服を脱ぐ
アリーハ王国の王都は、円形の城下町であった。中央に位置するのが城であり、そこから放射状に貴族の邸宅、職人の工房、市民の家と立ち並ぶ。ぎゅうぎゅうに詰まった建物を、そっくり石壁で囲い、外敵の襲撃に備えている。
その構造上、門から城までは一本道である。広い中央街道は人通りも多く、露天を開く者や、荷を運ぶ者、工房に商品を依頼する者などでごった返すのが通常だ。
門の正面にあるのは跳ね橋で、そこを抜ければ、通行税をとるための役場がある。ここで出入りする人々を検査し、問題がない者だけが、跳ね橋を進み、門をくぐれるのだ。
荷馬車で乗りつけた街道商人は、商人専用の役場へ。徒歩で歩いてきた近隣の農民や旅人は、徒歩専用の役場へ。身分ある者は貴賓者専門の役場だ。
役場は、簡単な天幕と、机に椅子で構成される。監査人が椅子に座り、卓の上には書類と筆記具、椅子の後ろには通行税を保管するための金庫があり、そこには衛兵が立つ。これがごく普通の役場であるが、貴賓者専門の役場は少し違う。
天幕に机に椅子、全ての物がしっかりと作られ、通行税はとらないので金庫はない。ただ、ひまそうな監査人と衛兵がいるだけだ。
その役場へ向かったのがアランである。
自分の姿に恥ずかしさを感じてはいたが、役場を通らずに門をくぐることはかなわない。少しゆっくりとした速度で、役場へと向かっていく。
そのアランを見つけて驚いたのが衛兵である。
先程までひまそうに欠伸などをしていたが、アランを見かけた瞬間、びくりと震え背筋を伸ばす。
通常、高貴な方々が王都へと訪れるとき、先触れがあるのが当然だ。ゆえに前触れなく誰かがくることなどまれで、そういう意味で驚いてしまうことは多い。
しかし、衛兵が驚いた理由はまったく違う。
まずは困惑。あんな格好でここまでくるとは、何者だという疑問。
そして驚愕。特別なはからいでこの高級役場を通ることを許された、数少ない人間だということの理解。
いや、そうではない。ことはもっと単純だ。
衛兵は覚えていた。アランが旅立ったときの服装を。
紺色の旅人の服に、硬皮をなめして作った胸当て。そこから大きめの外套を羽織り、馴染みの半長靴でしっかりと歩いていった。
腰には短剣、背中にはうわさの魔剣。アランの父であるガルザスとは違った雰囲気をもっていたが、勇者の風格を充分にまとった、凛々しいアランの姿。
いま、アランは、それらの服を、なにひとつとしてまとっていない。
旅人の服も、胸当ても、外套も半長靴も、短剣でさえも。
あったのは、背中に背負った魔剣のみ。
魔剣アザトフォート。
別名、白痴の剣。
衛兵はいくつかの魔剣のうわさ話を聞いたことがあった。
まさかそんな、うわさは真実であったのか。
などと冷静になれるはずもない。
衛兵はアランから目を離せなかった。
恥ずかしそうに、少しうつむいて歩く姿。
ほっそりとした首筋、なだらかな肩、大きな胸に、きゅっと締まった腰。
ただ美しいだけではない。ただ歩いているだけだというのに、そのたおやかな仕草のなんと可憐なことか。
そして、胸である。
これほどの大きさの娘など、そうはいない。
衛兵としての職務と、勇者となった者への尊敬。そういった理性を総動員してようやく荒れ狂う本能を押し止めることができた。
しかしこれは、あまりに目の毒。
なぜこんなにも心を魅かれるのか。
あの生真面目な青年が、初心な小娘になった落差だろうか。
アランは女性である、という話も聞いたことがあったが、まさかここまでかわいらしい姿とは思っていなかった。
あれほど育った果実を隠していたとも思わなかった。
心を揺らしたのは衛兵のみならず、その場にいた者のほぼ全てであった。大なり小なり、驚きの度合いが違えど、みながアランを見つめていた。
アランの内心はひどく荒れている。
恥ずかしい、やらなければよかった、という気持ち。
勇者じゃない、いまは自分だけを見られている、という気持ち。
アランは胸に手をあて、深呼吸をする。
いや、決めたのだ。自分でやると、父にいってやると。
ひとつ息を吐き出して、アランは貴賓者専門の役場の前へ。
頬を赤くしながらも、堂々と立った。
勇者など、勇者の服など、もう二度と着ない。
私は裸のまま生きていくんだ。
困惑する衛兵をじぃっと見つめ、口を開く。
「アランです。すみません、書状は無くしてしまいました」
「え、あ、ああいや、大丈夫です。アランさま本人であることを疑ったりはしていません」
「そうですか。では」
「あ、お待ちください、ええと、その、ひとつだけ」
「なんでしょう」
「なぜ、服装が変わっているのでしょう。町娘が着るような服に」
アランは旅人の服も胸当ても外套も半長靴も短剣でさえも無くしていた。その代わりに、町娘が好んで着るような布の服に、胴衣と前掛け、靴も無骨な半長靴ではなく、まるっこい浅靴である。裾を上げれば、くるぶしが見えるだろう。
「豚男との戦闘が思いのほか激しくなってしまったので、ずたずたになってしまったのです。村で事情を話し、服を譲っていただきました」
衛兵は納得するように、手を打ち、何度もうなずいた。
「なるほどなるほど、それは大変失礼しました。激戦であったのですね。お疲れさまです」
「いえ」
そしてアランは通り抜けようとするが、ふと思いいたって足を止める。
くるりと振り返り、衛兵をじっと見た。
「ど、どうなさいましたか」
「ええと、その」
もじもじと身体をゆらすアラン。
「この服、どうですか」
布をつまんで、裾を少しだけ上げる。
すると、足首の肌がちらりと露出した。
「た、大変似合っております!」
衛兵はなぜか直立不動の敬礼で返した。
アランは少し不思議そうにしたものの、にこりと微笑む。
「ありがとうございます」
そしてアランは布をつまんだ指を離す。
つやつやの艶やかなくるぶしが布に隠れる。
衛兵はそれをなごりおしむかのように、ほうっと息を吐いた。
衛兵の反応があまりにも過剰で、アランは恥ずかしくなった。
、頬を赤く染め、顔を両手で隠しながら、小走りで吊り橋へと去っていく。
そんなアランの背を見続ける衛兵。
それは誰にも聞こえないほど、小さな声。
「俺は、恋を知ってしまった」
ぶふぅっ、と吹き出す音があちこちで鳴った。
小さな声なのだといったら、小さな声なのだ。
時は少し遡り、アランが森から村へと帰っていったころである。
ぼろぼろだった身体は不思議と回復していた。服はずたずたで、泥にまみれ、血がこびりついているような惨状ではあったが、心は晴れやかである。
魔物に遭遇することも、道に迷うこともなく、アランはまっすぐ村へと帰ってきた。
なにはともあれ、村長に報告をせねばならない。そう思って歩いているときである。
森をずっと見つめていた者がいたのだ。
それはアランを見つけると、とたとたと走っていき、アランの目の前に立つ。
ぜいぜいと息を吐き出しながら、なんとか声を出す。
「お、おかえりなさい、アランさまっ」
それは村で初めて喋った、おさげ姿の村娘である。
栗色の髪と、愛嬌のある表情。不器用ながらも一所懸命に案内をしてくれた姿をアランは思い出す。
彼女は心配してくれたのだろう。表情には安堵があった。
「ただいま戻りました。遅くなってしまい、申し訳ありません」
「いえ、いえ、いいんです。お怪我はないですか、ああひどい汚れ、服もそんなになっちゃって、なっちゃって、て?」
アランの全身を確認するようにあちこち目線を動かす村娘。
その目線が、胸へと辿り着くと、ぴたりと固まる。
「え、え? なんで、なんで、勇者さまに」
村娘は手を伸ばし、アランの胸をわしずかみにする。
もみもみ、もみもみ。配慮はあるが、遠慮のない動きだ。
「あ、いえ、その。私は女だったのです。すみません」
「え、うそ、やわらかい、おっきい」
もみもみ、もみもみもみ。配慮すらなくなってくる。
「ええと、そのう」
「ゆ、勇者さまが女の子です! おっぱいもおっきい! なんでぇええ!」
村娘の絶叫は、村中に響いた。
何事かと騒ぎを聞きつけた人々が集まってくる。
村人は少し距離をとりながら、こちらをちらちらと見ていた。
「ああ、たしかに女だ」
「うちのとそう変わらないくらいの娘だったんだなぁ」
「よく見たらすごいかわいいし、あとおっぱいすごい」
村娘のほうは、なぜかえぐえぐと涙を流して、アランに抱き付いた状態だ。
汚れた状態で申し訳がないとは思ったが、アランが頭を撫でると少しづつ落ち着いてくるようだった。
そんな状況で、村長がのそのそと歩いてくる。
アランと村娘を交互に見やるが、理解を諦めたのか、村娘を無視して話しかけてきた。
「これはこれは、勇者さま、大変な戦いであったようですね」
「ええ、はい。でもご安心を。豚男は全て倒しました」
その言葉に、村人たちが歓声を上げる。
手を叩く者、飛び上がる者、くるくる回っている者。
いささか困惑するほどの喜びようである。
「まことに、まことに、勇者さま、ありがとうございます」
「いえ」
気がつけば村娘は泣きやんでおり、アランの胸に顔をうずめていた。
「あ、これはこれで、なにかに目覚めそう。そうだよね、愛されあれば」
どう対応していいのかまったくわからない。
わからないことは無視することにした。
「本当に、このたびのことは、感謝のしようもありません。村の長として、アランさまにはいかようなお礼もいたす気持ちでございます。さあ、さあ、いかがいたしましょう。勇者さまがそのようなご趣味をお持ちなら、ええ、はい、娘の一人や二人、いや村中の娘を」
「いえ、お待ちください」
変な勘違いをされても困る。アランはあわてて首を振る。
アランは少し考える。豚男との戦いは、いうなれば仕事だ。
感謝は王に捧げるべきで、褒美は王からいただくのが筋というもの。
いや、しかし、そうだ。
王都ではむずかしいかもしれない。
ならばちょうどよいのではないか。
「では、すみません。ずいぶんと汚れてしまったので、湯をいただきたいです。それと、このように服がぼろぼろになってしまったので、代えを譲っていただきたい。衣服は財産であり、希少なのはわかっています。必要な額を教えていただければ、後日、必ずお返しいたしますので、どうか」
「ああ、なにをいいなさるか。どうしてお金などをいただけると思うのですか。服などほしいだけ持っていってください。なんならこの場で選んでいただければ、すぐに脱いでお渡しいたします。いいかみなの者、不満はないか!」
村人はさきほどと同じように、歓声を上げる。
いや、服を脱ぎ出している者さえいた。
「いえ、お待ちください」
「はて、なんでしょう」
「その、こういう服があれば、着てみたいのですが」
村長は不思議そうな顔をするが、それでも笑顔でうなずいた。
全て準備いたします、と力強い返事だ。
「わー、すごーい。腰がこんなに細くって、はー」
「ねえねえこっちの刺繍のほうがかわいくないかな」
「いっそのこと浅靴がいいかな。ほら、こうやって歩いてさ、ちらっとくるぶしなんかが見えたら、男なんかころっといっちゃうよ」
身を清めたアランは、村長に準備された部屋へといった。
絶句である。姦しいとはまさにこのことか。
年頃の娘が着るような服、それを村中から集めたようだ。
服のみにあらず、靴、小物、めずらしいものだと香水などもあった。
それらを持ち寄った娘たちが、アランを囲み、なにが似合うのか、どれがかわいいか、それぞれが喋っている。
まったくついていけないアランは、立って服を合わせられたり、髪をいじられたり、椅子に座って靴を何足も試されたりと、大変いそがしかった。
高貴な方々のお遊びに、着せ替え人形というものがあるが、アランはまさにそれになった気分だ。
目をぱちくりさせるアランのとなりにいるのは、栗色おさげの村娘である。
ちなみに湯を沸かしてもらったあと、身体中のすみずみまで彼女に洗われていた。
やけに胸を丹念に洗われたような気もする。
「アランさまは、なにかこれがいいってもの、ないんでしょうか」
にこにこと笑顔でおさげの村娘が聞いてくる。
が、しかし、この光景はあまりに予想外。
そもそも女物の服を着た経験がないのだ。
なにがよいものなのか、わかりようがない。
アランはすがるようにおさげの村娘を見つめる。
助けを求めるように、ぎゅっと手を掴んだ。
「そ、その、選んではいただけないでしょうか」
「はぇ?」
「あなたが私に似合うだろうと思ったものを、見つくろってほしいのです」
アランに頼まれた村娘は、いいのかな、という表情でまわりをうかがう。
ほかの村娘たちは、くすくす笑うだけで、返事をしない。
ただ、思っていることは、互いに伝わったようだ。
「おまかせくださいっ」
そしてびしばしと指示を出す。
「服はそれっ、アランさまの落ち着いた雰囲気と合います。腰はそれで締めて、前かけはそれ、アランさまのくるぶしはもうとってもきれいですべすべなので、おもいっきり浅い靴にしなさい。香油はあのとっておきの、春の花の香りを移したあれを足首と手首と首筋にっ。つけすぎてもお下品になっちゃうから少しずつです! ああ足首だけちょぴっと多めに、歩いたときに香りが広がってすてきになるはずです!」
あれよあれよど着飾られていくアラン。
頬がひくりとする。
「髪飾りはどうしよっか」
「いや、必要ありません。アランさまはそのままでばっちりかわいいのです」
「ちょっと腰しめすぎかな」
「これくらいのほうが攻撃力が高いのです」
そして一通りおわると。
「まぁああぁああああ!」
「きゃああぁあああ!」
「はぁあああぅううん。ぽて」
村娘たちの迫力に、アランは言葉が出なかった。
すると、おさげの村娘が、そっと手鏡を渡してくる。
「どうぞ」
アランは自分の顔を見た。
顔になにかぬられ、髪には櫛を通されていたが、改めて見ると、まるで別人のようである。
髪は男装をしていたこともあり短いが、肌つやがよく、目鼻立ちも通っていて、自分でも驚いた。
「肌が、その」
「ふふん、村に伝わる秘伝の化粧水ですよん」
普段はずっと抑えつけていた胸は、ゆとりがある。
腰は、少し息苦しいかもしれない。
下は、折り目をつけられた腰巻。いつもの股引とはまったく着心地が違い、なにやらふともものあたりがすーすーする。
立ち上がり、布をつまんで裾を上げると、足首がちらりと見える。
「はあ、すてき」
「こんなくるぶし見せられたら、ああぅん」
「は、はしたないですぅ」
これは、女だ。
男ではありえない。
アランは初めて、女になった。
急に恥ずかしくなり、アランは顔を両手で隠す。
こんなにひらひらとしたもの、自分には似合ってないのではないか。
いや、違う。そうであったとしても、これは、すてきなものだ。
「あ、あの、みなさん」
「はい!」
顔を隠した指の隙間から、ちらりとまわりをうかがう。
聞いてみたいような、怖いような。
その気持ちからか、声は小さくなる。
「ど、どうでしょう」
なにが、ともいえない。
臆病さが出てしまう。
まわりの娘たちは、にやにやと笑うばかり。
ああ、やはり、こんなもの、自分には。
少し悲しい気持ちになった時だ。
おさげの村娘が、耳元でささやく。
「とっても似合ってますよ、アランさま。すごくかわいいです」
そしてアランは頭をなでられる。
穴があったら入りたい。とにかく恥ずかしい。
ただ、誇らしい気持ちもあった。
アランちゃんはくるぶしを野外で露出した!




