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本心


 アランが魔術の訓練を始めてから、およそ一月ほど経った。その時の光景を夢で見ている。

 魔力を感じる訓練から、放出する訓練、アランは少しづつではあるが魔力というものを体感し、理解を深めていく。


 今日の訓練は夜間に行われた。王都にほど近い森、その中にある湖のほとりで、アランはじっとたき火を見つめている。師の教えによれば、魔力を火に変化させるための訓練のひとつで、近頃は火を起こしてばかりだ。


 目の前でゆれる火。じっと火の先端を眺めると、その奥にある湖の水面がゆらめいている。耳を澄ますまでもなく、ばちり、ばちりと薪が弾ける音が届く。火は音と同時にその形を大きく変えた。


 ひとつ息を吐き出して、たき火から目線を逸らした。夜空の中心には、煌々と輝く満月がぽつんと浮かんでいる。強い光を放つ星々も、まばらに散っていた。明るい夜だ。


 背後の森からふくろうの鳴き声が響くと、森がざわざわと音を立てる。おそらく師が草むらを掻き分けてこちらへ歩いてきているのだろう。アランは後ろを振り返った。


「なにしてるの?」

「ろ、ロレーヌさま」


 信じられないことに、そこにいたのはロレーヌであった。

 町娘が着るような刺繍の入った服である。胴衣で腰を締め、白い前掛けをつけたその姿は、王宮で見るような華やかな美しさはない。だが、野に咲く逞しい花のような自然なかわいらしさがあった。


 にこにこと笑顔を振り撒くロレーヌにアランも嬉しくなってしまったが、そうではない。尊きお方であらせられる、紛うことなきお姫さまであるロレーヌが、夜更けに出歩いているという事実が非常に危険である。


「ロレーヌさま。王都から近隣の森とはいえ、こんな夜更けに出歩いては危険ではないですか。まさか、お一人でここまでいらっしゃったのでしょうか」

「そうよ。こっそり抜け出してきたの。アランに会いたくて。それより、どう、この服。かわいいかな」


 そんなことはいうまでもない。かわいくないはずがないのだ。

 男のように育てられた自分と違い、ロレーヌは年頃の少女の可憐さを持っている。ただ顔が整っているという話ではない。表情、立ち振舞い、ちょっとした仕草、それら全てが好ましい。


「はい。とても似合っております」

「んふふ、うれしい。あ、そうだ。今度アランのぶんも持ってこようかな。アランもたまには女の子らしい格好してみたいでしょ」

「いえ、私は」


 真っ先に思い浮かぶのは、厳めしい父の顔である。

 勇者に相応しくない、こんなものは着るべきではない。恐らくは、そのような言葉を吐かれるだろう。王都で石蹴りをしている子どもたち、軒先で安楽椅子を揺らしながら刺繍をする女性たち。アランがそれらに目線を向けるだけで、空気がこわばるのだ。


「ふうん。アランも大変ね」

「ロレーヌさまほどではないかと」

「そう、わたしも大変なのっ。今日も礼儀作法の先生にぐちぐちぐちぐち日が暮れるまで小言いわれてああもう腹たつっ」


 ロレーヌの話はあちこち飛んで、教師からの教育が大変だ、夕食に好物が出た、王都の細工屋の品がきれいだった、などなど、その日に感じた雑多なことを、めちゃくちゃな順番で喋っている。

 アランは相槌をうち、時々内容を掘り下げ、ごく自然にロレーヌの話を聞き続けた。


「ふう、ちょぴっとすっきりしたかも」

「そうですか」


 アランは手元の枝を折り、たき火へと投げる。ぶわっと火の粉が飛んで、火の勢いが強まった。


「それって魔術の練習なんだっけ」

「はい。私もよくわかってないのですが」

「ねえねえ、アランには不満がないの?」


 アランの手がぴたりと止まる。


「魔術の練習はともかく、剣術の練習はいやなんじゃないの?」

「それは」

「アランもひらひらっとしたかわいい服着たいんじゃないのかな。他の子と遊んだり、刺繍をしたり、あとは料理とかも楽しそう。わたしはアランとそういうことしたいなぁ」


 ロレーヌの言葉が頭の中でぐるぐると回っていく。

 アランの中での当たり前は、研鑽である。父はことあるごとに魔王の脅威を語る。それを抑え、取り除く者が必要であることも充分に聞かされていた。鍛えなければいけないのだ。

 しかし、わからない。あれがしたい、これがしたいなどと、あまり考えたことがない。常に頭の中にあるのは、しなければならない、という言葉だ。

 アランはロレーヌをじっと見つめる。


「な、なに。どうしちゃったの」

「いえ、その、少し考えてしまって」

「うんうん、聞かせて」


 ロレーヌが腰を動かしアランとの距離を縮めていく。

 アランは頭の中にあるものを必死に集め、言葉にしていく。


「辛いと思うことはよくあります。苦しいと思うこともあります。ただ、不幸だとは思ってません。こうしてロレーヌさまと話をする時、老師さまの世界の不思議の話をする時、とても楽しいです。勇者や魔王というものはよくわかりません。実感がないのです。それと、ええと」

「うんうん」


 アランは口を閉ざし、言葉を止めた。

 しばらく沈黙が続き、ぽつりとこぼす。


「よくわかりません」

「そっか、そっか。よしよし」


 ロレーヌはアランの頭をやさしく撫でる。

 やわらかい手の感触が心地よく、しばらくされるがままとなった。

 そして、アランは急に恥ずかしくなり、顔を赤く染める。


「あ、あの、ロレーヌさま」

「なあに」

「いえ」


 なんともいえない幸福な時間が過ぎていく。

 それを破るのは、草を掻き分ける音。

 アランははっとして振り返る。


「もうそろそろよろしいですかな」


 現れたのは師の姿。アランはひとつ息を吐き、胸をなでおろす。

 師はだぼだぼの貫頭衣のあちこちには枝葉がくっついていて、なんだかおかしかった。


「ふぅ、まったく、とんでもないおてんば姫ですな。色々と溜まっているのはわかりますが、外に出るのはできれば昼間にしてもらいたいものです」

「あ、あのね、アラン。森にいったらすぐ見つかっちゃったから、アランに会いたいって正直にいったの。そうしたら案内してくれたんだ」


 付き添いがいたということで、逆にアランは安心する。このあたりの動物で危険なものはあまりいないが、やはりロレーヌの身分を考えれば、万が一でもあってはならない。

 しかしそれにしても、森の外からここまではともかく、王宮から王都、そして門はどうやって抜けたのだろうか。扉もさることながら、衛兵が監視している。付き添いもなしにこの時間に子どもが城壁の外に出ることなどできるはずがない。アランの貧弱な想像力ではわからなかった。


「ねえねえ、魔術の訓練をするんでしょう。わたしにも見せて」


 アランはちらりと師を見る。ため息を吐きながらも、ゆっくりと頷いていた。

 こほんとひとつ咳払いをしてから、師は口を開く。


「さて、アラン様、魔術の授業です」


 その言葉に、アランは素早く立ち上がり、ぴんと背筋を伸ばす。老人を見つめながら、次の言葉を待った。

 ロレーヌはアランを座りながら眺めている。


「魔力を感じること、魔力を吐き出すこと、アラン様は今日までに、このふたつのことを学びました。近頃はたき火ばかりを見せられて退屈していたことでしょう。今夜、いよいよ、みっつめです」


 アランは生唾をごくりと飲み込んだ。


「ねえねえ、わたしにもできるかな」

「そうですな。まずは、国王陛下から教育の許可をいただかないことには、なんとも」

「あー、お父さま頭かたいからなぁ。むずかしそう」

「まあ、ともあれ、ロレーヌ様は少し離れていてください。万が一がありますので」

「はぁい」


 ロレーヌが一歩二歩と下がり、草むらに座る。


「さて、ではいきます」


 師は衣をまくり、たき火に向けて腕を突き出した。それはまるでたき火で暖をとっているかのような格好だ。手の平を広げ、火に近づける。


「懐しいですなぁ。私も、初めての魔術は炎だったんです」


 たき火から放たれる赤い光とは対照的に、手の平からは朧げな青白い光が漏れ出てきた。その光をたき火の光と混ぜ合わせるように重ねる。


「このように、魔力で火に触れます。頭の中に思い描くことは、炎と魔力が混ざっていく様子、魔力そのものが熱を持っていく様子、めらめらと、ゆらゆらと、できるだけ具体的に」


 老人の手の平から溢れる青白い光が、次第に白みを増し、ゆらゆらと動いていった。


「へえ、きれいね」


 ロレーヌがいうように、それは幻想的な美しさをもっていた。

 光と炎の境界が限りなく狭まり、重なり合う。アランにはもう、老人から溢れ出す光と、たき火の先端の区別がつかなくなっていく。


 老人は、たき火からゆっくりと手を離していく。そしてアランの方に手の平を向けた。

 小さな火種が、手の平の光の中でくすぶっている。


「これと同じことをアラン様にもしていただきます」


 いいながら、師が手をぐっと握り潰し火種を消す。

 開かれた手の平は、いつもの皺だらけのもの。火傷をした様子もない。熱くはなかったのだろうかとアランは思う。


「熱いと思ったら直ちに手を離してください。危ないですからね」

「アラン、ちゃんと注意しないとだめだよ」


 ロレーヌの言葉に苦笑しつつも、アランはしっかりと頷いた。

 アランはおずおずとたき火の目の前に立つ。熾が赤々と燃えている。手の平は魔力よりも汗が滲んでくる。


 慎重に距離を保ちながら、アランは手をたき火の上で開く。手の平に感じる熱を意識しながら、ゆっくりとまぶたを閉ざした。


 魔力から感じる熱と、炎から感じる熱は似ている、とアランは考えたことがあった。身体から魔力を滲ませる時には、いつもじんわりとした熱を感じた。一方で、肌に触れた時はどろどろの水のようでもあった。魔力が手にまとわりつくあの感覚は、やはり形容しがたい。


 アランは想像した。魔力の青白い光が、次第に熱を持っていく様子を。めらめらと燃える炎が、魔力に移り、勢いを増していく様子を。手の平に感覚を集中させつつ、頭の中では明確な火の動きを形作る。


 熱い、とアランは思った。うまくいったのだろうかと、アランは薄目で確認する。

 自分の手と、たき火。目の前にある光景は先程となにも変わりがなく、内心で落胆したその時だった。


「きゃああ!」


 ロレーヌの声に遅れて、アランは気がついた。

 炎が手を包みこみ、激しく燃え上がっている。

 手首から先が完全に火中だ。急いでたき火から飛び退いても、炎はいまだ燃え盛る。熱い、手が焼け焦げる。でもどうすればいいのかわからない。


 アランが音のない悲鳴をあげた時だった。燃えるアランの手を、老人の両手が素早く包む。力強く握られた感触で、少しづつアランにも冷静さが戻ってきた。


「よくできました」


 やさしい声音で老人がいう。そしてアランの手を包んでいた両手がゆっくりと開かれた。おそるおそる自分の手を見てみたら、火傷の跡もない、いつもの手だった。


「やはり筋がよいです。なかなか難しいのですけれどね」


 と、いいながら、老人は笑いかける。


「もう、アランが火傷しちゃうところだったじゃない!」


 ロレーヌはぷりぷりと怒っている。

 師はロレーヌに言い訳をするようにいう。


「少し燃えすぎてしまったようですが、火傷もなく、うまくいきました。炎の操り方は、これからの訓練で覚えていけばよいだけです」


 アランは手を握ったり開いたりしながら、師の言葉をぼんやりと聞く。

 あれが魔術、その片鱗。胸の中が否応にも高まっていくのを感じる。

 魔力を炎にしたという事実が、気分を高揚させているのだ。


「とはいえ、危険であることには違いないので、けして一人で練習をしてはいけませんよ。魔力で炎を作るのは、私の目の前で行ってください。まだアラン様は魔力の操作や制御が万全ではありません。思わぬ事故を起こしかねませんからね。一人で行ってよいのは、魔力の放出、感知、操作、この三つにしていただきましょう。わかりましたね」


 びしっと指を突き付けて、はっきりと言葉にされる。

 先程の感覚を反芻したくてたまらなかったというのに、釘を刺されてしまった。

 師は、真っ白な髭を撫でながら、アランをじっと見つめた。


「やりたがる気持ちはわかるのですけれど、駄目ですよ。覚え始めが一番危険なのですから。ただ、まあ、そうですね、少しだけ魔術の奥行を見てもらって、今日はおわりにいたしましょう」

「奥行? 奥義? うわぁたのしみ。早く早く」

「ロレーヌ様はじっとしていてください。本当に、お願いいたします」


 アランとロレーヌは隣り合って座る。

 ただ一人立つ、穏かで皺だらけの老人。見せつけるように、一本の指を立てた。

 その指先から、ほんの爪先ほどの大きさの火が点る。

 そうかと思えば、光を放ち、豆を爆発させた音のようなものが鳴り、小さなつむじ風が吹き、水球ができたと思えば瞬時にがちがちに凍ってしまった。

 氷の玉はアランの目の前にぽとりと落ちる。


「うわあすごい。アラン見て、宝石みたいにぴかぴか」


 ロレーヌが手にとって、それをたき火に透かして眺めている。たしかにきれいな氷の玉だ。


「あとはまあ、等級について、軽く説明でもいたしましょう」


 師の人差し指の先には、拳ほどの炎の玉が浮かんでいる。


「これで下級火炎呪文ですな。唱えてはおりませんが」


 アランはこくりと頷く。となりではロレーヌが猛烈に頷いている。少し口元が緩んでしまった。


「そして、これで中級。おおよそ人の頭ほどの大きさです」


 師の火球は徐々に大きくなり、いったとおり人の頭ほどの大きさになった。

 ぐるぐると渦を巻くように、炎は内側に向かって動いている。


「上級は、うーん、身体をまるめた人間ほどの大きさでしょうか」


 炎はさらに大きくなる。

 大きさは、となりにいるロレーヌが膝を抱えている時くらいだろうか。

 こんなものをくらえば、一瞬にして燃え上がってしまうだろう。


「ここまでできれば、一流の魔法使いを名乗ってもよいでしょう」


 師は指をぱちんと鳴らすと、あれほど巨大な炎がさっと掻き消える。

 周囲にはいまだ若干の熱が残っていた。

 師がどれほどの魔法使いなのか、アランには実感がなかった。魔術の説明もわかりやすく、人柄も温厚で、口調も子ども相手とは思えないほど丁寧だ。疑ったつもりはなかったが、実際にはどれほどの魔術を扱えるのか、興味があった。

 只者ではない、とは思っていたが、もしかすれば、自分が想像しているよりはるかにすごい人物なのかもしれない。

 師は穏かな笑みを浮かべ、アランを見つめている。いつもの老成した表情だ。

 しかし、その表情が、まるでいたずらをする子どものような無邪気なものに変わる。


「さて。では最後に、とっておきです」


 師の指先に光が集まり、まるでぎゅうぎゅうと押し込めるかのように小さく一点に集中していく。

 大きさは拳ほどもない。しかし、未熟なアランの魔力感知の目で見ても、ただならぬほどの魔力が圧縮されているのがわかる。

 師は、その輝く光の玉を、湖の上へと飛ばした。

 間をひとつ置いて、閃光が迸る。

 思わず目をつぶり、再びまぶたを開けた時、あまりの光景に、言葉は出なかった。


「いわゆる、特級ですな。ぜひアラン様も目指してみてください」


 炎の海とも呼べるほどの景色だ。

 本来ならありえないはずの、水上の火事。荒れ狂う炎が湖面を滑って踊っている。

 熱波がこちらまで届き、身体を温めるが、アランの汗は冷たかった。


 気がつけばロレーヌがアランを抱き締めている。いや、正確にはアランもロレーヌを抱き締めていた。あまりの驚きに、咄嗟のことだ。

 いたずらが成功したかのように微笑むこの穏やかな老人の、すさまじい魔術。炎が収まったのは、ずいぶんと時間のたったあとだった。


中級、メ◯。上級、メ◯ミ。特級、メ◯ゾーマみたいなイメージです。

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