き捨てるように独り言った。


 だが、途中で見捨てなかったばかりか、家に着くと、自分は下手だから言って、椿に老人の手当てを頼み、そして今も、庭の端でその手当てが終わるのをじっと待っている。さすがに退屈したのか、庭に入ってきた猫と遊び始めた。椿はその背中を見ながら、そういう人なのだなと、思い、自然と笑みが漏れた。


「柚月さん。」

 振り返った柚月に、手当てが終わったことを知らせると、柚月は縁側にやってきて、老人の隣に腰かけた。


「大丈夫なのかよ。」

 やや不機嫌そうに聞く。

「大したことない。」

 老人は不愛想だが、先ほどよりかは幾分落ち着いている。


 部屋の中は殺風景で、必要最低限な物しかないようだ。そんな中、片隅に、ひっそりと刀が一振り立てかけてあるのが見えた。


「じいさん、武士なの?」

 老人は、柚月の視線の先にある刀をちらりと見ると、

「ああ?あんなもん、錆びついて、抜けもせんよ。」

 と、ぼんやりとした口調で言った。

「へえ。なんか、立派そうなのに、もったいないな。」


 鞘に紋があしらわれたその刀は、このあばら家には不釣り合いな、高貴な雰囲気を放っている。刀に詳しくない柚月にも、特別な一振りだということが分かる。


「刀で成せる事など、たかが知れている。」


 老人の声には、失望のような響きが混ざっていた。大切なものを失くした。そんな響きだ。

「家族、いないの?」

「おらん。」

 突き放したような言い方の中に、寂しさが混ざっている。いたんだな、と柚月は思った。

「へえ、じゃあ、俺と一緒だな。」

 柚月は庭を見つめたままだったが、慰めるように笑んだ。

「親兄弟はいないのか。」

「いない。皆死んだ。」

「じいさん、ばあさんもか。」

 そう聞かれて、柚月はふと考えた。そんなことを聞かれるのは、初めてかもしれない。


「そういえば、じいさんとばあさんのことは知らないな。物心ついた時には、親父と二人だったから。」

「親父殿と?」

「そう。母親は早くに死んじゃってたから。あ、そうそう、おれの親父も、権時(けんじ)っていうんだよ。」


「権時。」


 老人は、噛みしめるようにつぶやく。

「さっきじいさんも、『ケンジ』って呼ばれてただろ?」

「あ?ああ、あれは、ケン爺じゃ。」

 柚月は合点して、「ああ、ケン爺ね。」と、笑った。

「若造、お前の名前は。」

「俺?俺は、柚月一華だけど。」


「一華・・・。」


 ケン爺は、遠くを見るような目で庭を見た。


「一つ世に咲く大輪の華か。」


 柚月は目を見開いた。

「なんで、知ってんの?」

 いつか、父親が言っていた。一つこの世に大きく咲く華になれ。一華と言う名は、そう願って付けたものだと。

「そんな変わった名前、そんなような意味だろう。」

 ケン爺がバカにしたように言うと、柚月は、「は?なにそれ。」と笑った。


「その刀は、どうした。」

 ケン爺は目で柚月の刀を差した。

「これ?親父の形見だよ。」


 柚月は刀を見せるように少し持ち上げた。よく、使い込まれている。ケン爺は、柚月の瞳の奥を見るようにじっと見つめ、ふと、悲しげに視線を落とした。


「え、何?」

「いや。」

 そう言ったきり、黙った。


 日が沈む山に、カラスが帰っていく。


「西が、騒がしそうだな。」


 ケン爺が独り言のように言う。西には、萩がある。


「この国を、いい国にしたいだけなんだけどな。」

 柚月がポツリ言う。

「いい国?」

 ケン爺が振り向くと、柚月と目があった。


「そう、弱い人が安心して暮らせる国。」


 口元は笑んでいるが、その目には、真直ぐに揺るがない強い光が宿っている。

 心星だな。ケン爺は思った。そして、少しうれしそうに、ふっと笑うと、また庭に視線を戻した。


「そろそろ、陸軍総裁殿のところに、帰らんでいいのか。もう、謁見も終わっとるだろ。」

「え?」

「それくらい分かるわい。ここいらで刀をぶら下げとるのは、都から来たお武家さんとその家来くらいじゃ。旧都なんぞと言っとるが、実際は落ちぶれた貴族がいるくらいで、盗賊もよりつかんからの。それに。」

 老人は椿の手を見た。

「移り住んできた若夫婦、というわけでもなさそうじゃ。」

 椿は手の平を隠すように伏せた。家事をする手にはないタコがある。

「日が暮れる前に帰れ。」


 街の雰囲気からして、治安は良くはなさそうだ。確かに、暗くなる前に宿に戻った方がいい。

 柚月は椿を振り返り、「帰ろう」と目で合図した。椿もうなずく。


 庭の端まで来ると、柚月は振り返り、


「じゃあな。」


 と、縁側のケン爺に手を振った。ケン爺は、去っていく二人の姿を、見えなくなるまでずっと、見送った。


 その夜、椿から報告を受けた雪原は、

「そうですか。」

 と言ったきり、窓の外を見た。


 遠い記憶がよみがえる。幼い頃、雪原は大人が嫌いだった。雪原麟太郎。この雪原家の五男坊に、誰も期待などしていなかった。存在さえ知らない者も多くいた。挨拶すると、「ほう、雪原様の。」と驚かれるくらいだった。だが、結果は求められる。学問も、武術も、できて当たり前。だから、褒められることもない。そのくせ、できなければ、「あの雪原なのに。」とののしられた。どこまでも雪原の名前がついてくる。幼い麟太郎は、雪原の名が憎かった。そんな、肩書だけで中身のない、武士の世を憎んだ。こんな世など、終わってしまえと願った。そうして、すさんだ目で大人たちを、世を見ていた。


 そんなある日、父が珍しく、麟太郎を城へ連れて行った。九つの頃だ。誰かが宰相に就いたとかの、祝いの席だと言う。当時、麟太郎の父は参与だった。また父に媚びを売る大人達の、好機の目にさらされる。煩わしかった。だが、父の命に逆らうわけにもいかず、麟太郎は、父の背に隠れるようにして、その場をやり過ごした。その帰りだ。城の廊下で、父に声をかけてきた人物がいた。腰に、古い刀を帯びていた。父は、


「これはこれは、宰相殿。」


 と、ご機嫌な声で応えたが、宰相と呼ばれたその人物は、

「いやいや、止めてください。」

 と、手を振った。物腰の低い、謙虚な人だった。父は後ろに隠れている麟太郎を押し出し、「うちの五男坊でして。」と紹介した。すると、男は麟太郎の前に膝をついてかしこまり、


「それは、兄上殿たちとは、また違った苦労がございますな。」


 と言って、麟太郎の頭を撫でた。温かかった。手が、ではない。初めて、辛い心根に気づいてもらえた気がした。


 その日から、麟太郎は少し変わった。ただ大人を、世を憎むだけではない。いつか、見返してやる。自分を認めさせてやる。自分自身の力で。そう心に決めた。ゆがんだ目標のようにも思う。だが、その思いが、雪原を救った。


 あの日会った、宰相殿と呼ばれた人。恩人であり、憧れ。その人は、国を思い、弱い者のための政を行った。そして、くだらない嫉妬に陥れられ、都を去っていった。


 雪原はあの日見た、その人の刀を、今もはっきりと覚えている。ほかの大人たちのように、己を誇示するような、身に合わないどこぞの名刀などではない。その人らしい、謙虚な、無名の刀。そしてそれを、最近になって、都で見つけた。


「明日、日の出前に出ます。」

 雪原が窓の外を見たままそう言うと、椿は一礼して下がっていった。


 翌朝、日の出までまだ時間がある早朝、ケン爺の家に再び客が訪れた。


 気配に気づいたケン爺が、縁側の雨戸を開けると、ちょうどその客が庭に入ってくるところだった。客はケン爺に気づいて、一礼した。雪原だ。その後ろに、椿もいる。ケン爺も一礼し、二人を招き入れた。


「陸軍総裁殿をおもてなしできるようなものは、何もありませんが。」

 ケン爺は、欠けた湯呑に水を入れて出した。

「随分、ご立派になられましたね。麟太郎殿。」

「覚えていてくださり、光栄です。」

 雪原ははにかみながらも、やや緊張した面持ちで応えた。

「ただ者ではないとは思っておりましたが、あのお嬢さんは、麟太郎殿の隠密でしたか。」

 部屋の隅で、椿が頭を下げる。

「それで。こんなところに、何の御用でしょう。」

 雪原は居住まいを正し、手をついた。


「単刀直入に申し上げます。国政に戻っていただきたい。栗原権十郎殿。」


 床に額が付きそうなほど、深々と頭を下げる。


 椿からの報告を聞き、雪原は確信を得た。昼間、椿が訪れた老人の家には、刀が一振り立てかけられていたという。枝垂れ藤の紋があしらわれた刀。それは、栗原権十郎が宰相に任命された際、時の将軍から授かったもの。枝垂れ藤は、将軍家の家紋だ。


「これからのこの国には、あなたの力が必要です。」

 雪原は真直ぐな目でケン爺、いや、栗原権十郎に訴える。が、栗原はすっと視線を床に落とした。

「新しい国は、若者の手によって作られるべきです。私のような、老いぼれの出る幕ではない。」

「今この国に、新しい国を作れるような者はおりません。」

 雪原は詰め寄る。

「どうか。また国政に。栗原殿。」

 栗原は黙っている。雪原は床を睨み、拳を握りしめた。


「あなたが都を去られてから、国は荒れるばかりです。皆、肩書やうわべだけで、中身がない。彼らの頭には、己の出世と、保身しかありません。」

 握りしめた拳に力がこもる。

「そもそも、あなたが都を去る必要などなかった。柴田殿が辻斬りに襲われたと言っていた時刻、あなたは火急の用で城に上がられていた。あなたに柴田殿を襲うことなどできない。その理由もない。皆知っておりながら、柴田殿の顔色を窺って、申し出なかった。そんな奴らが行う政で、国がよくなるはずがない。」


 栗原の口元が、わずかに笑んだ。

「麟太郎殿。」


 雪原が顔を上げると、栗原は穏やかな笑みを浮かべていた。優しい。麟太郎の知る栗原がそこにいる。


「私は、時代の波に、飲まれたのですよ。」

 栗原は、湯呑の水を一口飲んだ。


「時代が、また大きく動き出しましたな。」


 湯呑の水を、じっと見つめている。

「やはり、私の出番ではありませんよ、麟太郎殿。」

「栗原殿。」

 食い下がる雪原を、栗原は遮った。

「あなたがおられるではありませんか。周りからも、望まれているのでしょう。」

 帝への謁見などという大役を任されたのが、何よりの証拠。

「私は・・・。」

 雪原は言葉に詰まり、唇をかみしめる。


「私は、自信がありません。」


 絞り出すように言う。


「私は、ただただ、世を憎んでいた。私を嘲笑する大人たちを見返すことのみに情熱を注いできた。外務職に志願したのもそうです。政府の要職が約束されている兄たちには、正攻法では叶わない。そう思っただけです。」


 幼い頃からそう考え、海外に目を付けた。無理を言って貿易船に乗せてもらい、自ら海外に出向いて外国語も習得した。海外の驚異的な技術を知ったのは、偶然にすぎない。だが、いずれ必要になると確信した。これこそが、兄たちに対抗しうる力なのだと。しかし、その思いはすべて。


「私はただ、自分の存在を認めさせたいだけ。民を慈しむ心などない。私も、ほかの政府の連中と同じです。」


 栗原は、湯呑をことりと床に置いた。

「だから、あの青年を傍に置いておられるのではないのですか。」

 栗原の目が、真直ぐに雪原を捉えている。


「柚月一華といいましたかな。」


 雪原は目を見開き、口が真一文字になった。

 図星だった。


「お嬢さんが、会わせてくださったのか?」

 椿はかしこまった。

「いえ。あなた様が旧都にいらっしゃることまではつかめましたが、正確な場所までは分かりませんでした。昨日お会いできたのは、偶然です。」

「そうでしたか。」

 栗原は頷き、懐かしそうな目で、床を見つめた。


「私の妻に子が宿ったおり、ちょうど、出兵の命が下りましてね。生きて帰ってくるかも分からないから、せめて子の名前を決めてから行ってくれというものですから、妻には、男の子なら権時、女の子なら一華とつけるように言ったのですが。私の息子は、男の子に、一華と名付けたようです。」


 栗原は、くすりと笑った。そして、その笑みがすっと消えると、雪原に向いた。

「アレは、人を斬っておりますな。」

 この平和な世。ほとんどの武士にとって、刀がただのお飾りになっているこの時代に。


 雪原は答えをはばかり、視線を落とした。

「嫌なものでね、同類は分かるものですよ。」

 栗原は剣の腕一つで出世を重ねた。それは同時に、多くの人を斬った、ということでもある。軍人の出世とは、そういうものだ。


「頑固なところは、私によく似ておるようです。」

 栗原はどこか嬉しそうに微笑んだ。雪原の肩からは、力が抜けた。

「剣の腕もです。」

 栗原は頷いた。


「やはり、お連れになるべきは、アレですよ。私ではなくね。アレはきっと、あなたのお役に立ちましょう。」


 栗原の気持ちは揺るがない。雪原は、頷かざるを得なかった。


 雪原は庭の端まで来て、振り返り、一礼した。椿もそれに倣う。栗原は縁側から応え、二人の姿が見えなくなるまで見送った。


 大きく深呼吸する。朝の澄んだ空気が、栗原の胸を満たした。


 遠い昔、都から逃れ、自分と一緒にいては危険だと、幼い息子と妻を見知らぬ地に置き、別れた。自分の代わりにと、自身がずっと帯びていた刀を託して。二度と会えはしないと思っていた。それがまさか、孫に会える日がこようとは。


 栗原は目を閉じ、思った。権時が子に一華と名付けたのは、私に気づかせるためだったか。目の前にいるのが、孫ですよと。


「長く生きてみるものだな。」


 東の空が、だんだんと白くなっていく。


 雪原が宿に着くと、清名がかしこまって出迎えた。清名にだけは、出かけると言いおいてあった。心が顔に出ない男だが、気が気ではなかった。雪原の顔を見て、その顔にわずかに安堵の色が浮かんだ。その横で、柚月はまだ寝ている。その対照がおかしかしい。雪原は、柚月の枕元にかがみ、その顔をじっと見た。のんきに寝ている。清名は、雪原の背中越しにその様子を見ていて、ひやひやした。が、雪原は、肩が隠れるように布団を掛けなおしてやると、何も言わずに自室に戻っていった。


 柚月が起きると、清名はあきれ顔をしていた。

「寝る子は育つというが、それだけ寝るなら、成長してくれ。」

 と言う。

「え、俺、寝過ごしました?」

 柚月は、訳も分からず飛び起きたが、

「いや、今日は一日ゆっくり過ごされるそうだ。呼ばれてもいない。」

 と言われ、ますますよく分からなくなった。しかも、そのまま清名は部屋を出て行き、柚月はぽつんと一人、残された。


 まさか、もう昼なのか。窓から外を見ると、太陽はまだ低い。空の色もまだ淡く、薄雲が漂っている。町は動き出しているようで、遠く微かに人の声が聞こえてくる。


 柚月は窓辺に肘を置き、畳に腰を落とした。朝の空気が気持ちいい。


 ふいに耳鳴りが始まり、気になったが、寝起きのせいか、まだ頭がはっきりしない。

 ぼんやりと雲を見ていると、その雲を、黒い点が突き抜けてきた。どこかで見たような。 記憶を辿る。そう、あれは、雪原の家で目覚めた日。空に円を描く黒い点があった。鳶にしては大きいと思った。あれに似ている。そう考えている間に、その黒い点は恐ろしい速さで降下してきて、目でその姿がはっきり分かった。鷹だ。まっすぐこちらに来る。そのまま近くの窓に飛び込んだ。椿の部屋だ。そう思った時には、刀を掴んで飛び出していた。

 廊下を駆け、勢いよく戸を開ける。


「椿!」


 窓辺に立っている椿が、驚いた顔で振り返った。口に小さな笛を加え、手には、革製の手袋をつけていて、そこに鷹が止まっている。柚月は、鷹を切り捨てようと刀を握った。が、それを清名の声が制した。


手紙(ふみ)だ。馬鹿者。」


 声の方を向くと、清名だけでなく、雪原も座っている。椿はくすくす笑いながら、鷹の足に付いた小さな筒から紙切れを取り出し、雪原に渡した。あきれる清名の横で、雪原も笑っている。

「とりあえず、着替えてきてはどうです。レディーの前ですし。」

 と言って、椿を目で差した。椿は柚月の方を見ながら、まだくすくす笑っている。柚月は寝巻のままだと自覚し、急に恥ずかしさが湧いて、「はい。」と勢いよく返事をするなり、慌てて自身の部屋に戻っていった。


 着替えて戻ってくると、部屋の中の空気は一変していた。皆険しい表情をし、緊張が漂っている。何かが起こったことは明白だ。

 柚月が座るなり、雪原は、

「急ぎ、都に帰らなくてはならなくなりました。」

 と言った。


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