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魔剣アザトフォート


 薄暗い洞窟の中を、アランは歩いていた。左手に松明を持ち、右手は洞窟の湿った壁にそえている。不安定な足場を半長靴で慎重に踏むが、時おりぬめりとした苔に足を取られそうになる。手についた雫を砂色の外套でぬぐい、アランは足を止めた。

 松明を前方にかかげると、道が二股にわかれているのが見える。アランは振り返った。


「どちらへ、父上」


 アランの落ち着いた声が洞窟を反響した。

 アランの父親であるガルザスは、アランよりも一回りほど大きな男である。歳は四十の後半ほどで、短くかたそうな黒髪に、茶色の瞳。服装はアランと同じ紺色の旅装に、硬皮の胸当てをしている。

 いかにも逞しいガルザスとは対照的に、アランは線の細い若者であった。顔立ちは中性的で、目鼻立ちが通っている。身長は低くはないが、華奢な身体つきだ。薄いくちびるをかたく閉ざし、じっと前方を見つめるアランは、生真面目な印象を与えた。

 ガルザスは顎鬚をさっと撫で上げる。そして我が子の問いを、逆に聞き返した。


「お前はどっちだと思う」


 どちらの道が正しいのか。

 アランは分かれ道の先をじっと見つめる。しばらくして視線を落とし、左右の道、地面の状態を見比べた。

 よく観察をすると、左の道のほうが少しだけなだらかに感じられる。右の道は若干起伏がある。


「左かと」

「ほう。理由は」

「地面を比較しました。わずかに左の道のほうが、平らなように思えます」


 出入りが多ければ、洞窟の岩肌とはいえ磨り減っていくだろう。行き止まりの道を何度も往復する道理はないのだから。

 とはいえ、確証はない。人気のないこの洞窟に住まう者は魔物。魔物の考えていることなどわかりようがない。

 けっきょくは、試してみるほかない。行き止まりなら引き返し、奥まで続いていれば先へ進む。

 探索の目的である魔剣。それが本当にあるかどうかも疑わしい。なにもなくて当然で、あれば儲け物。そういう類のものである。


「なるほどな。アランのいうことだ、ひとつ試して進んでみよう」


 そういってから一歩踏み出した父を、アランは手で制す。

 その後素早く松明を前方に投げ捨てた。

 敵の気配。それは、地面に転がった松明の光にあてられて、姿をぼんやりと映す。

 正面から闇に紛れた魔物が一匹。生臭い臭いを放つ蜥蜴男リザードマンが松明を蹴飛ばした。

 アランは前方へと手をかざす。

 手の平が青白い光に包まれ、熱を持ち始める。

 中級の火炎呪文。蜥蜴男がアランへ近づくより早く、アランの手から炎の弾が飛んだ。

 人の頭ほどの大きさのそれは、蜥蜴男にぶつかり激しく燃え上がる。

 アランは走り出す。腰から短剣ショートソードを引き抜き、蜥蜴男の横を抜きざまに、脇腹を撫で斬った。

 蜥蜴男はどす黒い血液を吹き出しながら、そのまま倒れる。


「うむ。見事だアラン」

「いえ」


 アランは短剣を鋭く振り抜き、蜥蜴男の血を飛ばした。

 冷たい目で蜥蜴男を見下ろすと、ぶすぶすと白い煙が上がっている。アランは時おり痙攣するそれが、ぴくりとも動かなくなるまで目を逸らさなかった。


「少し休憩するか。俺が警戒しておく。息を整えておけ」

「はい」


 二股の道から何歩か戻り、アランは壁に身体をあずける。

 父が自分の投げた松明を拾い、消えた火を再び灯す。その作業をぼんやりと眺めながら、アランはひとり言のようにぽつりとつぶやく。


「魔剣アザトフォート」


 古文書によれば、この洞窟の奥に、それがあるらしい。偶然にも王宮の書庫でそれを見つけた父が、このたびの探索を計画した。アランは付き添い、いや、実践形式の訓練ともいえる。

 魔剣アザトフォート。その切れ味たるや剃刀の如く、されど刀身は鉈の頑丈さと重さを兼ね備える。折れず、曲らず、刃こぼれひとつしないと謳われている。

 存在そのものはわりとよく知られているだろう。あくまでおとぎ話の類としてと但し書きをつけなければならないが、実在はともかくとして、アザトフォートの名前と小話は広まっている。

 魔剣アザトフォート。別名。


「白痴の剣、か」

「うん?」

「いえ」


 アザトフォート。それがただ鋭く頑丈な剣であれば、名剣、聖剣と讃えられただろう。しかしそうはならなかった。

 アザトフォートは人を狂わす。そうまことしやかに囁かれている。

 ある者は、その切れ味に取り憑かれ、通り魔となり人を斬り続けた。

 またある者は、心を壊され、気狂いのように裸で街中を歩いていった。

 自殺をした、家族を犯した、国家転覆の指導者になった。

 えてして主人公は、真面目で、責任感があり、誠実で、すばらしい人間なのだといわれる。

 このように立派な人が、アザトフォートによって少しずつ狂っていき、やがては破滅して地獄へ落ちる。

 どのように狂うかいくつかの種類があるが、共通しているのは、破滅。


「ふう」

「どうしたアラン。魔剣が怖いのか」


 ガルザスはアランをからかうようにいう。

 アランは首をふる。


「所詮は、根も葉もないうわさです。吟遊詩人たちは、話をおもしろくするために大げさにいうことはよくあると聞きます。魔剣もそのひとつでしょう」

「ああ、俺もそう思う。いくつか持っている魔剣の中で一番酷かったのが、握っていると全身に鈍痛が広がるという程度のものだ」

「それはまた、厄介な呪いですね」

「がまんできないことはないが、いささかつらいものであった。だがまあ、そんなものもあるのかと知れて感心したよ」


 はっはっはと、ガルザスは豪快に笑う。

 剣の収集はガルザスの趣味であった。必要かそうではないか、ではなく、剣が好きなのだろう。アランはこっそりとため息をつく。

 剣そのものと、剣を振うこと、それが生きがいかのような父親。かつて勇者と呼ばれていたなどとはとても信じられない。

 魔王と呼ばれる者が、軍勢を引き連れて侵略を開始した。戦は長く続いたが、それに終止符を打ったのが父だという。

 アランの産まれる前の話だ。父はその功績をもって勇者と讃えられ、王国では特別な地位と名誉を与えられる。生活の安定した父が次に行ったのは、アランの教育であった。

 次に魔王が現れたとき、その抑止力として力を持つ者を育てようという試みである。

 自分の子は特別だったのだろう。厳しい訓練に、高い志しを持たせようとする教育。いまは冒険者の真似事までするようになった。

 アランは戦を知らない。そして魔王の脅威も知らなかった。平和な世の中で育ったのだから。

 ゆえに、いまだ父のいう、力を持つ者の義務や責任を実感できずにいる。

 アランは考えることをやめた。とにかくいまは、いわれたことをすればいい。それで父は満足する。


「アラン。休憩はもういいか?」

「はい、充分です」

「よし」


 ガルザスは松明を渡そうとする。さきほどアランが投げたものだ。

 アランは受け取ろうとして、動きを止めた。


「すみません。少し胸が苦しいようです」

「ん、大丈夫なのか」

「はい。さきほどの戦いで胸当てがずれたのかもしれません」


 アランは身体をほぐしてから、胸当ての脇にある、身体に固定するための紐を緩めた。そしてぴったりと合うように調整して、再び締め上げる。


「お前は胸板が厚いからな。はっはっは」

「怒りますよ」

「悪い悪い。ではいくか」


 アランは松明を受け取り、力強く歩き出す。




 しばらく歩き進めると、ふたりは開けた空間に出た。

 ずっと薄暗かった洞窟だったが、ここは明るい。


「どうやら岩にこびりついている苔が光っているようだな」

「はい」

「不思議な苔があるものだ」


 誰かが作った場所なのだろう。アランはそう思った。岩を平らにならし、光を確保している。それを裏づけるかのように、中央には小さな祠がある。それは石を複雑に積み上げて作られていた。

 ガルザスは祠を見つけると早足に近づく。アランは父の後を追う。

 入口に扉はなく、入ってみれば、すぐにそれはあった。

 祠の中心には台座があり、鞘つきの剣が差さっている。


「王国の古文書にある通りだな。これが魔剣に違いあるまい」


 ガルザスが遠慮なしにその剣を取ろうとする。アランはその父の無警戒をやや心配した。


「父上。なにか仕掛けがあるかもしれません。魔剣が封じられている祠ですから」

「なにもそう臆病になることもあるまい」


 ガルザスはアランの言葉に耳をかさず、台座から剣を引き抜いた。

 アランは耳を澄ませて辺りを窺うが、特に危険は感じられなかった。少し慎重すぎたのかもしれない。魔剣を封じる役割は祠よりもこの洞窟そのものにあったのだろう。そう納得した。


「む、うむ」


 剣の柄を握りつつ、なにやら呻いている父親。


「大丈夫でしょうか」

「いや、仕掛けの類ではないのだが、肝心の剣が」


 片手で柄、もう片方で鞘を力強く持ち、思い切り引く動作をするものの、剣はびくともしていない。父ほどの大男が抜けぬとは、いったい。


「むん」


 ガルザスの手の甲には太い血管の筋がいくつも流れていた。顔を赤くしながら何度も挑戦する。

 しかし。


「抜けぬ。どういうことだ」

「もしや、錆びついているのでは」

「せっかく見つけた剣がこれとは、まったく」


 ガルザスは剣をアランに渡す。


「魔剣アザトフォート。鉄を切り裂き岩をも砕く名剣と聞き、期待に胸を膨らませていたのだが、これでは無駄骨であったな」


 ガルザスは一際大きい溜息をついた。頭をぼりぼりと掻き、首を振る。


「これはこれでよいと、私は思います。魔剣アザトフォート、別名白痴の剣。恐しい災いが身に降りかかるとも聞いていたので」


 そういったアランに、ガルザスは鼻を鳴らして答える。


「気狂いになって裸で踊り出す、あるいは無差別に人を切り裂くようになってしまう、だったか。ふん。その手の噂というのは大抵大げさに語られるものだ。剣は剣だ」

「はあ」

「まあいい、帰るぞアラン」


 どすどすと足音を立ててガルザスは祠を出た。

 アランは不機嫌になった父の背中を見つめつつ、手に持つ剣の違和感に気がつく。

 まるで重さを感じないのだ。

 外装は質実剛健、飾りなどはほとんどなく、色もくすんだ銀色。鍔のところにほんのわずか、細工があり、黒色の石が嵌め込まれている。しかし、それだけだ。

 父にとっては小さいこの剣は、アラン自身にとってはやや大きいものである。今腰に提げている短剣の倍ほどの長さがあろうか。

 ならば短剣の倍ほどの重さがあって当然なのだが、ない。


「アラン、なにをもたもたしている」


 父の声にはっとして、あわてて返事をした。


「すみません。やけに軽かったもので」


 ガルザスはその言葉に怪訝な顔をする。


「軽いだと。むしろその大きさの剣にしては重かったが」


 噛み合わぬ父との会話。アランは靜かに唾を飲んだ。

 ガルザスはアランの元へ戻る。なにかに気がついたかのように、ガルザスはいった。


「おい、アラン。抜いてみろ」

「私が、ですか。父上に抜けなかったものが自分に抜けるとは思えないのですが」

「早くしろ」


 父に急かされ、アランはしぶしぶといった様子で柄と鞘を握る。そしてゆっくりと力を入れると、なんの抵抗もなく刀身は姿を現した。


「なんと」


 ただただ驚いているアラン。そんな我が子を見て、ガルザスは豪快に笑う。


「抜けた、抜けたぞアラン。よかったな、お前は魔剣に選ばれたのだ」

「自分が、魔剣に」

「しかし悔しいものよ。俺に抜けず、お前が抜けるとは。どれ、どれ、俺にもよく見せてくれ」


 刀身は美しく、己の姿も映してしまうほど磨き込まれていた。アランは魔剣アザトフォートをじっと見つめる。持ち主を選ぶ剣があるとは、それに自分が選ばれるとは。

 呆然と立ち尽すアラン。そんなアランの気持ちを引き戻したのは、突然の声であった。


『お前が次の持ち主か』


 アランは肌を逆撫でる。頭に直接聞こえてくるような声がしたからだ。アランはぐるりと辺りを見回す。


『ここだ、ここ』


 アランははっとして魔剣を見つめる。

 それに応えるように、鍔元にはめこまれた黒い石が、ぴかぴかと光った。


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