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第十一章 夜明け

 義孝と同じように、楠木ともあるいは、と、柚月は淡い期待を抱いてしまっていたのかもしれない。だが、楠木と対峙したとき、それは叶わないと悟った。


 三山が交差する祠。楠木は、その祠に腰かけていた。まるで、遅れてくる誰かを待ちわびているかのように、苛立ちと逸る気持ちを抑えながら、じっと地面をみつめている。


 楠木を取り巻く異様な空気に、柚月の歩は止まった。その気配に、楠木がゆっくりと顔を上げ、ギラリと光る目が、柚月を捉える。柚月は一瞬、一歩引きそうになったのをかろうじて踏みとどまった。


 風に乗って、血の匂いが漂ってくる。

 人を、斬ったのだな。それがまた、楠木の異様さを煽り立てる。


「よう、一華。」


 久しぶりに聞く楠木の声は、以前のそれとは違っていた。何かにとりつかれたような、異様な声音をしている。


「お前、随分出世したみたいじゃねえか。政府の、それも、陸軍総裁様なんかに、べったりくっついてよ。」

 嘲笑するような調子から一変、眼光が鋭くなった。

「で、何しに来た。」


 柚月の背中は、冷たい汗でぐっしょり濡れている。だが、ぐっと拳を握りしめると、楠木に真正面から向いた。


「あなたを、斬りに来ました。」


 柚月の真直ぐな目が、楠木を捉えている。楠木はニタリと笑った。

「本当に、偉くなったもんだ。」

 ゆらりと立ち上がり、のそりのそりと近づいてくる。柚月は地面を踏みしめ、構えた。楠木がゆっくりと近づいてくる。その顔が、はっきりと見えた。ギラギラ光る目は、この世を捉えてはいない。


『あれは、鬼だ。』佐久間の言葉が、今現実として、目の前にある。


 この人はもう、人ではない。人では、なくなってしまった。深い悲しみの感情が沸き、それをかき消すように、柚月は鯉口を切った。


 楠木は加速しながら抜刀し、右薙ぎに切り込んだ。柚月が刀で払うと、楠木はすぐに一歩踏み込んで右袈裟に一刀入れる。柚月は刀で受けたが、その重さ。柚月の知る楠木のものではない。まるで、鬼の力が宿ったかのように、強い。


「この国はな、一華、腐ってるんだよ。」

 押し合う刀が、ギリギリとなる。柚月は競り負けそうになるのを、必死に耐えた。


「お前も知っているだろう。城に蔓延る馬鹿どもを。肩書が立派なだけで、中身なんて無い。覚悟も責任感もない。民の苦しみも、国の利益も考えちゃいない。保身にしか脳みそ使ってないからな。この国は、そんな奴らが支配者気取りだ。松平実盛の姿を見ただろう。あの名ばかりの国主を。あいつが何をした。国は潤ったか?ああ?衰えるばかりだったろう!」


 知っている。民は貧困にあえぎ、治安は悪化し、その結果、野盗が横行した。にもかかわらず、その野盗の始末さえ、明倫館にやらせた。


「だから。」


 柚月は懸命に持ちこたえながら、声を絞り出す。

「だから、いい国を作ろうとしたんじゃないんですか?弱い者が、安心して暮らせる国を。」

 それを信じてついて来た。

「そのために、俺は。」


 楠木は感情を宿さない目で柚月を見下すと、ニヤリとした。

「ああ、よく殺してくれたよ。」

 柚月は心が抉られ、怯みそうになる自分を鼓舞するように、刀を握る手に力がこめる。


「俺は・・・、俺は、あんたを信じてた!」


 柚月がわずかに押した。が、それを楠木の力が押し返してくる。楠木の、蔑むような不気味な笑みが、ぐっと近づいた。


「ああ、そうだった。そうだったなぁ。お前は本当にかわいいよ。バカみたいに信じてな。あんな戯言を。」

「・・・戯言?」


 柚月は、カッと怒りが湧き、怒りに任せて押し払うと、左薙ぎに切った。楠木は後ろに飛びのいてかわす。


 二人の間を、ざっと風が吹いた。柚月は肩で息をしながら、楠木を睨みつけている。その目に宿る、強い怒り。楠木はゾクリとした。えもいえず心地いい。


「なら、あんたは、何のためにこんなことを。」


 多くの犠牲を払って。柚月の声には、怒りが浸透している。楠木がふっと、真顔になった。不気味なほどに静かな表情。


「何の為?」


 楠木がまとう空気が、変わった。

「そんなのは決まっている!」

 一足飛びで斬り込む。柚月ははじいたが、楠木は追撃の手を止めない。


「あいつらはなぁ、一華。安全なところから出ようともせず、その上努力まで忘れ、結果、その立場が脅かされることを恐れて、能力がある者を認めない。偉そうなだけで!」


 楠木の目は、さらにギラギラと光り、常軌を逸していく。それと比例して、刀がさらに速く、重くなる。柚月ははじくので精いっぱいだ。


「あんな屑どもより、この俺が劣る世など、認めん!この俺が、あんな奴らの下に置かれるなど!!」


 楠木は大きく振り下ろしてきた。飛びのいてかわすと、柚月も反撃し、小手、胴、肩と、少しずつ楠木に傷を負わせるが、楠木は出血しているのも全く意に介さず、疲労さえ感じている様子はない。


 柚月が一歩飛びのいて、にらみ合いになった。

 柚月の息はさらにあがっている。それに対し、楠木は、穏やかなものだ。


「間近で見た中央政府はどうだった。ああ?同じだっただろう。この国にはな、屑しかいねえんだよ。」

 楠木の形相は、もう人のそれではない。

「俺こそが、この俺こそが!国を統べるにふさわしい!!」


 柚月の背で、七輪山から、わずかに朝日がのぞいた。その光が、楠木の目を打つ。楠木がひるんだ一瞬を、柚月は逃さなかった。

 右薙ぎに切り払い、返して、足を切りつけた。


 楠木は倒れ落ち、手から刀が離れる。拾おうとしたが、一歩速く、柚月がその刀を蹴った。身を返すと、目の前で柚月が刀を振り上げている。唐竹に、振り下ろしてくる。そう思った。が、柚月は動かない。ただじっと、楠木を見下ろしている。その目が、わずかに揺らいだ。


 楠木が、にやりと笑う。


「お前を拾ってよかったよ。一華。思った以上にいい仕事をしてくれた。あの日、野盗を斬りきざんでいたお前の腕前は、やはり確かだった。」

「え?」


 柚月が楠木に初めて会ったのは。それは、柚月が無我夢中で、襲ってきた野盗を斬った後。と、思ってきた。野盗たちの死体を前に、呆然としているときに、たまたま楠木が通りかかったのだと。だが、この口ぶり。もしかして。


 柚月は、刀を持つ手が震えた。


「あの日・・・なんで、俺を助けてくれたんですか。いつから。」

 聞くのが怖い。だが、聞かずにはいられない。

「いつから、俺を人斬りにしようと、思ってたんですか・・・?」

 いつから、利用しようと。

「いつから?」

 楠木の口元がニタリと垂れた。


「初めからだ!お前が野盗を斬っている姿を見た時から、その才能、いつか使えると思っていた!」


 柚月はカッと怒りが湧き、刀を握る手に力がこもった。

 そのために、拾われた。最初から、そのために・・・!走馬灯のように、楠木との思い出がよみがえる。あれは、すべて・・・。そう思うと、腹の底から、毒々しい感情が沸きあがり、制御できない。怒り。憎しみ。そして、最後に、悲しみと、微かに、寂しさがついて来た。それが柚月の心に、わずかにぬくもりを思い出させた。

 柚月の体から、沸き立った怒りがすっと消えた。


 いい国をつくるんだ。弱い人が、安心して暮らせる国を。


 振り上げた刀を、両手で握りしめる。

 楠木がいる限り、この戦は終わらない。この国は前に進めない。


 ここで、終わりにするんだ!柚月は、心の中で叫び、刀を握る手に、渾身の力を込めた。その瞬間。

 遠くで、銃声が響いた。


 一発。続いて、四発。


 一瞬、柚月の意識がわずかに逸れた。その隙を、楠木は見逃さない。脇差を抜き、柚月の足を切りつける。切られた足が力を失い、柚月は倒れた。その胸を楠木が踏みつける。四発の銃声がこだまになった頃、形勢が逆転していた。


 柚月は逃れようともがくが、楠木はさらに足に体重をかけて、押さえつける。息ができない。柚月の抵抗は、次第に弱まっていく。楠木は肩で息をしながら、柚月を見下ろした。


「お前は昔から優しかったよ。一華。」

 脇差を、突き立てるようにふり上げる。柚月を捉えるその目が、ギラリと光った。


 バンッ!


 突然の銃声。

 楠木の胸から血が噴き出し、パラパラッと、柚月に降った。

 続いて、三発。いずれも楠木に命中し、楠は血を吹き上げながら、無抵抗に仰向けに倒れた。


「楠木さん!」


 柚月は跳ね起きた。

「俺の・・俺の国だ・・・。」

 楠木はそううめくと、死んだ。


 柚月は言葉をなくし、楠木の顔を見つめた。呼びかけるように、楠木の肩に手をかける。手が、震えた。


「楠木さん・・・。」


 虐げられた者の憎しみ。その憎しみに、心を食われた鬼。

 いや。

 その顔に、もう鬼はいない。穏やかに、眠るように。だが、向上心と、そこからくる野心、そして情熱が宿っている。それは、柚月がよく知る、楠木。弱い者が安心して暮らせる国をつくる。そう言っていたあの頃の。


 やはりこの人は、師であり、父だ。どうあっても、消せない。育ててもらった恩も、共に過ごした日々も。あの幸せな思い出を。


「楠木さんっ・・・!」


 柚月は、楠木の胸に突っ伏した。


「柚月殿!」

 駆け寄ってきたのは、雪原の護衛頭、藤堂だった。

 茂みから、ほかの者も恐る恐る現れ、楠木の死体を囲んだ。静寂が、わっと歓声に変わる。


 政府軍の勝利を知らせる、枝垂れ藤の御旗が上がった。


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