ここに居る理由【その2】
「ティール、悪いが町まで頼まれてくれるか?」
その日の昼前、本日非番のティールは、兵営長のストライフからアラグレンの町へのお使いを仰せつかっていた。
隊の3つの班は、2つの班が国境兵営、1つの班が町の詰め所、と分かれて勤務している。10日ごとの交替で、町の詰め所勤務の場合はアラグレンの兵舎に泊まり込んでの勤務だ。一昨日からは第三班が町に入っている。
それぞれの班の兵は交替で非番の休みをとるが、町勤務の場合はさておき、兵営勤務の際は下手に居残っていると今日のティールのように使い走りさせられる。
「俺、今日は非番……」
「他は出払っているからな。二班の非番は出勤してないし、副長や補佐官さんにはとても頼めないだろう? 今日中に送りたいんだ、頼むよ」
兵営長は、職位でいうならば第25隊における第三位。第二位である副長フェフは【能力者】待遇によるものなので、実質的には隊長に次ぐ立場だ。しかも彼はこの兵営勤務の兵達の中で、最年長者でもある。もう少し居丈高に振る舞っても良さそうなものだが、彼が隊員達に高圧的な態度をとることは無い。
アラグレンの町に育ち、長じて地元兵となり、結婚し家族を持ち、40を過ぎてもアラグレンを一歩も動くことがなかったという彼。生粋の「第25隊」とも言うべき彼には、隊長も一目置いているし、隊員達からも敬愛されている。少しばかり家族愛が強いのが、また面白可笑しく受け入れられている。
守備隊に配属される地元兵は、通常異動することがない。多くが近隣の町に住み、家族を持って退役するまで務める。ストライフ兵営長もその口で、妻子と共にアラグレンの町に住み、愛妻家で家族愛溢れる彼は町からの1リーグ(約5キロメートル)を毎日通っている。
その脚力をもって自分で行けばいいのに……と思わなくも無いティールだが、非番の日にそのまま兵営に居残った場合の長短所をしばし考え――イース班長や隊長の目にとまる前に、町にお使いに出ることにした。そのまま夜まで町に居よう、と心に誓って。
新緑輝く北の山脈の高嶺には、未だ白い万年雪が輝く。蒼穹は澄んで、大地は緑で潤う。薫風は心地よく柳絮を運び、空には翼持つものが遊び舞う。
季節はすみやかに移りゆく。もうすぐ迎え火の夜祭りを迎え、夏が訪れるのだ。
そんなオガムの美しい大地を楽しみながら、ティールはノンビリと町に向かい、町の逓信所で兵営長に頼まれていた書類などを東北国境守備隊本部のあるスライゴ宛てに送る手続きを取った。これでお使いは終了だ。
一仕事終えたところで、この後の予定を考える。ちょうど昼時を過ぎた頃だが、まだ食べていない。食事も込みで詰め所に行こうかと考えたティールだが、ここで下手に顔を出して食事を集れば、別の仕事を押しつけられかねない。
第三班長のエイワーズは残留組の軍団兵であり、他2名の班長よりは軍人らしさの残る人物だが、この2年で朱に交わって赤くなっている――油断は出来ない。
「素直に店で食べるか……」
どうせなら目新しい可愛い女の子がいそうな店がいいが、あいにくアラグレンの町で食事が出来るような店の看板娘達は、皆すでに顔なじみ。ティールにはほどほどに愛想を振りまいてくれるものの、見事にあしらってくれるような、なかなか強敵ばかりだ。
今期第25隊で最も軽薄、という不名誉な称号を得ているティールだが、本人は特に意に介していない。事実、隊で一番の遊び人だと自覚している。
見目はすっきりとした眉目で好印象であり、洗練された物腰。
年齢美醜を問わず女性には親切であり、だからといって無節操に遊ぶ訳では無い。
博愛的な言動が、お堅いお嬢さん方からは白眼視されているが、基本的には女受けする方なのだ。
一応、最低限の礼儀――既に相手のいる女性には手を出さず、また“節度ある交流”を心がけている――でもって、アラグレンの町で適度に遊んでいる。
半年ほど前から、サイリャという名の町のお嬢さんと“至極真っ当な、お付き合い”をしていたが、この春先にめでたく振られた。
それがティール自身の女性遍歴を知ったからの事なのか、単に愛情が無くなったからだけなのかは分からない。しかし彼は口で言うほど失恋を引き摺る性格では無いため、すでに心は新しい出会いに向いている。
とは言っても、すでにこの町に来て2年目。彼の為人も、軽薄な態度も、降格理由でもある過去の“やらかし”事情も、加えてサイリャとの顛末も知られているとなれば――その道は困難そうだ。
アラグレンの町は、いわゆる田舎の町であり――話が広まる早さは、都市とは比べものにならない。それが下世話であればあるほど。
食事処までの道をそぞろ歩きながら、何となしに周りを見渡していたティールだったが、途中に同僚の姿を見つけ、しばし逡巡した。――声を掛けるべきか、否か。
見つけた相手は、第三班所属のハーガル。
彼もティールと同じ2年前に、軍団兵から派遣されてきた。それ以前はアンスーズ隊長の隷下に居た人物だ。
今期の隊員で隊長と共に新しく赴任した軍団兵は、ティールを含め6名。フェフはその1年後の着任だ。そして、ティール以外の5名――隊長と補佐官、そしてイース、ラーグの両班長と、このハーガルは、前職が同じ第四軍団の所属だった。アンスーズ隊長の指揮下で、休戦までの1年を西方戦線で戦ってきた、最前線の兵だった彼らだ。
今期の軍団派遣の新規隊員は“やらかし降格組”という、有難くない呼ばれ方をしている。
ティールは「女性問題」で飛ばされたが、彼らも最前線からこんな辺境に飛ばされる以上、それなりの理由があるのは確かだろう。詳しいことは知らないが、イースとラーグの両班長の降格理由は、曰く「もう少しで軍法会議モノ」だそうだ。
ティール自身は、別に疎外感がある訳でも、本人達を避けている訳でもない。だがハーガルに見付かることで起こりうる事態は、良いものだけとは到底考えられない。それだけ彼も“イイ性格”をしている。自分の抱えている三班の仕事を押しつけることくらい、当然のように求めてくるだろう。只でさえ、ここ半月ほど町勤務の隊員は交替で地図測量に借り出され、手が足りない次第なのだから。
「あれ、ティール? 兵営に用事ですか? 非番ですか?」
――逡巡している間に、先に見付かった。内面からは想像も付かない、真面目な軍人らしさを残す表情でやってきた彼に、ティールは諦めて挨拶を交わす。さてどうなるか。
「自分も、今日は非番です。安心してください」
ティールの内心を読んだかのように、にこやかに告げるハーガル。そしてそのままの勢いで『昼食はまだですか? 自分もまだです。一緒に行きましょう!』と、有無を言わせず腕を引き、食事処・兼・酒場に連れ込んだ。
「お互い非番でよかったです。ティールは何度かお誘いしているのに、なかなか二人で話す機会がありませんでしたね。いい機会です」
「そういや、断ってばかりだったな。すまなかったなぁ」
昼間っから麦酒や蜂蜜酒を空けながら、二人は何ともない会話で休日の午後を過ごすことにした。
一つしか歳の変わらない二人だが、班が違うこともあり、この2年の間でも二人っきりで呑み語るのは、これが初めてだ。
だが、確かにハーガルからは何度か誘われていた。彼は隊員達と交流を深めることが好きらしい。本人の見た目や対外的な態度は「普通の兵隊さん」そのものなのだが、かなり人好きのする好青年だ。平凡な容貌で、印象に残る特徴を持たない顔付きだが、その分親しみを持ちやすい。
せっかくの機会、そしてサイリャと別れて町での時間のつぶし方が決まっていないティールは、今日はじっくりと彼との交流を深ようという気分になっていた。
日常生活でのちょっとした愚痴や気づいたこと、隊長以下の他の隊員に関する話題。町の人々の噂話――。男二人、それほど色濃い話題には至らない。
しかしティールはその会話の端々で、このハーガルが予想以上に“周りをよく見ている”ことに気が付いた。
ティール自身は、それなりに人付き合いが上手い方だと自賛しているが、ハーガルはそれ以上。しかも、目立たない幅の広い交流が得意のようだ。
特定の誰かと深い交流をしているようには感じられないし、その様子も垣間見えなかったが、周りの人々との会話をよく拾っている。そして聞き上手だ。
彼はかなりの情報通とみて良いだろう。何度かティールを飲みに誘っていたのは、好奇心以上のものがあったのかも知れない、と感じる。彼は同僚ではあるが、軍人としての意識からティールは彼への評価を改めた。多少の警戒心も持って。
「自分は前線勤務ばかりでしたので、守備隊の生活は新鮮です。体験している普通の軍生活が常に最前線でしたから、これほどまったり出来るとは思いもつきませんでした」
「俺もずっと王都勤務だからなぁ……ここは違いすぎる」
「ティールは第一軍団でしたね。王都勤務の軍団兵は、きっちりと真面目な印象ですが、ティールは特異でしたか?」
「いや、言うほど真面目でもないぞ? 王都は誘惑が多いし、なにより騎士団との関係があって、内心鬱屈している奴らも多いからなぁ……」
ハーガルの表面的な“軍人らしさ”は、常に最前線に身を置いてきたという経緯に由来するものなのでしかないのだろう。やや言葉は固いが、話しやすい。
ルーリックは軍事国家とまでは言わないが、近隣諸国との争いが絶えない国だ。特に「使国」と呼ばれる、かつてのフサルク神の選民国家群からは建国当時から敵対視されており、大小の軍事衝突と休戦を繰り返している。
隊長たちの前任地である西方国境は2年半前に休戦となったが、現在も南方国境では断続的に小競り合いが続いている状態だ。血煙と命の駆け引きの中を駆け抜けてゆくためには、規律正しくあることも大切なのだ。
一方で、ティールは前線の経験がない。王都付きの軍団は、有事以外は騎士団の指揮下で都市警備を主とする。
ルーニックの騎士団も他国の例に違わず、貴族や地域の有力者達、上流階級の子弟からなる騎士団だ。彼らは王都にあって、王家や国家に関する警護や治安維持などに関わっている。ルーニックの騎士団は、その名とは裏腹に通常前線にでることがない。建前としては“最後の砦”だが、実際は“名誉職”のような扱いを受けている。
だが仮にも騎士を名乗る以上、剣技を始めとする個々の戦闘能力は守備隊の地元兵などとは比べものにならないが、模擬試合ならともかく集団戦闘や乱戦が基本の前線では、あまり戦力としては期待できないだろう。ルーニック軍の“戦闘”を支えているのは、名実ともに軍団兵の方だ。
そんな騎士団の指揮下にありながら、市井に交わっての活動が主となる王都付き軍団兵の中では、どうしても一定の不満や鬱屈はたまりやすい。軍の中では身分は関係ないとはいえ、騎士団と軍団には立場や待遇に明らかな隔たりがあり、決して組織としての仲は良くないのが常だ。
「俺も、さすがに国境守備隊の主な任務が、迷子や家畜の捜索だとか、荷物の運搬だとか、町の設備の補修だとかは、想定外だった」
「自給自足、が抜けていますよ?」
ティールのぼやきに、ハーガルが笑いながら言葉をつなげる。長年身に染み着いているであろう生活からの急激な変化を、彼は戸惑うことなく素直に受け入れられたのだろうか。ティールはまだ慣れない。
「そういえば、貴方に確認したいことがあったんです」
「なんだ? サイリャとのことは勘弁な? こう見えても傷心なんだ」
「傷口は抉りませんよ? ……直接は」
「なんだそりゃ」
「いえいえ。そこまで悪辣にはなりきれません。後、お詫びしたいことも」
正面切って問われる気配に何となく不穏なものを感じ取り、ティールはとっさにはぐらかそうとした。だが、ハーガルは容赦ない。
「ティールは、どうして『軍団』なのですか? 貴方の立場なら、普通は『騎士団』のはずですが?」
――――やはり不穏な質問だった、とティールは絶句した。