蟻
普段何気なく生活していても、いつもと少し異なった行動に意味があると考えたことはあるだろうか。
僕は公園を歩いていた。
公園を歩く、ということはいたって普通のことである。
しかし、今日は少し異なっていた。
地面に空いた一つの穴に非常に魅せられたのである。
なぜそこから目を離さないのか、意思がここでまるで働いていない。
すると、一匹の蟻が出てきた。
「あぁ、この穴はただの蟻の巣か。」
僕は妙に落ち着いたような、不思議と安心した気持ちを抱いた。
すると、「ただの蟻とはなんだ。」
僕は驚いて一歩退いた。この時にはもう、石のような硬直はなくなっていた。
念のため周りを見回してみるが、誰もいない。
何故念のためかといえば、こんな時間に公園を歩く人なんてどう考えても僕以外にはいないと断言できる自信があるからだ。
やはり、思った通りだ。下を向けばこれはもう、小さな蟻が触角をこちらに向けて威嚇しているではありませんか。
「声の主はお前か。」
蟻と人間が同じ言語で通じ合っているなんて、きっと世紀の大発見であるに違いないはずだ。
しかし、僕はこれに気づいていないのか、普段通りのさえない声で話していた。
「こんな時間に、お前のような人間が何をしている。」
なんとも偉そうに聞いてくる。この蟻は一体何様なのだ。
僕は意地を張って質問に答える代わりに、質問をしてみた。
「こんな時間に、お前のような蟻が何をしているというのだ。」
蟻は前足をまるで人間のジェスチャーのように器用に使い、
「俺には今しか自由になる時間がないんだ。」
まったく、この蟻は人間社会の忙しい現代人のようなことをいう。
僕は半ば呆れながらも、この蟻と話し続けようと言葉が出てくる。
「ほう。蟻はエサを見つけて巣に持ち帰るのが仕事だろう。自由ではないか。」
蟻の表情は読み取れないが、怒ったような口調で答えた。
「一体全体どこが自由だと言えるものか。俺は社会の一員として自由を制限されている。
確かに外に出てエサを見つけ出し、それを持ち帰るのが仕事だ。しかし、俺が仕事をするのにも
当然の理由がある。家族を養わなければならないのだ。」
蟻にも家族という考え方があるのか。人間からすれば、どこにでもいるような蟻一匹一匹のアイデンティティなど知ったものではないのだが。
「俺らはいつだって集団で動く。仲間と全く同じ道をたどり、全く同じ仕事をする。道を少しでも逸れようものなら、普段は仲の良い仲間たちが寝返ってそれを上に報告する。こんな生き地獄あるか。」
蟻は今度こそ僕にもわかるような怒りを込めた口調でそう言うと、
「どうせ人間も同じだろう。見てればわかるさ。ほかのやつより抜きん出てれば叩かれる。個性なんてもんはどうせ認められないだろう。」
と、同情してくるではないか。しかし、蟻の言っていることには一理ある、と思った。
そうか。どこの世界でも同じなのか。
それが分かると、自然と家に帰りたくなって、足が一歩、蟻の巣から遠ざかる。
あぁ、どうして蟻の巣に魅せられたのか分かった気がする。
しかし、僕はこれ以上魅せられることなどなかった。
こうして大人しく、肩を落としながら家に帰るのだった。
穴があったら入りたい。主人公は現代社会の自由という名の不自由な社会から逃げたいと願う。ストレスに負け、夜中に放浪していると、一匹の蟻と出会う。過剰なストレスは人をおかしくさせるものだ。蟻と本当に話していたかということは、主人公の主観からすれば事実なのであろうが、仮に現場を通りかかった見知らぬ人が蟻に話しかけている光景を見てしまったら、不審者だと思われても仕方がない。逃げ場のない現代社会、これをテーマとした短編小説であった。