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誰も傷つけぬ者たちへ【その10】


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R15未満の軽微な戦闘描写、流血描写などがあります。

また動物に対する傷害表現があります。




「隊長さんーーっ! 兵隊さんーーっ!!」


 久しぶりに兵営に届けられた大人のせっぱ詰まった声は、第25隊の日常を変化させる出来事の嚆矢(こうし)だった。

 秋も深まり、森の木々が金色に色付き始める頃。そろそろ山での放牧期を終えるため、牧羊家たちは羊を少しずつ放牧地からふもとに降ろしたり、交配の様子を確認したりと忙しい。コール少年の一家も同様で、ここしばらくコールは父兄と共に山に泊まり込む日々だった。

 そんな中、突然彼の姿が消えたのだ。

 午前中は兄たちと共にいた。昼まで少し時間ができたため、コールは牧羊犬のカンバイを伴って山を降りて西の森に採集に来ている町の友人に会いに行くと言っていたらしい。だが昼食時を過ぎても戻らず、次兄が森のあたりまで探しに行ったが、彼の姿はなく痕跡すらなかったという。この時期には、町衆なども森に糧を求めてやってくる。だが森にいた誰もコールの姿を見ていなかった。

 迷子や失踪とは思われない不自然なまでの“行方不明”に、コールの家族は迷わず兵営を頼った。


「森にいた町衆や、仲間の羊飼いたちも探しに出てくれていますが……なんとか見つけないと。いったいどうしたっていうんだ? カンバイまで居ない。隊長さん、何があったんでしょうか? (かどわ)かしですか? なんでコールが……っ」


 動揺も露わなコールの次兄は、憤りの表情でアンスーズ隊長に詰め寄っていた。こんな田舎ではまず無いこととは言え、少年少女の拐かし事件が全くない訳ではない。街道沿いの市町では、年に何回かは発生する。コール少年は愛嬌があり見目もよい方だ。無頼者に目を付けられる可能性は高い。


「まあまあ落ち着け、っと言っても無理だわな? だが、とりあえずは探し出すことが先決だ、お兄さんよ。兵営からも一隊を出す。西の森までの辺りはそちらさん達に任せるから、俺らは逆側から探索しよう。大丈夫、任せておけ。

 おい、エイワーズ。第三班が探索に出ろ。二班のオウンは目がいいから、奴は連れて行け。ラーグ。お前ら残りの二班は、道を行く者達を確認しろ。拐かしだとすれば、道からそう遠くは離れない。兵営に残るのは役付きだけでいい、みんな連れて出ろ」

「僕も行かせて下さい!」


 無駄の一切無い指示を繰り出す隊長に、フェフは思わず詰め寄った。探す相手は、今行方が知れないのは“大切な友人”である少年なのだ。黙って兵営で待つことなど出来ない。


「気持ちは分かるが……お前、冷静でいられるか?」

「ど、努力はします。でも、行かせて下さいっ! お願いです、隊長!!」


 必死の形相で迫るフェフに、隊長は少しだけ渋面をみせる。周りで探索準備を整え今にも出立しそうな第二・第三班の姿に、フェフの焦りは募る。


「……この様子じゃ、兵営に残しても勝手に出て行きかねんな? そのつもりだろう?

 しょうが無い、第三班と一緒に行け。だが、絶対に一人で突っ走るなよ? エイワーズの指示に従え」

「分かりました、ありがとうございます!」


 隊長からの許可を得るや否や、フェフは簡単な身支度だけ急いで整えた。念のため帯剣もする。既に手早く体制を整えていた第三班に慌てて合流し、急ぎ兵営を出立した。

 山を降りて素直に西の森に向かったとすれば、痕跡すら見当たらないというのは変だ。山を降りて早々に何かあった(・・・・・)のか――最初から西の森には向かっていないか、のどちらかだ。山から東側に向かえば、森を越えた先に北の山脈沿いを行く旧街道がある。いずれの場合も可能性が高いのはそちらだと考え、第三班長エイワーズは一路東に向かった。


 ――後悔というものは、後から思い悩むことだ。エイワーズも、フェフも、皆が後から痛感することになる。

 フェフと共に行動に出たのが第一班か第二班ならば――両班長およびティールの存在が、後の事態を招かなかったであろう。第三班が悪い訳ではない。ただ、その時の第三班にはハーガルが居なかった。不測の事態に対する経験が不足していた。

 またフェフも動揺の余り、忘れていた。せっかくティールから忠告されていた内容を。隊長の厳命もきちんと届いていなかった。班長以外の役付きは兵営で総合的な対応にかかり、当然隊長もソーン補佐官も一緒に行かなかった。

 色々な事情が重なっただけなのだ。



* * * 



 エイワーズ班長の元、第三班7名とオウン、フェフの9名は山の東側の森沿いから探索を始めた。2名ずつ組にして、エイワーズは一人で指揮をとる。フェフは二班のオウンと組んで、森の中の探索を引き受けた。オウンはコールと同じ羊飼いの息子だ。よって、彼は自分の経験などを振り返りながらフェフを案内しつつ森を進む。


「羊のことを忘れるはずはないから……そんなに遠くに行くつもりはなかったと思うんだよね。でも西に向かってないとなると、お兄さん達には言いたくないけど、やりたいことがあったんだと思う。フェフ副長はどう思いますか?」

「……何かを採りに行きたかったのかな……何だろう、お兄さん達に言いたくないことって……」


 しばし考え込んだ後、二人は揃って顔を上げた。


「ティンネちゃん、かな? 今の時期、東の森にしかない何かきれいなものってある?」

「オレもそう思います。だとすれば……こけもも(リンゴン)だと思います! 東の森に自生地があったはずです」


 病からは快復したとはいえ長い期間を寝台で過ごしてきたティンネは、元気に外を駆け回るとは行かない。そんな彼女に、コール少年が季節の様々な物を届けようしていることは兵営の皆にも知られていた。

 少年の目的地を推測した二人は、その足取りを追うために二手に分かれて森を進むことにした。エイワーズ班長からも単独行動を慎むよう命じられてはいたが、目先にとらわれやすいオウンと、気が急いて冷静でないフェフは共にそのことを頭から追いやっていた。

 一人、フェフは森を進む。隠れる必要がない道行きなのだ、来ているならばどこかに痕跡が残っているはず――必死で目をこらしながら、色付いた木々の影を進んだ。

 ――ふと、フェフの感覚に引っかかるものがあった。微かな物音と少し荒い生き物の息づかい。じっと耳を澄まし、その方向を探る。灌木の端に、赤い色が見えた。まだ新しい血の色。そして獣道。

 慌ててフェフは灌木をかき分け、奥に分け入った。抜けた先には、白茶の毛皮を乱して所々を赤に染めた犬が伏せ倒れていた。


「カンバイっ!」


 コール少年の愛犬カンバイは、後ろ足と背を血の色に染めて荒い息で彼を見上げた。キャインという微かで悲しげな鳴き声がフェフを青ざめさせる。

 カンバイの怪我は――刀傷だった。すぐさま生命に危険が迫るほどではないが、出血はまだ続いている。森の奥に向かって点々と血痕が続いており、カンバイが負傷しながらここまでようやく逃げてきたことが伺い知れた。


「カンバイ……なんてことっ。コールは? コールはどうしたのっ!!」


 犬に聞いても分からないことくらい百も承知だが、フェフは見慣れた彼に無抵抗なカンバイを抱きしめてその傷口を確認した。このまま放っておく訳にはいかない。同行したオウンを呼ぼうと思ったが、慌てて準備してきたため呼子の笛一つ持ってきていなかった。そういえば【ドルヴィの腕輪】すら誰も持っていないのではないかと、今更ながらに思い当たる。

 大きな声をあげることも可能だが、カンバイの刀傷がそれを躊躇(ためら)わせた。もしかしたらまだ近くに斬りつけた人間がいるかも知れない。そしてその側にはコールがいるかも知れないのだ。


 フェフは円らなカンバイの黒い瞳を見つめながら逡巡した。だが迷いは一瞬だった。今、自分に出来ることを最大限でやるしか無い。

 フェフはカンバイを抱きしめたまま、兵営を思い描く。その腕に抱いた温もりを、自分を同じように包んでくれる兵営の人に重ね合わす。両の手から静かに金色の光が滲み出て、カンバイの傷ついた身体を包んだ――と同時にその光は爆ぜて、カンバイの重みがフェフの両手から消えた。

 無事に兵営まで【転移】できただろうか。

 やってみるまでは失敗することなど考えもしなかったが、実行してみた後では不安が残る。兵営にさえ届けば、補佐官さんか誰かが万全の手当をしてくれると同時に、不測の事態が生じたことにも気付いてくれるだろう。刀傷を受けたコールの愛犬、それがフェフによって転移されて来ることの意味に気付かないはずはない。

 フェフは軽く頭を振って意識を集中させた。次いで自分がやることは、コールを探すことだ。カンバイの道筋をたどり、森の奥へと進む。最悪の事態も想定しながら、それでも明るい希望を抱きながら。軍団兵の斥候術を駆使し、音を立てぬようフェフは先を急いだ。



* * * 



 ――そこにコール少年はいた。

 殴られたのであろうか、額の辺りに血が滲んでいる。両手は後ろ手に拘束され、両足も膝下から荒縄で縛られていた。大木の下に転がされるように横伏せになるコール少年の口には猿ぐつわが咬まされており、木立の間にフェフの姿を認めてくぐもった声を上げた。

 日が傾き始めた森の中、その場所は草もまばらな開けた大地で、頬を大地に付けたままのコール少年の顔には土汚れが目立つ。どれほどの時間そんな姿で拘束されていたのか。あまり衰弱はしていないようだが、乱れた頭髪や衣服が必死の脱出の努力を物語っていた。

 フェフは周囲を警戒し人の気配をたどる。幸いにして明確な気配はない。隠れている可能性はあるが、今はコールの元にたどり着くことが先決だと考え、フェフは素早く少年の側に駆け寄った。


「……ん~っ、ぷはっ、ゲホッゲホッ」

「落ち着いて、コール。……よかった、見つけられて良かった……」


 まずは猿ぐつわを外し、ついで手足の縄を切る。切らねばならない程、その縛りは堅固だった。素人の技ではない、軍人の拘束術だ。


「フェフさぁ……ん、ごめんなさい、ありがとう……でも、カンバイが……」

「大丈夫、カンバイはちゃんと助けたよ。今度はコールの番だから……立てる?」


 拘束から解放された途端、感極まったように泣き出したコール少年を抱きしめながら、怪我の有無を確認した。幸いにも頭部の怪我と細々とした擦り傷、幾つかの打撲傷以外、大きな怪我は見当たらない。


「うぅ……ごめんなさい、みんなに心配かけて。ボ、ボク……ティンネにこけもも(リンゴン)を食べさせてあげたくって……でも兄ちゃんに言うとからかわれるから内緒にしたくって……」


 ぐずぐずと泣きながら、コール少年は事情を説明し始める。生命の危険すら感じさせる恐怖からは解き放たれたが、怯えからくる混乱が少年を支配していた。


「知らない人、だった。一人だけ。オガムの人の色で……格好は普通。突然、後ろから殴られて……でもとっさにボクは気付いたから、かすっただけで……カンバイが怒って噛みついたら、カンバイが剣で切られて……っ

 ボクも慌てて逃げようとしたんだけど、剣を向けられて動けなくなっちゃって……そのまま縛られて、首を押さえられて気を失って……少し前に目が覚めたところで……」


 流れるように、とはいかないが、コール少年の話は筋道がわかりやすく彼の頭の良さを示している。もうすぐ15歳とはいえ普通の市井の少年が、初めての恐怖体験を必死に説明しようとする姿が痛々しかった。小刻みに震え続ける身体が、フェフの心を揺らす。


「その暴漢は?」

「分からない、目が覚めた時には誰もいなかったよ。でも……多分ボク、後を付けられてたんだと思う。偶然って感じじゃなかった。ボクを狙ってたみたいな感じで――」


 その言葉が終わるのを待たず、フェフはコール少年を再び押し倒すように地に伏せさせた。そのまま片手に持っていた剣を振り上げる。ギンッという鈍い金属音をたてて、明らかにフェフを狙って投げられた小刀(ナイフ)が弾き飛ばされて大地に転がった。続いてもう一投。今度もちゃんと防げた。


「――餌を知らせる前に獲物を引き寄せてくれるとは……思った通り、よい『餌』だったな、その子は」


 意識して感情を押さえていることがありありと分かる低い声が、フェフにかけられた。フェフがやってきたのとは逆の木立から姿を見せた男の顔には覚えがあった。


「フェフさん! あれ、あの人! あの人がボクを捕まえた人!!」

「あの人が……そうか、そういうことなのか……」


 抜き身の剣を片手に下げ、憎しみにも似た光を瞳に宿した男とは、アラグレンの町でも一度相対している。あの時は、フェフは一方的にやられるだけだったが、結果はあちらの惨敗。

 対峙するその人は、黒の神官の護衛、神殿兵のファーンだった。


「――僕に対する意趣返しに、無関係の少年を巻き込むのですか? それがフサルク神のやりようですかっ」

「うるさいっ! お前の所為で……お前ごとき“魔の者”の所為で、私はもとより我が主がっ! あの気高き御方がっ!!」


 今度こそ憎しみを露わにして、ファーンは斬りかかってきた。コールを背に回して、フェフはその剣を受ける。フェフの武器は小剣、また体格も明らかにあちらの方が上で膂力(りょりょく)は比べるまでもないだろう。とっさに受け流したその剣戟に、フェフの手がジンッと痺れる。


「コールっ! 逃げてっ!!」


 再び迫り来る剣戟を受け流しながら、フェフは必死でコールをかばった。だがその姿をみて、無情にもファーンは剣をコール少年に向ける。

 ――布と肉が切られる音がした。コール少年の上腕から赤いものが飛ぶ。


「コールっ!!」

「っっっ!!! 痛いっ!!!」


 それほど本気ではなかったのか、肉が見えるような深い傷は与えられていなかった。だが剣で斬られるという初めての痛みと恐怖にコール少年の身体はすくみ上がり、表情は一気に青ざめた。

 あまりのことにフェフは目の前が真っ赤になった気がした。これは怒りの感情だ。


「多少は剣に覚えがあるようだが……足手まといの子どもをかばって、どこまでの事ができる? 無駄な抵抗はするな、今は殺さない」


 優位さを悟り、ファーンは剣戟の手をとめてフェフに向き直った。その視線は厳しく、また語られた言葉は決してフェフの身の安全を保証するものではない。

 フェフはきつく唇を噛みしめ、掌の剣を握り直した。色々な後悔が頭をよぎる。

 なぜティールさんの忠告を忘れていたのだろう。せっかく教えてくれていたのに。


「痛い……痛いよぉ……なんで、どうして……」


 混乱の中で泣きじゃくるコール少年の声。どうして彼を巻き込んでしまうような事態を引き起こしてしまったのか。守りたい相手に、どうして傷を負わせてしまうのか……っ。

 自分に何ができるだろう。彼を守るために、今自分に出来ることは何なのか。必死でフェフは考えた。守りたいものを守るために、誰もこれ以上傷つけぬために――。


「コールっ! そのままじっとしていて!! 僕を信じて!!」


 悩んでいても仕方なかった。

 出来るかどうかすら分からない。でもやってみるしか無い。自分に出来ることを。

 結果的に前は成功したのだ。出来ないはずはないっ!


 フェフは決意も新たに、掌を握りしめた。そして、剣を鞘に収める。

 抵抗を止めたとみたファーンも構えを解き、フェフの次の行動を見張る。

 フェフは両手をすっと差し出した。まるで拘束を願うかのような行為に見えるが、両手はコール少年の方を向いている。意識を集中する。淡い金色の光がその掌から滲み始める。


 【異能の力】の行使。


 このままでは彼を守れない。ならば彼を安全なところまで遠ざけるしか無い。

 フェフに出来る最大のことは――彼を転移させることだ。

 さっきカンバイに対してやったばっかりだ。【力】の扱い方は身についている。だが意図的に『人を転移』させた経験はない。でも不可能では無いはずだ、なぜならば一度成功しているのだから。

 “ウサギ狩り”訓練での出来事を思い描く。あの時は心から助け手を望んで呼ぼうとした。それと同じ気持ちを持てばいい。強い意志で、目の前の少年を助けようと願えばいい。


 不可思議な現象が起きようとするのを察知して、ファーンが動いた。だがその制止が届く前に、フェフの両手からはじけた金色の光はコール少年を包み込み――その場から彼を連れ去った。


 急に疲労感が襲う。立て続けの【能力】の行使。慣れない、やったことのない力の行使だ。

 成功した事への安堵感は、そのままフェフの精神的な疲弊に繋がった。だが気を抜いている場合じゃ無い、危機が去った訳では無いのだ。


「――これで条件は対等ですね。ファーンさん……でしたか。この暴挙の理由をご説明いただけるのですか?」


 フェフは再び剣を抜き、同様に剣を構えるファーンに向き直った。恐怖が無い訳じゃ無い。だが負けられない。今度は勝たなくては。


 秋の夕暮れが森に迫り来る。金色に燃え立つ梢が、森の影を一層濃いものとしていった。




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この作品では流血描写を入れないことを目標としていましたが、唯一の例外が今章のこのエピソードです。

さすがに無傷の心理戦だけでは話を進められませんでした。

今章今話からの3話は戦闘・流血描写ありのシリアス回です。

なお、犬のカンバイは無事です。ご安心下さい。

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