アランとロレーヌ
父とは別々の部屋を案内された。ひと部屋ひと部屋に十分な広さがあるにも関わらずだ。同じ部屋であったほうが、自分たちが出たあとの掃除の手間が省けるだろうに、とアランは思った。
大きな窓からは太陽の光が差し込んでいる。昼はだいぶ過ぎているだろう。それにしても大きい、なにもかもが。窓はもちろんのこと、部屋そのものも、端から端まで十歩では足りない。備えつけの卓は四人で囲んでも充分ゆとりがありそうだ。正直なところ、広過ぎてあまり落ち着かない。
アランはとりあえず荷物を卓に下ろした。魔剣をごとりと置いたあと、外套を脱いでまるめて放った。足先をつっかけてはく種類の履物が椅子のそばにあったので、窮屈な半長靴を脱ぎ始める。
椅子に座り靴紐を解きながら、アランは優しきロレーヌ姫に想いを馳せていた。
自分の身を案ずるあまりのことであろう。豚男の単独討伐を反対していた。
思い起こせばロレーヌはいつもアランを心配している。初めて剣の稽古をしようという時にも、まだ早すぎるのではないか、といって反対した。魔法の鍛錬も、魔物との実践も、そうだった。アランとロレーヌは同い年ではあるが、立場はまるで違う。お言葉をかけていただけるだけでもありがたいのだ。
初めてのひとり旅。正直なところ、不安はある。豚男そのものもそうだが、この薄気味悪い魔剣。剣が喋るだなんて聞いたことがない。
『それはよかった。またひとつ賢くなれたな』
こうやって頭の中で考えていることを読まれるのも不愉快だった。
しかしどうしてこの剣は喋るのだろうか。
『あゞ、これは実に重大な秘密であるのだが、アラン、お前になら教えてもかまわない。なにを隠そう俺はかつて魔王であったのだ。叩き折ると出てくるぞ』
靴紐を緩め、半長靴を脱いで、履物に履き替えた。若干むくんだ足先に血が巡るようだ。
『それも、途方もない強大な力をもった魔王だ。ゆえに恐れられて剣に封じられたのだ』
アランはひとつ溜息をついた。
「そのべらぼうに強い魔王がどうして封じられるんだ。より強い者がいないとできないじゃないか」
『人の王もひとりではないだろう。魔王もいっぱいいるのさ』
「数に負けたとでもいいたげだな」
いって、アランは脇に手を回す。硬皮の胸当てを固定している紐をゆるませようとしたが、固く縛ってしまったせいで思うようにいかない。
「どうして白痴の剣と呼ばれている」
『持ち主がそうやって喋っていると、端から見ればまるで気狂い。だから白痴の剣なんて大層立派な名前で呼ばれるようになったのだろう』
ようやく緩んできた背中の紐。胸当てに指をかけてゆっくりと外す。
『それで、アラン。なぜお前は』
胸当てを外すと、女性らしい胸の膨らみがそこにはあった。
『女のくせに男の格好をしているんだ』
アランの体格から考えると、若干大きめの服である。ゆとりがあるのであまり身体の曲線はわからない。しかしそれでも、胸の部分は皮の胸当てがなかったら簡単にわかるだろう。
息苦しい胸当てを外し、アランはようやく人心地がつける。いつも無理に押さえつけているものだから、辛くて仕方がない。
「最初から気がついていたみたいだな。あまり女に見られることはないんだが」
『女の匂いがしたからな。一発だな』
「金属のくせに鼻まであるのか」
魔剣の鍔元の石がぴかぴかと明滅した。まるで笑っているみたいだとアランは思った。
「そんな大層な理由じゃない。父上は自分の子は勇者にすると、私が産まれる前から決めていたそうだ。母上は私を産んで女だとわかった時、反対したそうだが、あまり身体が強いほうではなく流行病であっさり息を引き取った。そんなわけで、私を男として、勇者として育てることを反対できる者はいなくなったとさ」
『はああ、それはそれは、ずいぶんと苦労をしたようだ』
「もう慣れた。不満はない」
勇者の子として産まれた。仕方がない。どうやら自分には剣の才も魔法の才もある。運命だったのだ。
『あゞ、なんという不幸な運命か。アラン、お前はもっと自分を自覚したほうがいい。顔立ちひとつとってみても、目鼻立ちが整ってる、身体も非常に女性らしい曲線を描いている。アラン、俺は断言しよう。お前は美しい。女の格好をすれば花弁に集まる蝶のごとく、男が寄ってくるだろう』
「この剣だこを見てもそういうか」
アランは手の平を魔剣に向ける。
それは凄まじかった。
各指のつけ根、指先、何度も潰したのだろう。痛ましいたこがありありと残っている。指先は指紋がなくなるほどつるりと、指のつけ根は硬くごつごつと、剣を握るために最適な手へとなっていた。
『これはなかなか、一端の戦士でもそうはいないほどの剣たこだ。誇るがいいぞ』
アランは自嘲するように笑った。
自分の手の平を見つめると、昔を思い出す。よくロレーヌ様に拙い治療をしてもらったものだ。隠れて城を抜け出すのはお止めくださいと何度もいっても、聞いてはくださらなかった。町外れの鍛錬場、ほんのわずかの休憩時間の間、手を握ってくださった。ロレーヌ様の手の温かさが強く記憶に残っている。
ぼうっとしていたせいか、手が青白く光りだす。魔力が漏れ出しているようだ。アランはついでといわんばかりに魔法の鍛錬を始める。
拡散していた光がある一点に収束し、手の平の上を動き始めた。生命線をなぞるかのようにゆっくりと動いたかと思えば、速度を早めて回転をしたりする。
『おゞ、器用だ』
「長いことやっているからな」
光の粒を球状から楕円に変化させているところで、扉が叩かれる。アランの手の平にある光は散っていった。
「アラン、アラン。いるのでしょう。わたしです」
「ロレーヌ様、ですか」
静かに扉を開いたロレーヌは、立ち上がろうとするアランを手で制す。とたとたと早足に近づいてから、苦しそうに息を吐いた。
「ああ、かわいそうなアラン。まだ十五歳の、それも女の子だというのに、なんと惨い」
「ロレーヌ様」
ロレーヌはアランの手をぎゅっと握る。それはアランの手とはまるで別物で、やわらかくて温かい手だ。絹のようにすべらかな手の平の感触に、心の奥底の緊張や不安がとき解されるかのようだった。
「本当に行くのですか」
「はい」
「豚男は大変強い魔物だと聞いています。大丈夫なのでしょうか」
『大変残念なことに、非常に危険です。これはアランとの最後の言葉と考えたほうがよいでしょう』
魔剣の言葉を聞き流して、アランは真っ直ぐにロレーヌを見つめる。そしてにこりと笑った。
「大丈夫です。絶対に生きて帰ってきます。ご心配なさらずに」
「危なくなったらすぐに逃げてください。嫌になったら途中で引き返してもよいのですよ。ちゃんと覚えていてくださいね」
ロレーヌの言い回しがなんだかおかしくて、アランはくすくすと笑ってしまった。ロレーヌの手を強く握り返す。
「はい、わかりました」
ロレーヌはこくりと頷いてから、頬をぷくっと膨らませた。
「まったくもう、お父さまとガルザスさまときたら、アランが女の子だということを忘れてるところがあります。旅の途中で男のひとに襲われたらどうするつもりなのかしら」
「顎を叩き割ってやりますよ」
「まあ、乱暴な。ふふふ」
時おり喋る魔剣は無視して、ふたりは日が暮れるまで喋り続けた。
豚男はすぐに討伐して、早く帰ろう。アランはそう思った。
女の子でした