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人の見る光景【その1】

「隊長? 緊急ではない(・・・・)事態が発生中なのですが……??」


 朝食の片付けも済み、そろそろ隊としての仕事を始めようかという頃になって、第三班長エイワーズはある事態に気付いた。このままでは仕事が始められないと、指示を仰ぐために隊長――正確には、共にいるはずのソーン補佐官の下を訪れた。

 朝食が終わった後の時間、彼らは書類仕事に携わっている。ソーン補佐官が書類を整え、隊長は査収して署名をするだけだが。

 「隊長執務室」とは銘打っているものの、単なる休憩・雑談所と化しているその部屋では、真面目に書類を作成している補佐官の姿だけがあった。


「補佐官さん、隊長はどちらに?」


 居ないなら居ないで補佐官さんの指示を仰げばいいだけではあるが、ここに居ないとなるとそれはそれで不安が残る。

 第二班はすでに見回りに出ているが、それに同行していた様子はなかった。フェフ副長はさっきまでエイワーズと一緒に居た。一体どこで何をしているのか――?


「エイワーズ、『緊急ではない』と言いつつも、貴方が指示を仰ぎに来るということは、それなりに困った事態ですね? どうしましたか?」

「いえ、実はまだストライフ兵営長が出勤していないので、どうしたものかと。わたしの班は、今日、彼の指示の下に兵営周りの補修を行う予定だったのですが……」


 忙しい春の種まき時を過ぎて家畜たちも放牧に出るこの時期は、第25隊の食生活を支える作業の手が少し空く。もう少し季節が進み、再び畑仕事が忙しくなる前に、冬の間に傷んだ建物や周囲の設備を直すのだ。

 今日は主に建物周りの傷み具合を確認し、必要な補修内容や資材の確認を行うはずだったのだが、それを取り仕切る兵営長がまだ来ていない。

 兵営長という職位は、この第25隊においては隊長、副長に次ぐ上から3番目。兵営にあって、兵営運営の実務を取りまとめる役だ。

 現兵営長のストライフは、最寄りのアラグレンの町の出身の地元兵。

 軍団兵とは異なり、「地元兵」と呼ばれる兵は、各国境兵営の地域内で現地採用される。彼らは通常異動することがない。多くが出身地や近隣の町に住み、家族を持って退役するまで務める。

 ストライフもその口で、妻子と共にアラグレンの町に住んでいる。愛妻家で家族思いの彼は、町からの1リーグ(約5キロメートル)を毎日通っているのだ。おかげで最年長ながら、体力は若い兵にも劣らない。隊の中では真面目な方で、時間に遅れることは滅多にない。

 その“滅多にない”彼の遅刻に、エイワーズも、一緒に作業に関わるはずだったフェフも戸惑い、とりあえず隊長と補佐官さんへの報告と相成った。


「兵営長が遅刻ですか……ご家族に何かあったのでしょうか? ですが、彼の性格からすると、その場合でも知らせを寄越すはずですね。もう少し待ってみて、誰かを町にやりましょう――」

「――――誰か、馬で来るぞ」


 書類の手を止めて指示を出していたソーン補佐官の声を、どこか寝惚けた色を含んだ隊長の声が遮った。

 突然聞こえた隊長の声に、エイワーズは驚いて窓の外を見遣るがそこには姿がない。声の響いた方向――扉を振り返ったが、そこにも姿はない。


「ここだよ、エイワーズ。お前、気付いてなかったのか? 軍団を離れすぎて、勘が鈍り過ぎてねぇか?」


 ――内開きの扉の影で、その「床」に半身を起こした隊長が、ふわぁと欠伸を一つ漏らしながら、にやにやとした笑い顔を見せていた。

 死角になっているとはいえ、確かにエイワーズは気配に気付かなかった。彼は隊長、第三班のゴートに次ぐ長身で、床に寝転ぶ隊長に目が向かないのは仕方無いのかも知れない。しかし彼とて軍団兵として前線の経験もある職業軍人。仮にも第三班の班長を任せられるほどなのだから、これは失態と言ってよい。


「二回居残りで、もうすぐ6年か? そろそろ軍団に戻さにゃいかんな」

「わたしは軍団より守備隊が性に合っているみたいなので……って、本当に隊長は人が悪い。呼んだのですから、返事くらいして下さいよっ そもそも、なんで床で寝てるんですかっ」


 半ば八つ当たりでエイワーズは詰め寄る。それを軽くいなして、隊長は本題に戻った。窓辺に寄り町の方に視線を向けると、兵営に向かってくる一騎の姿。


「よかったな、ストライフが来たぞ。それにしても奴が遅刻たぁ、珍しいな。どれ、事情聴取でもするか」

「その前に、この書類に署名だけお願いします」


 にやにや笑いを収めること無く、隊長はエイワーズを伴って部屋を出ようとしたが、有無を言わさない補佐官の声に引き留められる。


「面倒くせえなぁ……作るついでに、署名も真似て書いておけよ」

「馬鹿言わないで下さい。ケーン事務官の目を誤魔化せるとでも思っているのですか?」


 ケーン事務官は、アラグレンの町にある兵営の出先、通称『町の詰め所』勤務の軍属事務官だ。軍人では無いが、軍に関わる各種の事務手続きの取りまとめを行い、王都の軍本部とやり取りを行う専門職として軍本部から派遣されてくる。

 彼は王都出身だが、養成所を出て以来ここ第25隊付きの事務官となり、異動すること無く12年という古株だ。几帳面で真っ当な仕事ぶりは、ソーン補佐官と性が合う。ということは、隊長にとっては煙たい相手の一人ということだ。


「お前ら、名前まで似てやがるからなぁ……」

「関係ありません。さっさと目を通して、手を動かして下さい」


 ぶつくさぶつくさ煩い隊長など物ともせず、ソーン補佐官は文字通り首根っこをひっ捕まえて隊長を机につかせる。エイワーズは半ば呆れ、半ば微笑ましさを感じながら、先に部屋を辞した。

 兵営の外に出ると、ちょうどストライフ兵営長が馬を止めた所だった。普段は徒歩で通う彼だが、遅れを気にして馬を走らせたのだろう。珍しく額に汗を浮かべている。外でエイワーズの到着を待っていたフェフが、(くつわ)をとって馬を繋ぐ。


「フェフ副長、エイワーズ班長。遅れて済まなかった。ところで隊長は?」

「執務室で、補佐官さんと一緒です。『兵営長が遅刻なんて珍しい』と、丁度対応を検討していたところでした」

「俺だって遅刻したかった訳じゃないんだがな。隊長の所為だ、ともかく。うん、俺の所為じゃない」

「――何で俺の所為なんだ? 聞き捨てならねえなぁ」


 手早く補佐官さんから開放されたらしい隊長が、ストライフ兵営長の台詞を聞き咎めて不機嫌そうな声をかけた。


「隊長、おはようございます。遅参、お詫び申し上げますが、事情説明させていただきます、ええ、是非ともご説明させていただきます!」


 なお第25隊では、普段は上官に対する敬礼はしないし、口調も形式張ったものにはならない。『そんなの面倒くせぇ』の一言で廃止した隊長だった。

 よって、今のストライフのように畏まった口調になる時は……何か嫌がらせじみたものがある時だ。


「……隊長権限で、不問に処す」

「そうはいきません! えぇ、朝一番から迷惑を被りまして。せっかくの家族との団欒、憩いの朝食の席に、叔父が――町長がお見えになりまして!

 『隊長さんにお願いしておりました測量器具の件は、その後いかがでしょうか?』

 と、矢のような督促を!

 ついでに色々な愚痴まで聞かされまして! 朝食はまずくなるし、妻と娘には冷たい目で見られるし! 兵営には遅刻するし! 誰の所為でしょうか、これは!?」

「……全部、町長の所為じゃねぇか?」

「あの話の長い親爺に、話のタネを与えた張本人の責任もあると俺は思いますがね!」


 ストライフ兵営長とアンスーズ隊長は同年代で、職位の差はあれども性格的に合うらしく仲が良い。生粋の第25隊とも言うべき彼には、隊長も敬意を払っている。

 その分、ソーン補佐官とはまた別の方向性で遠慮が無い。本質的に勤勉な兵営長にとって、望まない遅参は中々に腹に据えかねるもののようだ。


「――隊長? 『測量器具の件』とは?」

「げっ……お前、いつの間に……」


 本当にいつの間にか皆の後ろに立っていたソーン補佐官が、凍えそうな冷然とした声を発する。エイワーズ達までが思わず慄然(りつぜん)とするほどだ。


「お前、その神出鬼没さは何とかならんのか?」

「誤魔化しても無駄ですよ。――話半分で引き受けて、忘れていましたね? 測量ということは、地図の更新ですよね。町にとっては最重要事項の一つです。町長もさぞかし気に病んでいらっしゃったことでしょう。

 ――そ、れ、を。どうやったら忘れられるというのですか、このぼんくら頭は?」


 ソーン補佐官の丁寧だが冷厳な声。そして、空恐ろしいほどのにこやかな笑み――真面目に怒っている時の顔だ。

 自分たちに向けられたものではないとは言え、その恐怖を何度か味わっているエイワーズやフェフは、思わず目を逸らした。ストライフ兵営長だけが、我が意を得たりと言わんばかりに満足気に頷いている。


「エイワーズ。お手数ですが、至急、班の皆に手伝って貰って測量器具をまとめて下さい。倉庫の奥にあるはずです。フェフ、貴方は町に向かう準備を。兵営長、伝言ありがとうございました。エイワーズ達の手が空くまで一息ついてから、修繕の支度を」


 全く笑っていない目で隊長を見据えたまま、矢継ぎ早に指示を出す補佐官。隊長は、さすがにばつが悪そうに、だが反省のそぶりが全く窺えない表情で肩をすくめている。

 エイワーズは即座に動いたが、フェフは出された指示の理由が掴みきれず、目を踊らせた。


「フェフ、申し訳ありませんが、隊長と一緒に町長にお詫びに行って下さい。この人にだけ任せておけません。隊長、副長の上位2名が揃ってお詫びに伺う体裁を整えることで、少しは格好がつくでしょう」

「……お前が行った方がいいんじゃねぇか?」

「町長さんは、職位を気になさるお方です。私では軽い」


『いや……補佐官さんが一番だと、叔父貴も思っているんじゃないかな……』というストライフ兵営長のつぶやきは、誰からも流された。

 フェフもそれには同意するが、あえて補佐官さんの矛先を自分に向かせる必要は無い。補佐官さんに“懇切丁寧に”職位の何とやらを説明されることに比べれば、隊長と共に町長の下に赴く方がまだ楽に決まっている……多分。


 だがその判断を、その日の午後には悔やむフェフだった。



-----[2016.03.29]

各章ごとに一応独立した話ではありますが、連載作品として構成し直しました。一話5000字程度を目途に分割して投稿します。

群像劇を目指したはずが、上手くゆきません……。

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