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誰も傷つけぬ者たちへ【その7】



「さて……黒の神官。黙って見ていれば大層な暴挙に出られたものですね」


 氷結した玲瓏たる声色と心の底まで凍りつかせるような冷眼に見合わない、優しささえ感じさせる美貌が恐ろしい。遠目ではその秀麗な表情しか分からないだろうが、その視線は白刃さながらだ。

 「美貌」という点だけで見るならば、ウィアドの方が勝っているかも知れない。ソーン補佐官も誰もが認める白皙の美貌の持ち主だが、神さびた中性的なウィアドの美貌は男女問わず陶酔しそうな程だ。

 だが二人を並べれば、多くの人はソーン補佐官に心惹かれるだろう。なぜならば、ウィアドの美貌には“人間味”がないのだ。作り物めいた彫像のような美。崇敬ならともかく、心寄せる美貌ではない。実際に、今この二人が対峙する緊迫した空気の中でも、群衆の熱情はソーン補佐官の方にのみ向けられている。


「愚かな。自分の立ち位置も、責任すら自覚しない我が儘な子どもの戯れ言に付き合う気はありません。すぐさまその役に立たない番犬を連れて帰りなさい」

「な、なにを無礼なっ!」


 ソーン補佐官さんの冷厳な声に反応したのは、身を起こしてウィアドの元に戻った神殿兵ファーンの方だった。ウィアドは感情を持て余していることを隠せないまま、わなわなと口元を震わせ目を見開いている。

 ファーンは怒気も露わに、ソーン補佐官に剣先を向ける。群衆の目の前で、そして何よりも大切な主の前で無様に蹴り倒された恨みもあって、ソーン補佐官に向ける眼差しは殺気すら感じさせるものだった。


「神の力を振るう者であったとしても、たかが異能者。その力の意味も分からず何の覚悟も持たない愚か者に、何の礼を尽くす必要があるというのです? 貴方もそう。主を大切に思うのならば、彼の人を守りなさい。ただ従うだけの愚か者は、番犬ですらない。ただの道具です」


 冷眼のまま無情に紡がれるソーン補佐官の言。剣先を向けられながら、彼には何の動揺も見受けられない。平然とその蒼穹の瞳を向けて挑発するかのように口角を上げると、ふいっと視線を移しウィアドを見据える。


「……神の力というものは、それほどまでに誇らしいものですか? ばかばかしい。自分の手では何も掴めない、愚かしい手助けの何処が人の為になるというのです?

 自分が信じるものの為に何をしようと勝手です。ですが、それに自ら望まぬ者を巻き込むことはならない。フサルクしかり、盟約の神々しかり」

「――誰か知らないけれど、お前も我が神を侮辱するというの? 我が神を、異端の神と同一視するというの?!」


 玲瓏さは失われていないが、絞り出すようなウィアドの振るえる声。憤怒による剥き出しの敵意がソーン補佐官に突き刺さる。それを怖れることもなく、ソーン補佐官は一歩踏み出してウィアドに近づく。


「神の力を振るうということは、巨大な化け物の背に乗るようなもの。――その足元で、自分が一体何を踏みにじったのかに気付かない……。もう二度と、誰もその化け物の背に乗ってはならないのですよ。神代(かみよ)は終わったのです。その力を“神の力”として行使してはならない……」


 群衆には届かない小さな声で静かに言葉を紡ぎながら、彼はまた一歩ウィアドに近づき、柔らかくその手を広げる。その表情はどこまでも冷厳で、無謬(むびゅう)を感じさせるものだった。

 気圧されるかのように指一本動かせないままだったウィアドとは対照的に、ファーンは神殿兵として、ウィアドの(しもべ)として着実に反応した。主人に近づく補佐官さんの行動を遮り、白刃を真っ直ぐに向ける。なおも歩を進める補佐官さんを押し留めるように力を込めた剣先は、そのままソーン補佐官の左頬を柔く切り裂いた。(あご)にかかる程度の長めの髪が数筋、一緒に断ち切られて風に舞う。


「えっ? きゃあぁっ!!」


 補佐官さんの頬に走る赤い線。その傷と血飛沫に気付いた群衆から悲鳴が上がる。主に女性陣からの、今度は黄色くない悲鳴が、絡みつくようだった緊迫した空気を一変させた。

 その声に押され、先にファーンが、次いでウィアドが我に返る。血を見て、ようやく自分たちの行動の拙さに気付いたようだった。フェフという【ドルヴィ】もそうだったが、目の前の長身白皙の青年も無手のまま。隊服を着用している以上、守備隊の兵であることは一目瞭然。確かにファーンは先に彼に蹴り倒されているが、だからといって剣を向けることが無条件で許されるはずもない。相手は正当な町の守護者。

 何よりも彼らは「神官」なのだ。民を癒やし神の庇護を体現するべき者が、無手の相手に血を流させる。それがどれほどの悪手であるのか、さすがにウィアドも知覚する。


 傷の痛みも何も感じぬ風情で、その場に直立したままの白皙の守備隊兵。血を拭うこともなく、ウィアドに向かって伸ばした手は降ろして目線だけは周囲を見渡す。それは明らかに町衆の意向を確認する目的の動作だった。

 ウィアドの決断は早かった。幼い思考の持ち主とは言え、神官としての知識や矜持は高い。このまま彼を傷付けたままにすることが、神官である自分たちへの悪感情に繋がりかねないことを理解し、情勢を立て直そうとする。

 頬から血を流す秀麗な彼に向かってスッと手をかざし、その治癒の力を振るう。自分が持つ最大の武器。神の恩寵である【治癒の神力】。神殿兵であるファーンが彼を害した事実は消せないが、傷そのものを無かったことにはできる。それがウィアドの力。

 だが――。


「……どうして……?」


 ウィアドが手をかざした先で、確かに黒い輝きが発せられた。いつもなら、そのまま人は癒やされる。こんな頬の切り傷一つ、あっという間に治る……はずだった。

 だがいくら待っても、その白い頬からの血は止まらない。幸いにも深くはなかったため、ツツッと滲み出るような出血であったが、その赤は白い顎を伝い首筋に流れ、隊服の襟元を少しずつ染めていった。ウィアドは再び力を振るうが、結果は変わらない。


「いやぁっ、補佐官さん! 怪我がっ、血がっ!!」

「なんてことっ!!」

「ひどいっ!!」


 群衆から悲鳴にも似た声が次々にかかる。なまじ白皙の美貌だけに、その血の赤は怖ろしいほどに冴えてどこか妖艶ささえ感じさせた。勇敢な二人組の女性が手拭い片手に飛び出してきて、必死の形相で彼の傷に布を押しつける。彼女らの悔しさにも似た憤りを宥めるように、ソーン補佐官は柔らかく微笑んで礼を言い、その血を拭った。


「神官様!! 何をなさるんです!! 副長さんや補佐官さんが何をしたっていうの!!」

「癒やしても下さらないなんて……っ」

「そ、そうだ! あまりに酷いんじゃないですか、神官殿!! 彼らはこのアラグレンの守護者なんだぞ!!」

「神官のくせに、何もしていない者に剣を向けるのか!!」


 彼女たちの行動を見て、フェフと黒の神官の相対峙以来、遠巻きに伺うだけだった町衆達が急に勢いづいた。男女問わず、皆口々に神官達へ非難をぶつける。

 げに怖ろしきは女性の力。



「…………おい、ラーグ。あれ、間違いなく補佐官さん、狙ってやっただろう?」

「ええ……ご自分のこと、よーく分かってますからねえ……あの人」


 神官達を(なじ)る町衆達のざわめきの中に紛れ、ストライフ兵営長とラーグ班長は深いため息をつく。心配したのは二人とも同じだが、世慣れない神官達を弄ぶかのような一連の流れにストライフは仰天し、ラーグは軍団在籍時の悪夢を思い出して嘆息するだけだった。

 フェフが神官からの謂われない暴言に晒され、神殿兵に剣を向けられた段階でラーグはその騒ぎにたどり着いた。だが助けようと足を踏み出したその時、誰かにその肩を持って下げられ、群衆の中に押しやられる。やがてその脇を抜けて見事なまでの足蹴りを食らわせたソーン補佐官の姿を認め……賢明にもラーグはそのまま傍観者に回った。

 その判断は正しかった。追って姿を見せたストライフ兵営長も押し留めて、二人で成り行きを見守る。明らかに補佐官さんの独壇場となっていた場の空気に加えて、とどめは一方的な流血沙汰だ。


 しかも顔。

 「特別観賞用」とまで称されて垂涎されていた、その顔に傷。


 女性陣を始めとする町衆の支持が、一気に神官から離れることは疑いようもなかった。


「あの人、第四軍団でも似たよーなことやってましたから……」

「そうか……。さすがにあの隊長の補佐官だよな……今更だが」


 眉間にしわを寄せ、顔を見合わせて頷き合う二人に、ようやくフェフが気付いた。神官糾弾の嚆矢(こうし)となった女性二人組に囲まれるソーン補佐官に目礼して、慌てて駆け寄ってくる。


「ラーグさん! ――ストライフ兵営長!!」

「おお、フェフ。被害は隊服の背布だけか?」


 ストライフの大きな掌が、いつものように優しくフェフの頭を叩く。その温もりにフェフの緊張が一気に解け、じわっと涙が滲む。

 怖くなかった訳じゃない。自分とは異なり、世から認められる異能の力を持つ者を眼前にして、畏れがなかった訳じゃない。

 でもこの温もりを知っていたから……だから相対できた。負けなかった。この地が、この第25隊の皆が与えてくれた、自分だけの力があったから、負けたくなかった。そのことが何よりも嬉しかった。


「――――ラーグ、引き時です。守備隊に対する明確な傷害行為。証人は多数。誤魔化しようもありません。とりあえず彼らを代殿まで連行します。拘束は不要、剣だけ没収して下さい。ストライフ兵営長、申し訳ありませんがフェフを連れて先に詰め所まで戻って下さい。後の段取りはケーン事務官と相談して対応をお願いします」


 群衆を抜けてソーン補佐官が三人の元にやってくる。その頬からの血は止まっていたが、首筋にこびりつく赤が妙に目に付いた。最初から予定していたかのような、的確な指示。それを受けてラーグは補佐官さんと共に、幾人かの町衆に囲まれて詰られる黒の神官と神殿兵の方に向かった。

 代殿は、アラグレンに神官が滞在する際の館だ。神殿関係者ではないが信仰心厚い信者が管理していて、治外法権とは言わないまでも通常守備隊は手出しできない。詰め所ではなく代殿に彼らを連れ帰るのは、一応「黒の神官」としての影響力を(おもんばか)るからだ。ここで一気に神官を“拘束”してしまうのは、さすがに拙い。明白すぎる証拠が出揃っていたとしても、神殿関係者はやはり国法の外にある者達だからだ。


「神官殿、失礼します――さて、今更ではありますが、私は東北国境守備隊第25隊隊長付補佐官ソーン。お見知りおきを。

 この度の本隊副長および私への傷害行為に対し、応急対応として代殿への蟄居と速やかなるディングル神殿への帰還を求めます。正式な処分対応に関する通知は、追って神殿に届けましょう。少なくともそちらの神殿兵に対しては、ルーニック国法と神殿との協定に基づく正式な処分を求めることになるでしょう。お覚悟を」


 ソーン補佐官が神官達に近づくと、彼らを取り巻いていた町衆達が何も言われずとも一斉に退き遠巻きにする。淡々と紡がれるその告知を、ウィアドは落ち着きない視線を彼に向けたまま受け取る。同じ言葉を聞くファーンの表情は次第に青褪め、自分の行為がもたらし今後に繋がって神殿に及ぼす影響を感じ取っておののいた。

 憤懣(ふんまん)揺蕩(たゆた)う町衆をストライフが宥め諭す中、ラーグは痛恨の念も露わに唇を噛みしめる神殿兵ファーンの脇に立って歩き、ソーン補佐官は一歩離れた位置でウィアドの右手側を先導するように代殿への道を歩み始めた。

 遠巻きに見守る町衆からは何の言葉もかからない。明らかに「黒の神官」ウィアドは、アラグレンの町衆からの崇敬を失っていた。

 だが彼の心を占めていたのは、そのことではなかった。


「…………どうして……」


 自分の白く滑らかな掌を見つめて、小さな声をこぼす。手の中に力は感じる。なのに何故……っ。


「――何故? 私に貴方の【神力】が効かなかったのか、そんなに不思議ですか?」

「っっ!!」


 ウィアドの顔を見ることもなく、頭の上からソーン補佐官の冷たい声がかけられる。見上げた先で、まだふさがっていない左頬の刀傷が血を滲ませていた。


「――何も不思議ではありませんよ。……神の力は信じる力に呼応します。私はフサルクのことなど欠片ほども信じていない。その力を頼もうとも思わない。だから彼の神の力は私には効かない。ただそれだけです」

「我が神を信じない……?」

「ええ。信じないと言うよりも、関心がないと言っていいでしょうね。もはや憎しみすらありません。――私の“神”は既に在る。他には何一つ要らないのですよ。

 黒の神官、覚えておきなさい。“神の力”は無限無謬(むげんむびゅう)ではない。

 ――フサルクのもの(・・)である貴方自身にも、私は何も感じません。貴方がその力を頼むことは自由です。ですがその力の源を知り、その覚悟を常に持ちなさい」


 歩みを止め、ソーン補佐官はじっとウィアドを見据える。その瞳は闇色に光った。

 気圧される。太古の闇に囚われるかのような、本質的な畏れがウィアドを襲った。


「…………代殿に着きました。では黒の神官殿、明日にはディングル神殿にお戻りを。

 もうお目にかかることがないことを願っております」


 何かもの言いたげな神官と、憎しみにも似た後悔の念を滲ませる神殿兵を代殿に押し込めるように追いやって、ソーン補佐官は清冽なまでの美しさを感じさせる軍敬礼の後に振り返ることもなくその場を立ち去った。慌ててラーグも後に続く。

 その背をただウィアドは見送った。だが、初めて感じる焦慮(しょうりょ)落魄(らくはく)の経験に心を持て余し、それが神の愛し子として今まで心に留めることすらなかった毒に変わろうとすることを、彼は忌避できなかった。

 寒露の冷たさを感じる夕闇時。その小暗い闇が、ひたひたと無垢な邪悪を染めていった。





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ソーン補佐官の本領発揮(?) 性格の悪い、説教魔。

これが本性といっていいかも、な性格は初期設定から一切ブレない、ある意味完成度の高いキャラクターです……。

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