誰も傷つけぬ者たちへ【その11】
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再びR15未満の軽微な戦闘描写、流血描写などがあります。
「……まあいい。こちらも無関係の者を巻き込むことは、本意ではない」
「――実行した後での言葉には、何一つ説得力などありはしませんよ」
対峙する二人の兵は、白刃を互いに向けてにらみ合った。
年齢や体格、まとう雰囲気、いずれも神殿兵ファーンの方に軍配があがるだろう。だがフェフも軍団兵として平均以上の能力を備えている。また“ルーニックの軍団兵”として、目の前の“神殿兵”に後れを取ることは、兵としての矜持が許さない。
円を描くように、一定の間隔のままジリジリと互いに移動する。切っ先は互いを向いたまま。張り詰めた空気が、周囲から音を奪ってゆく。
先にファーンが動いた。上段から勢いよく振り下ろされる刃。フェフは受けること無く身をかわし、反す形で斬り上がって来た刃を剣の平で滑らせるように流した。続けて突き上げられる勢いのある剣戟は避けきれず、必死に受ける。その勢いにフェフの腕がビリビリと震えた。
【神力者】の警護を任されるだけあって、神殿兵ファーンの剣の技量は優れたものだった。フェフは防戦一方だ。次第に隊服を切り裂く浅い傷が増えてゆく。それでも決定的な刃を受けること無く、身をかわし、避け、受け流し続ける。フェフの息が上がってゆく。先に【能力】を二度も行使した後だ、精神的にも肉体的にも疲労がたまっている。
一方でファーンもなかなか決定的な一撃を与えられないことに、焦りといらだちを覚えていた。目の前の“魔の者”である青年は小柄で俊敏な身体を活かし、際どくも剣を避ける。わざと隙を見せてもひっかからない。自分の重い剣戟をまともに受けないように、上手くかわして流されてばかりだ。
予想よりも“兵”としての技量が高かったことに焦りながらも、絶対的な技量は自分の方が高いと確信し、ファーンは気持ちを落ち着けるためにもいったん引いて距離を取る。ここまでは二人ともほぼ無言のままで刃を交えていた。
「……こんな、ことを、して……貴方の、大切な方が、無事だとお考えなのですか?!」
息を切らしながら、フェフがファーンに問いかける。
本当に分からない。何故このような暴挙に出るのか。黒の神官を守りたいのではないのか。ティールさんは『だから怖いんだ』と言っていたが、本当にその通りだ。心が伺い知れない相手と敵対することは、争いの本質が分からなくて困惑する。
だがファーンは無言のままだった。変わることのない厳しい表情は、自分の意志を変えることがないことを告げており、収まることの無い闘気は今や殺気に近い。
フェフも覚悟を決めた。
話し合える相手じゃない。闘って相手を倒さない限り、自分は無事に皆の元に戻れない。
ふぅっと長い息を吐き、フェフは剣の束をぎゅっと固く握った。視線を上げれば、樹冠に差しかかるほどに傾いた陽光が、金色に色付く木々を鮮やかに彩っている。その影になってファーンの表情は陰の中だ。逆光を向いてしまったフェフは、眩しさに目を眇める。そして――初めて自分から反撃に出た。
最初にファーンに向けられたのは白刃では無く、石。
フェフは目立たぬように足を繰り出し、手頃な大きさの石をファーンに向かって蹴り飛ばした。思わぬ攻撃に、ファーンが一瞬動揺して体勢が乱れる。当たりはしなかったが、一瞬の隙が出来た。その時機を見逃さず、フェフは腰を落として横薙ぎに剣を振るう。僅かに腿の辺りを掠めた感触。腕の長さも刃渡りも違いすぎる間合いのため、二撃目は続けず即座に後退する。そして横に回り込んで、再び低い体勢からの脚を狙った薙ぎ払いに出た。今度はファーンも難なく避ける。
だが攻撃自体が目的でなかったフェフは、その場にあった先ほどの石を掴んで今度は正面から投げつける。再びの投石に、ファーンはいらだちも露わに剣で弾き飛ばした。連続した投石がファーンの手に当たる。傷みも損傷もないが、正攻法でない攻撃への忌々しさが募った。
再び元の位置に戻り、膝を曲げ腰を落とした体勢で剣を構えるフェフに、ファーンはその長身を活かして上段からの大きな一撃を与えようとした。体格差を考えれば、受け止めることは困難なはずだ。避けることを考慮して、続く二撃目の剣筋を考えながらファーンは剣を振りかぶった。
その瞬間。目が眩んだ。
ファーンの正面が空いたその時、フェフは自分の小剣の平を掲げて、落日に近づき眩しさを増していた陽光を反射させたのだった。
視界を奪われたのは一瞬だった。だが戦場の兵にとって、その一瞬が全ての結果を決める。今回もその例に違わない。
フェフはすかさず膝裏を狙った低い足払いを入れる。ラーグ班長直伝の、狙い澄ました足技だ。左足を取られ、ファーンはたたらを踏んで片膝をつく。そのふくらはぎに対し、フェフは躊躇うこと無く剣を薙いだ。血がはぜる。腱を断ち切った感触は無かったが、これで相手の足はいったん封じられた。
ファーンは剣を支えにするような体勢で、グウッと唸って動きを止めた。フェフは攻撃の手を休めることなくその剣を足で蹴飛ばし、彼の手を大地に付かせる。そして肘を踏みつけ関節を押さえると、その掌に勢いよく剣を突き刺した――。
大勢は決した。足も腕も動きを縫い止められ、ファーンは自らが敗北したことを知る。掌とふくらはぎの痛みが思考を途切れさせるが、それ以上の屈辱感が僅かな悲鳴すら彼にあげさせることを許さなかった。
荒い息を鎮めながら、フェフは剣束にかけた力を一層強め深く大地に剣を埋めた。まだ相手から闘志が奪われていない状態では、一瞬たりとも気が抜けなかった。
初期の剣戟を通し、フェフには一つの勝算を見出していた。確かにこの神殿兵の剣の技量は自分より優れていた。だが、その攻撃の手は教本を見るようなもので、彼は所詮『護衛の兵』であることを示していた。
だがフェフ達は違うのだ。ルーニックの軍団兵は『相手を倒す兵』だ。何をおいても相手の戦闘能力を奪うことを第一に考える攻撃の手。軍団で、第25隊で、フェフがたたき込まれたものも同じ、格好の良さや正当性など関係ない、どこまでも泥臭い容赦の無い攻撃。その戦いぶりこそが、軍団兵の誇り。
案の定、多彩な手段で繰り出されたフェフの攻撃に、ファーンは十分な対応をとれなかった。結果、フェフの勝利に繋がった。
「ファーンさん……これ以上は止めましょう。大人しくなさって下さい」
フェフの足元でファーンの腕が動こうとするのを押し留め、半ば哀願するように声をかける。フェフとて命まで奪いたい訳じゃない。また、彼の所属や事態の背景を確認するためにも、彼は生かして捕らえる必要があるのだ。掌に小剣は突き刺したまま、フェフは短剣をとりだして念のためファーンに向ける。血走った目でフェフをにらみ付けるファーンの口から、怨嗟の呻りが漏れた。
「驚きましたか? これが、この戦いぶりが“ルーニックの軍団兵”ですよ。僕みたいな者でも、これくらいはやります。僕達は守るべきものの為ならば、出来ることは何でもやります。だから、これ以上抵抗しないで下さい。お願いです」
本心からの言葉だった。自分の命を守る為に行った反撃とは言え、フェフ自身はファーンを殺したいほど憎んでいる訳では無い。幸い、コール少年も命には別状無い。これ以上の流血は望んでいない。否、彼自身にこの責を自覚させ償わせるために、何が何でも生きて裁きを受けさせたかった。
長くは無い時間だったとは思うが、闘いは誰憚ることなく行った。にも関わらず、オウンを始め第三班の皆の気配が感じられない。剣戟の音が聞こえなかったはずはないのに、よほど遠くまで皆は分散しているのか――。ファーンの動きを牽制しながら、フェフは不穏にも感じられる周囲の静けさに意識を向けた。何かがおかしい。
その違和感を確認するためにも、ファーンの動きは完全に封じておく必要があった。片手は小剣が大地に縫い止めているので、足を拘束しようと小剣にかけていた手を放す。利き手に短剣を持ち替え、逆の手で腰帯を外し足に回す。蹴り上げるような抵抗はあったが、手慣れた拘束術で何とか足を縛り上げたその時――フェフの頬を黒い光が掠めた。
* * *
「っつ!!」
頬から血飛沫がとんだ。“何か”によって切り裂かれた傷は深くは無いが、軽微なものではない。血が流れる感触が気持ち悪い。ただ、一体何によって与えられた傷なのか。風が斬るような無重の攻撃だった。
「…………それは、わたしのものなんだよ? 勝手なことをしないでくれるかい?」
フェフが攻撃相手を探そうと周囲に目をこらしたその先で。木立の奥から黒衣の若者が現れた。艶やかな赤茶の髪が、落日の陽光に照らされてまぶしく輝く。相変わらずの美貌は穏やかな表情を浮かべているが、金茶の瞳は昏い陰を秘めていた。
姿を見せた『黒の神官』ウィアドは、無感動にフェフを見遣った。以前に見せたような仮初めの慈愛も憐憫もない。あるのは――初めて見せる明確な害意だった。
「ファーン、お前ともあろう者が“魔の者”ごときに後れを取るなんて……情けない。それでも私の護衛兵なのかい? 我が神が嘆かれよう」
昏さを秘めた冷たい瞳でウィアドに見下ろされ、ファーンは負傷による苦痛をはるかに凌駕する絶望的な痛みを覚えた。この方に失望されたくない。その思いが再びファーンを鼓舞した。
痛みをこらえ、掌を突き通すフェフの小剣を抜き去る。血が溢れ出たが、気にすること無くその剣で自分を拘束する足縄を切り立ち上がった。
その姿を見て、ウィアドはにっこりと微笑む。そして善いことができた幼子に褒美を与えるような表情で、ファーンに向けてその白い腕を伸ばした。黒い輝きが発せられ、ファーンを彩る掌とふくらはぎからの出血が止まる。
「ほら、見てご覧。これこそが我が神の恩寵だよ? どれほどお前たち“魔の者”が、人外の化け物が野蛮な力を振るおうと、我らが神の恩寵を受けられる者たちには関係ない。何事も起こらなかったのと同じ。お前たちの力なぞ、無駄なんだよ?」
ウィアドの【神力】によって傷を癒やされ、フェフとファーンの形勢は逆転した。大きな傷こそないものの、フェフの疲労はかなりのものだ。相手も警戒してくる。もう一度、同じような戦闘をすることは不可能だ。
絶望的な不利を悟ってきつく唇を噛みしめるフェフを見て、ようやくウィアドは以前のような“上位者としての憐憫”の表情を浮かべた。
「…………それでも“無かったこと”にはできない。傷つけば痛みの記憶は残る。無駄じゃない」
半分は悔し紛れの言葉だったが、フェフもまだ諦めるつもりはなかった。泥臭く、地を這ってでも相手を倒すのが、自分たちルーニックの軍団兵だ。だがそんなフェフの決意を嘲笑うかのように、ウィアドはクツクツとした笑いをこぼす。
「うん、そうだね。痛みは残る――こんな風に」
再びフェフを黒い風が襲った。今度は逆の頬が切り裂かれる。ついで手の甲。剥き出しの肌を、無重の刃が次々と切り裂いていく。フェフが避ける間も抵抗する間もないままに続けられた攻撃は不意に止み、ついでもたらされたのは不思議な感触。温かいような冷たいような風に撫でられたかと思うと、切り裂かれたフェフの肌は元に戻っていた。流れた血と鋭い痛みだけがフェフに残される。
「どうだい? 痛みが残るとどんな感じ? お前が『要らない』と言った我が神の力はどうだい?」
ウィアドは子どものような無邪気ささえ感じさせる笑顔でフェフに問う。もがく小動物をいたぶる者の目で。
「ま……さか。力を――【神の力】を、傷つける力として振るう……なんて」
「驚いたかい? 別に難しいことじゃないよ。――我が神は慈愛深く、また我らは優しいからね。今まで“やらなかった”だけなんだよ?」
【軍の能力者】達の異能の力には、人を直接傷つけるものはない。同様に、フサルク神の【神力者】達もそうだったはずだ。彼らは「神の慈愛」を体現する者であり、誰かを傷つける者ではない。どのような力であれ、人を害する行動に関わることは固く禁じられている。
だが“禁じられている”だけなのだ。ドルヴィ達【盟約の神々の異能者】とは違い、“出来ない”訳じゃない。
「確かに神殿は力をもって人を害することを禁じてはいるけれど……でも、こうやって実際にわたしが神の力を振うことが出来ること自体が、我が神がそれを許して下さっている証拠だと思わないかい?
――我が神を愚弄した者、魔の者。お前の所為で、わたしはまた神国に戻されることになってしまったよ。ようやく外地に出て、多くの民草に我が神の偉大さを知らしめることが出来るようになったばかりなのに……お前の所為だよ、許さない」
ウィアドが抱く負の感情は、望むことを叶えられなかった我が儘そのものだ。彼は多くの人々に敬われ、崇められ、感謝されることを願っていた。よって子どもの癇癪のように、彼が『横暴』と考える行動の制限に憤慨した。初めての感情。これが憎しみというものなのか。
感情の潮流は、行く手を遮った『盟約の神々の異能者』に向かった。慈悲をかけようとさえ思っていた“魔の者”による、彼にとっては裏切りに等しいしっぺ返し。ウィアドの中で、直接的な害意が形作られフェフに向けられたのだった。
蒼白な顔で立ち尽くすフェフに向かい、ウィアドは再び黒い【神力】の刃を向ける。再び舞う赤い血。フェフを襲う断続的な傷み。傷は治されても失った血は戻らない。フェフの隊服は次第に赤く染まり、視界がふらついた。
だがその痛み以上にフェフを苛んでいたものは――目の前の神官に対するあふれんばかりの怒り、いや憎しみだった。傷つけられ生命を狙われることに対してではない、コール少年を巻き込んでさえ引き起こした愚かな行為に対してでもない。
神の力を、傷つけるために振るったことに対してだ。
フサルク神にしても「盟約の神々」にしても。それを信仰しようとしまいと。
神々の本質は“誰も傷つけぬ”もの、だ。世を愛おしみ守る神々は、何も傷つけない。
「盟約の神々」でさえ、人を守護することは止めたが、人を害し排除しようとはしなかった。ただ、人の前から姿を消し、力を与えることも庇護もしなくなっただけのことだ。フサルク神殿の教典でさえ、そう伝えている。
望んだわけでもなく一方的に与えられた「盟約の神々」による異能の力。その力をいつも疎んできた。『こんな力、無ければよかったのに』と、いつも思ってきた。だがフェフがその力と向き合って生きてこられたのは、力の本質が“優しいもの”であるからだ。本来、誰も傷つけぬ慈愛の力。だからこそ、その力を人に対して向けたかった。人の役に立てたかった。それが【能力者】としてのフェフの支柱だった。
なのに、この「黒の神官」は、誰からも認められる正当な【神の力】をもって人を傷つけた。それを“望んで行使”した。何一つ厭う様子も見せていない。
カアッと頭の中が焼け付くような怒りをフェフは感じた。
許せない。同じ“神の力を振るう”能力者として、絶対に許せなかった。
だが現実には縦横無尽に【神力】を行使するウィアドの攻撃に、フェフは何の反撃もできない。自分の【異能の力】はもとより、何度も傷つけられた痛みと血を失ったことによる疲労は、フェフの身体を鉛のように重くしてゆく。
切り裂かれ、癒やされ。繰り返されるその翻弄は、フェフの無力を嘲り、彼の心をも傷つけてゆく。
――力が欲しい。絶対的な、誰にも負けない力が。
血走った目でフェフは黒の神官を睨み付ける。噛みしめる唇からは血が滲み、固く握りしめた掌に食い込んだ爪先が傷を作る。そんな彼の姿を、黒の神官ウィアドと神殿兵ファーンが、嘲弄も鮮やかに見下ろしていた。
――誰か、僕に、力を。
頭の芯が痛くなるような、強い強い感情だった。
その瞬間。
フェフの喉元で、甲高い音がした。
首を守るように、だが実際は彼らドルヴィを捕らえるように科せられた【ドルヴィの首輪】が、鈍い金色の光を纏いながらひび割れる。チャラン……と場違いに澄んだ音を立てて、その残骸はフェフの足元に落ちた。
――自分を“捕らえる”枷が外れた――。その感覚がフェフを見舞う。そのことが意味することなど何一つ分かりはしないが――それでも得体の知れない開放感が彼にもたらされ、やがて小暗い金の光となって心を取り巻いた――。
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ビジュアルにおこすと、かなり血みどろかも知れません。R15未満……で大丈夫ですよね?
ちょっと不安になりますが……『身体欠損・大量出血を思わせる刺激の強い描写』でもなく『残酷な描写あり』にも抵触しない……と信じてますが、どんな塩梅でしょうか……。
すぐ治ってるし。血はでてるけど。
お読みいただいたいて「これアウト!」と思われましたら、お知らせいただければ幸いです。タグ追加します。
一番大きな損傷が「手のひらに剣ぶっ刺し」ですが……やったのがフェフ、という場違い加減さがぬぐえない。