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 宿屋で一泊をした後、アランは日が昇りきる前に出発した。

 地平線からほんのわずか頭を出す太陽が、徐々に眩しくなり、空気が温かくなっていく。黙々と歩き続け、丁度昼ごろになろうという時に、目的の村を見つけた。


 ぽつぽつと点在する小さな家屋。その周りには畑があり、黄金色の穂先を揺らす麦が生えていた。収穫も間近なのだろう、穂先は実をいっぱいに溜め込み、その重さに負けてだらりと垂れている。刈り入れられた麦が天日干しされているところもあった。


 畑の間を縫うように作られた畦道を進み、村の中心へと向かう。歩きながら、アランは視線を感じていた。旅人がめずらしいのか、ちらり、ちらりと、アランの頭から爪先までを観察している。ひそひそ声で話している者もいた。


 そんな村人たちの様子がアランを苛立たせた。むずむずするような不快感だ。どうして村というものは、こんなにも余所者を警戒するのか。王都では他人など気にしないのが普通だ。他人が多すぎて一々気にかける余裕などない。


 村人同士、みなが顔見知りということなのだろう。だから知らない顔に敏感になる。アランはそう納得して、思い切って声をかけることにした。

 畑の端で、麦の束をずるずる引きずっている若い娘がいたので、彼女に声をかけることにした。


「畑仕事の最中にすみません。少しお尋ねしたいことがあるのですが」


 淡々とそういうアランの声で、娘の身体はびくりと跳ねた。栗色のお下げが揺れる。両手で持っていた麦をどさりと落としてから、ぎこちなく首を動かした。


「わ、わたし、でしょうか」

「はい」


 彼女は酷く動揺しているようで、どこか落ち着きなくそわそわと身体を動かしながら、やっとのこと言葉を吐き出す。


「えと、なんでしょう」


 なぜ彼女は赤面しているのだろうか。アランは内心そう思っていたが、それはおくびにも出さずに彼女に聞く。


「私は王都より派遣されたアランという者です。近頃この村の近くで、豚男オークが見られるとの報を受け、こちらへ参りました。国王陛下はこの村からの書状を受け、豚男は迅速に討伐せねばならぬと仰せです。ですので、この村の代表者が住まう家屋がどこにあるのか、教えていただきたいのですが」

「わ、わわっ」


 彼女の動揺の仕方が尋常ではないので、アランはなにか失礼なことをしてしまったのかと思案する。自己紹介も、目的も、所在も明らかにしたはずなのだが。もしやこの村には独特の作法があるのだろうか。


『ははは。馬鹿馬鹿しくておもしろい』


 アランは内心で、死んでしまえ鉄屑と毒づいた。

 そんなやり取りをしている間に、わらわらと村人が集っていく。やはり作法がなっていなかったのだろうか。困ったことになった。

 彼女は近づいた村人に、大きな声でいう。


「ゆ、勇者さまです、勇者さまですっ」


 すると、村人たちは感嘆を上げる。ほがらかな笑顔でみなが一度に声を出した。


「おお、やはり勇者さまだったのですか」

「ああ、お待ちしておりました」

「背中の剣かっこいー」


 次々に語りかける村人たち。アランは顔をひきつらせた。

 お祭り騒ぎの様相で、投げつけられる質問をどう答えたものやらとアランは苦心した。そんな困ったアランに気がついた年長者が、両手を強く叩く。ぱちんとよい音が響くと、そこでようやく静けさが戻ってきた。


「勇者さまが困っているではないか。ほら、勇者さまはなんておっしゃったんだ」


 と、村娘にいう年長者。

 彼女は頬を赤くしていたが、その一声によって背筋をぴんと伸ばした。


「えと、村長さんのところへ案内してほしいそうです」

「そうか、じゃあ案内してやってくれ」

「ええっ、わ、わたしが、ですか。失礼ではないのでしょうか」


 年長者たちがにやにやと笑っている。アランにはよく意味のわからないことであった。村の代表者の元へ案内をしてもらえるなら誰でもいい。しかし、嫌がる彼女に無理矢理道案内をさせるのはかわいそうなのではないのだろうか。


「あの、道程さえ教えていただければよいのです。お仕事の邪魔をしては悪いでしょうし」

「い、いえ、邪魔なんてとんでもないです。案内します、させてくださいお願いしますっ」


 そして頭を何度も下げる彼女。なにやら村というのは変わっているのだなとアランは思った。


「その、わたしについてきてください」

「はい」


 ぎこちなく歩く村娘に、アランはついていく。しかし彼女は変わった歩き方をしていた。右手と右足が同時に前へ出ている。初めて見る動きだった。

 しばらく歩くと村娘はぴたりと足を止めた。不審に思ったアランは彼女の横に並び、顔を覗いた。目を合わせると村娘の頬の赤さが増す。目をそらし、合わせ、それを幾度か繰り返したのち、彼女はおっかなびっくりと口を開く。


「あ、あの。勇者さまの歳はいくつでしょうか」

「ああ。十五になります。頼りないとお思いでしょうが、精一杯務めさせていただきたく」

「ええっ、わたしより年下なんですかっ」


 アランは実年齢よりも上に見られることが多かった。なので彼女の予想が外れたこと自体は特別驚くようなことではなかったが、しかしあわあわと口を開けてびっくりしている彼女の反応は、なんだかおかしかった。アランはくすりと笑う。


「わたしは、十六ですけど、はー、そっかぁ。いやでも、うーん」

「私のほうが年下ですし、お気軽にアランとでも呼んでください」

「いやいやっ、そんな、急に、恥ずかしいですっ」


 両手を前に出してぶんぶんと振う村娘。挙動不審ではあるが、悪い人ではないのだな、とアランは思う。この村に入った時の不快感はすっかりなくなっていた。

 村の代表者に会う前に、緊張がよい具合に抜けてよかった。




 村娘に案内された家屋はこの村で一番大きなものだった。

 木製の扉をぎしりと軋ませて、中に入る。部屋の奥の卓でなにやら難しい顔をしている中年男性が、この村の代表者のようだ。村娘は簡単に状況を説明する。


「村長さま。こちら王都よりこられたアランさまです。豚男を退治してくださるそうです。アランさま、こちらに座っているのが村長さまです」


 いって、彼女は一歩下がってふたりを見守った。


「アランです。王都より参りました。こちらが国王陛下より賜った国章と書状です。お確かめください」


 アランは懐からそれらを取り出し、村長に渡す。村長はそれをじっくり確かめたあと、こくりと頷いた。


「確認しました。はるばる王都からよくきてくださった。ありがとうございます」

「いえ。それで、件の豚男ですが」

「ええ、はい。簡単に説明させていただきます」


 村長はひとつ咳払いをしてから、続ける。


「この村は畑と狩りで生計を立てております。畑では麦を、森では鹿や猪などを。村人同士の小さないさかいは、多少ありますが、平和でのどかな村です。ですが一月ほど前からでしょうか。狩人から、猪や鹿が極端に減った、との報せを受けました。これはおかしいと村人の一部を集めて森の奥へと行ったら」

「なるほど。そこで豚男を」


 村長は頷く。


「幸い村人たちに被害はなかったのですが、鹿や猪を狩りつくした豚男がいつ我々を襲いにくるのかと、肝を冷やす毎日です」


 はあ、と重い溜息をつく村長。

 まだしばらくは大丈夫なのだろう。しかし、いつかはこちらへくるはず。事情を把握したアランは力強く頷いた。


「承りました。必ずや豚男を討伐いたします」

「ああ、ありがとうございます、勇者さま。豚男は北の森の奥にいます。狩りのための獣道をまっすぐに進んでいただければ、いずれ」

「わかりました」

「今日はお疲れでしょう。離れがありますので、そちらで十分身体を休めてください」

「お言葉に甘えさせていただきます。明日の朝より出立いたします」

「さて」


 村娘はぼんやりとアランを見ていた。なので突然声をかけられたことで驚いたようだった。


「は、はひ」

「勇者さまを離れへご案内しなさい」


 彼女はかくかくと頷いた。


「で、では」

「はい」


 振り返って扉を開ける村娘にアランはついて行く。そして外に出た時だった。

 アランより一回りほど背の高い青年がしかめ面で立ち尽している。


「わ」


 村娘は青年にぶつかり、思わず声を漏らした。しかし、青年の反応はない。

 ただ、じっとアランを品定めするかのように、見つめている。

 それは敵意であった。肌のひりつくような眼光である。目だけではない。眉間によった皺、組まれた両腕、それらの態度からひしひしとその感情をアランに伝えた。

 しかし、アランにとっては不快感より、疑問のほうが先に立つ。

 どういうことだろうか。


「お前、勇者なんだってな」

「はい。豚男討伐のため王都より参ったアランといいます」


 短い舌打ちをする青年。そしてアランを指差しながら村娘に言い放つ。


「おい、こんな子どもが、豚男を倒せるというのか」

「こら、勇者さまに失礼ですっ」


 ああ、なるほど。アランはことの次第を理解した。


「自分でいうのもなんだが、俺はこの村で一番強い。村に魔物が迷い込んできた時は大体俺がどうにかしている。一角兎アルミラージ腐狼アニマルゾンビがきたときもだ」


 彼はここで一度、言葉を区切る。そしてまぶたを閉じ、歯を強く食い縛った。


「だが、豚男は、並の魔物ではない。木々を薙ぎ倒すほどの力強さに、硬皮を思わせる強度と弾力を合わせもつ皮膚。矢は通らず、剣でも薄皮を斬るので精一杯だ。そんな恐ろしい魔物を、俺よりも一回りは年下の、こいつが倒すと。馬鹿をいうんじゃない」


 よくよく考えてみれば、当然のことだった。アランは勇者としての実績はまるでなく、さりとて頼りになりそうな見た目とは程遠い。大の男と比べれば、背が低く肉づきも薄い。魔物と戦った経験のある者からすれば、信頼できないという感情はあってしかるべきだ。


 さて、しかし、困ったことになった。この手の者は、権威に与しないだろう。ゆえに国章や書状を見せて説明をしても、まるで意味がない。無視をするのが一番だか、彼はアランが考えるより前のめりである。


「戦え、俺と。そして証明してみせろ、豚男を倒せると」


 なるほど、わかりやすい、とアランは思った。


「や、やめて。勇者さまはお疲れなの」

「お前は黙ってろ。おい、勇者、俺についてこい」


 そして歩き出した青年に、アランはついていく。その少し後ろを、村娘は心配そうな顔で歩く。

 村長の家からしばらく歩いて到着したのは、村の中心近くの広場だった。何事なのかと様子を伺いに村の人々も集ってきた。

 青年は鍛錬用の木剣を渡す。


「よいのですか、このような場所で」

「どういう意味だ」

「人の目がありますが」


 彼はその言葉の意味をしばし考え、結論に辿り着いた。恥をかかせてしまうのではないかというアランの配慮は、青年の怒りに火をつける。握り拳にはいくつもの青筋が走っていた。


「だからいいんだ。お前が豚男を倒せるかどうか、村のみなに示さねばならないのだから」


 アランは荷物を地面に置く。外套をはいで、背中の魔剣と腰の短剣も落とした。

 ざわめく観衆とは対照的に、アランは静かだった。無表情のままじっと対面を見つめる。


「いつでもいい、こい」


 アランはこくりと頷いた。

 青年の構えは、木剣を両手で握り、まっすぐと突き出すような格好だ。間合に入った相手を振り下ろしで斬るための構えだろう。ごくありふれた構えだった。


 アランは構えず、片手に木剣を持ったまま、すたすたと歩いた。不用心で、無警戒そのものにしか見えないほど、自然に堂々と。それが青年の怒りをますます煽った。


 青年は待っていた。アランが木剣の間合に入るのを。アランの狙いには見当がついていた。自分の振り下ろしを躱すかいなすかして、剣をあてるつもりなのだ。


 青年には自信があった。自身の一振りの鋭さに。アランに恥をかかせよう、という感情で青年は一杯になった。


 アランが青年の間合に入る。と同時、渾身の一閃がアランの肩目がけて走る。


「私の勝ちですね」


 青年の木剣は空を斬り、アランの木剣が静かに彼の喉元へ。


 青年にはなにが起きたのか理解ができなかった。躱された、という様子はなく、ただ自分の剣が届かなかったからだ。アランが、横に、斜めに、あるいは後ろに、身体をそらしたり動かしたようには見えない。しかし事実として、自分の木剣はなにも捕えられず、喉元には剣。


「ふ、ふざ、ふざけるな。こんなことが」


 集った人々は歓声で沸く。勇者様が村一番の強者に勝った、あんなにも鮮かに勝ってみせた。本物の勇者様だと。若い娘たちなどは、うっとりとした表情で、アランに熱い視線を向ける。


 青年の血管は切れて弾けてしまいそうだった。何事もなかったかのように淡々と木剣を下ろすアランにもだ。いままさに勝負をした自分のことなど、まるで眼中にないのだと、そういわれているように感じる。


「ま、魔法に違いない。この卑怯者。剣の勝負にあやしげな術を使うだなんて」


 距離をとったアランは振り返り、不思議なものを見るような目で青年を見た。

 青年の我慢の限界だ。


「もうひと勝負だ」


 瞬間、青年は走り出し、再びアランへと木剣を振り下ろす。これはさすがに予想をしていなかったのか、アランは木剣を斜めに構えて攻撃を受けることしかできなかった。

 一撃が当たったことに、青年は安堵した。そして先程の勝負はやはりまじないかなにかを仕かけられていたのだ、と確信する。


 速やかに距離を取るアランを追いかけるように、青年は一歩を踏み出した。

 今度はアランも剣を構えている。自分と同じように、両手で握り、切っ先を正面に向けて。

 青年は内心でほくそ笑む。剣の勝負なら負けはしない。なぜなら体格が違う。力が違う。もしアランが木剣でこちらの一振りを受けようとも、耐えきれまい。その細腕では剣を支えきれないだろう。

 アランの木剣ごと叩き折るつもりで、青年は渾身の一振りを放った。


 閃くような一瞬の間に行われた技は、恐るべき繊細さをもって、青年を撃退した。

 青年とアランの木剣が空中で交差した、と思ったそのとき、アランは青年の木剣を上から叩いた。わずかに角度をつけられたアランの一撃により、青年の木剣は軌道を逸らされ、アランの横に逸れていく。そしてアランの木剣は、青年の肩に叩きつけられた。

 青年の肩の痛みは、じんわりと広がり、指先へ。木剣を持っていられずに、地に落とした。


「すみません。加減をすることができませんでした」


 アランの剣技は、純然たる技の結晶であった。

 第一戦の、まるで化かされたかのように木剣を躱された、と青年が思った技は、足捌きと体捌きを極めた結果のことである。動体を正確に捉えるアランの瞳は、相手との間合を精緻に測る。あとは相手を動き出す機を察知し、身体に覚え込ませた動きをすれば、攻撃は当たらない。

 振り下ろされる一振りを上から叩くことも、アランにとってはできないことではない。


 ただ、驚くべき技の冴えも、アランにとってはそうする他なかっただけなのであった。体格に優れず、筋力も少ない女の身で、いかにして戦うか。その問いはアランを長い間苦しめた。力に劣るため、剣を受けきれず、なすすべもなく敗北した経験が重なる。ならば、躱すしかない。一閃を受け流すしかない。長年の努力が実を結んだのは、なにを隠そう、つい最近である。アランの剣技は完成した。


 力に過信した青年に、アランを打ち負かす手段はない。卑怯な不意打ちをしたにもかかわらず、アランの表情は青年を心配するようなものである。

 完敗した、と青年は思った。先程青年を煮え滾らせた怒りは霧散し、反対に、一種の尊敬の念すら湧き上がる。

 青年は頭を下げた。


「勇者様。豚男をどうか、お願いいたします」


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