第十二章
人の思い。
人の心。
「それらは全て歪みを生み出す。そこから生まれるのが『無』だ」
フローはライファの手を強く握る。
「元居た世界というのは、人の心の中だ。そこに帰れば、痛みや辛さを感じなくて済む」
「生きる事を、放棄しろというの?」
小さかったが、強い声。
ライファの声は決して強くはなかった。
だが、強い響きを持っていた。
「ライファ?」
「無から生まれて、私は個体になったわ。それを放棄しろというの?」
「生きるというのは…辛い事だ。他人と付き合っていかなければならない。苦しみも感じる。君にはそんなことを感じる必要なんてない」
「違う」
ライファはフローの手を払う。
ベッドから立ち上がると、真っ直ぐに彼の瞳を見る。
そして、己の胸に手をあてる。
「私は生きているわ。それは紛れも無い事実よ!私の生を奪わないで」
苦しみも悲しみも辛さも全て。
それが生きている証だと知っている。
胸の痛みが訴えて来る。
自分はまだ生きたい、と。
「あなたは逃げているだけよ。辛い事や悲しい事から、目を逸らしているわ」
逃げたくない。
逃げてはいけないと、本能が叫んでいる。
「人の心に帰るということは、『死』を意味するのね?」
「……ああ」
「私たちの心から『無』は生まれてしまわないの?」
「分からない」
「そう」
ライファはそう言って、窓を大きく開けた。
涼しい風が二人の頬を撫でる。
「鵺」
「え…?」
フローは驚いてライファを見上げた。
黒かったはずの髪は、青へと変わっている。
それもフローのような銀がかった青ではなく、深い青だ。
「和泉鵺。私の名前。……違うわね。私の居た心の持ち主の名前」
「思い…出したのか?」
「ええ。でも私は消えない。どうしてか分かる?」
ライファは穏やかに微笑む。
「私がライファだからよ」




