親と子
跳ね橋を渡り、門を抜け、アランはまっすぐと王宮へと歩いていった。
街路を歩く者、露天を営む者、警備をする衛兵やおつかいをする町娘など、およそありとあらゆる立場の者が、アランを凝視する。
村娘の服に、魔剣。
本来ならばありえない組合せのせいもあるだろうが、やはりアランは有名なのだ。そのアランが女装をしているということが注目を集めていた。
女装をして歩く。それはアランにとって裸で歩くのとさして変わらないほどの羞恥を覚えさせた。これほど視線を集めることなど、アランの経験にはない。足が速くなるのも道理だ。
街路をまっすぐ進んで、王宮へ。衛兵に豚男討伐の報せをすると、控えの間に案内される。
立派な調度品を揃えたこの場で、アランは長椅子に座り、紅茶をいれてもらう。小麦を砂糖と混ぜて、乳脂で焼き上げた茶菓子も用意されている。
いま、謁見の準備がされているのだろう。
王と、姫と、父が揃い、結果を報告する。
緊張からか、アランの舌の根が渇いていった。
ひとつ息を吐き出して、紅茶を一口飲む。鼻の中を抜けていくすばらしい香りが、アランの緊張を少し和らげた。茶菓子に歯を突き立てれば、さくりとした軽やかな食感と、甘くて香ばしい風味が広がっていく。
とんとん、と扉が叩かれる。
いよいよである。
「アランさま、準備が整いました」
「はい」
兵士に返事をしてから、アランはすみやかに立ち上がる。
そして部屋を出て、廊下を歩いていった。
「失礼、します」
玉座の間には、王とガルザス、ロレーヌがいた。
アランは扉をくぐり、絨毯の上を歩いていき、玉座の前へ
魔剣を背中から下ろし、静かに床へと置いた。
跪くアラン。しかし三者は言葉を発さない。
三人は大げさに思えるほど、驚いている。
王は顎が外れんばかりに口を開けていた。
ロレーヌは口元に指先をあて、目をぱちくりとさせる。
ガルザスにいたっては、両のまぶたから目玉が飛び出すのではないかというほど、開かれていた。
アランは立ち上がり、じっと正面を見つめる。
しかし、誰もが言葉を出さない。
自分から諸々の事情を話し出したほうがよいのだろうか。
アランがそう思いはじめたときである。
「アラン、なんだ、その格好は」
声をかけたのはガルザスであった。
アランの父としての責務か、はたまた、目の前の光景が信じられないのか。確かめるような問いかけである。
反応のないアランに、ガルザスはもう一度、声をかけた。
「どうして、村娘のような服を着ている」
豚男の報告より前に、服装を聞かれる。
ここからは、慎重に言葉を選ばなければならない。
「豚男との戦闘で、ぼろぼろになってしまったもので」
思わず、それらしい理由をでっちあげてしまった自分が嫌になる。
アランはくちびるを噛んだ。
変わる、変わりたい、もう自分を偽るのが嫌になったから、服を捨てたというのに、これでは以前と同じではないか。
ふっと魔剣の宝玉が目に入る。淡く輝くを見て、アランは息を飲んだ。
魔剣がいる。変われる。大丈夫だ。自分を励まし、アランは顔を上げた。
「豚男の討伐、完遂いたしました」
動揺が納得に変わり、王は調子を取り戻した。
ひとつ手を打って、アランの言葉に返事をする。
「おお、それは重畳。まこと大義であった」
「ふむ、なるほど。それほどの激戦であったのだな、アラン」
ガルザスはいまだ違和感をぬぐえないでいるようであったが、王の調子に同調するように、言葉を繋げる。
「想像以上に数が多かったもので。さらには異常種も確認しました」
「なんと、異常種までおったのか」
王は前のめりになってアランを見る。
「異常種。通常の個体よりもはるかに凶暴で強く、その種族の王になることも多いと聞く。それを、たったの一人で倒してしまったというのか」
興奮からか、王は咳をいくつかしてしまう。
玉座の横にある卓から白磁の杯をとり、水を飲んで喉を潤したようだ。
「はい」
言葉に偽りはない。
ただ、運がよかっただけとも思える。
魔剣がなかったら間違いなく死んでいた。
アランはなにやらおかしい気持ちになった。
喋る魔剣を使って倒したのだ。一人でやりとげた、というのは少し違うかもしれない。
魔剣の言葉がなかったら、負けていただろう。
「そうか、そうか。すばらしい成果だ。異常種という未曾有の危機にも発展しかねない脅威に対し、アラン、お前は見事に任務を完遂した。本当によくやった」
ガルザスのその言葉を聞いて、アランはわずかに緊張を強める。
いいにくい雰囲気だ、と思った。
成果を出してしまったぶん、難しくなるかもしれない。
「よし、なにはともあれ、さっさと着替えをすませるのだ。それは勇者には似つかわしくない」
いよいよである。アランはごくりと唾を飲む。
やはり父は、自分を勇者としてしか見ていないのだろうか。
揺れる思いは決意に変わり、言葉は自然と口に出た。
「いえ、結構です」
父をじっと見すえ、はっきりといった。
「この度の討伐で、自分の気持ちに気がつきました。私は勇者に相応しくありません」
語尾は余韻を残しながら、消えていく。そしてこの場は静まり返った。
アランのいった言葉を、何度も反芻するように、ガルザスはまじまじとアランを見た。
アランの瞳は澄み渡り、力強い意思の力さえ見てとれる。
ガルザスの心臓は激しく脈打ち、全身を熱くさせる。
嵐の前の静けさである。意味を完全に理解したとき、ガルザスの内側から溢るるは、強い熱であった。
ガルザスは玉座の横にある卓の前に歩き、一言。
「失礼」
卓に置かれた陶器の杯を手にとると、中身を一気にあおった。ガルザスの喉に流しこまれた冷水が、ほんの少し、冷静さを取り戻させる。王とロレーヌは、ガルザスのあまりの動揺を、固唾を飲んで見守るしかなかった。
ガルザスはひとつ息を吐き出して、ゆっくりと口を開いた。
「アラン、アラン。俺の聞き間違えだとは思うが、いま、なんといった。その言葉の意味を、もう少しいってみろ」
緊張の一瞬。
アランは覚悟を決める。
ガルザスとしっかり目を合わせて、いう。
「勇者を、やめます」
「アラン」
怒気を孕んだすさまじい声音である。
ガルザスのこめかみにはいくつもの太い血管が走っていた。
「お前はいま、勇者をやめるといったのか」
「はい」
「やめる、やめる。気を違えたか。勇者とはそのようなものではない。いうなれば、義務だ、そして責任だ。力あるものはその力だけ、相応の働きをしなければならない。救える命を、守れるものを、放り出すことなど許されぬ」
諭すような口調ではあったが、音の響きは稲光のようである。
アランの意思を雷光によって粉砕しようという意図がはっきりとしていた。
思えば、アランが父に逆らったことなど、ただの一度とてなかった。それが正しいと信じていたし、自分の考えなどたいした意味などないと考えていた。答えはいつでも父が与える。ならばそれに従えばいい。
そう思っていた。しかしいまは違う。
「私は、ただのアランとして生きたくなりました。お許しください」
ガルザスが持つ杯が、すさまじい音を立てて砕け散った。
握り潰され、粉々になる。
飛び散った破片の一部が王の膝元に飛ぶと、王は怯えるように足を浮かす。
ガルザスの手の平から、ぽたぽたと血が流れ出す。大理石の床に、小さな赤い水溜りを作った。
「アラン、アラン。思い出せ、積み重ねた努力を、研鑽を。研ぎ澄まされ冴え渡る剣の技は、なんのためにある。天と大地に触れ感覚を身につけた魔の術は、かまどの火をおこすためのものなのか」
ガルザスは歩みだし、アランの目の前まで迫る。
血の滴る手で、アランの胸元をつかむと、力任せに上げた。
凄まじい膂力である。丸太のような剛腕で持ち上げられたアランは、爪先立ちのような格好になった。
全身から震え上がる。剥き出しの怒り。そのあまりの剣幕に、理性が飛んでしまいそうだった。
「ち、父上」
「いってみろ、アラン」
やさしい父ではない、とは思っていた。だが、尊敬できる父だ、と思っていた。
しかし、いまアランの瞳に映るそれは、悪鬼と呼ぶにふさわしいものだった。
「お許しください、お許しください」
アランは目をそらすが、瞬間、つかまれた胸元に力を入れられる。
「手の平に血豆を作り覚えた剣技を、森に篭り体得した魔術を、捨てるというのか。王国中を探したところで、お前ほどの技を身につけたものなど、数えるほどしかいない。考えろ、アラン。お前のいっている言葉の意味を。そして考えなおせ」
「嫌です。父上、もう」
「そうか、よくわかった。ならば俺自らお前に教えねばなるまい。さあ剣を取れ、そして思い出せ」
剣といわれ、アランは思わず魔剣を一瞥した。
父と戦えというのか。そうしなければならないのか。
考えた瞬間、身が震えるような寒気が走る。
勝てるわけがない。そして、父と戦うなど、やりたくない。
自分はただ、勇者という仮面を取り払いたいのだ。
積み重ねられた偽りの顔を、捨てたいのだ。
修行など嫌で仕方がなかった。血を見るのも嫌だった。
なによりも、孤独だった。
勇者としての責任をガルザスから押しつけられたアランには、自由などほとんどなかった。剣技の鍛錬に、魔術の鍛錬に、魔物の生態や一人旅に必要な知識、それらを詰め込まれるだけの人生だった。城下を走る子どもの声が耳に入るたび、なんともいえない気持ちにさせられた。
勇者でない自分は父にとって、なんの意味もないのか。自問するたびに、胸を締めつけられるような鋭い痛みが走る。
いまならわかる。自分はがまんをしていた。
勇者になどなりたくないのだ。
私は私だ。父の操り人形じゃない。
もう父のいうことなど聞くものか。
「ああ、違う。そうか。なんということか」
ガルザスはアランの胸元から手を離す。
呆けたように視線を中空へと漂わせた。
支えを失い、膝をつくアラン。
けほけほと咳をしてから、ガルザスを見上げる。
目が合った、と思った瞬間、ガルザスの手が伸ばされた。
「魔剣アザトフォート、うわさはまことであったのだな」
ガルザスは床に横たえられた魔剣を、震える指でつかむ。
「アランを、俺のアランを、おかしくしてしまったのも、全て」
刹那、ガルザスは魔剣を力任せに放り投げた。
くるくると回転しながら投じられた魔剣は、窓硝子にぶつかり、鋭い音を立てて消えた。
ガルザスが微笑んだ。頭を悩ませていた膿を抜き去ったかのような、晴れやかな表情である。
「さあ、アラン。件の魔剣は消えて去った。これで元のお前に戻ってきてくれるだろう」
やさしささえ含んでいる声。
しかし、アランにとってははや恐怖しか感じられない。
父の笑顔に思わず身震いをしてしまい、アランは無様に後ずさった。
魔剣、魔剣アザトフォート。
それが飛んでいってしまった。
わずかに燻っていた不安がアランを満たす。
もしや父のいうとおり、自分はおかしくなってしまったのだろうか。子どもじみたわがままを、この歳になっていってしまったのか。
瞳からはぽろぽりと涙が零れ落ちる。アランはガルザスと距離を取るように、腕を顔の前で交差させた。
どうして、どうして、こんなことに。なにが間違っていたのだろうか。
静まる部屋に嗚咽が響いている。
「泣くことはない。なに、すぐに元のお前に戻れる。聡明で、冷静で、賢く気高く、そして強いお前に。それは一時の感情だ。感傷にすぎない。すぐにでも勇者という偉大な役割を欲するようになる。勇者にしかこの世は守れず救えず、その重大な義務を任されたことによる喜びに」
「黙りなさい、ガルザス」
言葉を遮ったのは、ロレーヌ。
眉尻は上がり、眉間にはしわがよっている。たおやかでおしとやかな気性のロレーヌが初めて見せる表情であった。
その場の誰しもが驚いた。凛と響く声音もその要因ではあったが、口調、というより全身から発せられる確かな怒りが、普段のロレーヌの印象とあまりにかけ離れていたからだ。
動揺はあったがガルザスも勇猛で知られる男である。一度世界を救ったという経験も、ガルザスの人格に強く影響していた。正しさに対する絶対的な自信である。
「これはこれは、ロレーヌ様。いったいどうしたのでしょうか」
「もう一度いいます。黙りなさい。そして落ち着きなさい。あなたはいま普通ではありません」
いって、ロレーヌは立ち上がり、静かに歩き出した。
特別気取った様子はないのに、優雅な足運びである。
ロレーヌはアランの前で跪き、そっと抱き締めた。
「アラン、ああ、アラン。よくいってくださいました」
回された手は、子どもをあやすように、背中を何度もさすった。
アランはしばし困惑した。なにが起きているのか、よくわからなかった。が、しかし、背中から伝わるやさしい熱が、徐々に緊張をときほぐす。いまはただこの感覚に浸っていたい。心からそう思う。
「ずっと、我慢していたのですね。わかります、わたしにはよくわかります。アランの辛そうなところを、昔から見てきたのですから。正直にいってくれて、とてもうれしいです」
「ロレーヌ様、下手な慰めはお止めください」
アランを慰めるロレーヌに、怒りを含む目を突き刺したのはガルザスだ。
「お若く、魔王の脅威を知らない貴方様にはわからないのかもしれませんが、だからこそはっきりといいましょう。危機に直面したとき、後悔をしても遅いのです。だからこそ自分は脅威に対する備えとして、アランを鍛えてきたのです」
「魔王など、いないではないですか」
ロレーヌの言葉が響く。
「魔物も、獣も、人も、いわれるほどに違いなどないように思います。ただただ自分たちの幸福を求めて、あるいは居場所を守るために、争っているだけなのではないでしょうか」
「実際に脅威を体験していないからそんな考えになるのです」
「それをアランに押しつけるのは筋が違いましょう」
アランを抱き寄せながら、ロレーヌはいった。
この場で一番に困惑しているのは、王である。信頼するガルザスは荒れに荒れ、愛用していた白磁の杯を粉々に砕かれた。娘も娘でアランを庇い勇者をやめさせようとしている。なにより自分の外で行なわれるやりとりに、幾許かの疎外感もあった。
王はおほんと、わざとらしく咳払いをして、言葉を放つ。
「まあ、まあ、落ち着きなさい。たしかに魔王の脅威は去った。が、しかし新たな魔王が生まれないとも限らない。ゆえに備えは必要で、事実アランの剣技や魔術の腕にはすさまじいものがある。儂としては是非ともその力をこの王国に生かしてほしいと思うのだが」
威厳を取り繕って発した台詞は、ロレーヌによってさえぎられた。
美しいが窮屈な靴を、ロレーヌは脱ぎ、実の父に投げた。
王の顔面に靴底がめりこみ、間抜けな呻き声がもれる。
「ロレーヌ様、おいたがすぎましょう」
ついでにガルザスの顔にも靴が飛んだ。
「さあ、いきましょう、アラン」
ロレーヌはアランの手をとって、立ち上がらせる。
目の前の光景、やり取りに、すっかり心を奪われて、涙はとうに枯れていた。
「わからずやの大人たちなんて、ほうっておいて、さ」
強く握られた手が、ぐっとひかれ、そのまま玉座の間を出ていた。




