12 魔女の杖
「おい、起きろ――もう目覚めてんのは分かってんだよ」
「……チッ」
男の身体を蹴ると、男は舌打ちを零し、壁を背にして石畳の上に座り込んだ。
「それで、途中から話は聞いてたんだろ」
「ああ……お前が聞きたいのは何で俺ら『深層』があのお姫様を攫うのか、だろう?」
「話が早いな。分かってんならさっさと話せ」
男が懐を漁り、煙草を取り出し、火を点けた。
俺は一歩下がって警戒を強める。
煙草の煙や香りを術式として利用する魔術も少なくはない。
そういった魔術は一般的な術式である呪文や魔法陣など術式として使うよりも使い勝手は悪いが、不意を打つという一点においてはかなり有用だからだ。
しかし、どうやら俺の警戒は杞憂だったようだ。
男は地べたに座り込むと、普通に煙草を吸いながら話し始めた。
「お前、あの王女様が持ってる力は知っているか?」
「力? 知らないが……『深層』の奴らが求めるような力をあいつが持ってるのか?」
「ああ……それも、上層部の連中が目の色を変えるほどのな」
初耳だった。
ラヴィニアから渡された資料にも書かれていなかった情報だ。
ラヴィニアでも知らされていないのか――いや、あいつが何も知らないとは到底思えない。
だとすると恐らくは、その情報がラヴィニアですら取り扱いに慎重になるような情報だったというところだろう。
「で、それはどういう力なんだ? 『深層』の連中がわざわざ欲しがるだなんて相当な力だぞ」
「それは知らん。知ってるのは『深層』の上層部の中でも一握りだろうな。俺は幹部っていっても、なってから日が浅いからそこまでは知らされてねぇんだよ」
「ちっ、使えねぇな」
舌打ちを零す。苛立ち紛れに男を蹴り飛ばした。
「――ぐっ、やめろ、蹴飛ばすんじゃない」
だが……まあいい。
一番重要なのは、『深層』がリリーを狙っているという事実だけだ。
「さて、話すことは話したし、もういいだろ」
「逃がすと思うか?」
「……ああ、逃げさせてもらうぜ」
男は立ち上がると、懐から取り出した拳大の球体を地面に思い切り叩きつけた。
破裂した球体から煙が爆発的に溢れ出る。
煙幕だ。路地が瞬く間に白い煙に包まれ、男の姿が見えなくなる。
足音が響く。男が路地の出口へと駆け出した音だ。
俺は特にそれを追うことなく見送り、懐から小さな魔道具――魔術の力が篭った道具のことである――を取り出す。
通信用の魔道具だ。
一般には出回らないような高級品だが、なにせ『暗躍星座』は国王直属の組織ということだけはあり、隊員それぞれに支給されており、相互に連絡を取ることができる。
「――ラヴィニアか? ああ、襲撃者だ。二人は処理済。一人は生かしてある。だからさっさと回収しに来い。それと、追加の人員を用意してくれ、正直この仕事は一人だと面倒だ」
言うことだけ言って通信を切断する。
男はそのまま路地を出て行く。
流石に大通りに出られたりでもしたら少々面倒なことになるが――。
「――だがまあ、お前にとっては残念ながら、そんなことにはならないんだ」
「なッ」
「暢気に話してるだけだと思ったか? 逃げられないように対処してるに決まってるだろうが」
路地を抜け出したはずの男がなぜか再び路地に戻ってきて呆然としているのを見て、俺は笑った。
――空間歪曲。
離れた空間と空間を歪めて繋ぎ、裏路地の入り口同士を接続する魔術。
この空間歪曲を破らない限り――裏路地からは決して抜け出せない状態になっている。
「空間操作は俺の唯一の取り柄だからな。この場所から逃げられると思うなよ」
言うと、男の表情に怖れが浮かぶ。
――俺の正体にようやく気付いたか。
「この時空魔術の技量、貴様、まさか――ッ!」
「『圧空』――平伏しろ」
男の身体がみしり、という音と共に圧し折れ、石畳に叩き付けられた。
そのまま圧力を操作し、男を拘束する。
莫大な圧力が一点に集中した結果、石畳がぴしり、と音を立てて亀裂を走らせた。
「ぐっ、貴様、『魔女の杖』か……! なぜこんなところにッ!」
「その呼び名嫌いなんだよな」
『魔女の杖』――魔女の武器。
『牢獄世界』でも名を馳せる最悪の魔女の弟子であることから付いた名だ。
にしても、と俺は思う。
コイツは『牢獄世界』から来たらしいからそうだと思っていたが、やはり俺のことを知っていたか……。
「なぜだッ、貴様は死んだはずだッ!」
「あ? 『牢獄世界』だと死んだことになってんのか、俺」
「クソッ、相手に『魔女の杖』がいると知ってれば、こんな任務絶対に受けな――」
「煩いぞ、少し黙れ」
俺は『圧空』による圧力を更に強めた。男の額が石畳に激突する。
鮮血が石畳に飛び散るが、手加減はしているため死んではいない――こいつからは情報を引き出す必要があるからな。
実のところ、リリーを先に帰したのにはこうなる可能性があると思ったという理由もあった。
俺が『牢獄世界』から帰還した身であることをあの女に知られるわけにはいかない。もしも、吹聴しない代わりに『牢獄世界』へ連れて行けなどと言われたら面倒だ。
『圧空』によって地面に叩き伏せられた男の頭を強く蹴飛ばし、再び気絶させた後、俺は壁に寄りかかってこの男の回収役が来るのを待った。
先程既に通信用の魔道具を用いて、ラヴィニアには襲撃者についての報告は終えている。気絶した襲撃者の回収役を派遣してくれるだろう。
「さて、そろそろかな……」
「ええ、来ましたわ」
背後から声。
振り返ると、路地に入ってくる一人の女性の姿。背中と胸元が大胆に開いた黒いドレスで着飾ったその女は。
「ナタリア、お前か」
名前を呼ぶと、その女は満面の笑みを浮かべた。
銀色のツインテールを揺らしながらこちらへと近付いてくるその女は、俺としても見知った存在だ。
ナタリア・アッシュベリー。
『暗殺星座』の同僚で、俺がラヴィニアの次に苦手とする女である。俺の知る限りでは確か、つい最近まで任務で隣国へ行っていたはずだが……。
「任務が終わったので、ちょうど先日戻ってきたところですの。それで、ノア様に会いに行こうとこっちに来ていたところで、ラヴィニアから連絡がありまして」
「心を読むんじゃない」
「逢いたかったですわぁ、ノア様」
言って、こちらに撓垂れかかってくるナタリア。紫色の瞳がこちらを覗き込んでくる。
この女の面倒なところはこれだ。
何故だか理由は知らないが――聞いたことはあるがはぐらかされて答えてもらえなかった――俺のことを様付けで呼んだりと露骨に好意を持っている様子をアピールしてくるのだ。
好意を持ってくれるのは嬉しいし、悪い気はしないが――しかしその理由が全くわからないのはやはり不気味だ。
何しろ、この女の場合は初対面の時点からずっとこの調子なのだ。
「あ、そうですわ。言い忘れていましたけれど、わたくしも明日から第三王女の護衛になりましたの」
「ちっ」
ナタリアが出てきた時点で八割方そうではないかと思っていたが、やっぱりそうなったか。
とはいえ、こいつの対応こそ面倒だが――まあ、その仕事ぶりは優秀の一言で言い表せる上、俺とペアを組んで任務に挑む機会も多いため相性も悪くないので、選択肢としては無難なところだろう。
面子によってはそれこそ顔を合わせた瞬間に殺し合いになる程度には仲が悪い奴もいる――むしろ、そっちの方が多いくらいだ。
尤も、あのラヴィニアがわざわざそんな相性の悪い人員を送ってくるとは思えないが。
「ふふ、ふふふふふ――ノア様が喜んでくださって嬉しいですわ」
「この顔が喜んでるように見えるのか?」
「ええ、とても」
頬を赤らめ、恍惚とした表情でこちらを見つめるナタリアに俺は引いた。
「で、さっさと連れて行ってくれるんだよな?」
「ええ、勿論。名残惜しいですけれど、仕事はちゃんとしないとラヴィニアに怒られてしまいますもの」
ナタリアは気絶した男をその細腕で軽々と持ち上げ、そのまま肩に担ぐと、「では、また後ほど」とだけ言い残し、去っていった。
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