第十二章 それから
楠木を撃ち取ったのは、護衛隊の者だった。
護衛隊は、最初の銃声、夜が明ける前、柚月が狙われたあの銃声を聞き、城の警護を陸軍に任せて、椿を援護すべく日之出峰に入った。
その後、再びの銃声に歩を速めて駆け上がり、山頂付近、組みかけた大砲のところで、集まっていた開世隊をあっという間に壊滅させた。だが、椿と剛夕の行方が知れない。藤堂は隊を二手に分け、一組を都に向かって下らせ、自身はもう一組とともに、七輪山に向かった。その道中、楠木と柚月が対峙しているところに遭遇したのだ。
柚月に駆け寄った藤堂は、柚月の肩を抱きながら、勝利を喜んだ。柚月は無言だった。藤堂は、柚月が何者であるか知らない。当然、楠木との関係も。楠木を見つめる、悲哀の交じった複雑な目を、疲労によるものだと思い、「よく一人で、こらえましたな!」と、豪快にねぎらうと、足のケガを気遣って、柚月を背負って山を下りた。
本陣にて、柚月から報告を受けた雪原は、
「そうですか。」
とだけ言い、労わるような微笑みを見せた。その傍らで、椿も心配そうに柚月を見つめている。柚月は精いっぱい明るく笑って見せたが、やはり一人になりたがり、控えの間の隅で横になると、すべてを忘れるためかのように、そのまま、泥のように眠った。
日之出峰での政府軍の勝利を機に、開世隊と萩の連合軍は一気に士気を失った。
羅山では、山中の軍は降伏し、ふもとの軍は、萩に向かって撤退を開始した。七輪山ふもとの開世隊は、明倫館出の者はおらず、最近になって参加した野盗郎党のような者たちのみで構成されていた。そのため、頭を無くし、蜘蛛の子を散らしたように散り散りに逃れて行った。七輪山山中に入っていた開世隊員は、日之出峰まで進んでおり、そのほとんどが、山頂付近で雪原の護衛隊によって討ち取られた。先行して山に入っていた者は剛夕と椿の後を追い、都方面に下っていたが、いずれも死体となって発見されている。
そしてもう一人、七輪山では、山中の小屋で、冨康が胴体と頭部が離れた状態で発見された。
唯一、瀬尾義孝のみ、姿がなく、遺体も見つかっていない。
椿は日之出峰で剛夕とともに十二番隊に保護された後、一旦本陣に戻り、雪原に報告をすませると、翌日、再び日之出峰に入った。
義孝を探すため。正確には、その遺体を確認するためであった。
山中にはすでに、剛夕によって派遣された政府の調査員と、残党に目を光らせている陸軍の兵があちこちにいた。
椿は記憶を辿り、義孝と別れた場所まで容易にたどり着いた。この茂みの中。ここから、義孝は上へ。そう思って斜面を見上げ、義孝が進んだであろう方を想像しながら登っていくと、数人の調査員と、その足元に転がる、十人程度の死体と出くわした。死体は狭い範囲にまとまっていて、重なり合っているものもある。ここで間違いない。だとすると、と考え、少しだけ下り、地面を探る。想像した通り、地面にめり込んだ銃弾を見つけた。土が湿気ている。そして、そこから何かを引きずったような跡。だが、すぐに茂みに阻まれて、その行く先は分からなかった。
「椿殿。」
調査員の一人が声をかけてきた。剛夕の小姓、名前は、確か。
「お城でお目にかかりました、枇々木です。昨日は、ご活躍でしたね。護衛もつけずに城を出られたと聞いた時には、本当に驚きましたよ。ご無事でよかったです。」
まだ若く、愛想のいい男だ。雪原は剛夕以外の者には、椿が自身の護衛であることはふせ、世話係だと説明していた。枇々木は、それを今も信じているようである。
「このようなところで、どうかされたのですか?」
「かんざしを、落としてしまったようで。」
「おや、それは大変ですね。見つけたら、お届けしますよ。このようなところ、あなた様のような方が、来られるところではありません。」
枇々木が案じるのも当然な、凄惨な現場である。ただの世話係であれば、卒倒したかもしれない。しかし、椿は動揺するふうもなく、
「そうですね。」
と、微笑みを浮かべて立ち上がった。
調査員たちは、黙々と見分している。そのうちの一人が、
「いったい、誰と斬りあったのだろう。」
と漏らすのが聞こえた。死体の倒れ方からして、斜面下側にいる相手と斬りあったようだが、昨日山に入っていた陸軍十二番隊は、ここには来ていない。調査員の疑問はもっともである。
もう一人が、
「誰にしても、相当な手練れだろう。」
と答えると、ほかの者も、
「まだ、山中にいるのではないか?敵でないことを祈るよ。」
と言い出し、ほかの者の不安を煽った。
「早く終わらせてしまおう。こんなところに長居していると、気が滅入る。」
枇々木は調査員たちに声を張ると、椿に「では。」と言い、作業に戻っていった。椿も一礼し、その場を去った。去る前にもう一度、何かが引きずり込まれたであろう茂みの方を見たが、枇々木が気にかけて視線を向けてくるので、それ以上調べられず、微笑んで会釈すると、下山した。
報告を聞いた雪原は、「そうですか。」と言ったきり、考え込んでしまった。
「あの場に、枇々木さんがいらっしゃったことも、気になります。あの方は、剛夕様の小姓、あのような場所の調査をされるお立場ではないはずです。もしかしたら。」
そう言いかけて、椿は黙った。この先は、あまりに恐れ多い。だが、雪原も同じ事を考えている。
朝のことである。本陣内のほとんどの兵士がまだ休んでいるうちに、剛夕は雪原の元にやって来た。そして、「まだ、休んでおられては。」と気遣う雪原を、庭の端に連れ出し、
「瀬尾義孝の墓を建てようと思う。」
と言い出した。まだ遺体も見つかっていないというのに。雪原は驚いた。
「あの者は、追ってくる開世隊に一人で立ち向かっていった。その後、五発もの銃声がしたのだ。生きているはずがない。」
「・・・しかし。」
納得しない雪原に、剛夕は懸命に訴えるような目を向けた。
「あの者のおかげで、私は今生きている。せめて、何か、礼をしてやりたいのだ。」
有無を言わせないその様子に、雪原は違和感を覚えた。なぜそこまで義孝の死にこだわるのか。まるで、どうしても死んだことにしたい、とでもいうようだ。胸の内に、微かな不審が湧いた。剛夕は、じっと雪原を見つめている。その純粋な瞳に、一瞬、何か、黒い影が見えた。その瞬間、雪原の背筋に冷たいものが走り、胸の不審が、より確実なものへと成長した。剛夕は、世間知らずのお坊ちゃんなどではない。腹のうちに、何か持っている。
そこに、椿のこの報告である。
「敵は、まだどこに潜んでいるか、わかりませんね。」
雪原の目が、鋭く光った。
日は昇る。七輪山から現れた光が、都を明るく、温かく照らす。建物の陰に、わずかな闇を残して。
この国は、新たな一歩を踏み出した。剛夕は将軍の座につき、自身の右腕として、宰相に雪原を置いた。
封国が廃止され、海外との国交が開かれたのは、何より大きな変化だろう。政府内の人事も進んでいる。併せて、戦の後始末も行われ、萩は、国主松平家が取りつぶしとなり、政府の領地、天領となることが決定した。開世隊の残党への警戒も、続いている。
義孝は、行方知れずのまま、剛夕の意により、密かに墓だけが建てられた。が、雪原は柚月には、そのことを伏せている。言えようはずもない。
本陣に戻ってから三日、柚月は親友を待ち続けた。だが、見かけたという情報すら入ってこない。先に、宿場町の立て直しの話が入ってきた。それが四日目、医務室に運ばれてきた開世隊の青年が、柚月に気づき、日之出峰山中で、義孝に会ったと言い出した。あの、大きな車輪を背負っていた青年だ。柚月は本陣を飛び出した。
楠木に切られた足は、傷こそ大したことはなかったが、歩くには少々不自由だった。その足を引きずりながら、あの夜の記憶を頼りに、最後に義孝と会った場所にたどり着いた。青年の話では、義孝は山頂に向かったという。
「義孝――!」
親友を呼ぶ柚月の声が山にこだます。下山しようとしていた調査員や陸軍隊員たちが、一様に振り向いた。もう日が傾いているというのに、柚月は山頂に向かっていく。
「柚月殿、今からでは日が暮れます。また、明日にされては。」
陸軍の一人が声をかけたが、「大丈夫です。」と振り切ると、柚月はまた、「義孝―――!」と呼びながら斜面を登りだした。
その日、親友を呼ぶ柚月の声は、夜更けまで山にこだましていた。
翌朝も早朝からその声は聞かれ、足を引きずり、一心不乱な柚月を見かねた隊員が、本陣に報告し、清名が迎えに来た。清名が直接山頂に向かうと、そこにいた調査員が「あちらです。」と差したが、その必要もなく、声で居場所が分かった。
山頂を目指してきた柚月は、随分転んだのだろう。泥だらけになっていた。ケガの足も力が入らないらしく、引きずっている。見かけた者は皆、同情のまなざしを向けていた。
「柚月、無理をするな。帰るぞ。」
清名が肩をかそうとすると、「大丈夫です」と、その手を振りほどく。
「友達が、まだここにいるんです。」
そう言いながら、足を滑らせ、膝をついた。清名が抱え起こそうとすると、その肩が震えていた。
「やっと、仲直りできたんです。『あとでな』って別れて。一緒に生きようって。新しい国で、一緒に生きようって、約束したんです。」
柚月は歯を食いしばって立ち上がると、再び義孝を呼びながら登り始めた。清名は、懸命な背中を、止めることができなかった。父のように後ろをついて歩き、山頂から都方面に下って、十人ほどの開世隊員の死体が発見された場所にたどり着いた。椿も訪れた場所だ。すでに死体は片付けられており、枇々木他、二名の調査員が最後の片づけをしていた。皆、柚月の様子に驚いたが、清名が首を振って制するので、声を掛けずに見守った。
片付けられた後でも、染みついた血の匂いで、そこで何があったのか知れた。柚月は、地面の状態から、死体があった場所、そして、そこで何があったかを推測し、椿と同じように、少し下ったところで、不自然な場所を発見した。何か、小さな物が埋め込まれたような跡。椿が見つけた、銃弾の跡だ。地面に埋まっていた銃弾は、すでに取り除かれていた。さらに、土には、何かを搔き消したような跡があり、それが茂みの方まで広がっている。柚月は茂みに這っていき、覗いた。が、手をついた場所が悪かった。滑って、頭から転がり、茂みに消えた。さすがに清名も慌てた。ほかの調査員も急いで茂みを覗きむと、柚月は少し斜面を下ったところで、仰向けになり、大の字になって転がっていた。
木の隙間から、青空が見える。浮かぶ雲が、ゆっくりと流れ、去っていく。柚月は、現実を閉ざすように、片手の甲で視界を遮った。清名の足音が近づいて来る。何を言われるのか分かっている。それを言われるのが、怖い。柚月は清名が言うより先に、自分で口にした。
「分かってるんです。きっと、もう、義孝は、生きてない。でも、」
声に、涙が交じる。
「信じなくても、いいですか?」
清名は柚月の気持ちに引っ張られそうになるのを、ぐっと堪えた。
「遺体が見つかったわけではない。」
きっぱりと、厳しいくらいの口調で言う。そして、
「瀬尾が訪ねてきた時、お前が元気でいなければ、始まらんだろう。」
優しく、柚月を気遣うような調子で、そう加えた。
柚月は顔を隠したまま頷いた。
茂みの淵から、調査員たちも心配そうに覗いている。
清名が柚月を負ぶって戻ってくると、調査員たちは自然と道を開け、ゆっくり下山していく二人の背中を見送った。枇々木もまた、見えなくなるまで二人を見送っていた。
清名が柚月を本陣に連れ帰り、医務室の布団の上に下ろしてやると、入れ替わりに、椿が握り飯乗せた皿を持って入ってきた。柚月が目に残った涙をごしごし拭いているうちに、隣に座り、握り飯を柚月の前に置いた。柚月は「ありがとう。」と言ったきり、食べようとはしない。椿も黙って座っていたが、突然、勢いよく握り飯を食べ始めた。柚月が驚いて椿を見ると、懸命に握り飯をほおばっている。
その胸中には、義孝のことがある。
『新しい国を生きてね。一華と。』
義孝は最後に、椿にそう言った。それは、椿に生きてほしいというだけではない。いやむしろ、義孝が望んだのは、柚月が生きることだ。
この人を、死なせるわけにはいかない。命を懸けた、義孝の願いだ。その一心で、椿は握りめしをほおばる。食べることは、生きることだ。
椿の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。それを気にも留めず、懸命に握り飯をほおばっている。
柚月はガシガシと勢いよく頭を掻くと、皿に残ったもう一つの握り飯を掴み、ほおばり始めた。うまかった。
目が合うと、椿は嬉しそうに笑った。その拍子に、もう一粒、涙がこぼれ落ちた。
柚月が返した笑顔は、いつものように優しくて明るい、そして、強い意志を秘めたものだった。
翌日、柚月は姿を消した。
「あいつが帰る場所は、ここしかありませんよ。」
清名にそう慰められ、椿は一人、鏡子が待つ雪原の別宅に帰った。
十日ほど経つ。
椿は洗濯をしながら、ため息をついた。後悔が、押し寄せては引き、引いてはまた押し寄せてくる。なぜあの日、柚月を一人にしてしまったのだろう。柚月が出ていく姿を見た者はいない。朝、医務室には、空の布団が残されていた。
「それ終わったら、ご飯にしましょうか。」
縁側から、鏡子が明るく声をかけた。気丈にふるまっているが、鏡子も柚月を案じて、ろくに眠れていない。
「そうですね。」
椿が精いっぱいの微笑みで答え、残りの洗濯物を急いで干していると、にわかに、表が騒がしくなった。椿と鏡子は顔を見合わせ、笑みになる。廊下を歩く足音が近づいて来て、雪原が現れた。
「二人とも、ここにいたのですね。」
と、微笑んだが、それを遮るような勢いで、
「柚月さんが・・。」
と、椿が言い出し、言葉を詰まらせると、
「出て行ったまま、戻らなくて。」
と、鏡子が後を引き継いだ。
雪原は、鬼気迫った二人に気圧され、目をぱちくりさせた。
「柚月なら、宿場町にいますよ。」
「え。」
椿と鏡子の声が重なり、顔を見合わせる。
「十日ほど前ですかね。ふらっと現れて、復興の手伝いをしているって。現場から報告がありましたけど。」
雪原は二人の顔を交互に見た。二人とも、大きく見開いた目を雪原に向けている。
「知らなかったのですか?」
二人は頷いた。雪原は、柚月はここから通っているものだと思い、知らせなかったらしい。
「さっき会ってきましたが、元気そうでしたよ。話があるから一度戻るよう言ったので、そろそろ帰ってくると思うのですが。」
と、玄関の方をちらりと見ると、急に思い出して、鏡子に風呂の用意を頼んだ。柚月は火災の後片付けを手伝っていて、煤だらけらしい。
「まず風呂に入れないと。あれで歩き回られたら、家じゅう煤だらけになりますよ。」
と、笑った。鏡子はまだ、事態をうまく飲み込めていない。「え?ええ」と上の空のような返事をしながら、体だけは風呂場に向かおうする。
その横で、椿がみるみる笑顔に変わる。逸る気持ちを、抑えきれない。柚月は無事だという安堵、もうすぐ帰ってくるという喜び。
早く会いたい。
「私、迎えに行ってきます。」
椿は駆け出した。その時だ。ガラガラと、玄関の戸が開く音がした。一同の注意が玄関に向く。廊下を歩く足音が近づいてくる。そして、柚月が現れた。確かに、煤だらけだ。皆の視線を一身に受け、「どうしたんですか?」と戸惑った。その顔が、鏡子と椿を安堵させた。
「おかえりなさい。」
鏡子が微笑む。
「おかえりなさい。」
椿に満面の笑顔が咲く。
それを、雪原が、微笑みながら見守っている。
柚月は一瞬、きょとんとした顔をしたが、ゆっくりと、よく晴れた夏空のような笑顔に変わった。
「ただいま。」
天高く、晴れ渡った空が、広がっている。




