剣術の訓練
アランが見ていた夢は過去の辛い訓練の記憶だった。
戦士育成所と呼ばれるそこは、将来王国を守るための戦士を育てるための場所で、王都中の戦士を目指す若者たちがここで訓練をする。ほんの小さな子どものころから訓練を始める者もいれば、ならず者崩れの者が入ることもある。
その育成所の、とくに若い者を育てる場所で、アランは剣を振っていた。練習用の木剣を強く握り、頭上から真正面へ鋭く振り下ろす。その動作はすでに百を越えているが、指導者からのやめる合図はない。
体格のよい中年男性が、アランたちの指導をしている。腕を組み、大きな声で数を数える。百一、百二、限界が近いのはアランだけではない。その場にいるおよそ数十名の生徒らも、肩で息をしている。身体は切実に休みを求めていた。
数が百十を越えたときである。師範の背面にある扉が開けられて、ひとりの大男が入ってきた。生徒らは小さな歓声を上げる。ただひとりアランを除いて。
師範は背後の人物を確認すると、すかさず声を張り上げた。
「そこまで」
休憩の合図である。座ることは許されてはいないが、息を整えるだけの時間はもらえる。
師範はアランを一瞥してから、大男に声をかけた。
「これはこれは、ガルザス様」
稽古中に父がこちらにくるとはめずらしい。が、稀にはあることだ。訓練が一時的に止まることを考えれば感謝してもいいのかもしれない。
「調子はどうだ」
「みな訓練に真面目です。将来有望な若者たちですな」
「ふむ。アランはどうだ」
父のその言葉は、アランにとって頭が痛くなるものだった。
以前、といってもだいぶ前のことであるが、ガルザスは同じようにここへきて、似た言葉を吐いた。そして師範がなんともいえない顔をするのだ。口をくぐもらせながら、まあ、女の子ですから、とか、なんともいえませんな、など。
この訓練室の中で一番体格の小さいアランは、練習試合の成績が大変悪かった。近頃は小細工をすることでなんとか戦えてはいるが、師範の教える剣技とはかけ離れるばかりだ。
辛い訓練ばかりさせる父のことはあまり好きではない。しかし、父の落胆する顔を見るのは嫌だ。だからこそこんなものを逃げ出さずにやっている。
師範は難しい顔をしている。言葉を探しているような素振りだ。
「それがその、なんといいますか」
「まだ使い物にならぬのか」
アランの胸はずきりと痛んだ。ああ、やはり、自分は駄目なのか。ぼんやりと自覚していることでも、こうもはっきりいわれると苦しいのだとアランは知る。
大の男がふたり、アランをじっと見た。
「お見せしたほうが早いでしょうな。自分もあれを初めて見たときは驚きました」
「あれ、とは」
「アラン。練習試合だ」
師範にそういわれ、アランは力なく頷いた。もうくたくただというのに、父の目の前で戦わなければならないのか。
魔法の訓練は順調に進んでいる。見せるならそっちのほうがいい、アランは思った。
師範は適当な者を指差した。この訓練室で一番体格のよい子だ。アランより頭ひとつ分背が高い。 坊主頭のしかめっ面が、のそのそと歩き出る。アランと目が合うと、聞こえるほど強い舌打ちをした。
ここ最近のアランの嫌われようといったらない。元々生徒たちのあいだでは、女がくる場ではない、という空気があったので、表に出さぬほどの嫌悪は確かにあった。英雄ガルザスを父に持つという嫉妬もあったのかもしれない。それらの不確かな侮蔑が、加速した。
「先生。俺じゃないと駄目なんですか」
坊主頭は木剣でアランを指しながらいった。隠す気のないほど、嫌悪に満ちた顔だ。
ただならぬ空気に、ガルザスは眉をひそめる。
「どういうことだ」
「まあ、まあ。なにはともあれ、試合を」
坊主頭の質問は肯定される。とにかく、戦えと。
室内の中央で、距離を取り合う坊主とアラン。訓練生たちの諦めにも近い目が、坊主頭に集まる。
「始め」
坊主はじりじりと近づき、アランとの間合を計っている。アラン自身も近づいたり離れたりしている。細かく身体の位置を変えながら、慎重にだ。
そしていよいよふたりの間合が重なった時に、坊主の木剣が横に一閃。
「勝負あり」
一閃は空を斬り、アランの木剣が坊主の肩に触れていた。
ガルザスは目を見開いた。
「なんだ、いまのは」
「いやあ、最近はいつもこんな調子でしてな」
「あの子が間合を間違えた、ということでもないのだな」
ガルザスがそういうと、坊主は歯をぎりぎりと食い縛った。
「どうやら違うようでして。とにかく、みながアランに木剣をあてられないのです」
「ふむぅ」
師範が頭をぼりぼりと掻く。
「なんといいますか、我々が教える剣技とは、身体を鍛え、剣を相手へ力強く振り、受けるときは盾や剣で。大雑把にいえばそのようになりますよね」
「うむ」
「ま、そんなわけですし、アランのあれは、いったいどういうことなのかと不思議に思っていたのですよ。それで、たまたま友人の武道家と飲む機会があったので、その話をしたのですが」
そこで一度言葉を切り、師範はアランをちらりと見た。
「拳闘において、打たせる技術というものがあるそうです。例えばですが」
師範はガルザスの前で拳を構える。
「どうぞ」
師範のいわんとしていることをすぐに察したガルザスは、正面の顔に向けて力強く拳を振った。
拳は鼻先をかすめただけで、顔面にはあたらなかった。
「いてて。なにも全力で殴ることも」
「はっはっは。楽しそうだったのでな。して、つまり」
「自分もあまりよくわかっていないのですが。まあ、その、体重といいますか、重心といいますか、それを後ろに残していれば、いまのように、さっと身を引くこともできるわけです」
「それがどうした。アランのとはまた違うだろう」
「いえいえ、おそらく、同じことです。間合、機の捉え方が研ぎ澄まされていくと、避けられた、というよりは、空振った、という印象になるのでしょう。自分も正確なことはわからないのですが」
「む、むむ。まことには信じられぬ」
ガルザスは腕を組んでアランをじっと見た。
アランはほんの少し安心する。いつもの、落胆とはまた別だということを感じていたからだ。
「ただ、本当に恐しい、いや、凄まじいことは、これらを剣でやっていることでしょう」
「どういうことだ」
「例えば拳などでしたら、あたってしまっても、一撃では致命傷になりますまい。紙一重で躱すということを目指して、もし失敗をしても、次が許されるということです。ですが、剣ではそうはいかない」
「ああ、なるほど」
「一太刀斬られれば、致命傷です。だからこそ我々は身体を鍛え、剣を剣で受けるように教えるのです」
なにやら自分のことについて話しているな、とアランは思った。
しかし、自分自身の技については、ほぼ無自覚といっていい。
同年代の男の子たちから、何度も剣を振り下ろされ、剣で受け、そして落とした。手の痺れでしばらく剣が持てないこともあった。師範の教える剣技では、自分は誰にも勝てないだろう。絶望的なそれを、アランは静かに悟っていった。
剣を重ねてはいけない。力と力でぶつかってはいけない。だからこそ、アランは試合のたびに動いた。剣というものを身体で感じた。
気がつけば相手の剣がこちらに届くことはなくなり、無防備な相手の身体に剣を突き付けることができるようになった。
とはいえ、ようやく取っかかりに指をかけた、程度のことでしかない。間合や機会を図り間違え、鋭い一撃をもらることもある。
しかし、これしか方法はない。アランにとって選択肢はごく限られていた。
「薄氷を渡るような戦い方だな」
「ええ」
「だが、仕方がないのかもしれぬ。他に道がないのだろう。アラン」
父に声をかけられ、アランははっとする。背筋を真っ直ぐに伸ばし、じっと次の言葉を待った。
歩み寄った父は、片膝をついて、大きな手をぽんとアランの頭にのせる。
「がんばったじゃないか」
頭をわしわしと撫でられ、しばし呆然とするアラン。
胸の中から湧き上がる感情を、アランはうまく整理できなかった。喜び、とは少し違う。安堵、安心、それに近いものだ。
勇者の子。その重責は日に日に重くのしかかる。
逃げ道はどこにもない。前に進む他ない。
アランは気を引き締め、訓練を再開する。