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5.嫌な予感

 どうしたものか。

 わたしは、蛍沢駅で立ち尽くしていた。さっきまでの身を震わすような高揚感もいまはない。男を殴り、蹴りつけた感触だけが嫌に残っていた。


 電車が過ぎ去ったあとのホームは照明もなく真っ暗で、原始的な恐怖に駆られる。そこかしこの濃い闇の中から、何かが飛び出してきそうで恐ろしい。

 明かりといえば、小さな駅舎から零れる薄明りだけ。光に誘われる虫のように、わたしは覚束ない足取りで駅舎に近づいた。

 駅舎は想像以上に小さくて古ぼけていた。明かりの漏れるドアからそっと中を覗いてみる。


「遠慮しないで、小舘さん」


 突然、背後から声がした。

 振り返る暇もなく、わたしは駅構内に無理やり押し込まれた。


「よ、ようこそ。ようこそ……」


 あの男だった。

 わたしが蹴り倒し、電車に置き去りにしたはずのストーカー男。


「な、なんで?」


 なんでここにいるのか。

 そして、ここはどこなのか。

 男が後ろ手に閉めたドアは、まるでどこかの家のドアだ。すくなくとも、駅についているようなドアじゃない。


「も、もうずっと一緒だよ。小舘さんは、ずっとここで俺と暮らすんだ。待たせちゃってごめんなさい」

「なに……、言ってんの? いいから帰して」


 わたしの要望を受け入れる気はないらしく、男はただ不気味な笑みを浮かべるだけ。絶体絶命の気配に、体が硬直して動かない。目だけを動かして周囲を観察する。


「お、俺の部屋、狭くて。ごめん」


 体の筋を痛めるほどの震えが込み上げた。

 男が“俺の部屋”と言ったとおり、ここは駅なんかじゃなかった。カーテンが閉め切られた簡素な部屋。どうやら、わたしが倒れ込んで背を預けているのはベッドらしい。


「帰して。お願い……!」

「どうして? 俺だけを見て、俺だけと話して、俺だけのことを考えて欲しい。ずっとずっと、ここに二人でいよう」

「ぜ、絶対に嫌だ。なんでわたしなの? あんた誰!? 帰してよ!!」


 込み上げた恐怖が、絶叫となって吐き出された。


「お、小舘さんは、俺のことを見てくれた。嬉しかった。独りぼっちは嫌なんだ。だから一緒にいよう」

「なんだよ、それ……」


 思わず吐き捨てる。

 独りぼっちが嫌なのは理解できる。わたしだって独りぼっちだから。でも、こんな風にして独りじゃなくなっても意味がない。結局、独りぼっちの独りよがりだ。理解できる。わたしだって、そうなんだから。


 でも、なにが、『俺のことを見てくれた』だ。


「お前のことなんて見た覚えないんだよ! 知らないよ! わたしじゃなくったって良いんだろ? 誰でも良いんだろ? お前を見て、お前に優しくしてくれるやつなら、誰だって良いんだろうが!」


 訳の分からない状況で、ストーカー男に激昂するなんて悪手にもほどがある。でも、もう駄目だった。落ちるところまで落ちた自分を見ているようで、我慢がならなかった。


「そ、そんなことない。お、俺は小舘さんが良いんだ。俺と目を合わせてくれたんだ」

「気持ち悪い。目が合ったくらいで良いなら、やっぱり誰だって良いんじゃないか。それに、あの電車の中の人たちは何?」


 熱烈に求められるのは、悪くはないのかも知れない。とくに、わたしのような人間にとっては憧れでもある。

 でも、こんなやつに、こんな状況で求められてもさすがに承服しかねる。


「ねえ、帰してよ。わたしじゃ、お前に優しくできない」


 そう告げると、押し黙ってしまっていた男は、魂の抜けたような顔をした。なにもかも、すべて冷めきってしまったような顔だ。


「もういいや……」


 ぼそっと男は呟いた。


「小舘さんは、俺が思ってたひとと違った」


 殺してやりたくなった。

 恐怖が怒りで塗り替えられ、殺意さえ覚える。身勝手なことを言い垂れ流すこの男に怯えていたことが、馬鹿らしくなった。

 そのおかげか、痺れたように動かなかった体が動くようになる。


「じゃあ、もう帰して。お願い」


 怒りを鎮め、努めて冷静に頼み込んだ。


「……わかった。いいよ」

「ありがとう」


 お礼を言う筋合いなんてないけれど、とにかくこの状況から穏便に抜け出したかった。


「でも……」

「な、なに?」


 嫌な予感がした。

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