ユウゲンの③
気が付いたのは、思春期の頃だった。
松岡が通う中学校の教室。
国語の授業中の事だ。
ひまだった。
眠そうな顔をした教師の眠たい授業。
当時《学び》というモノに対して価値を見出せなかった松岡は、外を眺めてあくびをし、開ききった口を閉じた後でふと机に目を向けた。
そのままなんとなく、ただなんとなくではあるが、消しゴムに指を向けて、念じてみた。
(浮け)
浮いた。
消しゴムが数センチ浮いて、コロンと机に落ちた。
閉じた口が再び開く。
この事実に感情が追い付かなかった。
彼は当時、ただの少年だった。
両親がいて、兄弟はいない。
市立の中学に通い、成績は中の下。
それなりに親しい友人と昼食を食べ、放課後はたまに遊ぶ。
父親は仕事人間で帰りが遅く、特に話す機会は無かったがそういうモノだと思っていたし、
いつも家にいる母は神経質で口うるさかったが、授業参観の時に「お前の母さん若いな」と言われるくらいには見た目も良いようで、少しだけ誇らしかったのを覚えている。
父親との接し方には困惑していたものの、その程度の悩みは誰もが抱いている事くらいは理解していた。
松岡はそんな自分の人生に物足りなさを感じて、特別な自分を内面に作り出すくらいにはこじらせていた。
下校中に路地へ入ってみたり、近所の犬に話しかけてみたり、一人空に語りかけてみたりした。
中二病と言われる行為だ。
当然そこに非日常などはなく、目をつぶって祈っても遠くの景色が見えたりなどはしない。
分かっていた事だが正直なところ、もしかしたらという気持ちもあったのだ。
そのもしかしたらはもしかしたら以上に変わる事はなく、週末の夜に家を抜け出して、友人たちと平凡への不満を川に向かって吐露する日々。
中学生が星の下で仲間たちと語り合うという事は、常識から逸脱できない事実をそれなりに誤魔化せた。
毎日をつつがなく過ごしていたある日、友人たちと映画を見にいった。
爽快感のある、迫力満点のハリウッド映画だ。
登場人物の一人が超能力者で、念動力を使って敵の異星人をバッタバッタとなぎ倒していた。
帰り道、友人たちと映画の感想を語りつつ、松岡は考える。
(自分なら、念動力をどう使うかな……)
退屈な授業中に先日見た映画を思い出しただけの気まぐれだったが、事実消しゴムは浮いた。
確かめるようにもう一度、先ほどと同じように消しゴムに指を向けて念じるも、今度は全く動かなかった。
(気のせい?)
首を捻っていると、ズキンと頭が痛んだ。
(痛っ、……偏頭痛かな?)
その日は今まで通り日常が終わった。
友人たちに別れを告げて帰宅。
母親と二人の夕飯をすませると、自分の部屋に戻ってベッドに横になった。
さあゲームの続きをしようと携帯ゲームを探すも見つからない。
ベッドの上を見渡して、離れた机の上に置きっぱなしだと思い出した。
立ち上がるのが面倒で、机の上に手の平を向けて、試しに念じてみた。
(来い!)
来た。
手の平へ吸い込まれるように携帯ゲームが収まった。
疑念が確信に変わる。
もはやゲームどころではない。
浮き上がる心のまま、もう一度念じる。
(戻れ!)
戻らない。
何か条件があるのかと首をひねっていると、ズキリとこめかみがうずいた。
なるほど。
この念動力を発動させると、一定時間は使えない。
そして一度使えば頭痛が来るのか。
松岡少年の平凡が終わった。
それからは実験と検証の日々だった。
頭痛が難点だったが、念動力の使用後どのくらいの間を置けば再び使用できるのか。
また、どれだけの物を動かせるのかを調べた。
使っているうちに使用のインターバルは短くなり、動かせる物のサイズも大きくなっていった。
念動力は鍛えられる。
この事実に夢中になり、放課後は実験と鍛錬に時間を割いた。
週末の夜の集まりには参加していたが、友人たちにこの秘密は話さなかった。
話したくてたまらなかったが、これから自分が巻き込まれる非日常には危険が付きまとうだろう。
きっと、超能力者が自分以外にもたくさんいて、秘密の組織と戦う事になる。
その時に友人たちが秘密を知っていると、人質にされたり、戦いに参加しようとしてくるかもしれない。
超能力者同士の戦いに、一般人はついていけないだろう。
星の下でとりとめのない話をしながら、松岡は多少の優越感を持ちつつそんな事を考えていた。
松岡はこじらせていたのだ。
来るべき時に備え、念動力を鍛え続けていた松岡だったが、ある日の下校途中に能力を使う機会があった。
自転車に乗る老人が不意に車道へ倒れこんだのだ。
うずくまる老人に迫る車。
松岡少年はとっさに車に向けて念動力を行使した。
車は急停車し、危うくタイヤが老人の頭蓋骨を踏み潰すところだった。
胸を撫で下ろした松岡少年だったが、身体に異変を覚えて道端にうずくまってしまう。
通行人に救急車を呼ばれ、病院で精密検査を受けた。
脳梗塞だった。
動脈硬化が進み、内臓のいくつかも機能が低下していると言われた。
幸い身体的な後遺症は残らなかったが、症状の原因は不明だと告げられた。
神経外科医の淡々と説明するさまに、苛立ちを覚えた。
松岡には原因が分かっていた。
念動力だ。
念動力を使えば血管や内臓にダメージがくるのだ。
病室の外で言い争う両親の声を聞きながら、松岡は二度と念動力を使わないと誓う。
松岡少年に、歪ながらも平凡が戻ってくる。
と、思っていた。
松岡少年が倒れた日から、特に仲が良いように見えなかった両親に口論が増えた。
自室に籠り耳をそばだてていると、その内容は自分が原因だと分かった。
「隆宏の面倒はお前が見る! 当たり前だろう! なんで今まで気が付かなかったんだ!」
「私一人に責任を押し付けて! 男は働いてればそれでいいとでも思ってるの!?」
「俺が稼いだ金で生活出来てるんだ! 仕事を辞めろって言うのか!」
「なんでそんな極端な事しか言えないの!? 一年中24時間働いてるわけじゃないじゃない!」
「俺に寝るなって言うのか!」
「そんな事言ってないでしょ!」
松岡少年は陰鬱な気分で、高校受験に備えて机に向かっていた。
市内で三番目くらいに評判の良い高校に合格。
体調も問題なく、薬を飲む習慣はあるが、中学からの友人たちと過ごす日々。
自分が念動力を使える事を忘れる時間が増えた。
そんなある日。
父が帰って来なくなった。
母と二人で過ごす五日目の夜に、薄々気が付いていた松岡は意を決して母に尋ねた。
父さんはもう帰ってこないのか?
母からの返答は「大丈夫」だった。
直接的な言葉は無かったが、どうやら離婚したらしい。
母さんと隆弘の二人で頑張っていこうと、そう言った。
家にはそのまま住めるらしいし、養育費も送られる。
苗字は松岡のままでいいそうだ。
世間体を考えて、役所でそう手続きをしてきたらしい。
母はパートに出るようになった為、一人の時間が増えた。
大学へは進学せず、地元の中堅広告代理店へ就職した。
営業職で、帰宅は毎日深夜だった。
アルバイトの経験すらない松岡は、周りの人間以上に仕事を覚えるのが遅かった。
辛い日々だったが、とっさに出る眩暈や動悸で我慢強さには自信があった為、必死で耐えた。
二人で頑張ろうと言った母に、心配をかけたくなかったのだ。
まあ、母はパート先の男と姿を消したのだが。




