人の見る光景【その3】
「隊長~~。もう諦めましょう~~? 探すの、やめましょう~?」
「いいや、せっかく町にいるんだ。わざわざディングル市まで行って『ご挨拶』してやるのも、可哀想だろうが?」
「…………だから、その『ご挨拶』を止めましょうよぉ……」
まんざら嘘でもない泣き言を放ちながら、不幸にも非番の身を捕捉された第一班のティールは、対照的に足取りも軽い隊長の後をとぼとぼと付いて行く。もちろんフェフも道連れだ。
隊長はそれはにこやかな表情で広場の隅々まで目を配り、道行く人々に尋ねかけて神官を探すことに執心していた。自他共に認める“神殿嫌い”のくせに、この熱意はなんなのか。
「ティールさん……諦めましょう。僕は諦めました。一緒に巻き込まれて下さい」
「フェフぅ~~だから、本っ当~に、あれは恐いんだって! 補佐官さんなんて目じゃないくらいなんだぜ? 一緒に居た隊の皆ですら、しばらく立ち直れなかったんだからさぁ……」
1年半ほど前。隊長達が赴任し、町の人々が新しい第25隊と隊長にかなり慣れた頃。それまで意図的に接触を避けていた隊長の元に、わざわざ神官がやってきた。
兵営ではなく、ちょうど町の詰め所にいた時を狙ってやってきたのは、町衆にもその接触を知らしめる意図があったのだろう。
フサルク神を至高神と崇める神殿において、フサルク神は人々を守護し、正しい道へと導く絶対の存在。人々にその教えを守らせ、崇め奉じさせることは神殿に属する神官達の職務だ。
ルーニックもフサルク神を奉じるが、他国よりは明らかに影響力が弱い。さらにここオガム地方では、神殿の影響力は極弱いものだ。だからこそ、フサルク神殿はこの地の人々の啓蒙に力を入れている。
ディングル市の神殿に着任している現神官は、ルーニック人でもオガム人でもなく、フサルク神殿の影響力が強い南方の国出身で、経験も意欲も豊富な壮年の男だった。かつては地方蛮国とまで呼ばれたこの地で、異端の神々の影響力を減ずることに熱意を燃やし、それなりの成果を上げつつあったその彼を――――隊長は見事に叩き潰した。言葉を交わすことだけで。
「いやぁ……あの時の隊長は、恐いなんてもんじゃなくって。眩しいくらいに顔も目も笑っているだけに、もう畏怖そのもの。補佐官さんのあの恐怖の笑顔が、可愛く見えるくらいだぜ?
もう何というか『言葉でも人間を殺せるんだなぁ』なんて、しみじみ思っちまうくらいでさぁ……。
容赦ないのはともかく、またこれが確実に芯を抉るんだな。針の通る隙間もない位、逃げ場がなくってさぁ……逸れようとしても、何度だって戻されるんだぜ?
俺だって一応軍人だから、人間の心が折れる瞬間を見るのは初めてじゃないが……あんな拷問、受けたことも、見たこともねーよ」
『せっかくこっちが遠慮しておいてやったのに、そっちから来るんだったら、遠慮はいらねぇな?』と、隊長は神官の説法を真正面から受け、そして完膚なきまでに全て論破したらしい。その上で、尋問紛いの容赦ない問いかけによる追い打ちをかけ……彼を半年ほどは再起不能に陥らせたのだ。
「普段の態度からは想像も付かないけどさぁ、やっぱり隊長は『隊長』なんだなーって。町の皆も、かなりびっくりしたんじゃないかな? まだ付き合いの浅い俺等はともかく、イース班長も目を剥いてたくらいだったし。
平然としてたのは補佐官さんだけだな。……いや、違う。あの人が、あの顔と口調で、また絶妙の間合いで的確な合いの手を入れるもんだからさ~~。冬だったから、もう寒さも一入でさ~~。言葉って凍るんだな、本当に。
『神様でも誰でも何でもいいから助けてくれ~~』って、周囲にいた皆が願っていたと思うよ?」
ともかく、その一件以降、神官が隊長と接触することは無く、偶然の出会いをも避けるかのように、彼はすっかりアラグレンの町に近づかなくなったという訳だ。
それと同時に「隊長は神殿嫌い」として知られるようになり、容赦なく強烈ではあったが決して論理の伴わない訳では無い隊長の言動に、アラグレンの町衆もどちらかというと溜飲を下げたという所だ。一定の成果を上げていたとはいえ、父祖からの伝統や畏敬を否定する神官の言動を、ここアラグレンの人々が何も感じず受け入れていた訳では無い。
改めてティールから語られる隊長の「武勇談」に、フェフは大いなる不安と怖れと――そして若干の期待を抱いた。
フェフは【能力者】だ。彼らフサルク神殿の関係者からは、蛇蝎のごとく忌避され面罵される、異端の神々の影響を受ける存在。フェフも神殿関係者から心ない言葉を浴びせられ、苦い思いをさせられたことは何度もある。本人ではないにせよ、少しくらい嫌な目にあってしまえ……と心に思う程度には、フェフも人間味あふれる常人だった。
* * *
「よう、神官さん! お久しぶりだなぁ?」
隊長にとっては幸運なことに、付き合わされたフェフとティールにとっては厄介なことに、そして紛うこと無く神官にとっては不幸なことに、彼は町外れで見つかった。見つかってしまった。
「……すげえ。人の顔色って、あんなに見事に変わるもんなんだな」
思わずティールが口笛をならす。驚嘆するほどに、隊長を確認した神官の顔色は変わった。最初に真っ青に、そして真っ白に。それは見事なほどに。
今にも倒れそうな表情になった神官に、隊長は容赦なく声をかける。背を向ける格好になった隊長の表情は窺えないが、その口調と、何よりも向かい合った形となる神官の小刻みに揺れる身体が、隊長がどれほど獰猛で愉快気な顔付きをしているかを教えてくれる。ティールは思わず粟立った腕を押さえた。
「なあなあ、フェフ副長。……医者、呼んでおいた方がよくないか?」
「そう言って、自分だけ逃げようなんて思ってませんか?」
「当然!」
抜け目なく後退ろうとするティールの腕を、フェフはすんでの所で捕まえた。
逃げるなら、自分も一緒に連れて行って欲しい。でもこの結末を見たい。そんな相反する思いのまま、フェフは必死で腕を振り払おうとするティールをその場に留めた。
「神官さん、異動するんだってな? 目出度いことだから、今度はこっちから『ご挨拶』しようかと思ってな? 運良く会えてよかった、よかった。お前さんの方からは、あれ以来、顔を見せてくれないんでなぁ。今日会えなきゃ、ディングルまで行かにゃいかんかと思ってたぜ」
「………………」
「おやおや、自慢の口はどうしたんだ? お前さん達は、その舌で人間を『導いて』やってるんだろう? 今度こそ、俺を導いちゃくれないのか?」
「…………こ、言葉のみでは、あ、ありません。か、神の奇跡は、確かに、わ、我々を、善き所へ、お導き下さいます……」
ようよう言葉を発する事ができた神官を、隊長は少し感心したように見つめた。あれほどの目にあったとは言え、彼の信仰心は揺らぐこと無く、また隊長に向き合う勇気を少しは与えているようだ。
「わ、私は浅学非才の身にて、神のお力をお借りすることは叶いませんでしたが、我らが神、フサルク神の奇跡のお力は、確かに我らが御許に。その奇跡を目にすれば、きっとあなたも――」
必死に心を奮い立たせ、何とか淀みなく言葉を紡ぐ神官。明らかに怯えの見える姿とは裏腹な、その心意気は大したものだが、隊長はそんな必死の努力を無下に切って捨てる。
「お前さんも、学習しねぇなぁ? 『奇跡』なんてもんは、頼っちゃなんねえ力なんだよ。
『奇跡』を待ってるようじゃ、人間は助からない。――その目の前で、奈落の縁で助けを待つ少年に、お前は『神の奇跡を待て』と言うのか?」
「真の救いの手は、我らが神が差し伸べられます。我ら人の子の力は、その代わりをなすもの――」
動揺も怯えも収まってはいないだろうが、さすがは敬虔であり経験豊富な神官。教えを紡ぐように、必死に隊長との問答について行こうとする。だが、そんな彼の言葉は何一つ隊長には響かない。
「違う。代わりじゃない。人の力は、人だけのものだ。
俺が今こうやって手を動かすのは、俺の意思だ。お前さんは、この『手』は『俺』じゃないと言うのか? 言えるのか?
神が与える『奇跡』なんてもんを待つより、その手を伸ばせ。
自分の手を伸ばし、助けを求めるその手を掴め、掴み取れ。何のためにその手はある?
確かにお前等、フサルクの神官には不思議な力を使う奴らもいるさ。だが、それはお前等だけのもんじゃない。他にもいる、どこにでも居た。
だがそれ以上に、人間にはまっとうな力があるんだ。『神の奇跡』なんぞに頼る必要もないほどに、力強く得体の知れない力がな。
――お前等の信仰を否定するつもりはないさ、前も言ったがな。だが、どの力を、どの神を信じるかは、自由だ。信じることそのものが、人間の持つ力だ。
……『信じる力』は、本来、人を自由にする力だ。フサルクのように、縛り付ける力じゃない」
次第に重く響くように変わってゆく隊長の言葉。神官は今回も続く言葉を紡げない。
ティールは以前には恐怖に戦きながら、どこか聞き流してしまっていた隊長の言を、今度はしっかりと聞いた。前とは言葉が違うが、隊長が話す内容の根本は同じだ。
アンスーズ隊長は、不思議なほどに「人間」としての存在を尊ぶ。
人の力をどこまでも信じ、人を愛する。
飄々として捉えどころが難しく、普段の態度はいい加減で出鱈目さが目立つが、彼ほど周りをよく見、興味を持ち、信頼している軍人に、ティールは会ったことがない。ティールはどちらかというと権謀術数渦巻く環境で育ってきた人間だけに、その有能さとは裏腹なまでに人を信じた行動をとる隊長が不思議で仕方ない。戦場を血煙に塗れながら駆け抜け、敵として人と相対する職業軍人としては、本来矛盾する気質だ。
だからこそ――隊長について行きたい、従いたい、と思う人間は多いのだろう。
彼に信じて貰いたい、信頼して貰いたい。そして自分の心のままに行動するのだ。その気持ちが、その意思が――軍人である自分たちを「人間」として形作るのだ。それこそ隊長の言う「信じる力」の一つなのだろう、とティールは思った。
一方、同じ隊長の言葉を聞きながら、フェフは胸の奥、血潮の奥に熱を感じていた。
今の隊長の言葉は、明らかに“異能者”であるフェフを意識したものであることに気付いたからだ。隊長は、神官だけにではなく、自分に向かっても言ったのだ。
『何のために、その手はあるのか』と。
「……栄転か左遷かは知らんが、ここを去って行くお前さんには、これ以上は何も言わねぇよ。だが忘れるな。
お前さんも『人間』だ。神じゃない、神の眷属でも、その一部でもない、下僕でもない。誰もが只の人間だ。この世が許した、類い希な力を宿した『只の人間』だ。
頼むから忘れてくれるな。神とやらを通したものではない、自分の目で見た光景を、決して忘れるな、手放すな」
フェフやティールには背を向けたまま、繋げられた言葉。どこか諭すような、そして懇願するような響きが、不思議と心に染み渡った。再び顔色を失い、言葉を失った神官にも染みたのだろうか。彼はただ陸に揚げられた魚のように、口をパクパクとさせるだけだ。
「さて、挨拶はすんだことだし、とりあえず詰め所にでも戻るか。フェフ、ティール、行くぞ?」
「えっ? もう?」
「えっ? は、はいっ」
茫然自失で立ち尽くす神官を振り返ることなく、隊長はさっさと踵を返して歩き始める。その表情は普段と同じ、だがどこか切なさを秘めながらも満足したもの。足取りも軽く、すれ違いざまにぽんぽんとフェフの頭を叩くことも忘れない。
「隊長……えらく手加減、しました、ね?」
「同じ事を二度も説明してやるほど、俺は親切じゃないんでな? 第一、俺は腹が減っている。町長の所では、茶しか出なかったからなぁ……」
「そういえば昼ご飯、まだでしたね」
何故か不満気な素振りのティールと、逆にどこか安心しているフェフ。
ティールは以前のように、もっと手厳しく神官がやり込められる所が見たかった。神官に向けられるその言葉が、その光景が、何故か自分を安心させるから。
フェフはこれ以上、隊長の言葉を聞く覚悟が足りなかった。神官に向けられる言葉は、フェフに向けられる言葉でもある。何故なら、彼は「人間」であると同時に「異能者」だから。
「おい、ティール。詰め所で食えるか?」
「ケーン事務官が許さないかと。第一、俺は今日非番なんで……」
「じゃあ、お前の馴染みの店にでも連れて行け。腹が減って、眠い」
「隊長……普通、逆じゃないですか?」
非番のティールはともかく、隊長と副長は夕餉の時間までに兵営に戻らないと、何かと煩く咎められるだろう。主に、夕食当番の班長から。
こんな時間からでも手早く腹を膨らませられる食事を出してくれそうな店を思い描いて、ティールは不承不承、彼らを案内した。あまり満腹にさせると夕食に響く。かといって、女の子たちと一緒に食べるようなものでは、軽すぎて隊長から文句を言われそうだ。
しかし、第25隊の規律は『自給自足』と『快食快眠』。
命の糧に感謝し、食事はきちんととりましょう、だ。間食や不規則な食で、定められた食事をとらないと……次からの食事が減らされる。交替で食事当番をこなす兵の一員としては、主に隊長の腹具合を気にせざるを得ないティールだった。
季節は移りゆく。その日々を、その移りゆく光景の中を、人は生きてゆく。
生命を育て、生命を食し、その生命を繋いで生きてゆく。その当たり前で大切な光景を、その手で営み、その目に映して語り継いでゆく。
「じゃあ、さっさと食べてお帰りくださいね」
「ティール? お前、だからといって屋台はねぇだろうが……」
――終わり――
「群像劇風」と書いた以上、色々な人の観点を取り入れた話を巡らせて最終章の話まで持って行く予定でしたが、なかなか上手くゆきません。今回登場人物は増えましたが、主に隊長さんの独壇場。R.アルトマンは本当に偉大です……。
今回、全体構成を練り直し、各エピソードの順序を再編しました。最終章話までは、前章の登場人物を次章に引き継いでゆく形式になる予定です。次章は主にティールさん。時系列は各章話の順です。