第7話 加護を得る
こじんまりとした部屋。
向かい合うのは煌々と照らされた一室にそぐわない矮小な二人だ。
深藍色の布をまとった白仮面の小柄な男、新参謀ハンショ。
くすんだ緑色の肌に不釣り合いな白銅色の衣に身を包んだ小鬼、旧参謀のキュウメイ。
今は地上世界の侵攻という大仕事の情報共有、及び参謀任務の引継ぎを行っている。
「察するに余りある災難でございましたなぁ……」
「あ、いや、そうですね、恐れ入ります。正直に申しますとこの大任をお渡し出来て肩の荷が下りた心地です、はい」
地界から派遣された新参謀を前に、旧参謀役であったキュウメイは肩をすくめて見せた。
ただのゴブリンである自分如きに、栄えある魔王軍の知恵役など荷が重すぎると胃を痛めていたのだ。
せめて多少の威厳をと身につけた希少なローブが我ながら痛々しいと感じていた。
「おっほっほ……ご謙遜を。キュウメイ殿の采配は聞き及んでおりまする」
「いえいえ……ただ必死で知恵を絞っておりましたら目をかけて頂けただけの事で……ハンショ様のような本土でも重く用いられておられる方にお越し頂けて安堵しておる次第でして……」
実際のところ、キュウメイはこのハンショという男をよくは知らない。
ただ新たな《魔王》ザサール・ビブラ・エクセリードの腹心として派遣されたからにはエクセリード家という謀反が懸念される勢力の目付け役として見て間違いないだろう。
知恵が回る者に相対するには言葉を選ばなければならない。
それをキュウメイはよく知っていた。
「先ずは現状の報告です。その……状況は芳しくはありません。最盛期に侵攻した地は七割方奪還されてまして、元大陸七国のシュウ大帝国の国土が現在の主戦場というところが正直なところで……」
手ぬぐいで汗を拭きつつ正直に今の状況を報告する。報告と現実に差異があれば粛清の対象になりかねない。
大切なのは解決策と手段の提示だ。
「ただですね、死霊術師の方々の準備が整いまして現状の打破に希望が持てるようになってきておりますです。はい」
「おっほっほ……それは朗報ですなぁ」
機嫌の良さそうな声を出す後任の上司に安堵しつつ、自軍の戦力を書き留めた紙を机の上に広げた。
「今回戦線に復帰される《死》のシャマカ将軍が以前に使役されておりましたアンデッド軍は20万でしたが、生え抜きの地上人を使用したものでありました。今回アンデッド化する事に成功しましたのはシャマカ将軍の選に漏れた死骸ですので質は良い物ではありません。ただ数は50万を越えます。スケルトン将軍として使役できるであろうニンゲンの死骸も五体発見いたしました」
「ほうほう」
さらにキュウメイは地図を取り出して広げ、羽ペンを取り出すと地上人の戦力を書き込んでいく。
「敵方の主な戦力は聖王国のゴラモ元帥率いる地上人連合軍10万。大国にこれ以上の増援の気配はありませんが、大陸東部の中規模国8国と小規模国22国はまだ戦力を出し惜しみしております。しかし増えたところでせいぜい5万といったところでしょう」
「ふむふむ」
「質の低いアンデッドですので懸念はありましたが、《死》のシャマカ将軍の特性でアンデッドを強化して頂ければ十分に勝機は見込めると思われますです、はい」
報告を終え、キュウメイは恐る恐るハンショの顔色を窺う。
窺おうにも顔色は仮面の下だ。いったいこのハンショという御仁は何という種族なのだろうと疑問に思う。疑問に思うも流石にそんな事は聞けない。それは無礼なことだから。
自分の朧げな前世の記憶に例えれば、この世界で魔物の種族を問うのは初対面で職業を聞くようなものだ。
「おっほっほ。実に英明でいらっしゃる。戦術にも長けておられるそうですなぁ。ゴブリンという短命種とは思えませぬ。何がしか特別な物を感じられますが……」
声の響きに不穏なモノを感じた。
(あ……しゃべりすぎましたか?)
汗が流れる。粛清を恐れたが為に要らない誤解を招いたか?
不安を覚えたが意外にもハンショは声を明るくし、親し気に語りかけてきた。
「おっほっほ……。異界人なのでしょう? 地球からですかな? 実はワタクシもそうなのです」
予期せぬ言葉に目が開き、胸のざわつきは霧散した。
「あ……貴方もですか!」
「ええ、ええ」
「ああ! 初めて地球の方と出会えました! 前世の記憶だとは考えていましたが確信が持てず! ただの夢ではないのかと……」
「人の記憶を持ちながら異形に身を落とした困惑と苦労」
そしてハンショは優しげに、最初の言葉を繰り返した。
「察するに余りある災難でございましたなぁ……」
涙が止まらない。
「……お判りいただけますか?」
「当然でする……おっほっほ。異界人同士、協力してこの苦難を乗り越えましょう」
「はい!」
初めて心から信頼できる仲間が出来たと思った。
直属の上司の《戦刃》ティアディバは感情的な部分がある。
以前に戦火の中でティアディバが逃げ場を失った時、同様に死地にあったキュウメイは死中に活を見出すために戦力を結集させて危機を脱した。
それ以来ティアディバは自分に良くしてくれるが、脆弱な自身がいつ癇癪に巻き込まれて死ぬだろうかと不安を覚える相手だった。
「それではキュウメイ殿……貴方の見識を見込んで伺いたいのですが、ザサール・ビブラ・エクセリード様を見てどのように感じられましたかな」
質問の意図を思い、合点する。
我らの身を寄せるにふさわしい相手かどうかだろう。現状では一番身近な権力者だが、雲上人であらせられる本土の方々に良くない印象を持たれている。しかしキュウメイには見通しがあった。
「そうですね、はい。あの威風に堂々たる佇まい、まさに巨星と表現するにふさわしい方だと考えますです。それに臣下の方々も逸材揃い」
キュウメイはそこで一人の若人を思い起こす。あのエクセリード家の家臣五名の中でも異彩を放っていた男。
「特にあの黒髪で白衣に身を包まれた御仁……ジオルグ卿の面相はただ事ではありません。あれこそ英雄の品格、エクセリード様の至らぬ部分はジオルグ卿が補佐されることでしょう」
「ほう……そのように感じられましたか」
ハンショの反応が変わった。自分の人を見る目に感心してくれたのかもしれない。初めて仲間と思えたこの人に少しでも多く認めてもらいたい。
「ええ。ザサール・ビブラ・エクセリード閣下も素晴らしいですが、あのジオルグ卿の才覚も相当なものです。これは他言無用に願いますが、もしかすると……エクセリード閣下以上やもしれませんです、はい」
少々突っ込んだ事を口にしてしまったが、これは信頼の表現だ。自分に見る目がある事を認識してほしいし、より関係を深くするためにはこのくらいの心情の吐露は必要だろう。
ハンショは一拍の時をおくと、ゆっくりと息を吐いた。
「良く見ておられますなぁ。鋭すぎる短刀は扱いにくいものですが……まあ使いようですか」
「? それはどういう――」
「残念ですなぁ」
キュウメイが問い終わるよりも早く、ハンショの仮面の下から琥珀色の液体が噴き出した。




