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人の間の、引力の虹【その4】



「ねえ、フェフさん。補佐官さんはいつ頃戻ってくるの?」


 他意のない純粋なコール少年からの問いに、フェフは苦笑した。一緒に兵営の牛の世話をしていたクワートは、隊長からの説明を素直に受け入れているようで、『多分冬至(ユール)過ぎじゃないかなぁ?』と、こちらも無邪気に返答している。

 あと十日も経たない内に還元の火祭り(サムハイン)を迎える頃。山の放牧地から羊たちを降ろしたこの時期は、牧羊家はそれほど忙しくない。せいぜい、妊娠している羊たちの体調を気遣うくらいだ。コールは腕を怪我をしていることもあり、今は家業の手伝いよりは日常的なお使いや家事などを手伝っている。

 あの神殿兵ファーンに切られた腕の傷は、深くはなかったとはいえ縫わなければならないほどだった。同じく負傷した犬のカンバイと共に、十日ほどは寝付いていた彼だった。ようやく動き回っても支障がない程度には快復したが、まだ腕を万全に動かすことは難しい。それでも町衆達にいつもの笑顔を振りまき、無理矢理に兵営に関する用事を引き受けては、フェフ達の元にやってくる。

 今日も、朝から町の詰め所からの書類を届けるためにやってきて、誰も咎める人がいないことをいいことにそのまま居着いて一緒に牛の世話をしている。もう少しで生命の危険に晒される程の怖い思いをしていながら、コール少年の態度は変わらない。フェフに対しても、いつもと同じ親愛にあふれた元気な態度だ。それどころか『フェフ副長さんの【能力】に助けられた!』と町でも吹聴して回っており、愛敬をさらに増している気がする。


 その嘘偽りのない心根が嬉しくもあり――そして怖かった。それは今までフェフが抱いていた怖れとは異なる、『失うことへの恐怖』だった。

 もう彼は、その温もりを、その充足感を知らない頃を、良かったとは考えられない。この地での生活が与えてくれた、“只人(ただびと)”としての生を奪われることがただ怖かった。そのためになら、どんなことをしてもよいと考えるほどに。

 その感情が、一番怖かった。あの黒の神官との対峙の時、フェフは怒りと憎しみの感情にもう少しで支配されそうになった。あの時の得体の知れない高揚感と開放感は、今もまざまざと息づいている。

 捕らえたい。この幸せを。

 自分の【異能の力】で、それを捕らえてもよいのだろうか。


「なんだか、補佐官さんがいないと、ちょっと寂しいっていうか。落ち着かないっていうか。いえ、補佐官さんに叱られたいわけじゃないんだけど。でも何か……こう、物足りないっていうか」

「うーん、分かる、分かる。オレもティールさんが近くに居なくなって、あんまり構われなくなったから、ちょーっと寂しいんだよね」


 そんなフェフの心境を知ってか知らずか、コール少年はクワートと共にたわいのない話を続けている。ただひたすらに、変わらない光景。自分の目で見るこの光景を、ずっと守り続けたい。


『神とやらを通したものではない、自分の目で見た光景を、決して忘れるな、手放すな』


 不意に、あの春の隊長の言葉が頭に響く。“神”を“異能の力”に置き換えれば、それはフェフにも言えることなのだろう。力を捨て去ることはできない。生まれ持って強制的に与えられたその力からは逃げられない。だからといって、その力に囚われてはいけないのだと、隊長も補佐官さんもいつもフェフに告げていた。

 【軍の能力者(ドルヴィ)】としてでもなく、異端の神々の力を駆る異能者としてでもなく、ただのフェフとして。その眼で見て、その手で掴み、全身全霊で受け取る“光景”を、人として大切に生きる……それが、彼らがフェフに望んでいることだ。


「だからね、フェフさん! 呼んでみない?」


 無邪気さを前面に押し出した軽快なコール少年の声に、フェフは思考の波間から戻って来た。だが、問われた内容が今ひとつ分からない。


「呼んで……って、どれを? カンバイ――は怪我しているからアウェイ? それともフェッチ?」


 アラグレンの近郊で仕事中であるはずの二頭の犬の名を口にするが、コール少年も、そして何故かクワートも眼をぱちくりとさせて首を振った。


「いやだなー、フェフ副長。オレ等の話、聞いてなかったでしょ」

「ひどいよねー」


 比較的歳が近いとはいえ、まだ成人前のコール少年と一緒になって戯れるクワートも、大人げない。しかし彼らの話を聞き流していたのは確かだったので、フェフは苦笑しながらも口先だけで謝る。


「あのさ、フェフ副長。人間を“呼べる”ようになったんですよね?」

「そうそう、ボク、呼ばれたから! そして兵営にも転移させてもらったから! すっごいでしょ?」

「コールが凄いんじゃなくって、フェフ副長が凄いの!」

「それは分かってるってば、クワートさん。

 んでね、だったら『ソーン補佐官さん(・・・・・・・・・)呼んでみる(・・・・・)』ってのはどうかなって?」

「――えっ??」


 青天の霹靂、というのはこういう心情を指すのだろうか。


「だって、補佐官さん、兵隊さんたちの誰にも挨拶しないまま行っちゃったんでしょ? ちゃんとお話したいだろうし、フェフさんがパパッと呼んで、そのまま元に戻してあげれば、補佐官さんも喜ぶんじゃないかな?」

「ついでに隊長がウリヤンド所長にやり込められている姿を見せてみたいですよ! きっと見物でしょうね!」


 二人の表情も口調も、どこまでも純粋で悪意のないものだった。あの日(・・・)の出来事を、あのソーン補佐官さんの慟哭を知らない、純粋な好意。

 フェフは苦笑しようとして失敗した。泣き笑うような表情になる。だがその一方で、すとんと胸に落ちたものもある。


「――成功するかどうか、分からないよ? でも……やってみようか。もし成功して、それでも補佐官さんに怒られたら、一緒に叱られてよ?」


 彼に一番会いたいのは、自分なのだ。その気持ちを偽らない。

 フェフ自身は思いも寄らなかった方法を提示されて、彼はどこか晴れ晴れした気持ちになった。

 自分の力で、自分の望むものを捕らえよう。それが異能の力であったとしても、それも“自分の力”だ。


 ワクワクとしたまぶしい四つの瞳に見守られながら、フェフは能力行使の体勢に入る。両手を拡げ、心の中で彼の姿を描く。

 最初に描いた姿と名は、いつもの秀麗なソーン補佐官さん。だが、鮮明であるはずのその姿と名で捕らえられる存在は、どこにも感じられなかった。まるでこの世の何処にもいないかの様に。

 フェフは一瞬の躊躇の後――今度は、あの日の彼を心に描く。虹色の遊色を纏う、乳白色の髪と漆黒の瞳。“スーリザス”という、その名――。


 途端、フェフの力が一つの方向に引っ張られた。いつもとは異なる、力の奔流。自分のものではない、強大で圧倒的な異能の力が、フェフの“力”を誘導し引きずり込む。


『く……っ、なに、これ……っ』


 初めての体験に、フェフは焦った。力が思い通りに制御できない。あの日に壊れたはずの【ドルヴィの首輪】は知らぬ間に元に戻っていたが、あの日のように甲高い音を発し始めている。


 ――思わず固く閉じたはずの目の前に、幻が映った。


 万年雪を湛えた峻険な葱嶺(そうれい)は、オガムから見る姿とは異なる。そのふもと、隠れるように密やかな異国の集落からは、黒い煙が上がっている。臭いは感じないが、明らかなる戦い――否、殺戮の気配。

 と、幻の中を赤茶の色が勢いよく近づいてくる。ふわりとうねる長い赤茶の髪をなびかせて、恐怖と哀哭に彩られた金茶の瞳がフェフを見つめた。驚きで大きく見開かれたその瞳にフェフが映った瞬間――フェフは自分を“捕まえる”力を感じた……。



* * * 



「えっ? わっ?」

「な、なに? だれ?」


 少し離れてフェフの能力行使を見守っていた二人は、突然の出来事に大混乱だった。

 能力を行使しようとしていたフェフ副長が表情をゆがめ、急に固まったように動かなくなると同時に、その両手の先に金色の輝きが生じた。そして、その輝きが赤みをもって煌めくと、光は収縮して副長よりもやや小柄な人型をとる。

 はじける光の眩しさに眼を眇めた二人の先で、フェフ副長がその腕に同じ色をまとった【少女】を抱いて地面に押し倒されていた。


「ふ、副長? それ……誰、ですか?」

「…………わからない」


 力の行使による疲弊感と、その腕の中にある柔らかな存在がもたらす混乱と動揺で、フェフの頭も働かない。自分が“呼んだ”とは思えない、逆に“自分が呼ばれた”かのような捕らえ方だった。

 目が合った瞬間、思わず幻に手を伸ばした。その結果が現状だ。傍から見れば、フェフが呼んだようにしか見えないだろう。だが彼女は、自分の知らない人だ。赤茶の髪色はフェフと同じ西方人の色だが、当然のように面識などない。

 押し倒されたような形で倒れ込んでいる体勢を立て直そうと、気を失った状態にみえる彼女を優しく押しのけようとして――フェフは再び困惑した。


 離れない。


 若い女性らしい硬さの残る柔らかな肢体の感触には、何も力が込められている様子はないのだが、それでも彼女はフェフの腕の中から離れなかった。


「……フェフ副長? もしかして……『捕まって』います?」


 もがくフェフの姿を見て、おそるおそるといった風情でクワートが確認する。最近はほとんどなかったとはいえ、兵営の皆にとっては見慣れた光景だ。すぐさま、現状の原因に思い当たる。


「ちょっと違う気もするけど……やっぱり『捕まって』いるようにしか見えないよね」


 フェフもとりあえず苦笑するしかない。自分の力で『捕まえて』いるのではない。だがそのことをクワートや、ましてコールに言っても理解できないだろう。この束縛は――多分、目の前の彼女がもたらしている“力”だ。彼女も異能者なのか、それは分からない。だが、自分と(ちか)しいその力を見誤ることはない。


「とりあえず、オレが離してみましょうか……って! 何これ?! 近づけない!!」


 少し落ち着きを取り戻したクワートがフェフに近づこうとしたが、何故か側に寄れなかった。フェフ達から三歩ほど前まで近づくと、目に見えない壁が生じているかのように、身体が前に進めなくなる。逆から近づいても同じだった。彼らを中心に、目に見えない天蓋(ドーム)がかかっているようだ。


「フェフ副長?」

「……僕の力じゃないよ。よく分からない。ごめん、クワート。とりあえず隊長を呼んできてくれる? このままじゃどうしようもない……僕も、ちょっと、限界に近いんだ」


 それほど強い力を行使した訳では無いはずなのに、フェフの疲弊は激しかった。身体の奥から力が奪われたような気怠さと強い干渉力が継続している。

 頼れるのは隊長しか居なかった。

 慌ててクワートは、コールに後を任せて兵営に駆け出す。コールも当然近づくことはできなかったが、それでも心配を前面に押し出してフェフを気遣っていた。


 やがてクワートが、隊長を連れて戻ってきた。一緒にイース班長が付いてきているのは、隊長の指示なのか、単なる好奇心なのか。


「……妙な気配がしたかと思えば……おい、フェフ。面倒なことを引き起こしやがって」

「すみません……でも、僕が呼んだ訳でも、捕まえた訳でもないんです……」


 隊長は苦虫をかみつぶしたような表情で、いつものにやにや笑いすら見せずにフェフを見下ろす。その表情に、イース班長もクワートも『おや?』といった怪訝な表情を浮かべて、コール少年と一緒に後ろから隊長たちを見守った。


「お前だけの所為じゃねえことは分かってるさ…………吾の目の前で“干渉”するか……なりふり構わぬその()(よう)、高く付くぞ……愚かにも見誤ったか……」


 フェフにだけ聞こえる程度の小さな声で、隊長が毒づく。誰に向けた言葉なのか、その声は重々しく、常とは異なる口調だった。


「隊長……?」

「ん? とにかく、兵営に戻ってからだな」


 隊長がいつもの口調と表情でフェフに近づく。だが、先ほどのクワート達と同じように見えない壁に阻まれて、隊長の歩みがとまった。


「あ、隊長。多分『結界』です。――彼女の力だとは思うんですが」

「そうみたいだな……面倒くせえな」


 口とは裏腹に、隊長は軽く(かぶり)を振っただけで、片手を見えない壁にあてた。乳白色の光が一瞬だけ輝き、ついで隊長が歩みを進めてくる。

 あまりに当然のように他者の能力が無効化されることに、フェフは瞠目した。だが、隊長は意に関せずフェフの両手をつかんで、彼女を解き放った。

 そして、ひょい、と荷物でも背負うかのように肩に彼女を担ぐと、まだ呆然としているフェフを促す。疲労感で足元がふらつくフェフを、また何が起こっているのか分からないままたたずんでいたイースとクワートに支えさえて、彼らは兵営に戻って行く。


「イース班長さーん、クワートさーん? この牛さん達は?」

「悪いな、コール。よろしく頼む」

「ええーーっ?」


 最後までどこか気の置けないコール少年の扱いだった。







この期に及んで、最後となる新しい登場人物、登場。本作では数少ない女性陣です。

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