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人の間の、引力の虹【その8】



「ナディ、足元は大丈夫? 無理しないでね、もう風は冬の気配だから。寒くない?」

「…………大丈夫、わたしの居た所は、もっと寒かったから」

「そっか、でも本当に我慢しないでね」


 朝の食事を終え、隊員達が哨戒を始めとする日常業務にかかったのを確認して、フェフはナウディーザを連れて外に出た。兵営に残った第二班の何人かが興味深い視線を投げかけてくるが、彼女に軽い挨拶だけをかけて、そそくさと姿を消してくれる。隊長はもとより、ラーグ班長も彼女の視界には入らない様に気を遣ってくれている。第25隊の皆は、基本善良だ。決して意に沿わない無理強いはしてこない。

 ナウディーザも、そんな彼らの態度に感謝の念を抱いているが、知らない相手との接触は、心よりも身体が先に反応してしまう。強張る肢体を止められない。

 どう接していいのか、彼女も分からないのだ。挨拶を返そうとしてもとっさに声が出ない。その躊躇いの間に、彼らは多少の残念さを秘めたままに姿を消してしまう。それが本当に申し訳なかった。


「ごめんなさい……皆さんに、迷惑をかけて」


 目の前の彼には素直に声が出る。身体もいつものように動く。「ナディ」なんていう聞き慣れない愛称で呼びかけられることにも疑問を抱かない。心地いい。それが“同じ異能者”に対する依存なのだろうとはぼんやり思うが、それでもその本能的な安心感からは逃げられない。

 うつむき、小さな声を発するナウディーザを、フェフは優しく見守る。

 17歳を過ぎたばかりだと聞いた。ルーニックではその生まれた季節ごとに年齢を数えていくので、フェフはこの還元の火祭り(サムハイン)にまた一つ歳をとる。そんな自分より5歳下。年齢以上に精神が成長しきっていないように感じられる彼女は、時として大人びているし、幼い。特に人と接する(すべ)を知らないあたりが、かつての自分を彷彿とさせる。

 フェフは空を見仰ぐ。初冬を迎える澄み切った午前の蒼穹は、今はここに居ない誰かの瞳を思い起こさせる。その人達から与えられた温かな想いを、自分は彼女に与えてあげられるだろうか。


「謝らなくてもいいよ。ちゃんと君の気持ちは、みんなにも伝わってるから。それにあの人達、甘い顔をするとすーぐ遠慮がなくなっちゃうから、ちょっとは遠巻きにさせておいた方がいいと思うんだ。だから、無理して近づかなくてもいいからね? 本~当に、あの人達、遠慮がないんだから。君みたいな可愛い女の子、あっという間に玩具(おもちゃ)にされちゃうから」

「玩具……」

「え、あっ! 違う違う!! ごめん、そんな意味じゃなっくって、って。あの、その、純粋に子どもに構うっていうか、からかいの相手って言う意味で!! って!! あの、ナディが子どもだっていう意味でもなくって!! あーーっ、僕、何言いたいのか訳がわかんないーーっ」


 自分が口にした言葉の意味が、色めいたものにも聞こえることにすぐさま気付いたフェフは、真っ赤になってしどろもどろの弁明を始める。普段のフェフは比較的落ち着いた態度や口調なのだが、彼女が相手だと勝手が違う。何とも言えない気持ちになってしまう自分が愚かしい。


「うん、その……でも『ナディと親しくしたい』っていう気持ちは、皆あると思うよ? そりゃクワートとかオウンさんとか、多少の下心もありそうだったけど……でも、単に『仲良くなりたい』だけの純粋な気持ちだから。だから、もう少し君が“この先”のことを考えられるようになったら……みんなとも会話してあげてくれないかな?」


 まだ赤面は引かないが、何とか穏やかに見える表情でナウディーザに向き直る。その態度よりも何よりも、告げられた言葉の内容に、彼女は戸惑いも露わな不可思議きわまりないという瞳を返す。


「わたし、と……? どうして……?」

「どうしてって……だってナディは可愛い女の子で、気立ても良さそうで……ここの皆は人懐っこい性格の人が多いし、知らない土地のことを知りたいっていう気持ちもあるだろうし。普通の感覚じゃないかな? 不思議?」


 フェフの返事は彼女の戸惑いを理解していない、素直な“普通の”回答だった。


「でも……わたしは……異能者、なのよ……?」


 フェフからも視線を逸らして、小さく放たれたその言葉に、フェフはガンッと頭を殴られたような衝撃を受けた。なんてこと。

 わずか2年ほどの期間だった。このオガムの地に、第25隊に赴任してからの日々の中で。その心地よく包まれる愛情の中に身を置く中で、いつの間に忘れてしまえたのか。

 『異なる者』として、他者から忌避されることへの怖れと怯え。

 心を寄せられるはずもないと、自分たちから接触を断つことが当たり前だった日々。

 そんな気持ちをつい忘れてしまえるほど、自分は――満たされてきたのだと、心の底から実感できた。

 彼女は単に見知らぬ相手に怯えていただけでは無い。自ら望んで関わろうとしなかったのだ。

 怖いから、拒絶されることが怖いから。伸ばされたその手が、単なる戯れであることが怖ろしいから。


「うん、そうだね。ナディも僕も『異能者』だよね。同じだね。

 ……ここでの僕は『ちょっと変わった力を持ってる、第25隊の兵隊さんの一人』なんだ。町衆の皆からもそう思われているよ? コールなんて……あ、僕の友達なんだけどね。彼なんて、すぐ僕の力で楽をしようとするくらいだよ? そしてお兄さん達に叱られているんだ。彼、良い子だから、そのうち会ってあげて。隊長に何とか許して貰うから」


 戸惑いと不安さを隠しきれないままのナウディーザに、フェフは敢えて明るい口調で語りかける。自分が皆から与えて貰ってきたその温もりを、せめても感じられるように。


「僕は、ここでは“異なる者”じゃないんだ。ここの皆が、そう思わせてくれた。ちょっと変わった、ただの人。足が速かったり、力が強かったり、目が良かったり。そんな得意技を持ってる他の人と同じ。

 ナディ……ナウディーザ。僕が言うのはおこがましいとは思う。でも君にも知って欲しい、感じ取って欲しい。僕はもう、自分から離れたりはしない。自分が近づいても、遠ざかっていく人たちの方が多いとも思う。でも、僕は逃げないよ。僕達の力は『人間である者に対して、神々が与えた』ものだ。僕達は『人間』なんだよ。神の眷属でも、一部でも、下僕でもない。『人間』に対して干渉できない神々が、『人間』の為になるようにと同じ(・・)『人間』に与えてくれた力。僕はそう信じてる。ここで、そう信じることができた。

 『異能者』は“(ひと)(あいだ)”でこそ生きるべきだ。

 あの山脈は、君の居た所にも繋がっているんだよね? 空も大地も、そして心も、どこかで繋がっていると思う。結び繋ぐことができると思う。

 ナディ。自分から独りにならないで。以前の僕のように、そして他の【能力者(ドルヴィ)】たちのようにならないで。一緒に、その気持ちを感じとっていって」


 フェフはナウディーザの両手をとり、その掌を包み込むように覆った。小さな手。軍人である自分とは異なる、たおやかな手がわずかに震える。

 助けを求めるその手を掴む。自分の手を伸ばし、掴み取る。その為にある、自分の手。

 守ってあげたい、その生を。自分が与えられ信じることができたその力で、目の前の彼女を包んであげたい。『信じる力は、人を自由にする力』だと言ったのは、隊長だっただろうか。彼女の心を、異能者というくびきから解き放ってやりたい。どんな力でも、心までは縛れはしない。


「…………ナディ?」


 フェフに手を握られ顔を伏せたままの彼女を、のぞき込むように声をかける。その耳が赤く染まっている。同じように赤く染まった目尻に気づき、フェフは慌てて膝をついて彼女を下から見上げる。


「ご、ごめん、ナディ。泣いているの? 僕、酷いこと言ったかな……ごめん、そんなつもりじゃ……」

「…………ち、違うから…………あの、手、離して、下さい…………」


 かすれるように紡ぎ出された言葉が耳に入ると同時に、彼はナウディーザの顔を染める赤が羞恥によるものだと気付く。

 同時にフェフも真っ赤になって、慌ててその手を離して空に掲げ上げる。行き場のない彼の両手は、ひらひらと踊る様に右往左往した。飛び退るようにナウディーザから二歩下がるが、足がもつれてそのまま仰向けに尻餅をつく。助けようと、とっさに彼の手を掴んだナウディーザも巻き込まれ、あの“出現”の時をなぞるかのように、抱え込まれるような体勢で彼女はフェフの身体に倒れ込んだ。柔らかくうねる長い髪が、フェフの上半身を覆った。


「あ、あの…………ごめん、なさい」

「こっちこそ、ご、ごめん。あの、その……身体、どけてもいい?」

「え、ええ…………痛っ」

「え? あっ! ごめん、髪が釦に絡みついているみたいっ えっと、解けるかな……ごめん、ちょっと我慢して……本当にごめんっ」


 意図せず密着する互いの身体とその温もりに戸惑いながら、二人は同じように狼狽えながら体勢を立て直す。朝露も乾いた木立の奥で、虹色の輝きが密かに煌めいてた。



* * * 



「…………なぁ、ラーグ? 甘酸っぱいな……見てらんねえ」

「…………副長って、意外と天然たらし? たらされ? あぁぁ……何か心がむず痒い。イース、お前の若い頃、思い出す」

「…………俺、確かに惚けてたけどさ。あそこまで酷くなかったと思いたい」


 隊長の命で、隠密しながらフェフとナウディーザを見守っていたイースとラーグの災難だった。当人たちよりも見ている方が恥ずかしいという不思議な光景に、いささかげんなりした表情を浮かべて顔を見合わせる。

 若者たちのどこか微笑ましい、だが正視しがたい光景を脇目に、二人は身を隠す木陰の中で姿勢を崩した。彼らのような擦れきった身には、なかなかに衝撃が大きい。喉の奥が痒くなる。


「なんだ、心配いらなかったな」

「そうだな。強かったよ……見くびって申し訳なかったな」


 安堵の息を吐いて、二人は共に空を見仰いだ。木立の影越しに見える青く澄んだ蒼穹が、居ない人の瞳を思い起こさせる。


「――――とうとうお前とも離れたな」

「ああ……意外と長かったな……まあ、戦場は同じみたいだし、繋がる大地と空は一緒だな」


 軍の幼年学校時代から、軍人となって以降も、ずっと同じ軍団に属してきた彼ら二人の所属が別れるのは初めてのことだ。それが珍しいことであることは承知しているし、共にいなければ力を発揮できないと甘えるつもりもない。ただ寂しさがあるのは確かだ。


「お前は第十六だったか……前に副長が居た所だな」

「ああ、後方支援のドルヴィが多い所だよ。だからちょっと楽しみだ――彼らの意識を思いっきり変えてやるさ」


 意地の悪い笑みを見せたラーグは、以前フェフに語った約束を忘れていない。【軍の能力者(ドルヴィ)】たちを、同じ(・・)軍団兵として。彼らの力を、本来のものに。

 口には出さないその誓いを、ラーグは拳の中に握りしめる。


「お前の方こそ、第九だろ? あそこは基本、強襲切り込み部隊だ。なかなかにお前向きだよな? せいぜい、駆けずり回ってこいや」

「あいにく、ここでの暮らしで身体が怠惰に馴染んでるからなぁ? ご期待には添えないと思うぞ? 俺は今回ノンビリやらせてもらうつもりだよ。たまには頭を使って配下を動かすのも悪くない」

「お前が? 自分で動かないだって? 何の冗談だ、そりゃ」

「――さらに『上』を目指すなら、そういうのも必要だろ?」


 視線を合わせることなく、何でもないような素振りで口にするその言葉には、隠しようも無い決意が滲んでいた。もう二度と、何も奪わせない。


「…………まったく、お前の口から『上を目指す』なんて言葉が出るなんてな……あーあ、さらに差が開くじゃねえか。俺はそんなに早く“水”を追いかけらんねーよ。ちょっとは手加減しろよ」

「勝手に決めんなよ。お前の方がよっぽど“水”っぽくないか? どこにでも入り込んでその形が定まらないあたりなんて、俺以上じゃねえか。

 ……なあ、ラーグ。一度しか言わねえぞ。

 俺はもう二度と『出会った最高の相手』を、理不尽には奪わせないと決めたんだ。そのためなら、どんな苦労をしたって必要な力と立場を手に入れてやる。

 お前は俺の『最高の親友』だ。逃げんじゃねーぞ」

「………………なんだよ、おっかねーな」


 いつもの軽快な返しもできず、ラーグの口から出たのは平凡な台詞だけだった。それでも最高の激励は、望んだ相手から貰った。

 自分よりいつも少しだけ前を行く親友の姿に、ただその背を追いかけるのではなく、望んで背を守りたいと思う。後ろに続くからこそできることがある。共に並ぶのも悪くないが、自分にしかできないことをやるのもまた人生だ。


「……で、あの甘酸っぱい二人はどうする?」

「ほっとこーぜ、イース。いい加減、胸焼けがしてきた。隊長から言われた義理は果たしたし、そろそろ誰かと交替したい」

「いっそ、クワートやオウンと交替するか?」

「お前、そこまで性格悪かったか? でも……そっちの方が面白いか?」

「だろ?」


 いつもと変わらぬ、楽しいことを企む表情を浮かべて二人は肩を小突き合う。

 楽しいことも、苦しいことも。怒りも、哀しみも、喜びも、嘆きも。

 全てを誰かと分かち合う事なんて出来はしない。自分だけの経験と考えを胸に、お互いを見つめ合うのでは無く、同じ方向を見るのだ。

 何度でも振り返ろう、何度でも後悔しよう。

 それでも、自分たちは前に進むのだ。守りたい何かの為に。

 水の流れの、最初の一滴(ひとしずく)がどこから生じたのかなど、誰も知らない。でも、やがて集まり流れとなって、どちらともなく交わって。そうやって一つの大きな流れとなって、周囲を潤してゆく。やがて空に還る、その日まで。



 ――後年、ルーニック国軍には『水璧』と称される軍団司令が誕生する。




作者が書ける微糖成分はこれが限界かもしれない……。


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