青龍明日美の話。
「成る程」
白龍家当主、白龍凛は私の話を聞き終え、一言だけ言った。
薄く開いた目から放たれる鋭い眼光、齢70を過ぎている彼女だが、ピンと伸びた背筋と綺麗に結われた髪、何より白龍小町と讃えられた顔立ちは今も健在と強く感じさせた。
「それで私に崇幸をどうしろと?」
「次期当主に戻して欲しいのです。
本来でしたら崇幸様が当主の座を奪われる事など無かったのですから」
崇幸様とは白龍凛様のご子息で、今日の見合い相手伽羅様のお父様の事。
「お願い致します」
私は身体を退き、頭を下げる。
土下座の姿勢で罵倒の言葉を覚悟した。
「お止めなさい」
私に掛けられたのは厳しい言葉、その中に僅な優しさを感じた。
「お婆様...」
「その様な事、私は望んでおりません。
貴女の母親が崇幸との婚約を破棄したのはあくまで此方からの申し出、これは青龍家と白龍家の間で決まった事です」
「でもそれは...」
お婆様の顔には一切の動揺は窺えなかった。
「それにです、幼少より崇幸と婚約をしていたにも関わらず貴女の母が他の男性との結婚を望んだ。
その事を知りながら、あっさり身を退いた崇幸にこそ罪がありましょう」
「そんな...」
お婆様の言われている事は詭弁。
どう考えても崇幸様を裏切ってあの男と結婚した母と、婚約者が居る事を知りながら母に交際を申し出た男の方に咎が有るのは明白だ。
「奥様」
襖が開き、使用人がお婆様を呼んだ。
「なんですが?」
「朱雀様がお帰りに」
「分かりました」
朱雀って、まさか?
「あの...」
「話は以上です、私が今日貴女を呼んだのはあくまで伽羅と見合いをして頂くのが目的。
こんな戯れ言を聞くためではありません」
私の言葉を遮り、お婆様は立ち上がる。
お婆様が言われた通り、今日はお見合いをする為にここに来た。
それは分かっている、しかし見合いには、全く興味が無い。
あくまで白龍家の当主であるお婆様と話しをする事こそが本来の目的だった。
「失礼します」
諦めて席を立つ。
目的は果たせなかった、私の行動は全くの徒労に終わってしまったのだ。
両親の不義を正し、白龍家の名誉を回復したかったのに。
「お待ちなさい」
「はい」
部屋を立ち去ろうとする私にお婆様から声が、
「先ずは見合いを終わらせなさい、その後でまた話を聞きましょう」
「それは?」
どういう意味があるのだろう?
「以上です」
前を見据えたままのお婆様、私に一瞥もくれない。
「分かりました」
まだ話をして貰えるなら、さっさと見合いを終わらせよう。
『母の元婚約者の息子か...』
長い廊下を抜け、大広間に向け歩く足は重い。
伽羅様は私の事や両親のした事なんか知らないだろう。
しかし私は崇幸様の事情を知っている。
母との婚約を一方的に破棄し、青龍家の顔に泥を塗ったと当主の座から追放された、白龍崇幸様の事を。
襖の前で両膝を着き、ソッと襖を開ける。
「失礼します」
正座から素早く身体を入れ...
「そんなに畏まらないで」
「は?」
今の声は?
「今はお婆ちゃんも居ないから、そんなに畏まってたら僕まで疲れちゃうよ」
声の主は座卓の前に座って居る女の子だった。
『小柄な可愛い女の子』
それが第一印象。
背丈は私と変わらない、おそらく150センチ前半位か。
「お姉さんが青龍明日美さん?」
「...はい」
なんて心地よい声だろう、鈴の音?いや小鳥のさえずりにも聞こえる。
「初めまして、白龍伽羅です」
「へ?」
涼やかな声は、全く想像してなかった言葉を紡ぎ、思わず間抜けな返事をしてしまった。
「ふざけないで!」
イタズラっぽく笑う少女に、私は揶揄れたと思い声を荒らげた。
「...ごめんなさい」
私の剣幕に驚いた少女は俯いて目を伏せてしまった。
「いいえ、こっちも強く言いすぎたわ」
気まずい空気、こんな事で怒るなんて私らしくもない。
「それで伽羅様は?」
「本当に僕なんです」
『この娘は!』
また声が出そうになる。
しかし少女の様子は悲しそうで、嘘や冗談を言ってる様子では無い。
「まさか本当に?」
「うん」
項垂れたまま少女は頷いた。
「申し訳ありません!」
慌てて畳に頭を擦り付ける。
私自身小さな身体で、いつも子供に間違われる屈辱を知っているのに!
「大丈夫です、いつも間違われますから」
寂しそうに呟く伽羅様。
私はなんて酷い事をしてしまったのか、これでは両親を責められないじゃないか。
「...でもこれで良かったんです」
「は?」
一体何が良かったの?
「これで断れますよね、僕とのお見合い」
「見合い?」
すっかり忘れてた、彼女...いや彼は私の見合い相手だったんだ。
「そうね」
そう言う私だけど、どうしてだろう残念な気が。
「明日美さんも好きな人と結婚したいですよね」
「好きな人?」
「ええ」
にっこり笑う伽羅様。
名前を呼ばれた事の嬉しさと、好きな人と言われた事が混ざって頭がおかしくなりそう。
「大丈夫ですか?」
「何がです?」
「顔が真っ赤ですよ」
「まさか?」
慌てて自分の顔に手をやる。
...熱い、こんな事今まで無かったのに。
「やっぱり明日美さんも恋人が居るんですね」
「そんな人は....」
ここで『明日美さんも』と言われた事に気づく、ひょっとして伽羅様には。
「伽羅様には恋人が居られるんですね?」
「僕?」
「はい」
話がどんどん逸れて行く。
早く切り上げたいのに、これだけは聞きたい。
「...居ません」
「そうですか」
どうして?
なぜ私はホッとしてるの?
「だけど僕は好きな人と結婚したいんです、お父さんとお母さんの様に」
「伽羅様のご両親の様に?」
伽羅様のお父様は私の母と婚約していた筈だけど、母を忘れる事が出来たって事なの?
『...バカな事を』
当たり前じゃないか、結婚したから伽羅様が居るのだし。
「明日美さん?」
「はい」
いけない、何をホッとしている。
「お父さんは子供の頃、親が決めた婚約者が居たそうです」
「はい」
それは私の母だ、言えないけど。
「でも婚約者の方は父さんより好きな人が出来て」
「ええ」
泣きそうだ。
「父さんは婚約者さんの幸せを思って自分から身を退いたそうです」
「.....」
伽羅様は知ってたんだ。
そうか、お婆様も知ってたんだ。
私は去年両親から聞かされた『明日美お前には言わなくてはいけない事がある』って。
あの日以来私は両親が嫌いになった。
「良かったんです」
「良かった?」
何が良かったの?
「だって父さんが婚約者さんと結婚してたら、僕はここに居ませんから」
「それは...」
確かにそうだ、伽羅様は居なかっただろう、私もだ。
「親が決めた結婚相手より自分で選んだ相手なんて最高じゃないですか!」
幸せそうな伽羅様、きっと両親との仲は良好なんだろう。
私はどうだろう?
あの事を知るまでは幸せだった、あの男...お父様とお母様が大好きだった筈なのに。
「お婆ちゃんには内緒ですよ」
イタズラっぽく笑う伽羅様、その笑顔に私は....
「はい」
素直に頷いてしまう、年下の彼に私は心を奪われている。
もう自覚した。
彼が、白龍伽羅様が好きになっている事に、両親の決断が私と伽羅様を結びつけた運命に。
「今日はありがとうございました」
「こちらこそ」
時間一杯まで楽しいお喋りを楽しんだ、こんなに好きな人と話す事が幸せなんて。
両親に感謝している自分が居た。
「朱雀さんも、青龍さんもいい人で良かった」
「朱雀さん?」
別れ際に伽羅様が言った一言に血の気が失せる。
「朱雀って、まさか?」
「優里さんです、朱雀優里さん。今日お会いしたんです」
「そうですか」
やっぱりか、朱雀優里は知ってる。
私と同い年の女、何度か親戚の顔合わせで喋った事もある、詳しい人柄までは知らないが。
「あの明日美さん?」
「朱雀さんは何を?」
「は?」
「何か言ってましたか?」
「いやあの....」
「教えて下さい」
狼狽えてる場合じゃないぞ、早く教えて!
「あの、近い内に連絡しますって」
「失礼します!」
呆然とする伽羅様を部屋に残して立ち上がる。
『こうしてはいられない、早く白龍凛様に話を着けなくては!』
着物の裾をたくしあげ、お婆様の待つ部屋まで走った。
「...伽羅様、お慕い申し上げております」