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誰も傷つけぬ者たちへ【その9】



「あっ、副長! フェフ副長! 丁度いいところに! ちょっと顔、貸して下さい!!」

「わっ! 急になんですか、びっくりしたぁ。痛いですってばっ」


 秋の日が色濃い午後の半ば、フェフは兵営の建物を出るや否や、後ろから抱きつくように拘束されてのけぞった。両手に抱えていた牧柵補修用の荒縄や金具が地面に落ちて散らばってしまう。兵営の皆は午後の畑仕事や兵営仕事に分散している中、一足先に手が空いたフェフは、朝の見回りの時に気付いた兵営敷地の牧柵を補修しようと外出したところだった。

 フェフの足を止めたのは、同じく手隙になったとみえるティールだった。彼もルーニック人の平均よりやや高めの背丈であるため、フェフの頭を腕で捕らえるような変な抱きつき方だ。


「あ、すみませーん。驚かせるつもりはなかったんですが。副長、今から牧柵ですか? 俺も一緒していいですか?」

「別に構いませんが……ティールさん、何のご用ですか?」

「ご用ってほどのものじゃないですが、俺も手隙なんで。ぶらぶらしているの見つかったら、面倒なんで!」

「……手伝っている“フリ”がしたい、ってことですか?」


 どこまで本気なのか、フェフの言葉に我が意を得たり!と言わんばかりの笑顔で『さすが、副長!』と感心した素振りを見せるティール。思わず少し呆れた表情になるフェフに構うことなく、彼は手早く落ち散らばった金具を拾い集めてフェフの肩を押すように一緒に歩き始めた。


 ――アラグレンでの黒の神官の暴挙から、既に10日あまり。事件の翌日、黒の神官は町長の代理の者が付き従ってディングル市の神殿に戻された。追って第25隊からの正式な事情報告という名の抗議書が送られ、現在はその反応待ちという状況だ。一応神殿側からは、黒の神官の補佐役だという正神官名義での謝罪文が届けられたが、黒の神官と警護役の神殿兵の待遇や処分については不明のままだ。

 アラグレンの町では、すっかり黒の神官に対する崇敬の念が影を潜めている。ティンネを癒やした奇跡の力を目の当たりにしていたとは言え、仮にも2年をこの地で町衆と親しみ、かつてない程に親しまれてきた今期の第25隊隊員へのいわれなき暴力。しかも「特別観賞用」の補佐官さんの顔への流血沙汰付き、となれば好意的な感情も目減りするというものだ。さらに奇跡の恩恵を受けたストライフ兵営長が、今回の事件については平坦な態度を崩しておらず、彼やその叔父である町長に気兼ねして神官を持ち上げる空気も生じることがなかった。


「ディングルの神殿から神国までの連絡だとすると、どんなに早くても片道20日はかかりますからねぇ……神国まではいかなくて、途中どこかで管轄する所があったとしても、結果がでるのは還元の火祭り(サムハイン)どころか冬至(ユール)過ぎてからじゃないですかね?」


 フェフと二人で牧柵を直しながら、ティールはフェフの気にならない程度に事件に関する話題を振って、反応をうかがっていた。通常なら自分が言った通りであろうが、ティール自身はそうは見ていない。間違いなく黒の神官に同行していた補佐役の神官、コノルド使国の「枝」であろう神官は、一定の権限を持たされてる上位の者だ。きっと彼の判断で、黒の神官の処遇は決まる。今頃、それなりの罰が下されていてもおかしくはない。

 ティールは補佐役の神官を、単なる神官として捉えていなかった。あれは「枝」、間諜のたぐいだ。市警隊でさんざんに彼らのような人間を相手にしていたティールにとって、ある意味懐かしさすら覚える存在。『相手にとって不足は無いな』と心躍る程度には才覚がありそうだった。そして、そんな気分になってしまったことを自嘲するのだったが。


 フェフは特に大きな動揺にとらわれてはいないようだった。ティールを始めとして、現場に居なかった兵営の皆はフェフを心から心配し気遣っていたが、思いのほか平気そうなフェフの姿に安堵と若干の物足りなさを覚える者が多かった。『なーんか、フェフ副長。強くなっちゃいましたねぇ』という残念そうな台詞が、皆の心情を代弁している。

 実際のところは、事件当日のストライフとの交流がフェフを強くあらしめた。さんざんに泣いて縋って動揺を表してしまったので、いまさら兵営の皆にまで(すが)る必要がなかっただけだ。

 そんなフェフの姿をみて、ティールは予定していた行動に出ることにした。今のフェフなら大丈夫だと信じて。念のため周囲を見渡す。誰も近くには居ない。見通しの利く場所での語らいでないと、ちょっといろいろまずい。特に神出鬼没の補佐官さんが近づくことがないよう、ティールは周囲に神経を配りながらフェフに語りかけた。


「ねぇ、フェフ副長? お師匠さん、ドルヴィ・ヤーラさんってどんな方でした?」

「えっ??」


 突然投げかけられた問いに、フェフは驚きも露わにティールに向き直った。ティールの表情は特に気負ったところも企むようなところもないように見え、いつものような日常会話の態度を崩していない。だが、彼の口から全く関連がないであろうヤーラ師の名を聞くことがまず驚きであったし、訊ねられた内容やその意図が全く分からない。


「ああっと、そんな警戒した表情にならないで下さいよぉ? 別に何も企んでませんってば。ちょっと聞いてみたかったんです、フェフ副長を“かたち作った”方の為人(ひととなり)について」


 にっこりと優雅な笑みをかえすティールの視線の温かさは心からのもので、言葉通り何か含むところがあるようには思えなかった。


「個人的な関心ですよ。俺、【能力者(ドルヴィ)】としてのヤーラさんの高名は知ってますけど、それ以上は知らないですから。フェフ副長の“育ての親”として、人としてどういう方だったんだろうなって、今の副長を知れば知るほど興味が出てきたんです」

「――一言でいって、素晴らしい人でした」


 その態度に安心して、フェフは心のままに語り出す。

 【能力者(ドルヴィ)】としての師、育ての親。誰よりも優秀なドルヴィで、高潔な人物。毅然と世の中に向き合う強さを持ちながら、誰よりも心優しく温かくフェフを包んでくれた人。大切な「家族」――。

 彼女に育てられていなければ、フェフはもっと心弱いままだっただろう。もしくは愛を知らぬまま、冷血なドルヴィになっていたかも知れない。彼女は、自分たち「異能者」の強さ弱さを常に心に抱き、フェフに余すところなく受け取らせた。「異能者」の強大な力の影響力を、「異能者」であるが故の孤独を、そして愛を。


「……ヤーラ師は、僕が僕であることの恩人です」

「うん、そうだと思った。素敵な人だね、人間として尊敬するよ。本当に素晴らしい人だ」


 ティールの心からの称賛が響く。フェフが今は居ない彼女を思って哀しさを秘めた声で語ったその為人(ひととなり)は、ティールの思い描いていたものとさほど変わらなかった。


「フェフ副長が『心配ない』のは、彼女のおかげだね。俺も安心した」


 いつの間にか、ティールの口調がくだけたものに変わっていた。ふざけ半分の礼儀であるが、いつもは副長という上位者に対する言葉遣いを止めない彼だったが、今は違う。同位者、いや友人や弟に語りかけるような親しみ深いものだ。


「ね、フェフ副長? だから、ここからは俺個人のお願いなんだけど。

 ――身辺に気をつけて。絶対に一人で行動しちゃだめだ」


 急にティールの声色が強く低いものに変わった。視線も真面目なものになる。その態度と告げられた内容に、再びフェフは驚かされる。


「えっ……? どうしてですか?」

「あの黒の神官――多分、貴方を狙ってくる。自分の矜持を守るために」


 ティールはフェフの両肩に手を置いて、真っ直ぐに目を見据えて語り続ける。


「俺、知っての通り、前は王都の市警隊にいてさ。いろいろな手合いの犯罪者たちを相手にしてきたわけよ? その俺からの忠告。あの黒の神官みたいな手合いが一番始末に負えない。常識的な考えとか損得勘定が通用しないんだよ、奴らには。

 危なすぎるんだ、ああいった『真っ直ぐに捻れて歪んでいる奴』は。

 何も絡んだりしていないのに、歪んでる。自分の信念以外を知らない、知ろうともしない、『自分だけの世界』で生きている奴は、その世界を壊そうとするものを許さないんだよ。その為に、何をしでかすか予想もつかない」


 「枝」である神官相手なら心配ない。何か仕掛けられたとしても丁々発止(ちょうちょうはっし)の対峙が期待出来るだろう。だが黒の神官はティールの手に余る。しかも彼には手足となって動く妄信者の神殿兵が付き従っている。

 前任の王都で、何度かあの手の人物を相手にした。歪んだ妄信者たちがとる行動は、理性や分別の枠を超えてしまう。あれほどまでに明確に壊された『黒の神官の世界』。彼はその破壊を決して許さないだろう。必ず行動に出る、それがティールの考えだった。

 彼らが相手取るには、補佐官さんは手強すぎる。多分、狙われるのは同じ「異能者」であるフェフの方だ。


「その意味では、フェフのこと心配してる。だから身の安全には気をつけて欲しい」

「本当に……? でも僕を傷つけて、何が『守れる』んでしょうね……?」

「そう、そこ。向こうの気持ち、分かんないだろ? そこが怖いんだよ。第一班は明後日からまた町勤務なんで、しばらく副長のそばを離れるから、その前に言っておきたかったんだ」


 ティールは周囲を見渡すように頭をあげ、心底辟易したように嘆息する。フェフも思いのほか真剣で真面目なティールの話に、ついつい身体に力が入った。


「――でもそれ以外では、もう副長のこと心配していないよ。貴方は『心配ない』人間だ、大丈夫。安心した」

「???」


 再び表情が柔らかいものになるティールに、フェフは何度も翻弄されっぱなしだ。怪訝な顔になるフェフの頭に手をおき、柔やかな表情でぐしゃぐしゃと乱雑に髪をかき回す。友愛にあふれた温かい振る舞いだった。


「黒の神官は得体が知れないけど……でも、あれはもしかしたら貴方が成りえたかも知れない姿でもあるんだよ、フェフ副長。【ドルヴィ】という“箱庭”の中で、一つの価値観だけに触れて育っていたら、貴方もああ(・・)なっていたかも知れない――。

 だから、ヤーラさんは凄いよ。貴方は誇っていい、あの人に育てられたことを。

 強さも、弱さも。愛も、哀しみも。色々な考え方が世の中にあることを、紛うこと無く教え与えてくれた『母』に感謝しなきゃね?」


 ――どうしてこのオガムの地は、第25隊の皆は、フェフが望むものを余さず与えてくれるのだろう。いつも、誰も。自分が欲しかったものを、素直に口に出来ない願いを。


 フェフは心の底からの歓喜と感謝を覚える。この春以降、次々に与えられたフェフが望んでいたもの。果てない澄み切った今日の空のように、どこまでも高く美しいあふれる想いが彼を包んでくれている。

 泣かないように我慢していると、変な顔になってしまう。そんなフェフの頬をティールはフニッと(つね)り伸ばして茶化す。反撃したくてもティールさんは背が高くて手が届かない。

 フェフの必死の抵抗と反撃をいなし笑い逃げ出す彼を追いかけて、フェフも牧柵を乗り越えて駆けだした。秋の日は短い。影が長く伸び始める中を、二人はしばらく笑いながら駆け回った。


「……そろそろ戻りましょうか?」

「そーですねー。さすがにそろそろ拙いかも……」


 体格的には優れているが、意外と持久力の無いティールはフェフに追いつかれて草原(くさはら)に寝っ転がった。空は高く、細かな雲が風に流れてゆく。もうすぐティールの好きな宵の時間帯だ。


「フェフ副長……変なこと聞きますけど。――ヤーラさんと補佐官さん、どっちの『母』が好きですか?」

「ええっ??」


 土と草を払って兵営に戻る体勢に入ったフェフに、ティールがとどめとなる翻弄をもたらす。なぜ、よりによってその二人の比較なのか。


「どっちかなんて選べませんよ、どちらも同じくらい大切な人です」

「即答ですか、そうですか……補佐官さんも同じ『母』なんですね。

 うん、じゃあ、まあ、いいかな。うん、いいです、わかりました」

「勝手に完結しないでくださいよ、気になるじゃないですか」


 少し神妙な顔付きになって思案するティールに、フェフはわずかな違和感を覚えた。何かはぐらかされたような気がする。ぐるりと周囲を見渡してから、ティールは再び口を開いた。


「いえね……俺はさっき、黒の神官のことを“成りえたかもしれない姿”って言いましたけど――同じこと、補佐官さんにも言えると思ってるんですよ」


 ティールの表情は穏やかなものだったが、目は笑っていなかった。


「フェフ副長は、色々な選択肢を知っています。だからたくさん後悔もしますよね?

 『ああすれば良かった、こうすれば良かった』っていう後悔は、他の道があることを知っていて、選ばなかった道の先に思いをはせることができるから、出来ることなんです。

 でも……黒の神官は『他の道』の存在を知らないから、後悔とは無縁でしょう。

 そして俺が感じる補佐官さんは『選ばなかった道の先を、見ない人』なんですよ。

 いや『あえて見ようとしない人』かな。

 あの人も後悔することはあると思うけど、多分後悔と考えないようにしていると思います。自分が選んだ道を常に最善のものとして、他の道に目が向かないように、最大限の努力をする人ですよね、補佐官さんは。

 でも、それも結局のところは『一つの道しか見ない』ことに変わりはないと、俺は思いますよ。あの人も十分危うい人です。俺は副長より、あの人の方が心配ですよ」


 おどけるように肩をすくめて、しかし声色はどこまでも真剣で。

 補佐官さんは、兵営の皆に怖れられながらも万全の信頼を勝ち得ている人だと考えていた。まさか、彼に対して『心配』なんて評価をする人がいるだなんて思いもしなかったフェフは、ティールの気持ちを測りかねる。今、彼が語った補佐官さんへの評と、その前のヤーラ師との比較には、どのような意図が隠されていたのだろう。

 彼の表情を伺う範囲では、彼が再びその話題を語ってくれるようには見えない。フェフごときでは、彼から隠された話題を引き出すことなど無理だ。


「でもいいじゃないですか。フェフ副長には三人も『母』がいるんですね、羨ましいなあ」

「……あんまり補佐官さんを『お母さん』扱いすると、後が怖いですよ?」

「大丈夫! 俺は、ちゃんと補佐官さんがいないことを確認してから口にしてますから!!」


 兵営への道を戻りながら、彼らは再びいつもの“副長と隊員”に戻った。

 西の空に茜が差す。万年雪を戴く北の山脈が赤く染まり、やがて黒い陰に覆われる。ティールが好きな黄昏色の空。夜明けよりも眩しく優しい、一日の終焉。

 いつもと変わらない夕暮れ。今までとは違う、変容の季節がやがて訪れる――。







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物語進行上、ティールの「使い勝手の良さ」は危険と隣り合わせ。

ただ、ここでこの見解を入れておかないと終章で一気に色々くるので、前倒しでエピソード挿入しました。

後半のフェフとティールが走り戯れじゃれるシーン、もっとしっかり書きたかったな……。


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