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誰も傷つけぬ者たちへ【その8】



「――ストライフ兵営長……申し訳ありませんでした」

「ん? 一体何を、だ?」


 何とか群衆の興奮を宥め、口々に神官達への憤怒とソーン補佐官への憂心を訴える町衆を解散させて、ストライフとフェフは詰め所への帰路にたった。大した距離ではなかったが、あちこちで今回の件を直接見聞していない人々から騒ぎについて問いただされたり、誰かから話しだけを聞きつけた町衆達ににじり寄られたりで、詰め所に着いた頃にはすっかり疲弊していた。

 ストライフは、神官達と対峙した際の気疲れもあるフェフをさっさと部屋に押し込めて休息をとらせる。そして自身は待機する第二隊の面々に簡単に事情を説明し、ケーン事務官とはさっそく今後の手筈について準備を始めた。やがて帰ってきたソーン補佐官も加わって、いやに張り切り嬉しそうに抗議書を作成し始めたケーン事務官に呆れながらも、ストライフは何とか“無事に”終わった安堵感に包まれていた。

 夕食とその後の団欒時の兵達の昂ぶりはひとしおだったが、そこはラーグ班長が上手く暴発しない程度に発散させていた。今夜はストライフも詰め所に泊まる。まだ事の次第を処理する段取りがついておらず、明日兵営に戻る補佐官さん達とのやり取りのために、夜更けまで対応するつもりだった。

 ラーグと補佐官さんを中心とした騒ぎが収まるまでは休息しようと茶に手を伸ばし、ふと見渡すとフェフが居ない。食堂に(たむろ)う彼らを置いて、ストライフはフェフに与えられた部屋を訪れた。だが、その扉は開かれない。鍵のかかってない扉を開け部屋を見渡したが、フェフはいなかった。

 何処に行ったのかと、ストライフは慌てて皆に声をかけようとしたが――思考の隅に引っかかった記憶を頼りに、建物の屋上へと向かった。

 果たしてそこにフェフは居た。町の詰め所は高層ではないが、屋上からは町を見渡すための(やぐら)が建てられている。その根元に座り込んでフェフは夜空を見上げていた。秋分(メイヴォン)を過ぎれば夜は冷える。その冴えた夜空に、煌々と月明かりが射していた。


「フェフ、そんな薄着では体調を崩すぞ? ……相変わらず、お前は夜に包まれるのが好きだな」

「兵営長……。ええ、格好悪いとは思うんですが、夜の静けさの中だと安心するんです。一人なのに独りじゃない気持ちになれるので……」

「そんなもんか? 俺は暗闇は怖いがなぁ」


 ストライフの姿を認めてフェフは立ち上がろうとしたが、それを押し留めて彼も脇に腰を下ろす。そしていつものように、優しく軽くフェフの頭を叩いてやった。


「動揺するな、と言うのは無理に決まっているからな。好きなだけ心を乱しておけ、今だけは。明日からは『副長』に相応しい態度を示せよ?

 ――でも褒めてやろう、今日はよくやった。第25隊の『副長』として、お前はちゃんと神殿の奴らに向き合って負けなかった。感謝する、おかげで勝てた」

「――勝ったのは補佐官さんですよね……凄いなぁ」


 フェフは自嘲気な笑みでストライフを見上げた。“負け”はしなかったが、“勝って”はいない。それはフェフも自覚している。


「人心掌握の戦いで補佐官さんが負けるはずがないだろうが。話にはきいていたが、本気で呆れた。気にするな、あんな妙ちきりんな神官達を相手に、負けなかっただけで大したものだ」

「――ストライフ兵営長……申し訳ありませんでした」

「ん? 一体何を、だ?」


 多分落ち込んでいるであろうフェフを力付けるためにやってきたストライフだったが、純粋に彼個人に向けられたフェフの謝意と悔恨に素で驚く。町や隊を騒がせたことに対する謝意ではなく、何故彼個人に向けて謝られるのか本気で分からなかった。


「……僕は……何の役にも立てなかったのに…………ストライフさんの、ご家族にとっての『恩人』に対して、とんでもないことを……っ」

「はぁぁぁ??」


 ストライフの口から出た声は“素っ頓狂”と称しても良いほどに、素のままの困惑を示すものだった。その声色と大きさに、逆にフェフが驚く。きつく握りしめていた掌が緩み、滲み始めていた涙さえ引っ込む。

 フェフにとって、今日の“事件”は心に重くのし掛かっていた。その中で最も心苦しかったのは、群衆の中にストライフ兵営長の姿を見出したことだ。彼を巻き込んでしまったことだ。

 誰がなんと言おうと。あの神官達がどれほどフェフ達に無礼を働こうと。

 あの「黒の神官」が、ストライフの愛娘ティンネの病を癒やしたことは事実なのだ。

 ストライフの一家にとって、黒の神官はティンネの恩人。誰にもどうすることもできなかった彼らの必死の願いを、唯一叶えてくれた“奇跡の恩人”。

 “第25隊の兵営長”として、あの事態を引き起こした神官達を甘く遇することなど出来はしないし、考えもしないだろう。だが“(ティンネ)の父”としての彼自身の心はどうなのか。

 感謝の念はあるはずだ。崇敬の念すら生じていてもおかしくはない。そんな大切な『恩人』を、罪人として遇さなければならない事態に巻き込んでしまったのは、フェフにとって何よりも辛いことだった――――のだが。


「……んん。おい、フェフ。それはあれか? あの神官がティンネを治してくれたことを言ってるのか?」

「……それ以外に何か『恩人』に心当たりはありますか?」

「いや、ないな。全くもって無い。

 というか……すまん、フェフ。お前に辛い思いをさせていたんだったな、俺は。申し訳ないのはこっちだ」


 ――逆に謝られてしまったフェフは、お互いにどこか困惑したままの瞳を交わしてストライフに相対した。


「フェフ……確かにあの神官は、ティンネの病を治してくれた。誰にもどうしようもなかった病を取り去ってくれた。そのことには心から感謝している。俺も、家族も、皆」


 ストライフ兵営長はフェフの両肩に手をおいて、じっと視線を合わせて語りかける。


「だがな、フェフ。俺も、妻も、そしてティンネ自身も、皆があの神官の力だけで病が治ったなんて思っちゃいない。あれは最後の一槍だっただけだ。ティンネが今、元気に笑えるようになったのは、神官が癒やしに来るまでの間、ずっとあの子を支え続けてくれた皆のおかげだ。

 俺が近くで手を握っていられるように差配してくれた隊長。ティンネのことを常に気にしてくれてる兵営の皆。俺がティンネに全力で向き合えるよう、邪魔なものを全て引き受けてくれた補佐官さんやウリヤンド、ケーン。甥の娘なんていう直接関係のない子どものために、あらゆる手立てをとってくれた叔父町長。少しでも負担を減らそうと妻を支え続けてくれた町の衆。疑うことなく、心からティンネの快復を願い待ち続けてくれたコール。

 そして――ティンネを“泣かせて”くれた、フェフ。お前たち皆のおかげだ」


 冴えた月光が二人を照らす。静寂な空間に、訥々(とつとつ)としたストライフの独白が続く。


「なあ、フェフ。お前には本当に感謝しているんだ。あの子は……ティンネは、俺や妻の前では泣かなかったんだよ、一度たりとも。コールに対してさえ、いつも悲しく笑ってた。

 そんなあの子が、お前の前では泣いた。心情を吐露して激情をぶつけた。妻から聞いて知っているんだ、俺も。それがどれほど有難かったか……」


 フェフを見つめる茶色味の強い緑の瞳が、少し潤む。まなじりに月光が反射し、微かに光る。

 子ども期を終えようとする年頃の愛娘は、自我のままに嘆いたり感情をぶつけたりすることを躊躇うだけの精神的成長を終えていた。家族皆から愛されていることを自覚しているだけに、自分よりも家族のことを労った。そんな無理をさせたくはなかったが、家族が言っても無駄なのだ。娘にはかえって気を遣わせるだけだと分かっている夫妻は、泣くことのない愛娘の手をただ握ってやることしか出来なかった。

 その娘が、フェフには泣きじゃくって激情を晒したと妻から聞いた時、ストライフも涙した。年齢に相応しい未熟な心根を発露できたことへの感涙だった。


「フェフ……あの子がお前に求めたものが、どれほどお前を残酷に傷つけたのかは俺には想像の範囲でしかない。だからお前には感謝だけを伝えたい。ティンネを泣かせてくれてありがとう。おかげでティンネは心を失わずに、潰されずに頑張ってこられた。

 フェフ。“お前の力”があったから、ティンネは今ここに居る。まだ俺の娘として側にあってくれる。只の父として、只のフェフに感謝する。ありがとう、フェフ」


 フェフの口からは言葉が出なかった。代わりに零れたのは、胸の奥からわき出るような随喜から来る唸り声。合わせて滂沱の滴が次々とフェフの頬を濡らしてゆく。その顔を抱き留めるようにストライフは胸に抱き、大きな掌でその背をぽんぽんと叩いてやる。しゃくり上げる泣き声が、くぐもりながら胸を揺らす。


 いつも藻掻いていた、強くて脆い心を持った『異能者』の青年。ただ居場所と愛を確認し続けていた、認められることと愛されることに自信を持てなかった青年。

 自分たちは、このオガムの大地は、その彼に何を与えただろうか。何を受け取ってくれただろうか。

 少しずつ受け取っていけばいい。

 知らないことを覚える度、持たないものを受け取る度、人は人に近づいてゆくのだ。そして覚えたもの、受け取ったものを、今度は与えていけばいい。

 彼は、もう出来たじゃないか。必要なものを求め、掴み取り。そして持たない者に与えることが出来たじゃないか。だから大丈夫。この子はもう大丈夫。


 屋上への出入り口から、こっそりと頭半分だけ覗かせてこちらの様子を伺っていたラーグを目線の指示だけで退かせ、ストライフはただただフェフが泣き止むまでその背に掌をあててやった。軽く、優しく。幼子を寝かせる時のように。


「……すみません……お仕事があったのに、こんな時間まで……」

「うん、まあ、そうだな。不可抗力だ、仕方ない。きっとラーグが代わりに補佐官さんに絞られながら処理しておいてくれているだろう。気にするな」


 ようやくフェフからまともな言葉が出るようになった時には、すでに月は中天を過ぎていた。戻らないストライフとフェフを階下の皆は気にはしているだろうが、ラーグが退いてからは誰も邪魔しには来なかった。だが所長室という名の執務部屋の辺りからはまだ灯りが射して、表通りに影を落としている。

 仕事そのものには遠慮も容赦もない補佐官さんのことだ。代わりにラーグに貧乏くじを引かせてしまったであろうが、ストライフを咎めるようなことはないだろう……多分。


「明日からは『副長』に戻れよ、フェフ。今晩は、ちょっと格好悪い不器用な子どものままで構わん。……お前は息子みたいなもんだ。“泣かせて”やれるのは役得だな」


 気恥ずかしいのか、ストライフは視線を合わせずにフェフの頭をぽんぽんと叩く。同じくみっともない姿を晒してしまった彼も、はにかんだ泣き顔のまま同じ夜空を見上げた。


「そっか……ストライフさんは『第25隊のお父さん』なんですね、きっと」

「――今期は、あんまり『息子』にしたくない奴らが多過ぎるぞ」


 心を落ち着かせるためなのか茶目っ気も含まれたフェフの言に、ストライフは半分本気で反論する。光栄な評価ではあるが――少なくとも隊長と共にやってきた彼らを『息子』扱いしたくない。真剣に。彼らはどら息子だ、手に負えない。


「そう言うなら『お母さん』は誰なんだ、フェフ?」

「補佐官さん以外、誰も該当しないと思いますが?」

「――否定したいが無理だな、確かに。だが俺は妻以外には浮気しないぞ?」


 今度は顔を見合わせて、クスクスと笑い合う。

 フェフにとって第25隊が「家族」で居られる期間は僅かだろう。還元の火祭り(サムハイン)は変容の季節、軍では定例の異動期だ。フェフの着任以来、軍団兵の異動がなかった分、今期は大きく人が動くはずだ。折しも南方国境はきな臭い。今回の神官の件もある。隊長以下、実戦経験のある軍団兵は戻されることだろう。

 “国境守備隊”は守りの部隊だ。彼らが帰ってくる場所を守るための兵。誰もが“我が場所”として帰属する地を、そのままの姿で守り続けることが自分たちの使命だ。『子ども』はいつか親元を離れるものだ。でもいつでも心にあればいい。傷つき、挫けそうになった時、思い出せばいい。それが故郷であり、家族というものだ。

 “生粋の第25隊”であるストライフにとって、出会いと別れはいつものこと。幾人もを見送り、幾人かはもうこの世に居ない。それでも――。

 『また、会おう』――そんな約束を交わせる地を、いつまでも守りたい。




「――――誰が『母』ですか、誰が。全く……兵営長、貴方までラーグ達に毒されないで下さい」


 月光をかき分けて、例によって例のごとく突然に姿を見せたソーン補佐官は、珍しく眉間に皺寄った表情を見せて二人に歩み寄った。相変わらず神出鬼没だ。いつから二人を見守り、話を聞いていたのか。悪びれる風情もなく、左頬の傷を覆う白布を片手で押さえながら二人の前に立って冷眼を向ける。つい先ほど交わした話のこともあり、母に叱られる子どものように二人は思わず姿勢を正しつつも、ふっと視線を逸らした。


「ストライフ兵営長。書類は整いました。確認後は“所長印”が必要ですので、今からお願いいたします。私は明日、ファゴス町長に同行を願って代殿に行きますが、後はディングル神殿からの反応待ちです。よろしくお願いします。

 ――フェフ、貴方はその間はラーグと共に町を散策して下さい。貴方が平常の姿を見せることは、町衆を安堵させるためにも必要です。できればコール君とも会って、郊外の人々とも接触を。兵営への帰還は明後日になります。よって、それまでは自由になさい。コール君の仕事を手伝ってあげても構いません」


 冷然とした指示は、事件の後処理を淡々と進めるためのようでありながら、それ以外の意図を含んでいる。ストライフはその無造作なまでの彼の差配に込められた温もりを好ましく思う。彼も自分と同じように、フェフを心から守り育てようとしている。ストライフは大きく包み込むように。補佐官さんは、自身は厳しく律しながら他方に安息を確保して。

 フェフとコール少年の交流は、フェフの安息だ。「異能者」である彼自身をそのままに受け止める、真っ正直な強い“命綱”。彼の新しい「家族」の一人。

 娘親として多少複雑な感情がない訳ではないが、ティンネとの交流しかり、フェフとの交流しかり。コール少年の、物事の本質を決して見誤ることのないその賢さは、何者にも代え難い宝物だ。残り少ないオガムでの日々を、忘れ得ない命綱としての記憶として留め、笑って再会を約せるように。そう願うのは、補佐官さんだけではない。


「さあ、フェフ。立って戻りなさい。皆が心配しています。貴方は第25隊の『副長』です。部下を心配させるものではありませんよ? 貴方を待つ人が居るのです。逃げてはいけません、必ず戻りなさい――唯の人として」


 いつか見たような、ソーン補佐官さんの至高の笑み。充足感に満たされた、慈愛あふれる柔らかな笑顔。その温もりを感じながら、三人は詰め所へと戻る。皆の元へと。

 フェフは生涯忘れることはなかった。彼が与えてくれた数々の心意気と気概よりも、なお一層。その笑顔を忘れることは出来なかった。後日その笑顔に込められた、悲しいまでの思いを知って、なお。





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ストライフお父さんの回。

今話だけだと彼が恩人に対して冷たい人間のようですが、ちゃんとウィアドに感謝はしてます。

彼は公私をきちんと使い分けることができる人間ですし、目立つ結果だけに振り回されない人間というだけです。

多分、奥さんとかはもっと複雑な感情でしょうが、彼はその点しっかりしています。ある意味、利己的。

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