人の見る光景【その2】
「隊長……遅いです……」
「なーんか、気が進まなねぇんだよなぁ~~町に行きたくねぇ」
「じゃあ、隊長だけ戻って補佐官さんに怒られてきて下さい」
「……お前、だんだん可愛くなくなってきたな」
エイワーズ達が驚くほど手早くまとめてくれた測量器具の数々を荷馬に積み、隊長とフェフは町に続く道を歩んでいた。だが、平常に比べると隊長の足は重い。ようやく町が見えてきたばかりだというのに、もうすぐ昼になりそうだ。
「あの親爺、確かに話が長くてくどいんだよなぁ……なーんかネチネチ言われそうだ」
「その愚痴を、朝から聞かされた兵営長の方に同情しますね、僕は」
「……っ本当っに、お前、可愛くなくなってきたな」
「誰の所為ですかっ、誰のっ」
「あぁ……ここに来たばかりのお前は、純真そうで役立たずの能力者のなり損ないだったくせに……いつの間にこんなに生意気に」
「わざとらしく嘆かないで下さいっ 嘘泣きしないで下さいっ 誰も見てないところでやっても、効果ありませんよ?? いいんです、今はまだ役立たず扱いでも」
「お前……開き直ったな?」
「吹っ切った、と言って下さい」
先月に起きたコール少年の落下事件。それを経て、能力者としてのフェフは一つ成長した。『捕まえて、離せなくなる』ような状態になることは、さらに減ってきているが、まだ十分に能力を使いこなせているとは、とても言えない。
あれ以降、隊長に願い出て何度か練習を繰り返しているが、今でも「失敗」してしまうことはある。今では大体十回に一回というところだ。また、コール少年の時のように「一緒に連れてくる」ことは、あの一件以降は上手く出来ていない。
それでも、自分の力が成せることを「自覚」したことに意味があるのだと、フェフは考える。
『離せない』のは「失敗」であると同時に「能力」でもあるのだと。フェフはこの件を通して、自分たちドルヴィの異能の力は、「成したいという意思」によるものだということを、本当の意味で自覚したのだ。ようやく、と言ってよいほどに今更ではあったが。
そのことを気付かせてくれた隊長と補佐官さんには、限りない感謝と崇敬の念と共に、ある種の怖れをも抱いている。
彼らは一体何者なのか――――心のどこかが、そんな問いかけをしてくるのだ。
『人々がドルヴィに対し持つ感情が、少しは分かるのではないですか?』
あの一件の後、フェフは特段態度を変えたつもりはなかったが、どこか辿々しい雰囲気を感じたのだろう。ある夜、兵営での通りすがりに補佐官さんは、その一言だけをフェフに言った。
それ以上は何も言ってくれない。隊長はもとより何も言わない。
それが労りからくるものなのか、優しさからくるものなのか、それとも憐憫からくるものなのか――フェフには分からない。
しかし、分からなくてもいいのだと思う気持ちもある。どちらかというと……分かりたくない、という感情だ。知ることが恐い。
だからフェフは「吹っ切る」ことにした。否が応でも「知らしめられる」までは、知らずにおこうと。彼らについて、見たまま、感じたまま以上の興味を持つまいと。
どこか本能的に避けている判断のまま、『変な隊長と、その補佐官さん』の下で、自分を磨いていこうとだけ、それだけを願うことにしたのだ。
「隊長、もう少し早く歩いて下さい。置いてゆきますよ?」
「面倒くせぇ……可愛くねぇ……ソーンに似てきやがった……」
「褒め言葉として聞いておきます」
のどけき昼の日差しの中を、ぶつくさ煩い隊長の独り言と、すっかり遠慮の無くなったフェフの合いの手が、柔らかな風と共に過ぎていった。
* * *
「隊長さんにお任せしておりまして、大丈夫だとは思いましたが、どうも心配でしてな。何せ、町の衆からは早く地図を作り直してくれとせっつかれるは、町の測量器具は足りないは、で。いや~、申し訳ない。
兵営の軍装備品を貸していただくのは、恐縮ではありましたが、隊長さんが快くお引き受け下さいまして、これで一安心だと。しかし中々機材が届かないものですから、ちょっとばかり不安が増しましてな? いや~、申し訳ない。
いえいえ、隊長さんを疑っていたわけじゃございませんよ? どうもこうも、最近は歳の所為か、せっかちになっておりましてな。ストライフは甥なものですから、ついつい気軽に使い立てしてしまいますなぁ。いや~、申し訳ない」
『全然申し訳ないなんて思ってなさそう』と、二人揃って顔を見合わせたが、そこは表情にも言葉にも出さない。隊長もさすがにそこまで傍若無人では無い。
ようやくたどり着いたアラグレンの町で、昼食もとらずに(隊長は先に食事だと煩かったが)町長の下を訪れた二人は、さっそく町長ファゴス氏の愚痴を浴びることになった。
他人を本格的に貶めるようなことは言わないが、この町長はチクチクと刺す程度の嫌みを散りばめて話を進めることが上手い。そこに自身の愚痴が混じれば、さすがの隊長も辟易とする。
「そもそも町の仕事とは言え、その予算もないのに地図を作り直せなどと、行政府のおっしゃることも無茶が過ぎるというものではないですか。大都市ならば国が派遣した専門の技師が作成しているというのに、田舎の町は自分たちで作れなどと、馬鹿にしていると思いませんか? いくら、ここオガム地方は元からルーニック国領ではなかったとは言え、ルーニックに組み入れられたのは、私らの爺さんの代ですよ?」
「まあまあ。地図作りを自分たちでやらされるのは、オガムだけじゃないさ。西でも南でも、地方はそんなもんだ。器具ならいくらでも貸してやるから、頑張って作ってくれや」
「有難いお申し出で。――ついでに兵隊さん達もお借りしてよろしいでしょうか?」
「……仕方ねぇなぁ……」
田舎の町とは言え、さすがに町長を務めるだけのことはある。抜け目なく隊長から人員まで確保したファゴス氏だった。
「また勝手に約束して――補佐官さんに相談しなくていいんですか?」
「ソーンは反対せんさ、人間の役に立つことならばな。どっちかというと、ケーンの方が煩いかもしれんな?」
「事務官さんですか……軍規に反してなければ大丈夫だと思いますよ?」
「町の設備修繕が大丈夫なんだから、まあ問題ないだろう?」
「とりあえず後から詰め所に寄って、一言報告だけはしておきましょうか?」
「いや、後でいい。そこはソーンに丸め込ませるさ」
隊長から機材を得て、ついでに人員まで得て満足した風の町長を後目に、フェフと隊長はこそこそと相談を交わす。いずれにせよ、最終的に事を収めるのは補佐官の仕事のようだ。知らないところで仕事が増えてゆくことに、彼は慣れてはいるだろうが、その反応が恐い。
「そうそう、隊長さん。ディングルの神官さんが、もうすぐ交替なさるそうですよ? 先ほどご挨拶にみえておりました」
ひとまず話がついて、町長の下を辞そうとしていた隊長達に、町長は何気なく、だがどこか面白がる口調で告げた。
「――ほぉぉ~? そりゃ、こっちも『ご挨拶』せにゃならんな? どっちに行った?」
ぴくりと眉を動かし言葉を返す隊長の口調も、どこか剣呑な雰囲気を醸し出す。
隊長の“神殿嫌い”は、町の人にもよく知られている。町長は明らかに分かっていて告げたのだ。隊長の「獲物」の存在を。
今回の件の意趣返しなのか、お礼なのか。判断に迷うところだが、含むものがあるのは確かだろう。
「夕刻までどこかで説法なさるとおっしゃっておりましたが……はてさて、いずこでしょうな?」
「んじゃ、勝手に探すとするか。町長さん、人の手配はまた今度。事務官から連絡をいれさせる」
「ありがとうございます。今度も気長にお待ち申し上げますので。お気になさらず、十分にお支度なさって下さいますよう」
わざとらしく深々と頭を下げながら告げる、さらりとした紛うことなき牽制。さすがの年の功。隊長も多少鼻白んだようだが、それ以上に神官の方が気になるようで、特に嫌みを返すこと無く二人は町長の下を後にした。
「奴の行きそうな所か……とりあえず広場か、学校の近くだな。よし、フェフ、行くぞ」
「僕も一緒ですか……」
隊長の意識は、すっかり神官に会うことに向いている。顔には満面の笑みを浮かべ、うきうきとした素振りを隠そうともしない。
神官を見つけた後に起きるであろう騒動を思い描き、フェフは頭が痛くなった。直接見聞きしたわけでは無いが、以前に隊長が神官さんにしでかした色々は、隊の皆からも町の人々からも面白おかしく聞かされている。
「おっ……丁度良いところに。おーい、ティール。いちゃついてないで、こっち来い!」
「げっ!! 隊長?? 何で町に……」
町の広場に着いた隊長が最初に見つけたのは、神官ではなく第一班所属のティールだった。
彼も隊長達と同じ時期に異動してきた軍団兵だが、隊長の隷下にいた組では無い。彼は王都勤務の第一軍団から降格されてきた。降格理由は「女性問題」だとか。
その噂に違わず、アラグレンの町でも色男ぶりを発揮している、隊一番の遊び人だ。
すっきりとした容貌と、そつの無い立ち居振る舞いは、なるほど王都の洗練さを持っている好青年だ。だが、どこか軽薄な口調と態度、そして博愛的な言動や降格理由が知られている現在では、町のお嬢さん方からは「一緒に遊ぶにはいいんだけれど……」という扱いだ。
今も、広場に軒を連ねている店先で、売り子と適当に戯れていた。そういえば、春先に特定の相手に振られたばかりだと聞く。次の恋の相手を探している真っ最中なのだろうか。
自身はそういった色恋沙汰にまるで縁の無いフェフからすると、彼の言動は興味深いができれば巻き込まれたくない、というのが本音だ。ちょっとだけ羨ましいと思うこともある。ちょっとだけ。
「さぼってる訳じゃないですよ? 俺、今日は非番ですから!」
「だったら、俺に付き合え。神官を探すぞ?」
「…………すみません、嘘つきました。俺、勤務中なんで、これで失礼しますっっ」
「馬鹿言え。勤務中ならなおのこと、隊長命令だ」
「…………俺が何をしたっていうんだぁ…………」
目に見えて悄然とするティールを、フェフも思わず憐憫のまなざしで見てしまう。自分もこの後の騒動に巻き込まれるだろうが、道連れがいるのは有難い。
ティールは以前の顛末を直接見聞きした口なので、話でしか知らないフェフ以上にこの後の事が恐い。恐いというか――胃が痛くなる。
アラグレンの町には神殿はなく、隣りのディングル市から必要に応じて神官が訪れる。隊長が来る前までは1ヶ月に一度程度だったということだが、今期の隊長になってからはその頻度が明らかに下がったとは町衆の弁だ。その理由は――。
「フェフ副長は直接見てないから、まだ余裕なんだよな……俺はもうあんなの、体験したくねぇ……」
「……そんなに凄かったんですか、隊長の言動」
「あの尋問を正面から受けるくらいなら、俺は強盗が目の前にいる方がいい」
獲物を探す捕食者の目で、神官を探す隊長。その背を追いながら、ティールはしみじみと遠い目をして空を仰いだ。