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人の間の、引力の虹【その5】



「ね、ねっ! 誰、あの子?」

「可愛い顔してたよね! 西の人の色だけど、どっから来たのかな?」

「な~クワートぉ? 正直に見たまま話せよ?」

「ですから、さっきから正直に話していますってばっ! オレが見たのは突然現れた姿だけですよっ!」

「副長が呼んだんだよね?」

「さぁ? 本人は否定してたみたいだけど?」

「で、どうなんだよ、クワート!」

「だから、さっき話したまんまですってばっ!!」


 隊長達の一行が戻った後の兵営は、久しぶりに陽気にざわめいている。なにせ突然に現れた『女の子』だ。西方人は全般的にルーニック人よりも若く見えることを差し引いても、成人したばかり程度にしか見えない、若くそれなりに可愛い女の子。

 兵営に運び込まれてもなお、気を失ったままである彼女とは誰一人会話を交わしている訳ではないし、その姿も早々に客室に運ばれてしまっている。隊員達は、垣間見えたわずかな記憶だけを頼りに盛り上がっているのだ。

 当事者であるフェフ副長は、隊長と共に彼女のいる客室に引っ込んでしまっているので、矢面に立っているのはもう一人の当事者であるクワートだ。いつもならこんな彼らを制御してくれる補佐官さんがいない現状では、誰一人遠慮はしない。しかも今兵営にいるのは第一班と第二班。イースとラーグの両班長も、彼らを止めようとはしない。ここにティールが居なかったのは幸いなのか不幸なのか。

 涙目になりつつ、何度も見たまま言われるままに状況を語るだけのクワートだったが、その光景を見つめる両班長の表情はどこか硬いものがあった。皆の喧噪を幸いに、二人並んで壁に寄りかかり密やかな会話を交わす。


「……補佐官さんを、呼ぼう(・・・)とした、か……フェフらしいというか、クワートとコールが焚きつけたというか、なんというか」

「副長だけなら思いつきもしない行為だよなぁ……まったく、コールもクワートも、変なところで頭が回る。なぁ、イース。ところで、お前はこの件、どう考えてるんだ?」

「どうって……お前と一緒だよ。あの人が隊長の側を離れているんだ……よっぽどの事情があったとしか考えられない。なにせ、あの(・・)台詞、忘れたくたって忘れられるもんじゃないしな……」

「あぁぁ……思い出させるなよぉ……」


 ラーグもかつてのイースと同じように頭を抱えて渋面を作る。あれほどの執着を表現していたソーン補佐官さんが、意に添わぬ離脱をするはずもなく――また、自分の意志で離れるとは考えられない。だから――


「俺、補佐官さんは、実は近くに隠れているんじゃないかって疑ってる」

「そりゃ、斬新な考えだな。それは、あれか? こないだクワートが見たって言う幽霊話とも関係するのか?」

「ああ、ラーグ。お前は昨日まで町だったから知らないだろうけど、クワートだけじゃないんだ。ここ数日、夜番の奴らが何度か変な人影を見つけてる……らしい」

「らしい、だけじゃ根拠が薄いな。はっきりと目撃したのはクワートとフェフ副長だけってことか。だがな、イース。だとすればなおさらだ。あの人は自分の意志で、第25隊からは離れたってことだ。つまり隊長以外から……多分、フェフ副長から離れた」

「隊長の(めい)かな……あの人なら、それくらいの荒療治をやりそうだ」


 イースもラーグも、フェフに対する親愛と労りの念は変わらない。だが、彼がこのまま第25隊に依存しきってしまうことを、僅かなりとも懸念しているのも確かだ。


「まだ辞令は出ていないが……間違いなく、俺らはこの冬にはここを離れる。フェフとも別れる。フェフもまたこの第25隊を離れるだろう……俺らと、コール達とも別れたその時、今と同じようにいられるかどうか。フェフは強くて脆い。均衡が悪いんだよ。いっそのこと、先に叩きのめされて打ちひしがれるような目に遭った方がいいんだろうな……って俺が思うくらいだ。隊長の荒療治は適切だと思うよ」

「その結果が、これか? 誰だよ、あれ。何を引っかけてきてるんだか」

「そんなの、俺も知らねえよ。ただ――隊長がちょっと変だな。珍しく神経質だ。彼女自身がどうこうというより、今回の事態が隊長にとっても不本意なものなんだということは明らかだよ」

「確かに。珍しく真剣な顔だったな、隊長」


 態度には一切表さない二人の班長の真摯な会話を余所に、勝手気ままに盛り上がっていたクワートへの尋問まがいの喧噪は、ウリヤンドが登場してようやく収まった。補佐官さんには及びもつかないが、彼もまた人心を掌握し調整する術を心得ている。


「さあさあ、本日の夕食当番は? 念のため、病人用の食事も準備して下さいね。後は夕食時に隊長から説明を受けること。それまで三階には立ち入り禁止です。まずは日常業務を片づけて下さい。クワート、貴方はコール君に任せっきりにしていた牛舎の確認を。イース班長、貴方も手伝ってあげなさい」

「えっ、何で俺も?」

「二人も居て、一緒に帰ってくることないでしょうに。どちらか一人が居残れば、コール君に迷惑をかけなかったはずです。彼もまだ怪我人ですよ? 貴方達、好奇心はいいことですが、他に迷惑をかけてはいけません! その罰です!」


 最近のウリヤンド所長は、ある意味ソーン補佐官さんとケーン事務官を足して割ったような、正論厳しい態度だ。反論の余地のない彼の言に、イースは諦めてクワートと共に不承不承牛舎に向かった。


「ラーグ班長、お手数ですが今から町に向かってもらえますか? 夕食は残しておきますから」

「今から?」

「ええ、馬を使って下さい。至急、ストライフ兵営長に伝言を。そして、女性用の着替えなどの手配をお願いします。奥様にお願いすることになるでしょうが」

「ああ、そういうこと……了解です」


 さすがに気の回るウリヤンド、簡潔な事情説明と必要物品の目安を記した伝言書をラーグに託し、残る兵達を食堂から日常業務に追い立てた。クワートはどこか安堵して、他の皆は名残惜しそうにそれぞれ散ってゆく。隊長達が引っ込んだ三階からは、何の気配もしなかった。



* * * 



「で、フェフ。どうやって『呼んだ』んだ?」

「…………あの姿と名で。その瞬間、何かの力に引きずられました……」


 客間の寝台では、運び込まれた少女が静かな寝息をたてている。多少の擦り傷や火傷の後が見られる他は、大きな外傷もないままの少女。瞳は硬く閉じられ意識を戻す気配はないが、その呼吸は確かであり生命の危険を感じさせるものはない。フェフにも覚えのある昏倒具合――これは能力を使いすぎたりした時によくある症状だったので、そのまま彼女が自然に目覚めるのを待つことにした。

 同じ部屋の中で、それぞれ椅子に腰掛けて向かい合い、フェフは隊長から尋問されていた。尋問と感じるのは、フェフに後ろめたさがあるからだ。


「幻が見えました……どこか遠くの異国。でも見えた山脈は北の葱嶺(そうれい)だと思います。多分……西から見た風景。そこが襲撃されていました。今思い返すと、あれはフリジアの軍服だった気がします」


 幻の中で、複数の人々が兵に襲われていた。一方的な虐殺。老若男女、誰一人逃そうとしないその行為。人々の悲鳴も、血の色も臭いも感じることはなかったが、ただ彼らの絶望的な表情と誰かに向けた怨嗟(えんさ)の瞳が印象的だった。あの怨嗟は――誰か見知った特定の個人に向けたものだった。


「なぜ幻の中で、彼女だけが僕に気づいたのか分かりません。だけど目が合いました。そして……捕らわれました」

「――それはお前の力じゃねえよ。あの子の力でもねえ。だが、お前を『捕まえた』のは、この()だな。フリジアの能力者か……多分、古人(いにしえびと)の隠れ里だったんだろうな、そこは。まだ使国内に残っていたとは、驚きだ」

古人(いにしえびと)……ですか?」


 盟約の神々が庇護を辞める以前には、彼らの力を受けた“(めぐ)()”と呼ばれる民はそこかしこに居た。現在の使国の元となったような、神々の選民たちだ。自らの神の庇護を失った後も、細々とその血統を受け継ぎ伝承を受け継いできた彼らは、古人(いにしえびと)と呼ばれていたらしい。だが神国と使国が覇権を競い、その影響力を広める中で、次第に彼らは姿を消していった。――抹殺されていったのだ。


「フェフ。今の世を生きる能力者達は、お前たちのように“一方的に”力を授かる者達だけじゃねえよ。数は少ないはずだが、かつての血脈を受け継ぎ、力を発症する者達だっている。この()は多分、そんな一人だ。……可哀想にな」


 隊長の声色(こわいろ)は、いつになく哀憐に満ちていた。心からの哀れみ。


「可哀想……なんですか? 僕達と違って、周りはその力はなくても同じ血脈と伝承を受け継ぐ人たちなんでしょう? だったら……」

「だからだよ、フェフ。分かるだろう? この娘みたいなのは――異端の中にある、唯一人のさらなる異端なんだよ。それがどれほど孤独で怖ろしいものか」


 隊長の言に、フェフはうっと口ごもった。『誰とも異なる』という怖れは、ドルヴィ達が常に抱く絶対的な怖れだ。ドルヴィ達はまだいい、少なくとも“同じような能力者”達が周囲に居る。だが……それがなければ。

 フェフは静かに横たわる少女を見遣った。まだ若い、能力者。そのような存在を許さない使国の中にあって、密やかに自分たちの伝承を受け継いで来た直中(ただなか)に生を受けた、その血脈の証。

 だが、それを周囲は受け入れられただろうか。誇るだろうか、畏れるだろうか。崇めるだろうか、遠ざけるだろうか。

 いずれにせよ、“皆と同じ”ように扱ってもらえたはずはない。その、絶対的な孤独。


「――『盟約』がもたらした、大いなる弊害だよ。例え自らの(めぐ)()であっても、彼らが“人”である限り、盟約の神々は干渉できない。『盟約』というくびき(・・・)を振り解くほどに強く“人”から望まれない限り、盟約に縛られたモノ共は何もしてはならない……」

「だとしたら……どうして僕達『異能者』なんて存在が生まれるのでしょうね」


 隊長が訥々と語る内容に、フェフは自然な疑問を抱く。自分たちは生まれ出でた時から、異能の力を秘めている。発現するのは物心が付く頃が多いが、いずれにせよ自分自身で望み得た力などではない。

 なのに、一体誰が望んで異能者なんてものを生み出しているのか。

 ルーニック以外に生まれついた異能者たちの行く末は、悲惨でしかない。フェフがその道をたどらなかったのは、命の親が与えてくれた限りない愛のおかげだ。


「どこにでも、約束が守れない奴ってのがいるってことだ。フサルクしかり、盟約の神々しかり。神々と呼ばれる存在であっても、間違う。無謬(むびゅう)じゃねえんだよ、何もかも。フェフ、お前たちはその誤りの被害者だ。いつか正されなくてはならない、神々の過ちだよ」

「――過ちとは考えません」


 隊長の言葉は心に染みてきたが、フェフはそれを拒絶する。『過ち』なんかで済ませない、済ませたくない。


「僕達の力は――たとえ異端であれ、神々の恩寵であるべきです。誰も傷つけない神々が、“人の為”となるために与えてくれた力。それを否定することは――隊長であっても許せません」


 キッと顔を上げ、隊長に向き直る。そんな彼を、隊長は口角を上げ見定めるかの様な剣呑な瞳で見返した。


「言うじゃねえか。それがここで得た、お前の信念か?」

「そうです。僕は、この“力”ごと、僕のままであり続けます。それが皆が僕に望んでくれたこと、僕が望んだことです。僕が選んだ、僕だけの未来です」


 ようやく掴んだ、自分だけの姿。

 雨上がりの水たまりに映る虹のように、はかなく揺らめく姿であったとしても。

 後悔を重ねながら、それでも何度も振り返りながら。

 自分は人の間で生きてゆく。


 フッと隊長の表情が緩む。何かに満足したような、いつか見たソーン補佐官さんの至上の笑みにも似た表情で。フェフの頭をいつものようにぽんぽんと叩く。優しく二回。


「お前は、“捕らえる”ことはないだろう。だから人は面白い。

 あいつに聞かせてやりたいものだ、過保護すぎるあいつが羞恥するだろうさ」


 謎めいた隊長の言葉だったが、そこから感じられるのは信頼感だった。何かを見極め、了知(りょうち)し、納得した上での信頼。見つめる隊長の瞳の中で、強い意志を示す自分の顔がフェフを見返す。その気持ちからはもう逃げない。


「フェフ。お前はヤーラと似ているようで、似ていないな。嬉しいことだ」

「師と? どうせなら、似ている方が嬉しいです、僕は」


 再びに突然隊長の口から出た、ヤーラ師の名前。先にも急にティールさんから聞かれて困惑した程ではないが、忘れ得ぬその人の名と愛は、今でもフェフに息づいている。


「……そのうち、確認するといい。彼女が望んだものと、お前が望んだものの違いを。悪いことじゃない、それは当然の結果だ。――そうだな、早く確認させてやろう。いい加減、この後始末もつけにゃならん。潮時だ。

 フェフ、この()が目を覚ましたら、しばらく面倒を任せる。この娘がどちらを望むのかを、お前が見極めてやれ」

「えっ……女の子ですよ? 僕が?」

「そこはお前、奥手だな。ティールにちょっと鍛えて貰え」

「いきなりティールさんじゃ、高度すぎます!」


 部屋を満たしていた剣呑で真剣な空気が、次第に和らいでゆく。いつもの第25隊の気配。心地よいそれにいつまでも浸っていたいけれど、それが叶わぬ思いであることをフェフも自覚している。依存しそうになっていた自分を鼓舞し、それを振り切る。柔らかな鎖を受け止めて、それでも離れていくのだ、誰もかも。

 捕らえ続ける必要はない。囚われ続ける必要もない。

 足りなければ、誰かに補って貰えばいい。それを無理矢理に自分のものにする必要はない。手を伸ばし掴み取るものは、その繋がりだけでいいのだ。人と人の間を結ぶ、虹の様なはかない橋。嘆きの雨の後にかかる、人の心を引き寄せる、引力の虹。

 フェフはもう、異能の力を怖れはしない。誇りもしない。ただ、自分自身として受け入れるだけだ。同じように感じてくれる人々と、遠くからでも虹の橋を繋いでゆきたい。ただ、それだけだ。


「――目を覚ましそうだな。さあ、フェフ。覚悟はいいか?」

「何の覚悟ですか、何の!」


 騒々しさが原因でないと思いたいが、今まで静かだった少女の呼吸が乱れ始め、身動ぎする。か細い声がわずかに発せられ、閉じられた目蓋(まぶた)がヒクヒクと動き始めた。

 その瞳が少しずつ開かれる。フェフと同じ、金茶の瞳。視点が定まらぬままのその瞳に、なぜか再び捕らわれたような気持ちになるフェフだった。




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