勇者アラン
『驚いたか、驚いたよな。喋る剣なんてものはそうそうないはずだからな。しかしそれにしてもお前、変わった格好をしている。いっぱしの冒険者のつもりか。お前みたいな子どもは家に帰って親の手伝いでもしてるがいい』
矢継ぎ早に語られる声。それは軽薄な男の声のようである。
目の前の剣が喋っている。アランは間違えようのない確信を得た。声と同調するように、鍔にある黒い石が鈍く光っているからだ。
「ち、父上。魔剣が」
「どうしたアラン。なにかあったのか」
『やめておけ。俺の声はお前にしか届かない。気が狂ったと思われるぞ』
魔剣を握りながら父親の様子を窺ったが、声には気がついてないようだ。いうべきか、黙っているべきか、アランは頭の中でぐるぐると思考を巡らす。
『それにしても、久しぶりに眠りから覚めて、さてどんな者が俺を使うのかと思えば、かわいらしい子どもじゃないか。十二か、三か。戦えるようには見えないな。あゞ、残念だ、数少ない俺を使える者とようやく出会えたというのに、まったく』
アランはむっとする。そこまで子どもではない、今年で十五になった。頭の中で反論をする。
『あゞ、これは失礼した。十五か。まあ、ぎりぎり、なんとか、戦えないでもないか』
「おお、アラン。鍔のところにある石が淡く光っておるな」
喋る剣に、頭の中を読み取られ、しかもその事実が父親にまるで伝わっていない。
いくら切れ味がよかったとしても、こんな気味の悪いものを使いたくはない。
『お前は俺を使いたがらず、俺もできれば強い者に使われたい。しかし俺とお前は、かなしいことにこうして出会ってしまった。あゞ、残念だ、だがおもしろくもある。俺に選ばれるというのはそういうことだからな』
魔剣がなにをいいたいのか、アランにはひとつとしてわからない。
いますぐ祠に戻すべきなのではないだろうか。
『そうかなしいことをいうな。あゞ、なんてひどいやつなんだ、お前は。あんなところでひとりぼっち、喋り相手ひとついないようなさみしいところに、俺を置いていくというのか。お前には人の心というものがないのか。あゞ、恐しい、恐しい』
まさか剣に人の心について語られる日がこようとは、アランも思っていなかった。
それにしてもよく喋る。話し相手がほしいという魔剣の言葉も、それほど間違ってはいないのかもしれない。
『とにもかくにも、まずは自己紹介を。俺はアザトフォート、魔剣アザトフォート。別にお前がなにをしようが俺は邪魔をしない。言葉と意思を持っているとはいえ、俺はあくまでひとつの剣に相違ない。食事をすることもなければ、自分で動くこともできない惨めであわれでちっぽけな存在だ。こんなかわいそうな俺がただひとつ求めること、お前が俺をほんの塵芥ほどの小さな気持ちで同情してくれるのならば、どうか俺を使ってくれ。お前にわずかばかりの人間らしい感情があるというのなら、どうか俺の喋り相手になってくれ。頭はないが頭を下げよう、身体は動かないが平伏しよう。俺はお前にお願いする。あゞ、頼む、どうかこのとおり』
なんてやかましいのだ。四六時中このように語られては気が狂いそうになる。
ああ、なるほど。こうして人が狂っていった結果、白痴の剣と呼ばれるようになったのか。
『ははは、おもしろいうことをいう。それはそうと、名前を教えてくれないか。主となるべき相手の名前も知らないとなれば、剣の名折れ。これでは表も歩けはしない』
歩きもできない分際でよくもまあ語るものだ。
アラン、と小さく頭に浮かべる。
『アラン。あゞ、いい名前だ。それはかつての英雄の名前だな。それはたしか三百年前の話だったか。泥沼と汚泥の王と呼ばれる醜い魔王がいたのだが』
やはりあまりにもやかましすぎる。
これはもう正直に父に事情を話し、祠に戻すべきだ。
『あゞ、悪かった。許しておくれアラン。精一杯の気持ちで謝罪しよう。それでひとつ、なんとか俺を連れていっておくれ。ははは』
とにかく軽薄な空気しか感じられない声音。下手に出ているようなふりをしているが、アランにはからかわれているようにしか思えなかった。
「父上、やはり魔剣はここに安置しておくべきだと思います」
いますぐどうにかなってしまう、というわけでもないが、やはり魔剣はあまりに不気味。祠に安置されていた意味を考えても、危険なものに違いない。アランは真剣な表情でガルザスにいった。
「はっはっは。なにをいうかアラン。せっかく魔剣に選ばれたというのに、軟弱なことを。その魔剣はぜひお前が使うべきだ。いやぁめでたい。さっそく帰還し、陛下にご報告せねば。魔剣の切れ味もぜひ見てみたい」
そういってガルザスはどすどす足音を立てながら、出口へと向かっていく。
『こんなことをいいたくはないんだが、お前の父親、あまり頭がよくなさそうだな』
アランはひとつ舌打ちをしてから、ため息を吐く。
肩を落とし、頭を振り、もうひとつため息をついてから、しぶしぶと父親の後を追った。
アリーハ王国はレフガルド大陸で一番の大国である。広大な領地のいたるところでは、大麦や小麦などの農作物を育てている。山脈では良質の鉄鉱石が産出されるので鋳鉄技術も高い。気候も穏やかで、人々が健やかに暮らすには十分な大地の恵みがあった。
その大国の中央にある王都にアラン達は帰還する。
アランの父ガルザスは国王のみならず、王国の民達からも絶大な信頼を得ていた。魔王を倒した勇者となれば、それも当然の話だ。
魔王が倒されて二十年、昔と比べれば平和な世となっていたが、魔物はまだまだ存在する。魔王と呼ばれる者がまた現れるかもしれない。そんな思いから、自分の子を次代の勇者として育て上げた。
そのような理由もあり、アランたちは王宮の出入りを許されている。今回の旅の成果を王に報告するために、ふたりは玉座の間へと向かった。
磨き込まれた大理石の床に、真紅の絨毯が真っ直ぐに伸びる。絨毯を踏み締めて歩けば、玉座は目の前だ。
「陛下、帰還いたしました」
ふたりは跪く。父親が低い声を出すのを聞いてから、アランは顔を上げた。
席はふたつ。右の席にはアリーハ王国の国王が座り、その左にはロレーヌ姫が座っていた。アランはじっとロレーヌを見つめる。するとロレーヌはそれにすぐ気がつき、にこりと微笑んだ。辺りに花が咲いたかのような、ほがらかな笑み。アランはロレーヌの笑顔が大好きだった。
純白の貴服は襟ぐりが広く、ロレーヌの首回りの肌を露出させている。裾はゆったりと広がっていて、足元を隠していた。今日のお召し物も、複雑な編み込みが大変似合っていて美しいとアランは思った。
「アラン、アラン」
ふいに父から声をかけられ、アランははっとする。
「はい」
「お前の背にある魔剣を陛下にお見せするのだ」
どうやら父と陛下は魔剣アザトフォートの話をしていたらしい。アランは背中に提げたアザトフォートを一度床に下ろし、身体に固定するための紐を解く。それがおわった後、鞘ごとアザトフォートを掲げた。
「こちらです」
国王は小さな感嘆を上げたあと、じっと目を凝らす。顎鬚を撫でつけてから、しわがれたくちびるを開いた。
「これが噂の魔剣であるか。想像していたよりもずっと質素なものであるな」
『質実剛健といってもらいたいものだな』
アザトフォートはこうやって突然喋り出すことが多い。初めのころと比べれば、大分大人しくなったようだが、それにしてもよく喋る。
アランは王都までの道程でずいぶんと慣れたので、ぴくりとも反応しない。
「おお、なんと。鍔元の石が淡く光りおった。儂の声に反応しておるのか」
『実は喋る剣なのだ、と教えてみたらどうだ』
軽口ばかり叩くこの魔剣を窓の外にでも放り投げてやりたい。そのように思ったが、切れ味と軽さだけは本物のこれを粗末に扱うわけにはいかない。アランはひとつ溜息をついた。
「切れ味のほどは、どうなのだ」
王は目を輝かせながらアランに訊ねた。すると答えたのがガルザスである。
「お見せいたします。おい、アラン」
ガルザスは荷袋から、一本の薪を取り出した。人の腕ほどもある太さである。
父のやることを把握したアラン。速やかに立ち上がり、魔剣を鞘から引き抜いた。
軽く素振りをした後、一呼吸置く。
ガルザスが薪を宙に放り投げた。
アランは一度、二度、魔剣を振うと、三つにわかれた薪が絨毯の上に転がった。
「おお、見事なり。なんと軽やかに斬れるのだ、すばらしい」
素直に感心をする王。しかし感情が昂ってしまい、思わず咳をしてしまう。歳を六十ほど数えるようになって、王の喉はずいぶんと弱くなっていた。玉座の横に備えつけられている卓にある杯から、水を飲んだ。
王が水差しで杯に水を注いでる間に、ロレーヌがアランをまっすぐに見据え、聞いた。
「アランさま。その、それは、魔剣なのでしょう。お身体の調子はどうでしょうか」
『おゞ、あのお姫さま、誰かさんと違って、顔だけではなく声もかわいらしいな。やはり女はこうでないと。なあ、アラン』
アランはわざとらしく咳をして、ロレーヌに答える。
「身体の調子はなにも問題ありません。お気づかいありがとうございます」
『身体はよくても心の調子が悪いとでもいっているようだな。あゞ、アラン、俺はかなしいよ』
「そう。それはよかった」
自分ひとりだけに聞こえる声のせいで、この場での会話が大変辛かった。魔剣への返事をうっかり声に出してしまいそうになる。
もう陛下にお見せするのは十分だろう。アランは魔剣を床に置いた。ほんの少し力を入れてやったので、ごつんと音を立てる。
『できれば丁寧に置いてくれないか、ご主人さま』
魔剣の言葉は無視して、アランは前を向いた。とにかく、今回の旅の成果の報告はおわった。アランとガルザスは王の言葉を待つ。
しかし王はなかなか言葉を発しようとはしない。なにやら声をくぐもらせている。
「陛下」
ガルザスが短かくそういうと、王は頷いた。
「いや、すまぬ。旅がおわったばかりのそなたらに、いうべきかどうかを思案しておったのだ」
なにか重大な案件でもあるのかと、アランは耳を澄ませ、父と王の言葉を待つ。
「陛下、お構いなさらず。我々はこの国に尽くすために生きているのですから」
「ふむ、ならば伝えよう。東の村からの書状である」
王は一枚の紙を取り出した。
「どうやら近隣の森に豚男が住み着いたらしい」
「なんと、豚男ですか」
アランは王立図書館にあったレフガルド魔物大全を思い出した。豚男とは、森を住処にする豚顔の魔物。身体は巨大で力も強く、指先も器用なので武器を作って手に持つものも多いらしい。ただし魔法はからっきしなので、近づかなければ危険はないとのこと。
「現在においては、被害らしい被害はないといっておる。人が襲われた、建物を壊された、といった類のものだ。ただしかし一点、狩人たちからは鹿や猪が獲れなくなってしまったとの報告がある」
「なるほど」
「早めに対処をしなければ、とは思うのだが、どうだろうか。我が王国の兵士を使い、討伐に向かってもよいが、豚男はなかなかに強き魔物と聞く。ある程度の被害は出るだろう」
「陛下、お任せください」
やはりというべきか、父ガルザスは力強くそういった。
旅がおわった直後にまた旅とは珍しい。魔物を討伐するのは勇者としての義務であるから従う他ないが、アランの正直な気持ちとしては、王国でもう少しゆっくりしたかった。
仕方がない。父は常に正しい。自分はそれに従っていればいい。
いつも通りのふたり旅か、と思っていたアラン。しかし父の次の言葉には驚かされた。
ガルザスはアランの肩を叩きながらいった。
「アランひとりにて、豚男を討伐いたしましょう」
王と姫は目を見開いた。
「まことか。いや、しかし」
「アランなら見事討伐を成功させるでしょう」
「お待ちくださいガルザスさま。アランさまはまだ十五歳の」
「ロレーヌ様。自分も十五歳からひとり旅を始めたのです。それに名剣が手に入った。よい機会でしょう」
ガルザスは熱い視線をアランに注ぐ。
「できるな、アラン」
豚男とは戦ったことがない。自分にできるのだろうか。
いや、違う。アランは首を振った。
できるできないではなく、やるのだ。なぜなら自分は勇者の子として産まれたのだから。産まれてしまったからには、その時その瞬間から義務と責任がまとわりつく。そしてそれを果たせるだけの研鑽を積んできたはずだ。
『ははは、これはおっかない。子どもに豚男を討伐させるのか。下手をしなくても死んでしまう。アラン、あゞ、アラン。これは忠告だ、断わったほうがいいと俺は思う。少なくともひとりでやるべきではない。利口で賢いアランなら俺のいうことがわかるだろう。さあ、アラン』
「できます。お任せください」
アランの凛とした声が響く。
「アランさま、ですが」
「お任せください」
『ふふふ、かわいいやつだ』
ロレーヌの潤んだ瞳がアランの姿を映す。真面目、と呼ぶにはやや無機質に感じるその表情が、逆に心配だ。しかしアランの決意は固い。ロレーヌは両手の指を組み、靜かに顔を伏せた。
『おや、あのお姫さま、泣いているように見えるな。アラン、いいのか』
「さすがアラン、さすがは英雄ガルザスの子よ。この日よりそなたは正式に勇者を名乗るがよい。今日はひとまず我が王城にて充分に身体を休め、明日の朝旅立つのだ。それまでにアリーハ王国正式の委任状、および国章を授ける。旅の間に役立つこともあろう」
「うけたまわりました。ありがとうございます」
王が手を叩く。すると侍従と思しき者たちが現れた。
「さあ、さあ、ふたりの勇者を客室へ案内するのだ。失礼のないよう、充分なもてなしをしなさい」
侍従がアランたちに近づいた。こちらへ、と小さな声で伝える。アランたちは立ち上がり一礼をしてから歩き出した。
アランは玉座の間を抜けてから、ちらりと見たロレーヌ姫のことを思い起こす。両手で顔を覆う姫はたしかに震えていた。
アリ◯ハン…