旅立ち
アランは草原を横断する街道を歩いていた。東へと伸びる道は時おり枝分かれをしているが、本道は比較的まっすぐだ。目的の村はこの道を道なりに進めばいい。
魔剣アザトフォートは背負うことにした。アランはその上で外套を羽織っている。引き抜く時に不便ではあろうが、アランの体格ではぎりぎり腰に提げることはできなかった。このあたりの魔物は比較的弱いので、短剣で十分だろうという考えもある。
街道とはいえ、獣道とあまり変わりはなく、人が行き来することで草がなくなっただけの砂利道だ。アランは足元の砂利を踏みつける。
『どれくらい歩くんだ』
アランは目を細めた。正面の朝日が少し眩しい。
「まる一日歩けば今日中にも、とのことだ。ただ、途中に街道沿いの宿があるらしい。無理はしたくないからおそらくそこで休むだろう」
『どうやらアランは豚男が怖いと見える』
「戦ったことがないからな。万全を期すつもりだ。宿で一泊村で一泊、そのあと森だ」
アランにとって、手荷物を増やしたくないという理由もあった。無理に豚男討伐を急ぎ、強引に移動を続けた場合、予期せぬ事態が起きた時にそこで野宿することになるだろう。水、食料、防寒具、それらを持ち運ぶためには大きな背負い鞄が必要になる。
そのような意図もあり、アランの旅装は少なめであった。肩にひっさげた袋の中に、水、少ない携帯食料、あとは金銭など。魔物に遭遇した場合はその荷袋を地面に落とせばいい。
しばらく黙々と歩き、太陽が地面を離れた。その時である。街道沿いの草むらから、細長い角がちらりと見えた。その瞬間アランは素早く荷袋を落とし、腰の短剣を引き抜く。
がさがさと音を立てて出てきたのは一匹の一角兎だ。犬ほどの大きさの、獰猛な角つき兎である。濃い紫色の体毛は強く逆立っていた。
『あゞ、一角兎か。アランの手並みをじっくり拝見させてもらおう』
唸るような鳴き声を上げてから、一角兎はアランに向かって突進した。
一角兎の攻撃はこれしかないことをアランは知っている。相手へ一直線に突撃し、角を突き刺すものだ。ゆえに飛び出した瞬間を見極めることができるのならば、躱すことは簡単である。アランは一歩、横に飛ぶ。そして短剣を、空中にいる一角兎の角へ叩き下ろす。
一角兎の角は根本から折れた。甲高い声で鳴きながら、草むらへと逃げていく。
『角ではなく胴体を狙えば殺せたのではないか』
草を掻きわける、がさごそとした音がなくなるのを確認してから、アランは短剣を鞘に収める。荷袋を拾って肩にかけた。
『ははは、やさしいんだか甘いんだか』
「短剣を汚したくないだけだ」
『あゞ、なるほど。ごもっともだ』
その後、とくに会話らしい会話もせず、アランは道をひたすら歩く。太陽が真上まで昇るころになると、風が強まっていく。日差しは温かいのだが、風は冷たい。開けていた外套の首回りを軽く締めた。
草原が波打っている。草同士が擦れてざあざあと音を立てていた。アランはかつて父に草原と海が似ていると聞いたことがある。アランは海を見たことがなかったが、海は巨大な水溜りであるといわれている。水溜りと草むらが似ているだなんてことがあるのだろうか。海もこのように波打つのだろうか。
『そういえば、歩きぱなしではないか』
「だからどうした」
『あゞ、身体を休めずによいのだろうかと思ったのさ』
「もうすぐ宿が見えるはずだ。そこまでは歩くつもりだ」
しかし魔剣にいわれ、意識してみると空腹と喉の乾きを自覚する。もうしばらく歩いて宿が見えなかったら、少し休んでもいいのかもしれない。若干足も疲れている。
荷袋から水を入れた皮袋を取り出した。注ぎ口をくちびるで支え、一口飲む。
喉が潤う感覚と同時である。物音だ。
アランは素早く振り返った。
一角兎の群れが草むらから現れた。疲れか、風のせいか、とにかく草むらからの音に気がつけなかった。アランは舌打ちをして、荷袋を地面に投げ捨てる。
『おゞ、これはこれは。、けっこうな数だ。ふむ、十五、十六、十七』
群れの中で一匹、角が根本から折れている固体を発見する。逃がしたつけがここにきたのかと、アランは苛立った。
『同時にきたら避けられないだろう。さてアラン、いったいどうする』
「黙れ」
アランは左手を前にかざす。青白い光が手を包むと、それはある一点に収束し、強く輝き始めた。
一角兎たちが飛び出すと同時、白い閃光が群れを覆う。
一角兎たちは黒く焼け焦げる。閃光の熱が体毛を焼いたのだ。
直撃した一角兎は黒焦げに、一部が閃光に触れた個体は踊り狂ったかのように暴れ、光を逃れた個体は、一目散に草むらへと飛び込んでいった。
『おゞ、この歳で閃熱呪文を扱うか。おみそれした』
アランは速やかに、生き残った一角兎に止めを刺した。短剣で喉を一突きだ。
一角兎の毛で短剣についた血を拭いながら、アランは答える。
「魔物との戦いに必要な魔法はだいたい学んだ」
『ん、そういえばアラン、詠唱はしないのか』
「私の師は詠唱に否定的だった。不要であると」
『人はみな詠唱をするものだと思っていたよ』
アランは振り返って東へと進む。宿はほどなくして見つかった。案外近かったなと人心地である。
戦いの直後の緊張が徐々に緩んでいく傍らで、魔剣の言葉を反芻する。
人はみな。
まるで信じてはいなかったが、魔剣には本当に魔王が封じられているのだろうか。