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花闇  作者: かざま
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桜闇姫~闇鵺小話~

   序






 魅せられてはいけない。

決して、惹かれてはならない。


 心に硬く戒めれば戒めるほど、枷は揺らぐもの。いけないと言われれば尚、心は求める。


 その光景を美しいと感じる己の心に、彼は震撼する。

(そこまで堕ちたか……。)

 思いながらも目が離せない。   



 春の宵。


 薄紅の花びらが月光を反射しながら舞い落ちている。


 はらり、はらり。


 一つに束ねた艶やかな黒髪を、柔らかな色彩が彩っていく。降り積もり、風に流され、細い肩へと零れ落ちる。まるで最初から彼女を飾る為に用意された華であるように。

 もぎたての桃の実のような頬、すっきりと通った鼻筋、天を振り仰ぐ眼差しは最高の透度を誇る月晶石のよう。将来は都中、いや、世界中の男たちを虜にするのは間違いないと思われる美貌の少女だ。

 満開の花の下、その花と同じ名を持つ彼の人は、ひっそりと佇んでいた。

 その姿は、あくまでも愛らしく、可憐。

 まるで、眠れぬ夜のそぞろ歩きに部屋を抜け出した姫君のように、ただ花を眺めている――。

 その人顔だけを見れば、誰もがそんな印象を抱くだろう。


 しかし、ひとたび視線を転じれば……。

 

 白い着物に花のように散る赤色。

 鮮やかに目に染み込むようなその色は、まだ生々しい鮮血の赤。風に吹かれるうちに、その赤はだんだんと固まり、どす黒く変色していく。

 手入の行き届いた白魚のごとき左腕は、肘の辺りまで点々と赤黒い色が飛び散り、こびりついている。握られているのは、闇の中でも、毒々しくぎらつく鋼の輝き。細い刀身の切っ先からは、今まさに命を屠った証が、紅い雫となって滴り落ちていた。

 足元に黒々と盛り上がって見えるのは、おびただしい数の、人、人、人。その数は数十人。もはや息のあるものはいまい。死の間際の苦しみを物語るように、どの顔も目を背けたくなるような形相をして、折り重なっている。助けを求めるように、天に向かって伸ばされた指は、不自然な形で固まり、カッと、今にも飛び出さんばかりに見開いた眼は、壊れた人形のようだ。彼等から流れ出した赤い液体はじわじわと、芽吹いたばかりの下草を緑から暗赤色へと変えていく。


 じわりじわりと。


 濃密な血の匂いが凝って、胸が悪くなるほどだ。

 今この場に居合わせたなら、大の大人の男でも、口元を押さえてしゃがみこんでも致仕方あるまい。

 そう思わせる程に、その光景は凄惨だった。


 花木を――いや、その下の少女を中心として、あたり一面に広がる死の世界。


 そして何より恐ろしいのは、自らの周囲に地獄絵図を巡らせながら尚、静謐を保ちつづける少女の姿であったろう。

 自分の周りがどうなっているのか、自分が何をしたのか、まるで知らないような静かな横顔だ。

 花のように美しい少女と、凄惨な殺戮の痕。まるでそぐわない、二つの光景。


 しかし、少女が動いた瞬間、彼女を取り巻く空気が一変した。


 体を半回転させて、ゆっくりとこちらに顔を向ける。

 彼の心の声を聞き取ったかのように。


 いったん伏せられた瞳が、まっすぐに自分に向けられるのを見た時、彼の心を駆け抜けたのは恍惚とも呼べる衝撃だった。


 高貴な月晶の奥に燃える激しい炎が、逃れることを許さずに、彼の心を貫く。まっすぐに、強引に引き寄せる。抗うまもなく間、捕らわれる、強い輝き。

 その眼差しのまま、唇の端を上げて、微笑む。

 匂いたつ花よりも華やかに、艶やかに。

 そこにいるのは、既に深窓の姫君ではない。

 身の毛もよだつ血の光景すらも、今の彼女の前では色褪せてしまうだろう。それ程の強烈な存在感。


 見るものすべてを魅了せずにはおかない、魔性の女。


(ああ、なんと美しいのか……)


 深く、深く、心のうちで彼はため息を漏らした。

 感嘆の、吐息。それは甘い美酒のように身体中を駆け巡り、彼を熱くさせる。

 理性では、これがいかに罪深い事か分かっていながら、止めることのできない心の動き。

 そう。彼女の苦しみも、嘆きも、凡て分かっているというのに。彼女が、今の「彼女」となるまでに流した血の涙を、知っているというのに。それなのに。今、鮮血の深紅に彩られて微笑むその姿に、歓喜している。

 一方で、そんな己に吐き気すら覚えているというのに。

 それなのに、心は真っ直ぐに求めるのだ。


 ―――このひとだと。


 自分が焦がれて、焦がれて………「あの方」の信頼を裏切ってまでも欲したのは。己のたった一人の主として戴きたかったのは。


 他のどんな人間も、代わる者はいない。


 たった一人だけ。

 この人だけだ。


 たとえ、それが当の本人にとって、地獄の責め苦であろうとも。

 その為に、自分がいかに憎まれようとも。

 それでも。どうしても。

 諦められなかったのだ。



「榊……」


 桜色の唇が、彼の名を呼んだ。

 蜜のような、しっとりと甘い声。

 長い睫が一度だけ、真っ直ぐなその視線を遮る。         

「榊……」

 静かに、悲しく、その声は彼の胸に届く。

 泣くのかと思った。

 しかし、再び瞳を開けた時、そこに涙はなかった。

 代わりに、魂まで焼け焦がすような深い憎悪を含んで、問いかける。

 自分を、戻ることの叶わない深みヘ突き落とした男へ問いかける。


「これで、満足か?」


 満開の花のもと。

 舞い散る花弁と、風に心乱されて。


 何度も、繰り返される問い。

 幾度も、幾度も。


 答えのない問い。



 永久螺旋のように、終わることなく続く、二人だけの……。

 


 運命の。

 

 春の宵………。



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