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人の間の、引力の虹【その11】

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本日、第6章【その11】(本話)と【その12】(次話:最終話)を、2話連続投稿しております。

閲覧の際には、話数をご確認下さい。







「――どうする? 選ぶことを許される者よ、振り返ることを許される者よ。

 そのくびきを捕らえることを望むか? 解き放つことを望むか?」


 隊長の表情は、いつか見たあの人のように、感情を一切感じさせない硬質な無表情だった。いつもの軽快な笑みも無く、かといって嘲弄(ちょうろう)の気配もない。ただ、酷薄さを感じさせる淡々とした重い口調が、似つかわしくなかった。


「た、隊長……? いったい、何を……」


 喉の奥が痛くなるほどに、口が渇く。声がうまく発せられない。フェフが高く見上げる視線の先には、自分の知らない“なに(・・・)”が居るのだ?


「フェフ……ッ」


 不意に彼の周囲に温かい空気が満ちる。同時に誰かが自分の背に縋り付く。感じる、人の体温と守りの力。ナウディーザの『結界』。何も分からないまま、それでも彼女はフェフを“守ろう”としていた。


「――――其も同様。ナウディーザ、(いにしえ)の過ちの記憶よ。オスクの(めぐ)()よ。神を望むか? 人を望むか?」

「えっ…………?」


 耐えきれないほどの畏怖を感じながら、必死でフェフの背にしがみついていたナウディーザは、突然にかけられた声に硬直した。

 問われた内容も、問うた相手もそうだが、何よりも。


「どう、して……我らが神の御名を、あなたが……?」


 ナウディーザにとって誰よりも怖ろしい目の前の人が、彼女に呼びかけた名称。

 『オスク』の愛し子。

 その名は、彼女の一族が、限られた極一部の者だけに密かに語り継がれてきた、彼らの神の御名――『盟約の神々』の一柱、“呼び迎えの御方”オスク。その名は『盟約』と共に失われ、今や知る者はかつての愛し子の一族、ナウディーザの一族だけのはず。


「神の御名……? オスク神? それは、『盟約の神々』の御名なの、ナディ?」


 与えられた数々の衝撃に硬直していたフェフだったが、それ以上の動揺を見せたナウディーザの態度に我に返る。そして、新たな事実に再びの衝撃を受ける。

 フサルク神以外の全ての神――『盟約の神々』は、その個別の名で呼ばれない。その名は『盟約』と共に、人から失われた、奪われた。


 呼ばれる名も持たず、映し出す姿も持たず。

 過ぎゆく時間の中で、名を失い、姿を失い。

 そうやって、神々は人間の前から消え去ったのだ。


 背を振り返ったフェフに、蒼白な顔でナウディーザが肯く。目に見えないはずの彼女の『結界』が、月光を映してわずかに揺らめく。


「わたし達の御神、呼び迎えの御方。望むものを呼び、迎え入れ、守りし御方――」

「――そして、解き放つことを忘れた、愚かな者だ」


 ナウディーザの震える声を引き継いだのは、隊長だった。フェフとナウディーザは、揃って彼を見上げる。その表情がわずかに緩む。糾弾するような、それでいて詫びるような、不思議な視線。

 隊長が一歩、また一歩と彼らに近づく。ナウディーザは半ば無意識のうちに『結界』を拡張させたが、その力は彼をすり抜けてゆく。後5歩、4歩、3歩。


 その時、ナウディーザの『結界』が爆発するかのような煌めきを見せた。

 陽炎のような、赤金の輝き。光に弾かれるように、フェフは目に見えない力でナウディーザから引き離された。彼女と出会った時のような、大いなる力の奔流。倒れ込みそうになった彼を、隊長の長身が受け止めた。


「ナディ!」

「フェフ!!」


 彼女の力に依るものでないことの証拠に、ナウディーザの瞳が驚きと悲嘆で見開かれる。フェフを弾き飛ばしたその力は、今度は彼女に向かって収束してゆく。守る意図ではなく、捕らえる意図を持った力の動きだった。


「ナディ!! 捕まっちゃだめだ!!」


 必死でフェフは彼女に手を伸ばす。しかし今度は捕まえられない。駆け寄ろうとする彼の肩を、隊長の大きな手が引き留める。その強い力に、彼は一歩も動けなかった。思わず見上げた視線の先で、隊長の酷薄な笑みがナウディーザを睨めつけていた。


 赤金の輝きがナウディーザを覆った、その時。

 その力を、さらに異なる色が覆い隠した。


 乳白色の、虹の遊色を秘めた蛋白石(オパール)色に似た、輝き。

 強く、哀しく、優しく、そして冷厳なその輝きは、ナウディーザを覆う光を奪い、混ざり合った輝きが、彼女とフェフ達との空間で何かを形作る。彼の両肩を掴む手が僅かな動揺を示し、眇められた眼が新たな輝きを見つめる。


 ――フェフよりも頭一つ分高い、秀麗な姿。

 長い、地を這うほどに長い虹色の髪。

 それでも、その姿を見誤ることはなかった。




「過保護な者よ――勝手をして。

 やはり、其か。『盟約』を忘れたか? 吾の目の前で、それを成すか?」


 フェフの背後で、隊長の声が発せられる。最初の一言には、どこか温かいものが感じられたが、続く言葉の冷たさには深い闇のような昏さが感じられた。フェフは両肩を強く押さえられ、隊長の表情を窺おうと見上げることすら叶わない。頭上から降りるその声を、フェフはただ聞くしかなかった。


《……還元と変容の御方(おんかた)……盟約の履行者よ。(まこと)か。》


 忘れ得ぬあの人――ソーン補佐官さんの姿をした『何か』が口を開いた。

 ゆらりと陽炎のように立つその姿は、見誤ることもないあの日と同じ色と姿。だが、その目は固く閉じられたままで、その美しい口元から発せられる声は、彼のものとは全く違う。

 玲瓏たる声。無邪気な幼子と厭世的な老人が、数多く同時に話をしているかのような、不思議な反響。幾重にも混ざり合った、澄んだ声。音楽にも似たその不思議な声が、隊長に向かって戸惑いを感じさせる言葉を紡ぐ。


《御方が、名を持ち、姿を得ていようとは。御方が巫覡(かんなぎ)を得ておられようとは。》

「――世は定まらぬ。人も定まらぬ。常に変わりゆくもの、変容しゆくもの。

 あらゆる連環を解き放ち、盟約を凌駕する『人の力』の怖ろしさよ。

 望まずとも、奪われしことに異存はない。それもまた、盟約の定め」


 フェフの大切な人たちの姿をした“何ものか達”が、彼らだけの了知による会話を交わす。感情はこもっていない、それでいて面白がるような思念が感じられる『隊長』の声。

 フェフの肩を掴む手が緩む。半ば無意識のうちに、彼は背後の人物から離れ、視界に入ったもう一人の大切な人の元に駆け寄った。


「……ナディ……よかった、無事なんだね」

「フェフ……あれは、あれは……っ」


 彼女に向かって収束していた赤金の光は、既に無い。ただ呆然と、ナウディーザはソーン補佐官さんの姿をした『何か』を、大いなる畏怖と驚愕をもって見つめていた。


「……『神迎(かむか)え』……」

「え、なに?」

「今……そこに……神がいらっしゃる。わたし達の神が……。

 フェフ……ッ “あの人”は、誰? (めぐ)()と、巫覡(かんなぎ)にしか出来ない御技を成されている、あの人は何?!」


 ナウディーザの知識にある、数々の伝承。その中の一つである奇跡が、今そこに現れていた。

 本来は、呼ぶ名も映し出す姿を持たぬ『盟約の神々』。彼らが人の前に現れることができる、ただ一つの(すべ)――『神迎(かむか)え』

 自らの愛し子の姿をその(うつ)()とし、その身体を介して神の意志を伝えるとされるもの。神が人の世に在する、ただ一つの術。愛し子は、その秘された名を知る自らの神のみに成すことができるが――巫覡はあらゆる神を迎えることが出来るという。そもそも巫覡は、その神の力を“奪い”、名と姿を与え、人の世に繋ぎ止める者だ。そして、その神の力を自らのものとすることが出来るという。神の代理人。神の力を駆る者。繋がれたその神が、他の神と語らう術として、巫覡は他の神をその身に映すことができるのだと、古人(いにしえびと)達には伝わってきたのだった。


「フェフ……怖い、わたし、怖い。わたし達の神であらせられるのに……わたし、怖くて仕方ないっ」


 ナウディーザは涙を流してフェフに縋り付いた。全身から伝わる、彼女の怯え。自身も動揺と混乱を抱きながら、それでもフェフは助けを求めて伸ばされた手を、しっかりと握りしめた。震えるその背を包み込むように、しっかりと抱きとめる。捕まえた温もり。

 その柔らかな感情の裏で、フェフの心には哀しいまでの激情が渦巻いていた。

 昨日ようやく知らしめられた、哀しい真実。それを裏付ける、彼女の言葉。



 あの人は――“ソーン補佐官さん”は――『神を捕らえた者』なのだ。



 かつては“人間(ひと)”であったのだろう。それも異能の力など持たない、ただの人だったはずだ。どれほどの事があって、どれほどの葛藤があったのだろう。何があったのだろう、何が起きたのだろう。

 それでも――彼は『神々の盟約』を打ち破ったのだ。

 そして、捕らえた神の力を駆り、そしてその神に名と姿を与えた。隊長――“アンスーズ”としての存在を作り出したのだ。

 『茨の怪物(スリザス)』と称されるほどの、強大な神の力をもって……そして彼は“人間の為に”力を行使した。神の御名(フサルク)をみだりに唱え、“人間の力”でもって蹂躙されてきた同じ“人間”を救うために。『人間の国』ルーニックという救いの手を作り出すために。


 彼はあの時も言っていたではなかったか。あの時、『黒の神官』ウィアドに向けて、自嘲を込めて語られたあの言葉。


『神の力を振るうということは、巨大な化け物の背に乗るようなもの。――その足元で、自分が一体何を踏みにじったのかに気付かない』


 望んで行使したはずのその力に、誰よりも傷ついたのは彼だったのだろう。

 一瞬で消え去ったと伝わる使国の兵達。きっとそれは真実だ。そして、その力は使国の兵だけに及ぼされた訳では無かったのだ。

 一時は昂揚したであろうその“結末”に、その足元で“踏みにじられた”者達の存在に気付いた時。彼の心を襲ったものは、どれほどの激情だったのだろう。


『もう二度と、誰もその化け物の背に乗ってはならない』


 その決意が、彼を“スーリザス”から“ソーン”に変えたのだ、きっと。捕らえ、名を与え、姿を与えた“獲物”の神と同じく、新しい名を持ち、その“(アンスーズ)”を捕らえ続けることを選んだのだ。自らその力を振るうためでは無く――誰にも二度と神の力を振るわせないために。


 フェフが【能力者(ドルヴィ)】としての力を振るうことを、哀憐でもって見つめるはずだ。自らの行為の結果、生み出されてしまった【ドルヴィ】という存在。異能の力を、“人の為に”振るわざるを得ない立場。『茨の怪物』を失った後、建国したばかりの若い国ルーニックを守り続けるために、決して手放せない力。

 彼は選んだ。『人間の国』を守り育てることを選んだ。選ばれなかった『異能者たちからも神の力を奪う』という道は、彼にとって決して振り返ることを許されない選択だったのだ……。


 長い年月を、このルーニックという国と同じだけの年月を、彼はどれほどの想いでもって越えてきたのだろう。幾度となく振り返りたかっただろう、幾度となく後悔してきただろう。

 でも彼は、選ばなかった道を見ずに歩み続けてきたのだ。

 唇を噛み締め、拳を握りしめ。唇から滲む血を飲み込み、掌に生じる傷を握り込み。果てしない道を、計り知れない重い責を負ったまま、ずっと歩み続けてきたのだ。


 『人間』を、人間であり続けさせるために。神の手から解き放つために。





次話【その12】は、21時に公開されます。


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