少年と能力者【その4】
-----[2016.03.29]
前後編で投稿したものを4分割しました。一話あたり5000字程度に減らしています。改行位置以外の変更はありません。
「隊長、ご指示をお願いします」
「おっ? いい顔になったな。よしよし」
返す隊長の表情は変わらない。いつものようなにやにやとした企み顔が、少し癇に障る。無視して能力行使の体勢に入ろうかと考えたフェフに、隊長は思いもかけない言葉を続けた。
「そういや、フェフ。お前、出がけにソーンから『どうでもいいこと』を聞かされてたよな?」
「えっ? 何でそれを?」
あの言葉をかけられた時には、隊長以下はすでに丘に向かっていたはず。とても聞こえた距離とは思えないのだが。
「んじゃ、話は早い。フェフ。お前さんの仕事だ。
――『犬ごとコールを呼んで、捕まえろ』――隊長命令だ」
一体何を言われたのか、何を命じられたのか、フェフは全く理解できなかった。この人は一体何を……。
「……何を言ってるのか分かりません」
「何だ、耳が悪くなったか? じゃあもう一度言うから、復唱し――」
「そうじゃなくって!!」
思わず声を荒げたフェフを、隊の皆が怪訝そうに見遣る。何か楽しいものを感じ取った顔で、ラーグが近づいてきた。
「隊長、僕の力は『人間』には効きませんっ」
「だから、応用だ。お前は犬だけ『呼べ』ばいい。コールが犬を抱きかかえていたら、一緒に付いてくるさ」
「そんなこと、やったことありません!」
「じゃあ、今回試せ。何事も経験だ」
「っっ! でも――でも『呼べ』なかったら……『捕まえ』られなかったら……コールが落ちたら……」
もし「失敗」したらどうなることか。
身動きひとつ取りづらい狭い岩棚で、彼を『捕まえ』損ねたら。
その恐ろしい想像に、フェフの身がすくむ。
「犬しか来なきゃ、後は予定通りロープでコールを引き上げるさ。ま、ものは試しだ。やってみろ」
「隊長はっ! コールがっ、大事じゃっ、ないんですかっ!!」
思わず強い口調で飛び出した言葉は、フェフの心境を如実に表していた。万が一のことで、大事な友人である彼を危険に追いやるようなことはしたくない。
「そりゃ大事さ。だが、俺にはお前の方が大事だろ」
何気なく返される隊長の言葉。その淡々とした、だが奇妙に重く感じるその言葉に、フェフの高ぶった感情が瞬時に冷やされる。
「今の俺は第25隊の隊長で、お前という【能力者】を預かる身だ。お前のドルヴィとしての能力を導くことも、俺の仕事の一つだ。そのためならば、多少の無茶も仕方ないだろ?」
「でも……」
「気負うな。心配するな。お前の力なら、コールを助けられる。お前だから、コールを大切に思うお前だから、出来る。
簡単だ、『離すな』。大切なものなら、自ら求めたものなら、離すな」
『私は――手放さない』と告げた補佐官の言葉。それと同じことを隊長も告げたのだ。彼の能力の、別の使い道を。コール少年を助けることができる力の使い方を。
「……やってみます。いえ、やります」
「顔が、さっきのいい顔に戻ったな。よし、やれ。隊長命令でやるんだ。『失敗』したら俺の責任なんだから、お前は気負うなよ」
「……もし『失敗』したら、補佐官さんが怖いです……」
「あぁ……誰も何も言わなくても、奴も何も言わないだろうが、怖いだろうな~~」
――『せっかく教えてあげたのに、その体たらくですか?』という補佐官の氷のような声が、幻聴で聞こえてきそうだ。思わず身震いした2人は顔を見合わせ、お互いを確認し……何故か笑った。その声に、側に寄って聞くともなしに様子を伺っていたラーグがつられる。
「フェフ副長。皆で賭けていいですかぁ?」
「ラーグさん! 人をだしにして、ひどいじゃないですか!」
「それくらいの真剣さはあった方がいいでしょ?」
「それもそうだな。じゃ、上手くいったら掛け金の3分の1はフェフにやれよ?」
「隊長~っ、それじゃ胴元の旨みがないですよぉ~」
緊張感のない会話。その光景にコールの次兄たち町の人々は、少しあっけにとられるが、すぐに『いつものこと』として受け入れる。
いい加減で、出鱈目で。しかしこの隊長の下、町の人々が目に余る不利益を受けたことは一度もない。多少の面倒事や混乱は巻き起こすことがあるが、終わってみれば所詮人々を楽しませる娯楽程度のもの。町の人々の生活を脅かし傷つけることは決してないのだと、彼らは知っている。その信頼はこの2年で培われ、揺らぐことはない。
嬉々とした足取りで他の隊員たちの元に戻るラーグを後目に、フェフは再び崖下をのぞき込んだ。今度は立て膝で、しっかりと背を伸ばし。
「コール、今から僕が君を引き上げる。しっかりと、その犬を抱いていて。決して離さないで」
「副長さんが? ――うん、分かった! ぜったい離さないよ。あ、そうそう。この子の名前はカンバイっていうから!」
一瞬怪訝な顔をしたコール少年だったが、今からなされることに思い当たったのか、即座に輝くような笑顔を見せた。フェフを信頼し、疑うことのない瞳。この期待に応えずして――何がドルヴィだ。
決意も新たに、フェフはじっと視線をこらして眼下の犬の子を見つめる。一歩下がって両手を前に出し、頭の中でその姿を形作り、その名を呼びながら――『呼ぶ』
何かを抱きしめるように差し出されたその両の腕の中に、幻のその姿を思い描く。くるんとしたその白茶色の毛並み、ピンと付きだした三角の耳、円らな黒い目、ふさふさとした尾はコールに抱かれて嬉しそうに揺れる――先ほど目に焼き付けたその姿を思い描く。少年に与えられたカンバイというその名を刻みつける。
フェフの思考の中で描き出されたその姿が、真実に近づくその時。彼は『捕まえ』る。幻だったその実体を、その重さを体感するその時が、『捕まえ』た瞬間だ。
刹那、フェフの腕の中でキラキラとした金色の火花が爆ぜ、その残滓が何かを形作る。――その大きさは、明らかに犬よりも大きい。
「…………た、ただいま?」
犬の子を抱きしめたまま、フェフの腕の中に抱かれたコール少年の第一声はそれだった。フェフが力を行使する様を、やや遠巻きに伺っていた隊員たちが沸き立ち、駆け寄ってくる。
「よっ! おかえり!」
「よっしゃーーっ 勝ったぁーーっ」
「やったな! なぁなぁ、転移するってどんな感じだ?」
「ちくしょーーっ 負けたーーーっ 何でこんなときだけ成功すんだよーーっ」
まだ少し呆然としているコール少年に、てんでんばらばらに声をかける隊員たち。その勢いに押され、また怯えて、少年の腕の中から子犬が一目散に逃げ出す。同じように身を離そうとしたコールだが、いくら身をよじってもフェフの腕から抜け出せないことに驚いて、自分を抱きしめたままの彼を見上げた。
「……ごめん、コール。『離せない』や……」
初めての能力の使い方。フェフは、初めて意図的に『離さない』と念じた。掴んだものを離すまいと、捕らえることだけを意識して。
初めて人を『呼び、捕まえ』た。
正確には能力を行使したのは犬の子に対してだけだ。コールは一緒について来ただけ。相変わらず自分の力は人間には効いていない。フェフ自身もコールを『呼んだ』わけではない、ただ彼が犬の子と一緒にいる姿を思い描いただけだ。大事なものを、心から望んだものを、決して『離さない』と強く念じただけだ。
そして――成功した。初めて、人を直接助けられた。
「そりゃ意図的に『離そう』としてないからなぁ。そりゃ簡単には離れないさ。
――よくやったな、フェフ」
どこまでこの結果を意図していたのか。隊員たちから小突かれるような手荒な歓待を受けている2人を、その円陣の上から見下ろす隊長には何の驚愕も感動も見られない。当たり前のように、それでも優しくフェフの頭をぽんぽんと叩いて、その労をねぎらう。
「お前ら、フェフはともかく、コールは怪我人だぞ? 足はどうだ、コール?」
「あっ……。びっくりしてて忘れてた。……痛っ~~いっっ!!」
意識を向けられてようやく思い出したのか、コール少年が痛めた足首に目を向ける。その足首を検分する隊長に、ややぞんざいに動かされて少年は悲鳴をあげた。
「折れちゃいないな。後で町の医者に診てもらえ。とりあえず固定だけしておこう。おい、お前ら、コールの手当て!」
「でも、隊長~~。このままじゃ、手当てできませんよ?」
コール少年はまだフェフの腕の中。不可能ではないが、添え木をあてたり包帯を巻いたりといった手当てしづらいことは間違いない。こんな時に限って【腕輪】は兵営に残る補佐官の手の中。一人、兵営に走らせて腕輪をとってこさせるしかないかと、ラーグが思案する先で、隊長がにやりと笑う。
「大丈夫、すぐ『離れる』さ。フェフ、『離せ』」
何でもないことのように告げる隊長。だが、いくら『離す』ことを意識しても、ありもしない手を掴むようで、フェフはどうやっていいかすら分からない。『離す』ための能力の姿が、向かう先が分からない。
「仕方ないなぁ……。ほれっ」
コールを抱き留めたまま、所在なげに瞳を四方八方に動かし身じろぐフェフを呆れたように見下ろして、隊長は彼の両腕を掴んで――――何事も無く、解き放った。
「……えっ? ええっ?」
「ほれ、離れた。ラーグ、コールの手当て!」
突然の解放に、フェフもコールも反応できていない。呼ばれたラーグは、すぐさまコール少年を抱き抱えて担架に運び、手当てにかかる。さすがに元は前線配備の軍団兵。医師の手を借りずとも、骨折にも満たない処置ならお手のものだ。
フェフは呆然としたまま、何も抱かない自分の両手を見つめる。
『離れた』――だが、それが自分の意志でないことが、フェフにだけは分かった。
【腕輪】によって無効化される時には、自分の力に対する反発力を感じる。自分が作り腕輪に込めた呪力。それは親しいものであり、違うことのないものだ。
今はそれを感じなかった。一切を。自分の能力が行使された感覚も収束した感覚もなかった。自分の意志が形作られる、慣れ親しんだその独特の感触を一切感じていない。
感じたのは――言葉にするとすれば、還される感覚。
相反して無効化するのではなく、最初から何もなかったかのように、原初に戻されるかのような不思議な感覚。一体あれは――――。
「隊長……?」
「ん? どうした? 変に力を使ったから、疲れたか?」
見上げるフェフを見つめる隊長は動じていない。何も感じていない、何もやっていないと言わんばかりの表情。だが――きっと。
「……教えてはくれないんですね、隊長は」
視線を自分の手に戻し小さく呟いたフェフの頭上に、大きな優しい手が伸びる。いつものように、優しくぽんぽんと叩く隊長の手。
「ソーンが抜け駆けしたからなぁ? 後は自分でちゃんと考えろ?」
「……分かりました。いつか、絶対に分かってみせます」
「おーーっ、その意気だ。いい顔になってきたな、お前」
にやにやとした顔で答える隊長はいつも通り。だが、その表情に頼もしさを感じるのは、フェフの心境がもたらす結果だ。
フェフを叩くその力が、乱暴なものになってきた。フェフは気を取り直し、彼の手を振り払って立ち上がる。このまま隊長のなすがままにさせておくと、遊ばれるのは目に見えている。
――今は悩んだって、考えたって仕方ない。でもいつか。自分で、自分の力で『捕らえ』てみせよう。この益体もない隊長自身を。
「コールっ! お前って奴は、いつも後先考えずにっ!!」
「痛い、痛いってば、兄ちゃん!」
応急処置を終え、担架で運ばれるコール少年を、次兄が涙目で小突く。その周囲で隊員たちが微笑ましく見守る。隊長の号令一下、一同は谷を下り町へ戻る。
コールの怪我は、春が終わる頃には治るだろう。そうすれば、再び羊を追う日常に戻り――また、フェフたち第25隊に大小のやっかい事を持ち込むに違いない。それを、隊員たちはどこかで待ち望んでいる。
何気ない日常がもたらすものは何だろうか。誰もその答えを知りはしない。その日々の中で、人は誰しも何かを呼び、掴み、そして捕らえて生きてゆく。
はかない春の終わり頃。黒麦の花が咲き、子羊たちも乳離れし。
ルーニック王国、東北国境警備隊第25隊の兵営に、再び元気で明るく頼りない声が響く頃――。また、一つとて同じでは無い日常が戻ってくる。
「隊長さーーんっ お願いでーーすっ」
――終わり――
----------
初投稿の前作とは全く異なる世界設定でのお話です。
【異人の書】という世界設定の一部となる作品のため、本作だけでは世界背景や伏線などは未提示・未回収に近いものに……。おいおい時間の許す限り別作話を追加して、完成させたいです。
お読みいただき、ありがとうございました。
前作より推敲が甘いので、誤字脱字・変な表現などがありましたら、教えていただけると幸いです。
-----[2016.03.29]
大方の執筆目途がつきましたので、状態を[連載中]に変更しました。
各作話を「章」立てして、それぞれの章話は独立した内容としています。
今後ともよろしくお願いいたします。