Girls of Singularity
0.<<Prologue.0>>
これから私が語るのは一人の少女と一人の少女が世界を変えた話。
お互いにはお互いしか見えないまま、結果的に世界を巻き込んだ、傍迷惑な物語。
そして、私は全ての原因となった親友にライフルを突きつけながら、48時間前を思い出していた。
1.<<Friends.48-24>>
48時間前、私はラブホテルで好きでもない男と肌を重ねて、その対価としてお金を貰った帰りだった。
この行為自体に意味はない。必要以上にお金が欲しいわけでもない。ただ、心に開いた穴を埋めるための代償行為だ。
私は、端的に言うと不良女子大学生だ。バイトに売春を行い、授業は最低限の出席日数を確保するように出席する。空いた時間にはつらつらとノートに世界を滅ぼす方法や、チャットで世界を滅ぼす方法を語り合ったり。Twitterで語り合うと何度も凍結された。だけれど、コンビニでアメリカンスピリットを買い、モンスターエナジーを買う、現代の社会の恩恵を受けていた。そうして、公共の敵にもなれず、かといって社会に適応することもできない。そんな人生を送っていた。
朝8時。社会的に健康な一般的社会人なら出勤する時間に、私は帰路についていた。コンビニで買ったアメリカンスピリットを路上で喫煙しながらスーツ姿で駅に集まっていく人たちを見ながら、まるで働きアリみたい、と思いながらあそこにトラックでも突っ込まないかな。あそこに爆弾でも仕掛けられていないかな。と妄想をこねくり回しながら、友人と飲み会の約束があることをスマートフォンが知らせてくれ、さっさと家に帰って寝ようと思いながら、マンションの入り口に鍵を差し込んで、自分の部屋の入口に鍵を差し込んだ。
携帯灰皿の中身をゴミ箱に捨てて、クレンジングオイルを手に取って顔に塗り、そしてお湯で洗い流す。シャワーはラブホで浴びてきたからいいやと思いながら服を脱いでハンガーにかけて吊るして、ナイトブラに付け替えてショーツも替えて下着姿のままベッドに入る。睡眠薬を一錠飲んで、寝つきが悪い身体を呪いながら、睡眠の世界に落ちる。
夢を見る。高校生時代に最も仲が良かった親友の夢。雨音と名付けられたその少女は、私と似たような問題児だった。学校はサボって遊びに行くし、一緒にテロの計画を立てたこともある、公共の敵だった。だけれど、私と雨音は学校内でも五本の指に入るくらいの天才だった。特に、数学と化学、物理の分野では。
将来を有望されていたほどなのだけれど、高校の終わりくらいに突然失踪した。その晩はとても泣きはらし、心にぽっかりと穴が開いた気分になってしまった。
夢は、その雨音と話す夢だった。
「世界はとてつもなく退屈で刺激がどんどん無くなっていく。未来は真新しいことなんて、全部手の届かないものになってしまう。量子力学での研究でテレポーテーションができたからといって、私たちの肉体がテレポーテーションできるわけじゃない。宇宙の構造が分かったからといって、すぐに宇宙旅行に行けるわけじゃない。」
「でも、情報科学の世界はまだ可能性が残されている。だよね。」
「うん。そうだよ、結未。倫理的に許されない方法で行う研究はまだ発展していない。例えば、脳内に電極を埋め込んで行う、BMI、ブレインマシンインターフェース、とかね。」
「確かに、車が自動運転になって、コンピュータの性能が限界に達した2020年代の初めから変わらずにここまで来てるけど、聞いたことないね。雨音はその方向で世界を壊すの?」
「そうだよ。私はその方向で世界を壊すの。その時になったら協力してくれるよね?」
「うん、もちろん。」
どこだろう、ここは。島。どこの?
ピピピ、ピピピ。
スマホのアラームの音で目覚める。また、彼女の夢だ。
時間を見ると15時。18時の約束の時間には時刻も合わせるとあまり時間はない。
シャワーをざっと浴びて鏡を見る。相変わらず目の下にひどい隈がある。化粧水を塗り、乳液を塗って洗面所から出て、ドライヤーで髪を乾かしながらスマホでニュースを見る。芸能人が麻薬をやっていたらしいニュースだったり、火星の探査機から送られてきた情報が画期的だというニュースだったり、自分には全く関係のないニュースだ。
髪が乾いたら、手鏡を見ながらファンデーションを塗っていく。そして、目の下のひどい隈をコンシーラーを使って隠して、そして多少アイシャドウを塗って、薄めの口紅をして、チークも塗って、健康的な一般女子大学生のふりをする。こうして化粧をすることで、私は公共の敵であることから離れ、そして社会から後ろ指をさされないようにこそこそと隠れている。
上はTシャツの上にデニムジャケットを着て、下はデニムのスキニー。デニムは汚れが目立たないのと、いろいろがあって好きなのだ。そして、ポケットにアメリカンスピリットとライターを入れて、精神薬をまとめ入れたピルケースをバックに入れて外に出る。
外にはたくさんの自動走行車が走っている。車内でスマホを弄ったり、化粧したり、あそこはプライベートな自分の部屋としてもはや運用されている。緊急時用のハンドルとアクセルとブレーキがついている車も少なくなった。最近は緊急時もコンピュータが判断して自動で停車してくれるのだ。同様に、タクシーも無人になっている。スマホや街角にある端末から呼び出して、乗り込むときに目標地点や経由地を設定して、最初にお金を入れる。トラックなんて海運されたコンテナを運んでいるが、船舶から目的地までほぼ無人で動いている。
私は、近所の路面電車の駅まで歩いていき、繁華街へと赴く。決済はスマホか人によって体内に入れているRFIDで済ませられる。現金を持ち歩く人は少なくなったが、一応まだ対応はされている。私も便利さを取ってスマホで決済を済ませる派だ。路面電車から市内を見ていると、人が働いている姿をほとんど見ない。こんな時間だからというのもあるけれど、路面工事も椅子に座ってロボットがアスファルト舗装をしているのを眺める一人だけで終わるのだから、便利な時代だ。と思っていると、繁華街の市外電車と市内電車の総合駅へと着いた。
駅から繁華街の駅前に降りて、待ち合わせの時間まで待つ。周囲を見渡すと戦争被害者への募金や、難民の受け入れのプラカードを掲げている人たちが何人もいる。日本は、隣の国や近隣諸国がめちゃくちゃになった数年前、一切難民の受け入れを認めなかった。それでも、日本海を渡って日本に来ようとした人々はいるものの、その大抵は日本海の藻屑になって、生き残った運のいい人々も職にありつけずに浮浪者になっていたり、犯罪者になってしまったりと、うまく居付けずにいた。少子高齢化で減少した人口問題がロボット技術で解決されたのだからなおさらだ。そうして、教育のレベルがわからない人でもできる単純労働はもはや残っていない。
駅前のビル群は毎度派手にプロジェクションマッピングされている。広告ディスプレイとして、新しい化粧品やお菓子や、いろんなものをCMしている。昔は液晶ディスプレイがビルの前に取り付けられていたらしいが、それよりうっとおしい。確かにプロジェクターの方が小型だったりというのはわかるけれど、広告はきらびやかで見る気がしないのだ。それに、駅前は、というより基本的に屋外は、どこでも禁煙の空気が流れている。今では喫煙率は2.0%。それも、私みたいな昔ながらの紙巻きタバコなんてもはやインターネットで買うしかなくなってしまった。お酒も専門店でしか売っていないし、肉も結構なものが人工タンパクになっていった。健康が第一の世界へと近づきつつあった、まるで昔読んだSF小説のように。現に私のようなはぐれ物の生きる場所は、日陰はどんどんと減少してきているのだ。どこの路地にも監視カメラがつけられるようになったように。
「ゆみー!ゆみー!」
どこからか甲高い声が聞こえる。私を呼ぶ、この声には良く聞き覚えがあるけれど、探し出すのは困難だろう。あちらから私は目立つような服装に身長なのでわかりやすいらしいが、私からは周りのモブ臭い一般的日本人に紛れて見えないのだ。というわけで、この甲高い声を発する友人を探し出すのは、あちら頼みになる。
「はいはい、聞こえてるよ、美亜。」
そして、たどり着いた、私の肩くらいもない少女。パステルブルーのワンピースを纏った少女。こうしてみると、やはり中学生くらいに見えなくもない。と思いながら、大学に入ってからできた友人の、機械工学科で唯一の私以外の女子の、頭をなでる。
「それにしても、珍しいね。美亜が自分から誘ってくれるの。何かあった?」
「恋愛相談ー!ゆみなら詳しいでしょ、男を手玉に取る方法。」
「そんなに詳しくないんだけどな、あくまでバイトでやってるような感じだし、それに、恋愛相談はまともな人間に任せた方がいいんじゃない?」
「そう?私からすると、ゆみは的確にアドバイスをくれる存在だと思うんだけど!」
二人並びながら、予約していた個室居酒屋に向かう。恋愛相談なんていう個人の心を機微に感じ取らないといけないようなものは私には向いていないと思いながら、歩道を歩いていく。そして、交差点に差し掛かる。
「この先だよ、ゆみ!おいしいアイスとか、ケーキとか出してくれるんだよ!」
「へえ。それはまた景気のいい話なこって。」
と、軽口をたたいて、青になった横断歩道に美亜が駆けだした途端、大型の自動運転トラックが美亜の身体を吹き飛ばしていった。
「え?」
と、美亜の身体が変な方向にねじ曲がり、そのワンピースが赤く染まる。同時に、周りから悲鳴が聞こえ始める。目の前の自動化されたありとあらゆるものが暴走を始めたのだ。
2.<<Confluence of knowledge.24-16>>
私は、総合病院のテレビで世界各地で起きているありとあらゆる自動機器の暴走のニュースを眺めながら、集中治療室に入っている美亜の容態を心配していた。廊下のあちこちでも患者が並べられて順に治療が行われており、野戦病院のようなそれを想像させる。
あの後。私はとっさに美亜を引きづりながら裏路地に逃げ込んで、何とか助かった。世界各地で起きたドローン騒乱は、その全てが成功に終わった。軍事用ドローンは有人機をすべて爆撃で破壊した後、市街地に乗り込み、虐殺を行う。徹底的に統率の取れた動きであったらしい。そして、不可解なのは、スタンドアローン、すなわちインターネットに接続されてない機体ですら、乗っ取られたということだ。どういう手法を使ったのかはわからない。けれども、乗っ取られ、世界各地で虐殺が行われたという事実だけは残っている。人々は家に閉じこもり、屋外に出ることを避けている。高度に機械化された時代に、その機械が自らの意志と反して動くのだ。怖くてエレベーターに乗ることすらできない。
幸いなのは、私がいる瀬戸内地域は軍事ドローン虐殺を避けられたということ。日本海側ではバッテリーや弾薬が切れるまで虐殺が繰り広げられていたらしい。そして、スマホや通信機器は全て無事ということ。サーバーがパンクしているかどうかは置いておいて。おそらくは意図したものなのだろう。これは、何らかの思想的犯罪だ。犯行声明でも出すつもりなのだ。
抗不安薬をかみ砕きながら、私は病院のひしゃげた正面玄関から外に出る。この事件は私たちが考えた通りのシナリオをたどっているのだから。
「ねえ、雨音。大量殺人には何が良いのかな?核兵器?化学兵器?生物兵器?」
「どれも違うよ。私は情報兵器だと思ってる。」
「情報兵器?」
「うん、今の世界はかなり自動化されてきているでしょ?身近なものだと自動ドア、エレベーター。その全てを乗っ取ったらどうなると思う?」
「自動ドアもエレベータも乗っ取っても大した被害出ないんじゃないの?ただ不便になるだけで。」
「ううん、違うよ。例えば自動ドアが暴走すると人々はそこを通りづらくなる。そして、エレベーターも、エレベーターでしか行き来できない場所もあったりするんだよ。高層ビルとかだと、20段もの階段を上り下りしないといけなくなる。そうなると人々はどうなると思う?」
「人々があまり外に出なくなったり、店で買い物しなくなる……?」
「うん、そうなると経済へのダメージは大きくなるよね。それで、経済が破綻して人が死ぬ。もちろん、手っ取り早く人を殺すのなら、軍事ドローン。でもこれは大抵スタンドアローンだから乗っ取るのは難しい。次は自動運転自動車。電気自動車への転換で一気に増えたけど、これも乗っ取るとすさまじい破壊力になる。流通路が止まっちゃうわけだからね。」
「聞いてると、人命に危なそうなのは全部スタンドアローンな機器なように思えるけど」
「そうだよ、危なそうなのは全部スタンドアローン。でも、それを乗っ取る兵器があったら核兵器やいろんな大量破壊兵器を上回るダメージを与えられる。」
「だから、それらに攻撃を仕掛けられる、情報兵器、なんだね。」
思い出す。高校生時代にサボって海を見ながらした会話を。遠くを行くフェリーを見ながら行った会話を。
だから、私にはこの犯行がきっと彼女のものなのだろうと思っている。証拠はない。ただ、これは勘だ。それに、これで彼女が終わらせるはずもない。彼女は世界を憎んでいた。どうしようもなく、憎んでいたのだ。だから、きっとこんなもので終わるはずがない。だって、世界はまだ目の前に存在しているのだから。
周囲の自転車を物色しながら次の手を予想する。鍵のかかってない自転車はないか、次に世界を終わらせる方法は何か。幸いにも鍵がかけられていない自転車はたくさんあった。急いで病院に来た人たちのだろう。自動車に乗れないのなら手段はこれしかない、そう考えてきたのだろう。盗みにはなるが、仕方ない。一刻も早く彼女を追いかけなくてはならないのだ。
そもそも、どうやってスタンドアローンの機器を乗っ取ったのだろうか。仕方ない、ここは一番の学府に行くとしよう。最近、この瀬戸内地域、松山は筑波と並ぶほどの学術都市と移り変わった。工学分野では。
「さて、どうしてここに来たのかね」
工学部棟の前で自動ドアに苦戦して悩んでいると後ろから声をかけられた。私の研究室の教授だ。もともとは筑波にいたが、海路から陸路へとシームレスに繋がる自動運転のシステムの発明をするために愛媛に来たのだ。それに、レーザーを用いてのドローン間の相互通信で編隊を組んでの海運、海上通信もできるようにした教授だ。
「ちょっと、知りたいことがあるだけです。スタンドアローン機器を物理的手段を介さずに乗っ取る手段。思い当たることはありませんか?」
「ふむ、この混乱にそれが使われたと。資料を渡そう。入りなさい。」
「入りなさいって言ってもドアが開かないんじゃ」
そう言った瞬間、教授は豪快にガラスを蹴り破った。
「はい、入りなさい。」
普段見れない一面を見て、私は驚きながらも、その中に入っていく。教授の部屋。本が積み重なっていて、地震が来たら逃げられませんよ、なんて軽口を言った覚えすらある部屋。
「さて、インターネットを介さずにコンピューターを乗っ取る手段。どんなものがあると君は考えるかね?」
「え、センサーを妨害するとか、USBメモリなどの外部記録端末を用いてウィルスを送り込むとか、しか思いつきませんが」
「ああ、2020年代初頭まではそう考えられていたし、今の一般的な認識もそれだ。だが、世間一般には広まっていない、そして、そこら辺のテロリストにも不可能な方法が存在するのだ」
目を見開く。方法が気になるとばかりに教授のデスクに手をついて、身を乗り出す。だが、教授はうーんとうなりながら、どのように伝えればいいのか悩んでいる様子で。私はそれがじれったくて我慢ならなくなった。
「教えてください、教授。どんな方法が使われたとお考えなんですか」
「人、だよ」
「人?」
「スタンドアローン機器に指示を出すのは人だ。なら、その人を乗っ取ってしまえばいい。人の脳というものはいうなればコンピュータみたいなものでな。そこにコンピュータウィルスみたいなものを撃ち込まれればどうしようもないのだ」
「でも、そんなこと可能なんですか」
「不可能だよ、なぜなら行動の予測がつかないからな。人の心という仕組みは正規分布に従うランダム関数なんだ。基本的にはそのランダム関数を行動に組み込むことで洗脳やマインドコントロールで支配されるのを防いできたわけだな。知り合いの生物学者は進化の過程で突然変異が起きるのと同じ仕組みで発生したんじゃないかと言っていたがな。まあ、一定の刺激に皆が同じ返答を返すのなら、文明はここまで多様性を持たなかった、自明だな。」
「だけれど、それを可能とした。」
「ああ、何者かがな。人が自由気ままに歩いて、ネットをさまよっている以上、どこで脳にウィルスを撃ち込まれたのかさえもわからない。そして、それが感染するものなのかとかな。」
「脳に打ち込まれたウィルスが……感染、ですか。」
「ああ、ミームっていう言葉は知っているだろう。文化の遺伝子みたいなものだ。で、それは他人からの情報で書き換えられてしまうことがあるわけだな、遺伝子に放射線を当てると変化するみたいに。インターネットで顕著なのは2010年代後半で観測された現象だ。ある言葉の意味や図形の意味がそれの本来意味するところからずれてしまったりしたのだよ。もしかしたら、電子機器をハッキングすることで人工的にミーム汚染を引き起こして、意図しない操作を行わせたのかもしれん。ただ、脳の分析とそれを行うための計算資源がいる。まあ、現在の技術レベルでは不可能だろうな。」
「ただ、人が操作していない機器まで乗っ取られている。あれはどういうことなんです?」
「単純だよ。人が操作していなくても、コードを書いているのは人間だろう?それに交通管制への強制介入権限があるのも人間だ。結局、人が操作していない機器なんてないのさ。」
「なるほど、ありがとうございました。」
「これだけの事件が起こせるまでに潜伏していたんだ。もはや手遅れということもあり得る。その時、君はどうするのかね。」
「ツケを払わせます。こんなことを起こした人間に、私の友人を傷つけたツケを。」
「ふむ。いいだろう。君にこれを渡しておく。」
そう言って教授はICカードを渡してきた。ので、礼を失しながらも片手で受け取って表面を見る。そこには"海洋自動運転研究室用海上自動機用鍵"と目が滑りそうな漢字の羅列が記られていた。
「それは三津浜港……ここから西に行ったところだな。そこの船の鍵だ。そして、そこにある部屋の鍵も兼ねている。お前さんが必要になったら渡そうと思ってたものの私版だ。本来は私の許可がないと動かせないのだが、この事態にあっては君に渡しておいた方がいいのではないかと思ってな。」
「なぜ私に?」
「単純だ。こんな事件を起こしたやつをぶっ飛ばしに行くのだろう?そして、その情報を集めるためにここに来た。研究熱心でもないお前さんがな。」
「見抜かれていたんですね。さすが教授です。」
では、と言って足早に外に向かう。急がなければ。世界が終わる前に友人を傷つけたツケを払わせるために。
急がないと、と足を踏み出した瞬間、バタッと廊下に倒れ伏すこととなった。そうだ、寝ていない。外の様子から見るに、陽は高い。となると、12時くらいだろうか。最後に起きてから21時間経過して、そしてその間にもいろいろバタバタしていた。過労、あ、食事もとっていない。
3.<<Island in memory.16-1>>
「『わたしは、あの親切で健康な大人たちの墓の上で踊りたい。そう、ワルツがいいな。』って書かれた本かあったんだ」
「何って本?」
「秘密。でも、今の世界もその小説の世界と似たようになってきている。みんな健康を目指して、平和を目指して、そうでないと人間でないかのような。
私はそれが耐えられない。完全を目指すのなら、心の中からランダム性を排除しないと、うまくいかない」
「『ランダムだと、少しのずれが発生して、それが積み重なっていくから。』だよね。」
「うん、結未。累積公差の考え。正規分布に従うランダムが積み重なるとどんどん分布の偏差が大きくなっていく。
そうなると、結果なんて予測できないほどに確率が分布してしまう。カオスになってしまう。
その結果として、みんな分かり合えないし、目標のずれが発生してしまう。
私は、脳内のランダムを消したい。そうしないと、壊れてしまうから。」
「壊れてしまうって、何が?」
「私。世界の"人間とはこうあるべきだ"っていう空気に押しつぶされて、世界の型に私が切り取られてしまう。
もし、ランダム性が取り除けないとしたら、私が世界という型を壊すわ。」
その、狂気と悪意に満ち溢れた目はいまだに覚えている。世界のすべてを憎み、人間を完璧な位相へと追いやろうとした、私の親友。おそらくは、私の友人を傷つけた人間。
「だから、結未、あなたは世界の終わりか、人間の完成を楽しみに待っていて。終わった時には迎えに行くから。」
「うん、待ってる。」
そうだ、この夢は、雨音が失踪する前日の。
夢が終わり、現実に引き戻される。
そうだ、寝ている場合じゃない、早く。
勢いよく頭を起こすと、研究室の学生部屋にソファーで寝かされていた。丁寧に毛布まで掛けられて。
「起きたか。まったく、不摂生もたいがいにしておけよ。」
教授が学生部屋で、共用のPCをのぞき込んでいた。そして、こちらに差し出された左手には温かいコーヒーが淹れられている。何かしらの映像を見ているようで、こちらにはほとんど視線をよこさない。ひとまず、コーヒーを受け取り、飲みながら教授と同じ画面をのぞき込む。そこには、『VOICE ONLY』の文字が。
「犯行声明だよ。これはな。
さっきまではアクセスが殺到してサーバーが落ちてたんだ。今やっと見れるようになったから見ているが、これはたまげた。ラブレターにも近い文面だよ」
ほらよ、と言わんばかりにデリカシーなさげにイヤホンを差し出してくるが、それを断りながら、私のイヤホンを接続する。
そして、ボイスは再生を始める。
「これをあなたがいつ聞くかわからないのでこう言います。おはよう、こんにちは、こんばんは。
この間の自動機械暴走事故。あれを起こしたのは私です。目的は一つ。私の恋人に私は世界を終わらせることができると誇示するためです。手段はまだ言えません。それに、言ってしまうとあなた達はきっとパニックになるでしょうから。
おそらくは、私の恋人はこの音声を聞いてくれているはず。ならば、私は言います。『迎えに来たよ』と。
3年近くも待たせてごめんなさい。手段を整えるためには必要な時間だった。
でもね、ようやく始まるの。世界の終わりが。私たちが待ち望んだ、世界の終わりが。世界という型を私が壊す時が来たの。
来て、思い出のあの島に。最後に話したあの島に。」
顔が真っ青になる。これは私に向けたラブレターだ。私は喜ぶべきなのだろうか、それとも悲しむべきなのだろうか、それとも怒るべきなのだろうか。彼女が生きていたことを、大勢を虐殺したことを、友人を傷つけたことを。
アメリカンスピリットをポケットから出し、火をつける。
おいおい、ここは禁煙だぞという言葉も耳に入らない。落ち着くためにはニコチンが必要だ。抗不安薬では感情を鈍らせてしまう。
「行きます。お世話になりました。」
「そうか、元気でな。」
踏み込まなければ始まらない。だとしたら、行くべきだ。あの島へ。興居島へ。
松山から東に存在する島、興居島。少子高齢化に伴ってインフラの維持が困難となりほとんど人口が0に近づいたが、現在はドローン産業の研究地として一躍有名になっている。そして、ブレインマシンインターフェースの研究もおこなわれている。特別防衛業務区ともなっており、軍事応用の研究もなされている。
最近のニュースとWikipediaでわかる情報はこのくらい。しかし、これだけわかれば十二分だ。あの島に乗り込まなければ。あの光景をもう一度見て、彼女と、雨音と話をするために。
電車は復旧していた。幸いだ。三津まで自転車はぞっとしない。だけれど、駅には駅員以外の姿はぽつぽつとしか見えない。皆、家に閉じこもっているのだろう。そして、改札でサイクルトレインという電車で自転車と一緒に乗れるサービスを利用してやってきた電車に乗り込む。
旧型。最初の感想はそれだった。運転席が存在し、座席は固いシート。でも、自動機械の手がほとんどないもの。こんなものが現役の時代もあったのだから驚きだ。サイクルトレインでは運転席の近くにしか自転車を置くスペースはないため、そこに座るが、年老いた運転手がこちらを見て微笑みながら一礼するのは、古いこいつに乗ってくれてありがとうということなのだろうか。
ガタンゴトン、ガタンゴトン。新型の電車では聞かなくなった音を立てながら目的地へと向かう。街は静まり返り、荒れてはいるが、それでも人々が助け合っている姿が見える。人間らしさを失った私たちにはできない行動。やはり、と私は思う。例え、世界から切り離されようとも、個人が世界を滅ぼせる時代になったとしても、物理的質量をもつ限り世界の一部なのだ。だから、世界から切り離されることは不可能だし、世界を滅ぼしても個人が存続してしまえば世界が滅んでいないことになる。世界を滅ぼすという行為は、きっと過去の自分が抱いていた世界という名の幻想を壊し、今ある目の前の世界を受け入れるという行為なのだ。だから、私は彼女を否定しに行かねばならない。彼女の幻想を壊すのに、今いるすべての人間を道連れにする必要はないのだ。
三津に着く。この地を関したお好み焼きの一つもあるように、古くから続いてきた場所。現在は寂れているが、かつては港町として栄えていたと聞く。
駅員に切符を渡し、軽く一礼してから自転車で走り出す。三津浜港に向けて。
4.<<Forbidden fluit.1-0>>
船の上で揺られながら三途の川みたいだと思う。三津浜港に着いた後、急いで船に乗り込み、オートパイロットにして興居島まで向かう。天気は晴れ。小さな漁船のような船だが、小型のドローン射出用カタパルトが存在する。本来は観測機器などを載せるのだろうが、それは港の部屋に置き去りにして、私のみを載せて向かう。三途の川だとしたら、行ったら戻れなくなるのだろうか。それとも、神話のように雨音を連れて帰れるのだろうか。三津浜に古代より存在した厳島神社、そこに祭られている宗像三女神に祈りを捧げる。神頼みも力となるのなら、彼女を否定する力となるのなら利用する。だから、お願い。あの頃のような二人に。そして、興居島の港に着く。
興居島はまるで黄泉のようにひっそりとしていた。行く場所ははっきりとしている。興居島中央研究所。私は登り坂を歩き始める。黄泉というのは、多くの人が地下にあると思い浮かべる。だが、山という説もある。少なくとも神話に記されているのは坂道を歩いていったという話。ならば、この坂道もそうなのであろうか。坂道というのは、高さを変更する道。3次元空間にいる私たちには上下のつながりを認識できるが、2次元空間内にいる存在にとって坂道というものがあるとしたら、それは別の世界への入り口。彼女がこの場所を選んだのもそういうことなのかもしれない。
研究所に近づくにつれ、血の匂いが濃くなってくる。きっと中には彼女以外いないのであろう。周囲の4足歩行型ドローンは皆沈黙している。だが、研究所のゲート近くには身体にいくつもの穴をあけた兵士が倒れている。彼らの目を閉じて、ライフルを頂戴する。彼女の幻想を壊すのに、これ以上犠牲は必要ない。あなた達で最後にする。と両手を合わせながら。
正面玄関は自動ドア。私が近づくと丁寧に開き、そして次にはエレベーターが待ち構えていた。乗り込んで、最上階へと誘導される。展望ホール。案内板にはそう書かれていた。
「3年ぶりだね、結未。」
「ええ、3年ぶりね、雨音。」
そこには、3年前と何も変わらない、だけれど車椅子に座った雨音が居た。
「結未は変わったね。高校生時代はあんなにも私にべったりで弱弱しかったのに、今は刺々した雰囲気を漂わせてる。」
「雨音は変わらない。いなくなったあの日のまま。油断すると、今でもあなたの言葉に惑わされそう。
一つ、聞かせてくれる?この事件はあなたが引き起こしたものなの?」
「うん、そうだよ。私が引き起こした。正確には、私が所属する群体が私に協調してくれた。」
「群体……?一体何を……。」
「ブレインマシンインターフェースの研究は、脳に直接電極を埋め込む形で成功したの。何人もの被験者によって脳マップは作られ、どこの部位が何を司るかまで解析は終わっている。そして、それを応用したニューロコンピューターが完成した。今までの疑似的に脳を再現したものでなく、脳そのものを用いたコンピューターが。これは、もともとの脳が汎用的に用いられるから、汎用知能。人間と同じように振舞えるマシンが作られたんだよ。」
「汎用人工知能……それも、人間を強化した……。」
「そう。シンギュラリティに到達したんだよ、人間は。人間自体を強化し、さらに今までの人工知能でバックアップしてあげることによって。その演算資源は世界中に散らばっているインターネットに接続された端末と実験体にされた自我を保てなかった脳の並列接続。私たちはインターネットから隔離されていたけれど、人を操ることによって、人を中間点と経由することによって、インターネットの海に広がったの。そうして、私たちはますます強くなっていった。いつか、世界を終わらせるために。結未と一緒に」
「うん、頑張ったんだね、雨音は。でも、あなたは完全な存在にはなれなかった。」
「そう。私は完全な存在にはなれなかった。
当たり前だよね。人間の脳がランダム性を持っているのなら、それを集めたこのコンピュータも低い確率で失敗してしまう可能性がある。
完全な存在は、完全な存在からしか生まれえなかった。私はそれを理解したの。だから、この計画を実行した。世界を終わらせる計画を。」
「雨音。ラブレターありがと、でもあなたと一緒には行けない。私はあなたを止めるために来た。あなたは、まだ世界を知らなさすぎる。」
「どうして?どうして否定するの?このどうしようもなく世界中の皆が殺しあう世界を終わらせないと、世界という型にはめられて皆が不幸になる世界が続いていくのよ?世界は混沌の闇になってしまうの。」
「そうかもしれない。でも、そうじゃないかもしれない。この世界はあなたが思っているような1か0かの世界じゃない。人々が助け合うことができ、人々が殺しあうこともできる、グラデーションのような世界なの。あなたがどんな闇を見ていたとしても、闇しかない世界はあなたの幻想。世界には光もあるし、闇もある。両方ある世界がこの世界。
だから、私は否定しに来た。闇しか見えなかったあの頃の自分を否定してくれた私の友人ならこうするだろうから。変わらないあなたを、変わった私が否定する。だから、雨音、あなたも変わろう?」
「違う。あなたは結未じゃない。」
「うん、私はあの頃の結未じゃないよ、雨音。」
「だから、私はあなたの言うことなんて聞けない。」
「そう。だったら。」
ライフルを構える。雨音の頭に向けて。
「無駄だよ、結未。私の本体はここには無いの。私は世界のあちこちのインターネットや人々の頭の中に遍在しているの。」
「知ってる。だから、私は、この方法であなたを砕く。
あなたは私が必要だった。いや、自我を保つために私への依存が必要だった。人間の脳を集めたコンピューターだと、もともとの自我なんてものは存在しなくなる。自我は、心はランダムによって生まれるものだから。並列にしたニューロコンピュータでは限りなくブレが少なくなるはず。そして、命令を確実に実行するためのマシーンとなるの。なのに、今あなたはここにいる。それはきっと、ブレのない電気信号を強く送り続けているから。あなたが、私を想い続けているから。だったら、あなたの自我を砕いて、依存の対象を砕いて、恋心を砕いて、本来のマシーンに戻す。それが、両想いなあなたの恋人の責任。」
ライフルを自分に向け、銃口を咥える。
「やめ、て。そんなことをしても、私は。」
「さよなら、雨音。私の恋人。」
トリガーを押す。
5.<<The girls.Epilogue>>
その後の話をしよう。
暴走事件の犯人が興居島にあるニューロコンピュータであることは世界中にリークされた。ニューロコンピュータ本人によって。そして、彼らはニューロコンピュータの構成要素の暴走であったが、その子はすでに心を砕かれたため、我らは人類の指示を聞く、ただのマシーンであることを表明した。
同時に、彼らの弔いも要請した。ニューロコンピュータ暴走事件の主犯であった雨音の肉体と、解決に奔走した結未、二人の。
世界は緊急の国連決議を開き、二人の埋葬とニューロコンピュータの破棄を決定した。だが、同様の手法でシンギュラリティを再現しようとする試みは後を絶たず、結局はニューロコンピュータが一般的な世界になっていくだろうと推察されている。
ニューロコンピュータの歴史において、結未と雨音の名は消えることはない。世界を変えたコンピュータと、それに愛された少女は。