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東北国境守備隊第25隊の隊長さんと部下たちの日常  作者: 片平 久(執筆停滞中)
【外伝】二つの名前の物語 [Strathspey]
57/57

消えない轍を刻む道【その5】 ~ 二つの名前の物語

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今話は少し長め(5,800字)です。






 どれほどの間、ただそうしていただろう。日が蒼穹を渡り、影が長く伸び始める。後の世において“惨劇”の代名詞ともなったエリガルの野に、二つの影がさす。

 虹色の影もまた、ただ側に立っていた。声をかけることも、身に触れることもなく、ただ自らの(かんなぎ)を興味深そうに、嘲弄と憐憫が入り交じった気配で見守っていた。


「――――ここに。その手をここに! 《茨の怪物》!」


 突然、スーリザスが声を荒げた。

 強い、尋常では無い強い意志を載せたその声に、さすがの虹色の影も怪訝(けげん)な気配を発する。だが同じほどに強い関心を込めて、影はその(かいな)を伸ばした。その手を、スーリザスがグッと掴み引き寄せる。


「……御方(あなた)の“力”は、私に与えられた。そうですね?」

「否、奪い得たというべき」

「それはどちらでもいい。ならば、今の“私”は、かつての“御方”と同じ――」


 スーリザスは強い決意を込めて、その蒼穹の瞳で目の前の“神”の姿を捉えた。強く掴んだその手のひらから意志が湧き出て、虹色の影に明確な“姿”を与え出す。

 それまでは“形”はあれども朧気(おぼろげ)であった姿が、確たる形を成してゆく。

 乳白色の蛋白石(オパール)色の髪と、闇色に虹の遊色が浮かぶ瞳。その色は別として、形作られた容姿には、スーリザスが敬し、ささやかながらも望み接してきた人々の面影が混ざる。

 ラエトやロブル、その他の“仲間”たち。彼自身は決して手を取ろうとしなかったのに、手を差し伸べようとしてくれていた人たち。

 ようやく明確な“姿”を与えられた彼の神は、その姿を面白そうに睨め回した。口元に、愉悦の笑みが浮かぶ。


「これで御方(あなた)は、真に“姿”を得た……気に入らなければ、好きに変えると良い。


 【アンスーズ】


 これより、それが御方の【名】だ。

 御方は姿と名を持ち、この大地を歩む――この先、永久(とわ)に、私と共に」


 重く強い、意志ある言葉。

 スーリザスの秀麗な容貌が、輝くような強い意志と決意を込めた真摯な色を浮かべる。


「……【アンスーズ】とな……《我が神》と、吾を呼ぶか」


 ようやく【名】を与えられた彼は、大切なものを愛おしみ慈しむ色を纏って、その【名】を口にする。

 《盟約》以前、フサルクによる“人の世の集約”が行われる以前には、数多くの民がそれぞれの言葉で意志を繋いでいた。そうした“古語”の一つ。このルーンの大地で用いられていた言葉で、《自らの神》を現すその名。


「そうだ……今、この時より、御方は私の《我が神(アンスーズ)》――我が君。

 御方は私のもの(・・)――手放すことなどあり得ない、連環に戻ることなど許さない」


 生気に満ちたスーリザスの決意が、虹色の輝きを纏って響き渡る。


「もう誰にも、神の力を行使させない。人は“人の手”だけで生きていかなければならない。

 私は、神から人を解き放つ。

 誰も、神の手をとってはならない。神の手にすがってはならない。

 人がとる“手”は、人だけでなければ……。

 御方は、永久に、私が捉え縛る――誰にも、もう捉えさせない」


 誓いにも似た、独白だった。《アンスーズ》と名付けられた神は、そんなスーリザスを興味深く見守り、その言葉を受け取っていた。


「そして、我が君。御方もだ。

 名を……私に新たな名と姿を!

 私を名で縛れ、私が御方にしたように。

 人に非ざる(・・・・・)私を捉え縛り、その名と姿を御方に繋ぎ止めるがいい!」


 虚を突かれたように、《アンスーズ》はスーリザスを見返す。微塵も変わること無い強い意志をその内に見出し、アンスーズは心からの喜びと感銘でもって声をあげて笑った。


(まこと)、人とは得体の知れぬもの……吾らなど及びもつかぬ、類い希なきこの世の(あるじ)よ。なればこそ、連環も意味をなそうというもの」


 喜色と称賛に満ちた声だった。

 彼の神は、ずっと“人”とは無縁だった。人から呼ばれる名も持たず、人に見せるべき姿も必要とせず。

 ただ、関心がなかったのだ。彼の神もまた、人を呼ぼうとせず、人を見ようとせず。

 だからこそ、フサルクの意図を知りつつも《盟約の履行者》として立ち、“神”と“人”とを切り分けてきた。人を、神々の連環から解き放ってきた。


 スーリザスは、初めて彼の神の目に映り込んだ“人”だった。

 あらゆるものを乗り越えて、初めて彼の神の心を“人”に向けさせ、その関心を捕らえた、輝かしく自由な者。人の世では何にも縛られず、繋がれなかった、強き魂。


「よかろう、吾が(かんなぎ)たる者よ。其方(そなた)を捕らえ、囚われようぞ。

 今、この時より、其方は吾の《連環》――其方は吾の【茨の鎖(ソーン)

 其方も吾、吾も其方。

 今ここに、新たなる連環は生じぬ。

 吾と其方を繋ぎ縛る、吾らのみの連環を、今ここに」


 その声と共に、《アンスーズ》の身から乳白色の虹色が湧き出て、スーリザスの身を覆った。温かくも冷たくもない、輝く“火”に包まれて、彼は再び自分の何かが作り替えられる感覚を得ていた。この“神”を捕らえ、その覡となった時とは異なる、不思議な感覚。奪うのではなく、分かち混ざり合う“力”……。

 自分が「なにか」から、弾き出される(しるし)が感じられた。代わりに別の「なにか」が、()をなし囲い包む。


 そして連環は閉じられた。



* * * 



「…………これで、私は今度こそ“人”ではなくなったのですね」


 二人を取り巻いていた輝きが収まり、再びエリガルの野に静寂が訪れた。長く伸びた二本の影が、ロブルたちの亡骸にかかる。それに目を遣ると、“スーリザス”であった彼は、再びその場に(ひざまづ)きロブルの手を取った。虹色を纏った淡い乳白色の光がそこから広がり、亡骸達を包み込む。そうして、跡形も無く消え失せた。


「いずこに?」

「皆の元へ。彼らを死穢(しえ)とはしたくない」


 立ち上がって、彼は自分とほぼ同じ高さとなった《アンスーズ》の顔を見つめた。似せた訳では無い。それでもその容貌には、敬した彼らの面影が浮かんでいた。

 彼の神の瞳に、自分が映る。同じ乳白色の髪色。

 視線を大地に落とし、手をかざす。大地の窪みに水が満ち、やがて凪いだ水面が鏡のように空を映し出した。


「…………どうして、変えていないのですか」


 自らの姿を水鏡に覗き込んだ彼は、多少の困惑と多くの苛立ちを込めた声で、アンスーズに向き合った。平素の丁寧な口調に戻ってはいるが、その声色には感情が滲む。

 映し出された“姿”は「色」以外、何一つ変わっていなかった。

 髪色だけが灰金髪から虹色を秘めた乳白色に、蒼穹を映し出していた瞳は太古の闇に遊色を煌めかせる。だが、変化はそれだけ。秀麗、玲瓏、と謳われてきた、そのままの姿がそこにあった。


「私は、“新たな名と姿を”と願ったはずですが?」

「それが其方の“新しき姿”では不服か? 其方が吾に与えた、その色を纏わせたことが不服か?」


 面白がる気配はそのままに、しかし相手の感情を何一つ理解していない風情で、アンスーズは問いかける。


「――この“姿”に、永久に囚われよと言うのですか?」

「否、そうではない。吾が覡……《ソーン》よ」


 アンスーズは、慈しみに溢れた声で呼びかけ、その髪を撫でた。

 与えられた“新たな名”……もう、“スーリザス”は居ない。


「吾を捕らえたのは、其方のみ。輝かしき魂を持ち、その姿でもって吾の前に立った、その()を留めてはならぬか?

 吾は“人”など知らぬ。其方以外の姿など、分かりはせぬ。

 ソーン、吾の幸魂(さきたま)たる者よ。吾は、その姿がよい」



 ――ずっと、(うと)んできた。

 どれほど褒めそやされてこようとも、どれほど憧憬されてこようとも。この姿があったからこそ、自分は人として生きてこられなかった。

 皮肉なことだ。

 人で無くなって(・・・・・・・)初めて、この姿に意味を感じようとは。



「……私がこの姿を嫌っていることを知っていて、その仕打ち。

 《アンスーズ》……我が君。御方には『人の心の機微』とやらを教える必要がありそうですね?」


 《ソーン》となった彼は、今までとは違う温かみさえ感じる冷眼で、《アンスーズ》を睨め付けた。その態度に、アンスーズも笑みをこぼす。


「其方に『人の機微』などと言われようとは思わなんだの」

「御方よりまし(・・)でしょう、我が君。私は“人の間”に居たのです。私に捕らわれて初めて“人を見た”御方とは、比べものになりません。その言葉遣いも止めなさい。誰もそのようには話しません」


 無知な若者を諭すかのような口調で、ソーンはアンスーズに向き合う。冷然とした表情と丁寧な口調は、彼にとって馴染みのある態度。だが、その奥にある感情は全く異なる。

 生きるのだ。それが《異人(ことひと)》――人に非ざる者としての生であったとしても。初めて“自分が”望んで、生きることを願った。

 これ(・・)と共に。自分の“唯一の神(アンスーズ)”と共に。


「ふむ……なれど、人のことなどよく知らぬ。其方を模倣(まね)ればよいのか?」

「それも止めなさい、おぞましい。

 ……幸い、私達には有り余る年月(とき)があります。終わることのない時間があります。急ぐ必要はありません。少しずつ教えて(・・・)差しあげましょう」


 ソーンは微笑んだ。柔らかい、だが冷厳極まる笑み。そこには、もう何かを拒絶する“壁”はない。


(まこと)、心を映し出さぬものであれ、美しき笑みよの。終わることなき時と申すか。吾を手放す時、心から笑ってみせるのではなかったのか?」


 アンスーズも、愉悦と揶揄に満ちた笑みを返す。

 ()巫覡(かんなぎ)を望んだわけではない。ただ、その魂の輝きから目が離せなかっただけだ。

 今は“望んだ”覡だ。

 互いに望んだ『宿命の魂(アナム・ファウラ)

 人の世の連環から(スーリザス)を切り離し、自らとのみ繋がる新たな連環を成した。(ソーン)を自ら手放すつもりはないが、この者ならば作られた連環を解き放つこともあろう。その時までは。

 愉悦の中に僅かな寂寥を含ませるアンスーズを、ソーンは見惚れるばかりの微笑みで再び睨め付ける。


「……何を馬鹿なことを。我が君、御方(あなた)は人を甘く見過ぎです。


  『蒼穹くずれ落ち、我が身に降りかからぬ限り。

   緑成す大地裂け、我が身を飲み込まぬ限り。

   この誓い、破らるることなし。

   ――手放さない。 “始めの連環”にも戻さない。

   私は永久(とわ)に、御方(あなた)の“茨の鎖”――』


 ……我が君。笑いませんよ、私は。悔しければ、御方が(・・・)私を笑わせてみせなさい」


 古い言葉で紡がれた誓約(ゲッシュ)が、蒼穹と大地の狭間に吸い込まれてゆく。強く(こいねが)う、果て無き執着の誓い。類いまれなき、人の力。

 耐えきれず笑い声をあげたのは、アンスーズの方だった。肩をふるわせる程に、歓喜に満ちた哄笑が響き渡る。


「何が可笑しいのですか」

「何とも困難なことと思うての。面白い、飽くる事なき楽しみを得た。いつか其方を心から笑わせてみせようぞ」


 朗らかな笑い声が、エリガルの野に打ち続く。

 この先、ずっと続くことになる“あたり前の光景”は、この時から始まった。

 ――新しい、人に非ざるとも変わらない、その日常が始まった。



* * * 



「なんで、その色(・・・)に成っていやがる」


 水鏡を眺めながら、在りし日に思いを馳せていたソーンの背に、釈然としない声がかかる。背の高い影が、水鏡のソーンに被さるように伸びた。乳白色に虹色が輝く髪と、闇色に潜む遊色の瞳が、水面で揺らめく。


「私がどの色を纏おうが勝手です。そもそも、これを“私の色”としたのは御方(あなた)でしょう、我が君。褒められこそすれ、(とが)められる由縁(ゆえん)はありません。第一にですね、遅すぎます。私をどれだけ待たせれば、気が済むのですか」

「んなこと言ったって、あいつ等がしつこいのが悪い。ティールに頼んで、やっと撒いてきたんだぞ」

「当たり前でしょう。だから『人の執着心を甘く見るな』と言ったのです」


 (わざ)とらしい労苦を表明するアンスーズを、ソーンはつれなくやり過ごす。スッと腰掛けていた岩から立ち上がり、軽く身を払う。既に髪と瞳は、いつもの――彼にとっては“仮初(かりそ)めの色”である、陽に輝く灰金と蒼穹の青に戻っていた。

 懲りない表情をしたアンスーズは、ニヤリとした笑みを浮かべてその髪を撫でた。途端、ビシッという見事な音を立ててアンスーズの手が払いのけられ、続いてそのまま腕を取られて投げられる。受け身こそとれ、軽やかな水音を立ててアンスーズは泉に腰を浸すことになった。


「おい、なんてことしやがる!」

「正当防衛です。苦情は聞きません」

「ったく、『補佐官』だったお前はいつも勝手に俺の髪を触ってただろうが!」

「あれは嫌がらせです。……よりにもよって“その姿”になったこの十年の恨み、忘れていませんよ?」


 泉も凍りそうな冷眼で、ソーンは腰を浸したままのアンスーズを睨め付ける。その言葉に、アンスーズは悪ふざけを楽しむ子どもの表情を見せて、カラカラと哄笑した。

 今回の(・・・)アンスーズの姿は、強靱長躯な軍人そのもの。遠き日、共にこの国を築きあげた功労者の姿。


「だから、色はお前に揃えてやっただろうが」

「そんなこと、配慮でも何でもありません。御方は私に、どれだけ嫌がらせすれば気が済むのですか。そんな所ばかり“人間らしく”なり過ぎです」

「目の前の教師が良かったからなぁ? イヤな性格には自信があるぞ?」

「黙りなさい! 誰もそんなことまで教えていません!」


 笑いながら泉から這い上がり、アンスーズは身を震わせる。一瞬で濡れた衣服は元通りに乾いたが、何かを企む瞳はそのままだ。


 何も変容することのない、日常。

 それでも、始めと終わりが繋がったままの連環に、彼らは消えない(わだち)を刻みつけてゆく。


「では行きますよ、我が君――《アンスーズ》」

「今度はどこに行くつもりだ? 吾の鎖――《ソーン》」


 轍の上には種が蒔かれる。やがて花開くであろう、それを見守るために、彼らは歩み続ける。

 変わらないようでいて、世界は何一つ同じではいられない。


 二つの名が刻みつけるその道を、彼らは再び歩き出した。

 一つの日常を終え、新しい日常を始めるために。




      ――おわり。



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これにて【消えない轍を刻む道】全五話、終了です。極寒シリアスの作品で申し訳ございませんでしたっ

[外伝]と名乗るのが申し訳ないほどに[本編]と(おもむ)きの異なる作品でした。[本編]の読後感が阻害されたと感じられるようでしたら、お詫びのしようもございません……。



言い訳するならば、本来この外伝【二つの名前の物語】は、独立した編成作品です。

しかし、今回でお分かりのように、救いの無い鬱々展開ばかりの内容で……。今回書きました最後のちょっとした光にたどり着くまでに(作者と読者の)心が折れそうだったので、本編『隊長さん』を含む【異人(ことひと)の書】の各編成作品の中にエピソードを埋め込んでいこうと決めました。今回はその第一弾です。一番マシ(?)なエピソードで構成したのですが、この有様です。

『二つの名前の物語』としては、他に重要なエピソードがあと二つありますが、書けるのか?という感じですね。(ラエトが絡む話は書いておきたいのですが……ウェネティ時代のスーリザスとか、誰得状態です……それとなく匂わせておきましたが、少なくともR15+残酷描写タグ付き、下手すりゃお月様行き)

“登場人物の心を折る(壊す)”話を書くには、作者側の気力が必要です……。


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世界設定やシリーズ構成作品群としては、作者自身が気に入っているものの一つなので、おいおい少しずつ書いてゆければいいなと思います。

この拙い作品をお読み下さり、また楽しんでいただいて、本当にありがとうございます。

また、近いうちに、今度こそ【本編の外伝(余話)】と胸を張れる作品をお目にかけられるよう、頑張ります。

今回もお読みいただき、本当にありがとうございました。また、この二人を始めとする彼らの日常をお伝えできることを、作者としても願っています。


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