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第十章 瀬尾義孝

 椿は夜目が効く。夜明けを待たずに、剛夕とともに日之出峰に入った。

 暗く、足元は悪い上に見えない。剛夕は必死に椿の背を負った。


 入山してしばらくした時だ。突然、暗闇に、銃声が響いた。椿は反射的に身をかがめ、剛夕はその背に隠れるように小さくなった。音からして、小型銃。一発。続いて、不規則に続き、止んだ。


「椿。」

 剛夕が耐えかねて声を出すと、椿は剛夕の口を抑えるようなしぐさをして、制した。


 耳を澄まし、気配をうかがったが、それ以上銃声はなく、人の気配も感じない。発砲があったのは、日之出峰であることは間違いない。だが、遠かった。行くなら、今のうちだ。椿は、

「行きましょう。」

 と言うと、身を低めながら、再び登り始めた。


 峰を越えた反対側、山中の陸軍十二番隊も、同じ銃声に、一気に緊張が高まった。

「柚月殿でしょうか。」

 隊長は耳を澄ませ、様子をうかがいながら、「おそらくな。」と答えた。音が止んだということは、敵本体に遭遇したわけではなく、先兵か何かに出くわし、それを柚月が討ったのだろう。今の銃声で、敵も動き出すはずだ。


「我々も向かうぞ。」

 陸軍十二番隊も、進軍を開始した。




 柚月は不思議と、足が軽くなったように感じた。体は疲労しているが、心が軽い。頂上までは、そう遠くなかった。真直ぐ上っていたつもりが、随分七輪山よりに上っていたらしい。正面に見えると予想していた城が、左手に現れた。

 うっすらと二の丸が見え、柚月は一瞬、椿を想った。その奥に本丸、天守がそびえる。


『ここだ。』


 昨夜、雪原の合図で放たれた佐久間が地図で指さしたのは、七輪山山頂より、尾根伝いに天明山に向かう途中、わずかに都側に下ったところ。ここに、小屋があるという。


「開世隊の拠点の一つだ。楠木は、ここにいる。」


 日之出峰と天明山がつながるところ、そこから尾根を伝って南を目指せばいい。三山の尾根が交わるところには、目印の為、祠が建てられていると雪原が加えた。まずは、そこを目指す。

 本陣でのやりとりを思い出しながら、柚月は先を急いだ。


 一方義孝は、柚月の足音が遠のき、聞こえなくなっても、しばらく起き上がれないでいた。柚月の一撃が、相当効いた。眼前に広がる空は高く、光が混ざってきている。


 一つ深呼吸すると、何とか起き上がった。が、やはり、腹が痛む。

「思いっきりやりすぎだろ。」

 柚月の胴が入ったところをさすりながら、義孝は苦笑いした。だが、気分はいい。

 もうひと踏ん張り体に力を込めて、立ち上がった。まだ、やることがある。


 山頂に向かって一歩踏み出すと、うめき声が聞こえた。斜面を少し下ったところで、柚月が切った男が、わずかに動いている。義孝が近づくと、意識を取り戻していた。目に涙を溜め、微かな声で、「死にたくない。」と訴えている。腹の傷を見てやると、そう深くはなさそうだ。血も止まっている。


「大丈夫だ。これで死ぬなら、よっぽど運が悪い。」

 義孝がそう言うと、男は安堵の笑みをもらした。


「悪ぃけど、俺、行かないと」。

 男は頷き、指さした。「すみません。」と言う。差す先に、男が背負ってきた車輪が転がっている。

「あれは、もういいんだ。」


 義孝はそう言うと、山頂を目指して歩き出した。




 山頂付近に差し掛かっていた椿と剛夕は、人の気配に、身を隠していた。ちょうど山頂あたり、確認できるだけで、十人程度。待機しているというよりは、何か作業をしている。だが、まだあたりは薄暗く、詳細を確認することができない。しばらく警戒したが、城を目指してくる様子でもない。椿は剛夕を背に隠し、男たちと距離を取りながら、じわりじわりと山頂を目指し始めた。幸い、男たちがこちらに気づく様子はない。息を殺しながら、登り、頂きを越えようとした時だった。


「おーい。」


 男の声に、椿はビクリとして身をかがめた。聞き覚えのある声。あの声は、瀬尾義孝。椿は、茂みを楯にして身を潜めた。

 義孝は手を振りながら、斜面を登ってくる。


「義孝。遅かったな。」

「さっきの銃声、お前か?心配したぞ。どうした。」

 男たちが、次々声をかける。

「ああ、鹿が飛び出してきて。ビビったやつが、打っちまったんだよ。」

 義孝は軽い調子で応えると、

「これは中止だ。」

 と、両手を振った。


「どういうことだ!?」

「義孝!」

 男たちは驚き、一斉に義孝に詰め寄った。ただ驚いた、というより、男たちの声には、怒りが混ざっている。


「まあまあ。苦労したところ悪ぃけどよ。計画変更だってよ。」

 義孝が軽い調子で男たちをなだめる。


 椿は茂みの中から、目を凝らした。その肩越しに、剛夕もうかがい見る。男たちの傍に、何か塊がある。台に乗せられた、筒のような物。あれは、


「大砲。」


 剛夕の口から、思わず声が漏れ、同時に狼狽が体に現れて、足を滑らせた。ガサリ、と、不審な音が鳴った。

 男たちの目が、一斉に向く。


 椿は義孝と目があった。これまでか。椿は静かに鯉口を切った。が、義孝はさらりと目をそらすと、

「うさぎじゃね?」

 と男たちに言った。

「そうか?」

 男たちは疑いながらも、その注意は、徐々に義孝に向いていく。


 椿は一瞬驚いたが、すぐに義孝の意を解した。半信半疑ではあるが、逃がしてくれようとしているのか。椿と同時に、剛夕の存在にも気づいたはずだ。

 義孝の横顔に問いかけたが、かたくなに振り向かない。それが答えだと確信した。


 椿は剛夕とともに、身をかがめ、茂みに隠れながら、じりじり歩を進めた。距離を保ちながらも、男たちの横を通り抜けていく。張り詰めた緊張感。それは、義孝も同じだ。「気づくなよ。」そう強く念じながら、笑みを作り、男たちの注意を引いた。


 もうすぐ、男たちの視界から消える。そう椿が思った時だった。

「何者だ!」

 勘のいい一人が、茂みの剛夕に気づいた。その声を合図に、椿が茂みから飛び出すと、一人が咄嗟に銃を向け、その腕を、義孝が切り落とした。一同動揺した。が、次の瞬間には、一斉に抜刀し、斬りあいになった。


「義孝!どういうつもりだ!?」

 男たちの問いに、義孝は答えない。半数ほど斬ったところで、椿は茂みに駆け込み、剛夕の手を引いて斜面を下った。義孝も応戦しながら後を追う。


 少し下ったところで、剛夕の足がもつれ、止まった。息も随分上がっている。椿は、これ以上進むのは無理と判断して、茂みに隠れた。追い付いてきた義孝も察して、二人を背に隠すようにしてかがんだ。


「瀬尾様。」

「ん?」

 義孝は椿の声に振り向かずに、返事だけする。


「開世隊は、横洲で大砲を解体して、部品の状態で七輪山を運んだのですね。日之出峰で組み立て、そこから城に砲撃するつもりで。」


 椿の問いに、義孝は軽い感じで笑った。

「お嬢さん、さすが、頭いいね。」

 口元は笑んでいるが、目は追撃を警戒している。


 柚月が切った男が背負っていた車輪も、この大砲の一部だ。

 義孝はその計画の最前線、日之出峰での砲撃、そして、そこからの進軍を任されていた。そこに割かれた兵の数も、当然、知っている。さっきの男たちだけではない。まだ、合流していない者がいる。義孝はちらりと剛夕を見た。肩で息をし、疲労の色が濃い。恐怖が、余計に体力を奪っているのだろう。剛夕を連れていては、逃げ切ることは難しい。


 義孝は、柄尻を額に押しあて、何事かを考えると、

「お嬢さん、名前だけ、教えてもらっていい?」

 と言った。こんな時になんなのだ。椿は一瞬思ったが、義孝の目が思いのほか真剣なので、思い直した。

「椿です。」

 そう答えると、義孝は満足そうに口元に笑みを浮かべた。

「椿。そうか、そうだったな。」

 初めて団子屋の前で会った時、確かにそう呼ばれていた。あの時の柚月の顔。椿が去った後も、椿が消えた雑踏をずっと見つめていた。義孝は、楽しそうに、どこか遠くを見つめるような目で山中を見ると、

「あいつ、いい女見つけたなあ。」

 と、誰にともなく漏らし、ふっと笑った。そして、振り向いた。覚悟を決めた顔だ。


「新しい国を生きてね。一華と。」


 俺の代わりに。そう、目が言っていた。


 義孝は茂みから飛び出し、斜面を駆け上がった。同時に、椿は剛夕を連れ、斜面を駆け下りる。もみ合う音が、背中に聞こえ始めても、振り返らず、ただひたすらに山の出口を目指した。だんだん、木の隙間から見える景色が近づいてきて、立ち並ぶ邸が大きくなった頃、陸軍の旗が見えた。十二番隊だ。隊員も気づいた。


「・・椿殿?隊長、椿殿です!」

 隊員が声をあげた時、山に銃声が響いた。一発。続けざまに四発。

 隊列が一斉に身をかがめて警戒を強め、二人の隊員が飛び出し、椿と剛夕に駆け寄って、保護した。

 椿は安堵すると同時に、銃声があった方を見上げた。


 最初の一発は、義孝の足を捉え、崩れたところに、四発が放たれた。義孝は膝から崩れ落ち、斜面に従って背中に向かって倒れ、大の字になった。


 せりあがって来たものを吐き出すと、生温かく、赤かった。


 視界が、かすんでいく。その中で、木の隙間から七輪山が見えた。山の端に光の線が走り、どんどん空が、世界が、光に包まれていく。


「あったかいな・・・。」


 真っ白な光に包まれながら、義孝は静かに目を閉じた。その手には、武士に憧れ続けた義孝らしく、しっかりと、刀が握られたまま。


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