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豚男


 うっそうと茂る木々の合間を、アランは歩いている。村の人々に教えてもらった狩りに使う獣道を通り、先へと進んでいた。歩けば歩くほどに森は深くなり、太陽を隠す枝葉も増えていった。時々零れる木漏れ日から判断して、おそらく昼頃なのだろうと当たりをつけた。


 青年との剣戟のあと、アランは村長宅にてもてなされた。なにやらあの一戦がうわさとなり、アランへの期待感がますます高まった。ご馳走が振舞われる中、アランから話を聞こうとする者があとを断たない。アランは逃げるように寝室へと向かい、眠り、みなが寝静まる早朝、こっそりと森に向かったのだった。


 朝から歩いているというのに、景色に変わりばえがない。どこまで歩けばいいのか、とアランが思ったときである。

 薙ぎ倒された樹木である。それは獣道を封鎖するように横たわり、幹は太く、アランが両手で抱いても、持ち上げることはできないだろう。


 いよいよ、豚男オークか。アランは内心で呟く。いつもと変わらぬ平静な心持ちのつもりであるが、ほんの少し、舌の根が乾いていくのを感じた。この巨木を倒したのが豚男だとすると、自分が想像するよりも遥かに危険な魔物なのではないか、という不安だ。


『あゞ、アラン。豚男が怖いのか』


 魔剣に気持ちをぴたりと言い当てられたアランは、短く舌打ちをした。そんなことはないというように、横たわっている大木を踏みつけ、飛び越える。

 十分に休んだ、体調も悪くない、思考もはっきりとしているし、五感は研ぎ澄まされている。準備は万全だ。


 耳を澄ませば、遠くで小鳥がちちちと鳴いている。葉っぱが擦れてざあざあと音を立てている。そして、ばきりばきりと枝が折れる音。

 アランは足を止め、短剣を引き抜いた。


『おや、ついに、お出ましか』


 激しい物音を立て、獣道をゆっくりと進むそれがアランの目に入った。

 大きい。頭の中を一番に占めたのはそれだ。丸太のような腕、出っぱった腹、がっしりとした足、骨格は人とそう変わりはないのだろうが、浅黒い肌と筋肉、時おり嘶く潰れた鼻、なるほど豚男というだけのことはある。


 それにしても、大きい。背丈はアランの倍ほど、横幅にいたっては五~六人は収まってしまいそうだ。間合に入るために、どれだけ踏み込めばいいのか。


『ようやく俺の出番かな。さあ、どうぞ、存分に』


 頭に直接響く耳障りな声を振り払い、アランは短く息を吐く。いつもより、少し大きいだけの敵だ。普段と同じようにやればいい。それで問題なかったし、これからも問題ないはずだ。


 無遠慮に歩み寄る豚男が、アランとの距離を詰める。手に持つ棍棒を振り回し、枝を豪快に折る。地面の土は雑草ごと抉られる。

 立ち止まったアランは間合を慎重に測る。対敵との距離、十五歩、十四歩、アランは手の平に意識を集中させる。


 十歩。アランの左手は火炎に包まれる。勢いよく燃え盛る炎を、豚男に投げ飛ばした。

 豚男にぶつかった炎は一瞬で全身を包む。アランは跳躍して間合を一気に詰めた。いつものように、相手の横を追い抜きざまに、短剣で胴を撫で斬る。


 違和感は短剣から、アランの手に伝わる。強い弾力と、跳ね返される衝撃。アランはそのまま走り抜け、大きく距離をとった。

 豚男が全身をぶるぶると震わせ、ひときわ大きく嘶いた。全身をまとう炎が消し飛んでいく。


 アランは固唾を飲む。胸の奥底より湧き出る感情を押し止め、必死に心を落ち着かせる。一度深呼吸をしてから、豚男をじっと観察した。


 肌はしっかり焦がしているように見られるが、しかし、動きに変化は見られない。脇腹には、横一文字の蚯蚓脹れ。血は、出ていない。炎によって傷が焼け焦げたというよりは、元より斬傷とはなっていないようだ。


『あゞ、意地をはっているのか。だが、この通り、その短剣では刃は通らない。あとはわかるだろう』


 アランは自然と強い歯軋りをしていた。


「本当に、なにもないんだろうな」

『何度も抜いただろう。アラン、どうしてそのように警戒をするのだ』

「答えろ」


 豚男はゆっくりと振り返り、アランを見つめた。そして、鈍重な足を大股に動かして、歩き出す。


 人の心を惑わす魔剣。なにがそうさせるのか、それともただのうわさなのか。アランの結論は出ていない。ゆえにアランは魔剣を使いたがらない。わざわざ腫れ物に触るのは、愚か者のすることだ。魔剣の力など必要ない。


 と思っていたが、しかし、豚男のなんと頑強なこと。心底使うのは嫌であったが、背に腹はかえられない。


 魔剣は含み笑いのような声を漏らしたあとで答えた。


『あゞ、あまりの切れ味に、俺を手放せなくなるかもしれないな』


 魔剣が言い終わる前に、アランは短剣を素早くしまい、背の長剣を引き抜いた。

 白銀の薄刃が豚男に向けられる。


 豚男の棍棒の一振り。アランはそれを前に沈みこむように躱し、ふとももを魔剣で撫で斬った。


 斬れた。アランは豚男を見ずとも、手の平の感触でそれを実感した。

 低い唸り声をあげる豚男は、痛みをごまかすかのように棍棒を振り回す。アランはひとまず距離をとる。


 荒ぶる豚男を眼前に、魔剣を構え直すアラン。鈍く輝くアザトフォートの刃が瞳に映る。

 軽く、鋭く、手に馴染む。長年使っていた愛剣のような心地である。


 豚男が暴れたことで、木の葉がひらひらと舞い降りる。アランが魔剣を二度、宙に向けて振うと、中空に漂う葉の一片が四つにわかれた。


『ふふん。どうかな俺の切れ味は』


 アランは魔剣への当てつけかのように、渾身の力で柄を握り締める。そして豚男へ向け駆け出した。

 豚男の大振りを懐に入り躱し、脇腹を撫で斬る。続けざま、後ろに回って背中を一閃。身悶える豚男の膝裏に、魔剣の切っ先を突き立てた。


 刺さった剣先を捻りながら抜く。人と同じ赤色の血が勢いよく吹き出した。

 片膝をつく豚男が、しかしそれでも反撃を試みる。乱雑に振り回される腕の、無差別な攻撃。片腕がそばにある樹木にぶつかると、大きくしなり木の葉を散らす。


 すでにさっと身を退いていたアラン。じっと豚男を観察して、豚男の腕の振りの流れを意識する。法則のない動きに見えて、その実ある一定の拍を持つことに気がついた。アランは頭の中でそれを数えながら、機を測る。


 攻撃の空白に合うようにアランは飛び出して、豚男の懐に入った。豚男の両腕は丁度外を向いている。その腕が近づく前に、アランは豚男の胸を突き刺す。


 同時に、魔剣が穿った胸の穴に注ぎこむように、左手から火炎を飛ばした。


『ははは、熱い熱い。俺ごと燃やすつもりか』


 再び燃え上がる豚男。倒れ、転げ回りながら、つんざくような悲鳴を上げる。枝をばきばきと折り、石を弾き飛ばしながら、そうしてようやく炎は消えてゆく。


 黒い煙を立ち上らせる豚男。それを見て、アランはやっと一息ついた。柄を握る手から、ゆっくりと力を抜き、だらりと脱力する。額を流れる汗を袖でぬぐった。


『アラン』


 魔剣の言葉と同時である。黒く焼け焦げた豚男が、わずか、しかしたしかに身動いだ。

 そして上体を起こし、震える足で立ち上がる。


「まだ、生きていたのか。驚くべき体力だ」

『だが、虫の息のようだ』


 小さく嘶く豚男は、しかし、アランに向かうでもなく、身を反転させ森の奥へと動いた。片足を引きずりながら、時々樹木に身体を預けつつ、アランから離れてゆく。


『逃げられてしまうぞ。いいのか』


 しばらく考えるように、アランは豚男をじっと見つめていた。そして、魔剣で宙を斬り、刀身に付着した豚男の血液を飛ばす。


「丁度いい。あいつに案内してもらう」

『はて』

「豚男達の巣に」


 一定の距離を保ちながら、アランは豚男の後についていく。豚男は粗雑な獣道をゆっくりと進んでいる。


「あの一匹だけではないだろう。おそらく、いや、まず間違いなく、複数の豚男がいるはずだ。できることなら全て、それが叶わないなら大半、退治しなければ。多くの豚男を痛めつければ、残りは別の森にいくだろう」

『なるほど、理解した。だがしかし、一匹の豚男であの強さだ。同時に何匹も相手をするのは、アランには荷が重いように思えるが』

「問題ない。豚男のことは大体わかった。あの力強さと頑強さには目をみはるものがあるが、それだけだ。お前が叩き折れでもしない限りは負けないだろう」

『ははは。大変結構』


 前を歩く豚男からは、ぽたぽたと血がしたたっている。これならば直接豚男を視界に入れなくても後は追えるだろう。アランは豚男との距離を徐々に離していく。


 巣までどれほど歩けばよいのだろうかと考えていたアランだが、想像していたよりもずっと近いようだ。前方に森の切れ目がある。あちこちに木造の家屋のようなものがあった。おそらく森を切り開いて空間を広げ、そこに建てたものだろう。家を作るほどの知能があったとは、驚きである。


 巣というより集落だ。負傷した豚男が集落に辿り着くと、家屋から次々と似たような者が出てきた。十、二十、いや、三十。思ったより数は多そうだ。


 アランはそれを確認すると、素早く集落から距離をとった。

 獣道を戻り、途中で藪の中に入っていく。痕跡を残さないようになるべく枝葉を傷つけないよう、丁寧に進んだ。


『さて、どう退治するつもりかな』

「巣の場所はわかった。とりあえず身を隠し、時間を置いてから、襲撃する」

『なかなかの規模のように思えたが、勝算はあるのかな』

「ある。あとでとっておきを見せてやる」


 アランは周囲を見回して、豚男の気配がないことを確認する。

 目の前にある樹木に手をついて、枝や幹のわずかな凹凸に指先をかけ、するすると上っていった。

 まさかこの歳になって木登りをすることになるとは思わなかった。だがこれで、豚男がこちらを見つけるより早く、敵を察知できるだろう。


 見上げれば、葉の隙間から太陽がこぼれている。いまは昼を過ぎたくらいだ。

 襲撃は夕方くらい、そこで手早く退治する。

 アランは太い枝に腰をかけ、幹に背をあずけた。


女勇者とオーク…。はっ

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